531: 弥次郎 :2018/09/20(木) 11:06:17
【ネタ】日仏ゲート世界---東の果ての料理人
人生において、いわゆる黒歴史がある。
その場の勢いだとか、夜中のテンションだとか、アルコールで酔っ払った勢いとか、
若気の至りとか、上からの指示という名の無茶ぶりに堪えようとして突拍子もないことをやると言い出したりとか。
ともかく、そういうのを必死にやっちゃって、後から無茶苦茶後悔したりすることがある。
正直に打ち明けよう。
俺の場合、そんな黒歴史がちょっと取り返しがつかないというか、歴史をぶっ壊すような羽目になっちまった。
俺のやらかしが、途轍もない影響を与え過ぎた。ブラジルの蝶の羽ばたきどころじゃなく、もっと大きなものだった
そして、100年も経ってから再度生まれてきて、自分の所業の影響を見る羽目になって、悶絶どころじゃなかった。
恥ずかしいとか言うレベルを通り越して、身悶えした。
ゴホン、話を戻そう。
俺は転生者や逆行者の集まりである
夢幻会…織田家に仕えていたときは夢幻衆とよばれていたが、そこに属していた。
そうそう、丁度フランスと日本を結ぶゲートが岐阜に発生したころが丁度全盛期というか、一番働き盛りだった。
夢幻会のメンバーはそれぞれに得意分野がある。偏に転生者といっても、その前世でやっていたことはバラバラで、当時でも役立つ技術持ちもいれば、数世代後にならないと役に立たない技能を持っていた奴もいた。
俺の場合は前者、俺は調理師の資格を持っていて、海外のちょっと有名なホテルで修行して、自分の店を小さいながらも構えていた。
だから、どこぞの漫画よろしく、俺は織田家に仕える料理人という立場を手に入れて、そこを介して知識の普及に努めた。
フライパン、フライ返し、ピザ窯、ミートハンマー、各種包丁、トング、計量スプーンなどなど。
前は使っていたが、この時代には生まれていない道具は星の数だけあり、俺は他の転生者と協力して必要な道具も作っていた。
まあ、これに関しては複数名で開発したということで悪目立ちはしなかった。大体、当時の夢幻会が常識として知っているものと、当時の常識とでは違うところがかなりあったし、数世代にわたって織田家に仕えていた俺達は全体的に常識外れとみなされていたのだ。
そして、戦国時代は南蛮渡来の物品が流れ込み始めた時期でもあった。
和食より洋食が専門だった俺にとってはようやく自分の得意分野を活かせると喜んでいたものだった。
他にも酪農家だった転生者が用意した牛乳や畜産動物の肉は勿論の事、貿易で持ち込まれたスパイスや調味料、さらには少なくはあるがジャガイモなんかも手に入った。欲を言えばもっと香辛料と新大陸の野菜が欲しかったが、流石に持ち込むのを頼むのが難しかったのをよく覚えている。
532: 弥次郎 :2018/09/20(木) 11:08:15
ゲートが開通してからしばらくして、織田幕府とフランス王国は交流を開始したわけだ。
細かいところは端折るが、まあ、お互い仲良くしていこうという流れに持っていこうとしていた。
その時はフランス語やラテン語を話せる人間がかき集められてたな。
んで、俺もまたお呼びがかかった。
饗応する際の料理を作れって命が下ったんだな。
俺は正直、テンパってた。史実の偉人に料理を振る舞うなんてのは経験していたけど、まさかこの時代でと。
それも日本を訪れた外交団という大人数を相手に、だ。たかが料理とは言うが、国家の品が問われる重要な要素である。
失敗は許されないし、大殿からの直々の命というプレッシャーもあった。
フランスはアンリ4世の治世下で、イタリア料理がカトリーヌ・ド・メディシスがアンリ2世に嫁いだ際にもたらされてしばらくたったころで、少なくともナイフとフォークを使うというレベルで料理が発達しつつあった頃だった。フランス料理はイタリア料理から生まれたと言っても過言じゃない。
ブルボン朝に入ってからフランス料理というスタイルは徐々に確立されていくのが史実におけるフランスの料理の発展だ。
そこら辺についてもある程度は前世に置いて勉強したことがあった。だから、それを思い出しながらの調理になった。
で、俺はそこでやらかしてしまった。
大殿、つまり織田信長様からは「相手の度肝を抜け」という注文がついていた。
だから、「文化的」な料理を一丁出してやろうと、会談しながら食べられるフルコースにしてしまったのだ。
スタイルとしてはフレンチと和食の混合のフルコース。イメージはオートキュイジーヌだ。
パンも出し、ワインも出し、一品ごとに順立てて提供する。
和食らしく、季節や旬に合わせた料理も交えて、日本人とフランス人両方が食べられるものを作る。
