193: 弥次郎 :2018/09/14(金) 19:11:43
日仏ゲート世界SS「抵抗権」
抵抗権、あるいは革命権。
市民から任された政府や王府がその権力を不当に行使した場合、市民がそれに抵抗し、反抗する権利。
史実に置いてはジョン・ロックの述べたそれや社会契約説などと並び、近代の市民革命に影響を与えている。
要するに、君主や政府を市民が何らかの形で転覆させても、それは自然法として認められているのだ、ということである。
さて、このジョン・ロックの思想は日本列島が大陸化し、フランスと日本とを結ぶゲートが発生した世界においても影響力を発し、フランスにおいても多大な影響を与えた。それは特に革命勢力に大きく、悪く言えば拡大解釈され、利用されたのであるが、兎も角、改革側にも革命勢力にも一目置かれたのである。
革命勢力にとっては、自らの行動に理論的な根拠を与え、自らの行いを正義とすることが出来るお題目であった。
しかも、それが既存の王権の側から提案されるなど、鴨が葱を背負って来るどころの話ではなかった。
最終的にフランスに置いて革命はならず、これまでの制度を王家主導の下で一新する改革勢力が勝利をおさめ、諸外国の干渉を日本(織田幕府)の助力を得て跳ね除けたという結果がフランスには生まれた。
その後、フランスは近代国家として憲法を制定し、これを領土全体に発布・施行した。
このプロセスに関しては非常に歴史的・学術的に興味深いものとなっているのであるが、今回はそこから注目を一端離すこととする。
今回はこのフランス帝国憲法に置いて叙述され、後に何度かの改訂を加えられることになる「抵抗権」について、そして、それとあわせて権利と義務について少し語ることとする。
194: 弥次郎 :2018/09/14(金) 19:12:27
それを語る前に、どうしても避け得ない出来事があることをここに記す。
それは、フランス国内での革命勢力の暴走。
人類史上に置いて、記録にも記憶にも長らく留まる、凄惨極まりない出来事であった。
革命を嘯く勢力、便乗して好き勝手に暴れる勢力、カルト教団、魔女狩り、悪魔崇拝etcetc....
単なる武装ほう起だけでなく、こうした革命騒ぎに乗じた勢力を仏蘭西国軍及び織田幕府救援軍は相手取ることになったのである。
それは、人間という生き物が何処まで残虐に、残酷に、そして狂気に染まることができるかというものを、この世に表したものであった。
村一つが丸ごと殺戮され、生贄として見るに堪えない姿をさらし、何の力も持たない女子供が面白半分に殺される。
異端だ、異教だ、という理由で、村が、町が消え去る。人だけではない、文化財、芸術品、街並みに並ぶ花々、家々までもが破壊の対象となった。
見世物のように処刑され、凌辱され、人として壊されていく。そんな光景や残滓がそこかしこに見られた。
その光景は、荒事に慣れていた軍人や武士たちでさえも、思わず目をそむけたくなるようなものだった。
それは、理性ある人間の行動の結果とは思えない、野蛮な獣が好き勝手に暴れたようなものだった。
対処も当然ながら困難を極めた。破壊された家屋は立て直し、仮設住居を用意し、再び襲われることを恐れて駐屯兵を置く。
負傷した人々は、助けられるものは助け、助からないものは楽にしてやるしかない。
何もかもが足りない。食糧も、医療品も、住居も、安全も、安息も。
彼等にできたことは、しでかした下手人を捕まえ、法にのっとって処罰するしかなかった。
皮肉にも、この時期に発達したのがギロチンであった。多くの犯罪者は裁判を受けても死刑に値するケースが多く、ギロチンによって次々と処刑されていった。反対に革命勢力がショーのようにギロチンを用いたこともあった。
現在に置いても調査が続けられてはいるが、その被害者の数や範囲などについては未だに議論と調査が続いている。
というのも、当時の人口および地理の把握は現代と比較すれば不十分であり、流浪の民や山奥の村々などカウントされにくい人々も犠牲になったためである。
しかし、相当な被害が、それも、不可逆的な破壊が文化的にも人命的にも発生し、もはや戻らないとあれば、後に残された者たちは憤るしかない。
195: 弥次郎 :2018/09/14(金) 19:14:02
さて、ここまでが前提条件となった時、この手の革命勢力に対するアレルギー、あるいはトラウマはフランス王国政府と織田幕府、その双方に深く深く刻まれ、なかなか消えることのないまま残ることとなった。特におひざ元で虐殺が行われたフランスなど、反動で革命勢力に与する連中への魔女狩り的な操作まで行われそうになったほどである。
それがほどほどで収まったのも、皮肉にも諸外国の干渉戦争が勃発し、フランスがそちらを優先せざるを得なかったためであった。
だが、一度刻まれたトラウマがその程度で消えるはずもない。
フランスにおける帝政への移行と憲法の策定においては、このような革命を担保するような自然法--即ち抵抗権や革命権は認められない運びとなった。
一度理性を失えば、人間は何処までも堕ちて獣に成り下がる----それを体験してしまったが故の選択だった。
行き過ぎた規制となりかねなかったのだが、王権を脅かされながらも無事に乗り切ったルイ16世の説得により、訴訟やデモなどの権限は認められ、上の理不尽な指示や権力行使位に対して下からの是正が出来ない支配体制となることは避けられた。
これらの法的根拠となる法整備にはさらなる時間と議論を擁し、既存法とのすり合わせなどが行われた。
同様に、後に織田幕府が近代政府への移行を行う際にも、これらの抵抗権は認められない旨が憲法へと記され、施行された。
社会契約に基づいた権利と義務を憲法は謳った。
だが、それは人間の理性を、知性を、合理的な判断を下せることを前提としていた。
法は確固たるものとして国家を支える。だが、その方を活用するのは結局のところ人間でしかない。
では理性とは?一体どのように使えば良い?そも、理性と悪意を分ける者は何であるのか?
革命を嘯いた勢力と改革を進めた勢力の差は一体どこにあったのか?勝ち負けか?支持の差か?行いの差か?
結局、それについての答えは出なかった。
憲法やその他の関連する法を定めた議会でも、そこだけはどうにもならなかった。
だが、議論は続いていき、実践もまた続いていくのは確かであった。
法が人を守り、人が法を守る。人が法を適切に使う。権利と義務のバランスをとり、相応しいふるまいをするにはどうするべきか?
それも、国家という巨大な集団の個人に対して守らせるように徹底するには、一体どうすれば?
疑問と懸念は尽きることはなく、課題は積み上がってく一方であった。
正義とは、法とは、義務とは、権利とは。それらを教育し、培い、広めていき、時に正す。
それを最初に明記した憲法を有したフランスは、そして日本は、探求し続けるという戦いを始めたのであった。
196: 弥次郎 :2018/09/14(金) 19:16:19
以上、wiki転載はご自由に。
自分へのご褒美でDVDを買った某アニメの影響がもろに出ていますね(苦笑
日仏世界を書きたいのは山々なのですが、もうちょっとほのぼのというか、楽しい話を書いていきたいですが、
はて、どうしたものか…
ともあれ、革命の国で革命権が否定されるという事態になりました。
まあ、王家の側が勝利したのだからある意味では当然ですね
最終更新:2018年10月03日 20:57