386: 名無しさん :2018/09/17(月) 22:53:10
大陸日本におけるコーカソイド系民族について (前編)


1 最初の到来
最後の氷河期である今から約1万年ほど前、ヨーロッパにおいて金髪人口が明確な増加を示した。
そして紀元前3000年頃、現在のリトアニア付近における印欧語族の間で支配的な髪色となり欧州、そしてユーラシア大陸へと拡散していった。
ユーラシア大陸中央部では騎馬民族を中心として草原の道を利用した活発な移動が行われており、金髪遺伝子を持ったうちの一部もそれに倣い移動していった。
そのような移動を行った民族の一つがスキタイである。

スキタイはウクライナや黒海沿岸部からヴォルガ川付近まで広く分布していたイラン系騎馬民族といわれているが
騎馬民族とは言っても牧畜のみを行うのもあれば農民として農業に専念するものもあるなど非常に多彩な民族であったという。
古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは現在のロシア連邦サマーラ市付近に居住していたブディノイという言語・文化的にスキタイの一派であると思われる民族について記しており
彼らの外見は青い目や赤い髪(金髪)など北方系コーカソイドのようであったとされ、恐らくスキタイ系においてはこのような見た目が一般的であったと考えられる。

そしてこのスキタイは草原の道を利用してユーラシア大陸を大きく移動し史実ではモンゴル西部でもスキタイの墓が発見されるほどの活発さであった。
現実ではこの付近で止まったと思われるものの、ここから史実との違いが始まる。
史実では現在のモンゴルで移動が止まったと考えられるスキタイの一派は、日本の大陸化によりここから遥か先に巨大な大陸があるという話を聞き付けさらなる東進を開始する。

後世に間宮海峡と言われることになる場所まで到達したスキタイ人たちは目と鼻の先にある樺太へと上陸。
一部はそのまま留まるものの、残りは更に南下し北海道へと進出した。
大陸化によって史実より幾分か寒冷になっていたものの、それでも彼らがこれまで通ってきたシベリアやモンゴル高原、極東地域よりも遥かに過ごし易かった為、
ここに定住すると共にその話が伝わったため他のスキタイ人たちも日本へと移動を開始。
この動きにつられて史実以上に草原の道も活発になっていった。

後からやってきたスキタイ人達の中には、故地から連れてきた農耕スキタイや中華地域から幾らか手に入れた農民や漁師などを伴っているものもおり
これによって人口は劇的に増加し、もともと人口密度の低かった樺太や北海道で勢力を伸ばしていき
まだ縄文文化でしかなく数も圧倒的に少なかった先住民たちも瞬く間に同化されていった。
そして人口の増加はやがて国家の形成、それに伴う南下を引き起こした。
そして東北に進出したスキタイ人達は、そこで稲作と出会うことになる。

史実日本では約12000年程前から陸稲の栽培が行われ、約2600年前に水田稲作が行われてからあっという間に全国へと拡散していったと考えられている。
かつて古代東北北部での水田稲作は行われていなかったというのが定説であったが1984年、青森県弘前市の砂沢遺跡で弥生時代前期の水田跡が発見されそれまでの定説が覆された。
恐らく日本海側を舟伝いで伝播していったのだと考えられている。
ともかくスキタイ人達は脱穀するだけで食料にでき、連作障害も起きない穀物の存在に驚きすぐさま自分達でも大規模な稲作を開始。
東北地域において更なる大規模な人口増加が起こった。
さらに東北、北海道にいた少数の初期の転生者達の血の滲むような努力の末品種改良により寒冷地に強い品種を作り出すことに成功し北海道でも稲作が可能となった。
史実では弥生時代に入り東低西高と西日本が優勢になったと言われているがこの世界ではスキタイ人の入植や転生者による稲作、品種改良や農業指導により
十分以上に西日本に対抗できる存在であった。
以上の要素からスキタイ人の間でこれまでにない程の人口爆発が起こり、更なる南下を引き起こした。
そして関東地方を自らの勢力圏に治め、現在の新潟、長野、静岡のラインで大和朝廷とぶつかり
その進出はストップすることになるが、それでも東日本全体がスキタイの勢力圏になったことは間違い無かった。