極東の蛮族と侮るなかれ、こちらは文化的な、欧州の文明さえも飲み込んで成長した文化を持つのだ、そうしめしてやったのだ。
割と必死になっていて、準備が整ったところでようやく気が付いたが、俺は料理の常識を世紀単位で先取りしていた。
近代、近世、近現代、現代と変遷を経てきた料理を知っている俺は、無意識にその中で培われたノウハウを注ぎ込んでしまったのだ。
勿論再現しきれていない所もあるが、実質、数世紀あとの料理をいきなり食わせてしまったことになる。
その驚き様は、あえて割愛させてもらおう。
大殿の命の通り、度肝を抜いてやることはできた。
その結果、こちらが蛮族だと侮られたまま外交が始まるということはなかったようだった。
むしろ、饗応としては大成功で、喜んでくれた人がいたのは幸いだった。
533: 弥次郎 :2018/09/20(木) 11:11:59
しかし、ことはこれで終わらなかった。
外交使節がフランスに向かうにあたって、フランス側のたっての望みで、俺をはじめとした料理人一同が使節に加わることになったのだ。
どうやらカルチャーショックを受けたフランスの外交使節は、自国のそれと比べて、俺の料理を痛く気に入ってしまったらしい。
で、せっかくだからフランスでもその腕を振るってくれないかと、そう依頼してきたのだ。
断るに断れない。
それにフランスの環境やら料理やらを勘案すると、日本のそれに慣れ切った人員が行ったら卒倒するに違いないし、和食が食べたくなる人も出るだろうという夢幻衆や織田幕府の配慮だった。
そして、フランスに渡った俺を待ち受けていたのは、いつの間にやら噂を聞きつけたフランスの所謂シェフたちと、そんな彼らを抱える貴族や王族などのいわゆる宮廷の人々だった。彼らは一様に俺の、俺達の持っている技術に興味を示し、料理を作ってくれとか、弟子入りさせてくれとか、もっとすごいものだとお抱えのシェフにならないかとオファーまで来た。
それから数週間、俺達洋食に通じる料理人たちは戦場に立ち続けた。
比喩でもなんでもなく、戦場だったことをここに証言しよう。
流石に技術を惜しげもなく教えてやるのは無理だったので、衛生の概念から始まって、どのように調理や味付け、下処理をするか、どうすれば効率的に調理を進められるか、食品は一体どのように扱うべきか……本当にたくさんのことを教えることになっていたのだ。
食す側である宮廷の人々にも、所謂フルコースだとか、バイキング方式を体験させもした。
食事の際のマナーや作法、食べ方まで教えることになったのは正直仕事以上だと思いもした。
正直、その時は自重も何もできないほど忙しかった。
また、俺たち自身も過去の料理を学ぶという得難い経験をしていた。
今日の、正確には未来の料理の根底をなすのがこの時代の料理なのだ。
オーギュスト・エスコフィエ、アントナン・カレーム、タレーラン、フランソワ・ピエール・デ・ラ・ヴァレンヌ、フェルナン・ポワン、アレクサンドル・デュメーヌ、アンドレ・ピックなどなど、幾多の著名な料理人たちや、名もない料理人たちの努力と研究と研鑽の積み重ねの始まりを、身を持って体験できたのだから。
俺達の努力もあって、フランス側での外交も成功した。
宮廷からの覚えも良くなり、少なくとも文明国としての対面は保つことが出来たのだ。
その後も、俺達はフランスと日本を行ったり来たりしながらの生活が続き、交流を深めていった。
その時は疲れとテンションもあって、無邪気に喜んでいたのだ。
その後もとても、楽しかった。
人生が充実して、生まれ変わって戦国時代に生きていたことを、こうしてゲートで交流が出来たことを、楽しんでいた。
あれこれと議論を交わしたり、創作料理--和洋折衷の料理を模索したり、一般家庭でも簡単に作れる料理を考案してみたり、
勢いあまってブリゲード・ド・キュイジーヌをフランス人に教えてしまったり、後世に向けて色々と本を書いたりと、たくさんのことをした。
534: 弥次郎 :2018/09/20(木) 11:13:06
「…………マジかよ、おい」
そして、今に至るわけである。
やっちまったのである。
その偉業が世に認められ、歴史に名を残し、偉人になっていたのである。
フランスと日本の料理における開拓者、あるいは、金字塔となる人物として。
知名度は途轍もないもので、知らなければ料理人にあらずというレベルである。教科書にだって乗っているし、伝えた技法や調理法なんかは自分の名前が付けられたりしているくらいに知られている。
何だよ、フランス料理の革命家って!シェフの帝王のカレームになぞらえて異名貰っちゃってるよ!
