262: 名無しさん :2018/09/03(月) 06:43:35
流れをぶった切って失礼。ふと神崎島の「蛭子命」のお姿を想像していたら浮かんで来た妄想を一つ。
『「蛭子命」と「くちくいきゅう」の形状的類似とその意味について』
……神崎島に住まう種族の一つである「深海棲艦」については、一般的に「荒魂として世に立ち現れて大いに災いを為し、
艦娘たちとの戦いの末に和魂として静まった一種の祟り神」という認識が為されている。かみ砕いて分かりやすく言えば、
「今は大人しいけど昔は大暴れのヤンチャし放題やらかした暴れん坊」といったところであろうか。
ここで重要なのは、「深海棲艦=凶暴性多し」というイメージが ―意識するしないを問わず― ほぼ無批判に受け入れられているという
点であろう。確かに彼女たちの振るった暴威は、唯人には抗する事すら許さぬものであった。しかし、それが事実の全てであろうか?
結論から言えば、「深海棲艦=凶暴性多し」という認識は過ちである。より正確に言えば、「暴力を振るう事を考えすらしない深海棲艦」
が存在するのだ。神崎島に赴けば、神社前の広場や公園、海辺の浜で遊んでいる姿を見る事のできる「くちくいきゅう」と呼ばれる種だ。
「くちくいきゅう」はほぼ戦闘能力を持たず、主に手とも足ともヒレともつかぬ腹にある一対の突起で移動し、物をつかむ。その行動は
人間の幼児に似て、島民や外来の客人に見守られながら、遊戯や踊りらしき動きをしつつコロコロと日々を楽し気に過ごしている。
神崎島の風説に寄れば、彼女たちは深海棲艦の攻撃で落命した幼児の生まれ変わりともいう。故に島民は彼女たちを優しく見守るのだ。
……ここから先は全く筆者の直感に寄る思考の飛躍だが、彼女たち「くちくいきゅう」の容姿は、伝説に言われる「蛭子命」のそれに余りにも似てはいないだろうか。
「くちくいきゅう」の腹にある一対の突起を「手でもなく、足でもないもの」とみなすならば、その容姿は「手も足もない神」と呼ばれる「蛭子命」そのものではないか?
すなわち、「くちくいきゅう」とは「蛭子命」が幼児の魂に自らの似姿を与えた眷属・御使いなのではあるまいか、という事が私の提示する疑義である。
元来日本では幼児を「七つまでは神のうち」と言い表した。これは高い幼児死亡率に対する当時の人々が自信を納得させる為に考えた理屈であるが、
同時に日本各地の祭礼を見るに、幼児を「神の化身・依り代」とする例は多々見られる。これらの事を考えるに、「くちくいきゅう」と「蛭子命」が無関係で
あるとは、余りにも強い関連性を覚えざるを得ない。もっとも、この疑義に対する明確な答えは、私自身未だ持たざるものであるが……。
追記。上記の疑義について確証を得るべく、常世神宮に文献類の照会・口伝の記録分析について問い合わせた。しかし、常世神宮側の反応は常に
一貫して「およそこの儀は詮索すべからず、語るべからず、聞くべからず」というものであった。何らかの重大な禁忌が存在するのであろうか……。
最終更新:2023年11月15日 21:01