革命はフランスで起きなかったけど、こっちでは起きているのかよ!というか俺が起こしちゃってるよ!
当然、俺達を主役にしたドラマ、小説、舞台、劇などは沢山あった。ちょい役での登場も含めれば、それこそ星の数にも上るだろう。日仏関係が俺達の時代から良好であり続けたためらしい。
さらにサブカル方面でも俺や俺の同輩たちの影響力は半端ないものだった。
まさか戦国〇双だとか信長の〇望にネームドで出ることになろうとは思いもしなかった。
おい、なんだよこのスキル、この介錯と設計は一体何なんだ(白目)。
さらにさらに、女体化までされていると知った時は本気で卒倒するかと思った。
何だあの美少女、俺か?俺なのか!?逸話とか評価を盛り込みすぎだろおい!と叫びたくなった。
悲しいかな、今の時代の俺がどうあがいたところでも歴史が変わることはない。
あの時、半ば自棄で、テンションと勢いに任せた結果がこのざまである。
「まあ、いいか……」
でもこれは、俺達が過去で頑張った証なのだ。
あの時できることを、精一杯、力の限りやったからこそ評価され、人々に記憶され、記録されている。
俺達の頑張りが無駄ではなくて、有意義で、世の中のためになることだった。
今はそれを誇ろう。今は他人の業績となってはいるが、少なくとも自分の中では胸を張って言えることだ。
だから、今度はそれに恥じないように頑張ってみよう。
せっかくだから、自分の足跡を追いかけてみるのもいいかもしれない。
そして、さらに未来を目指して研鑽するのもいいかもしれない。
前世の前世で心に刻んだ言葉を思い出す。
まだやれることはたくさんある、もっと旅をして、冒険をして、人生を楽しんでみたい。
「よし、頑張ってみるか」
俺の人生は、まだまだこれから。
そう自分に言い聞かせ、今日もまた一日が始まる。
前世に誇れる自分、それを目指す。それが俺の目標なのだから。
535: 弥次郎 :2018/09/20(木) 11:17:36
以上、wiki転載はご自由にどうぞ。
名もなき「俺」とその同僚たちが歴史犯罪をやらかすの巻でした。
彼等のせいでフランスの料理は歪ながらも数世紀分の発展がブルボン朝初期に発生。
時間をかけて定着していき、後に体系化されことになります。
後世の人間が彼の自著やメモ書きだとかそういうのを研究したら新たな発見が出るわ出るわ。
慣例的に受け継がれてた調理法や技法について、科学的な知見で正しさが証明されるわで、それはもうすごいことに。
もっとわかりやすく「俺」のヤバさを伝えると料理界のガウスやオイラー、あるいはフェルマー。
注釈
オートキュイジーヌ:
めっちゃ簡単に言えばフランスの伝統的な高級料理の総称。元々は17世紀ごろ確立した宮廷料理などをさす。
ホテルやレストランのコース料理を思い浮かべれば大体あっている。
ブリゲード・ド・キュイジーヌ:
厨房における役割分担を定めた料理人の集団の事をさす。
肉料理担当、佐官料理担当、温野菜担当など、役職が多数に分かれていることで効率的に調理がなされる。
538: 弥次郎 :2018/09/20(木) 11:56:28
誤字修正
535
×佐官料理
〇魚料理
最終更新:2018年10月03日 21:28