387: 名無しさん :2018/09/17(月) 23:03:53
2 春秋戦国時代
紀元前660年、神武天皇の即位により大和朝廷が発足し、苦労しながらも統治機構の確立に勤しむ一方、大陸は500年以上に渡る群雄割拠の戦乱の時代であった。
200以上あった小国たちはやがて斉・秦・楚・魏・韓・趙・燕の戦国7雄と呼ばれる国々によって統合されていった。(まだ残っている小国は幾らか存在した)

そしてこの時代の中華であるが、北部にあったうちの幾つかの国はコーカソイド系が主体であったのではないかという説がある。
現在の河北省中南部に存在した中山国は白狄と呼ばれるコーカソイド系遊牧民によって建国された国であったと言われている。
また、現在の山東省にあった斉の国の首都であった臨シにおける春秋戦国時代の人骨の
DNA解析を行ったところ、皆コーカソイド系民族であったと言う結果が出たと言う。

また当時趙の領域であった山西省からもコーカソイド系民族を埋葬した墓が見つかっている。
これらの事例から、当時の華北地域はコーカソイド系が主に住んでいた可能性が高いと思われる。
だが現在ではその痕跡は全く見当たらず、中華地域恒例のジェノサイドに遭ったか
残った人々も圧倒的多数の漢民族の前に同化されていったのだろう。

しかしこれらはあくまで説であり確定事項ではない。
しかし大陸世界においては、スキタイ系の日本への移動につられた金髪因子を持った遊牧民たちが史実以上に草原の道を利用して活発に移動し
北部を中心に中華への侵入を行い、西部奥地や華北を中心に定住することになる。
そして彼らは華北地域に斉、燕、趙といった国家を建国した。

しかし紀元前247年、西部に位置した秦で秦王政、後の始皇帝が即位。
法家の李斯を宰相として抜擢し法治国家の体制を整えると同時に国力や兵力を増強していった。
これに脅威を覚えた各国は連合軍を結成して秦に対抗するも次々に撃破され
紀元前230年に始まった秦による大陸全土への全面侵攻により各国は次々に滅ぼされていった。
そして最後の一国になるも決死の抵抗を続けていた斉も紀元前221年に滅亡し、始皇帝による中華統一が達成された。

そしてその統一過程において起こったのが中華にとっての恒例行事ともいえる支配層や知識層、相手民族に対する大規模なジェノサイドであった。
そして特に標的となったのがアジアにおいて異質の異民族であるコーカソイド系民族である。
しかも彼らは金や銀、赤の髪に緑や青の眼など非常に目立つ容姿をしており、まさに格好の獲物であった。
しかも史実の長平の戦いで捕虜になった趙の捕虜20万人が生き埋めにされたことなどに代表される
残虐行為は日常茶飯事であり、おまけに相手が目立つ容姿の異民族であるなら尚更である。
一番先にコーカソイド系の国で標的となったのが隣接する趙であり、侵攻された場所では壮絶なジェノサイドの嵐が吹き荒れた。
どのような有様であったのかは歴代の中華地域における虐殺や残虐行為の歴史を見れば、
或いは史実において現在コーカソイド系がいた形跡がまったく見当たらないことから容易に想像が付くだろう。

西部にいたものの難を逃れたり無事だった中部や東部に住む趙の人々は秦の軍勢から逃れるため東へ難民となって移動し
同じ民族が住まう燕や斉といった国に逃れていった。
二国は何とか対抗しようにも他の国々も秦に圧倒されるのを見て自身や民を逃がす為の動きを本格化させることになる。
それに協力したのが何とか金髪や銀髪の美少女を日本に引き入れたいと考えていた転生者であり
史実の倭国同様燕と交流を持っていた為、そこから斉とも関りを持つことに成功する。
海を隔てているものの大陸並みの大きさを持ちながら平和を維持している倭国の話は両国、そして滅亡した趙も以前から聞き及んでおり
まさに亡命先としては格好の場所、一般民衆からすれば戦乱も無くジェノサイドからも逃れられる理想郷であった。

388: 名無しさん :2018/09/17(月) 23:04:36
趙が滅亡する以前、秦に各国が対抗できなくなった辺りから少しずつ移住政策の実行が開始されていった。
渤海を航海するルート、朝鮮沿岸を舟伝いで移動するルート、貧しく人口過疎地帯であった朝鮮半島沿岸部を陸で移動するルートの主に三つであった。
(当時の半島はあまりに貧しかったことや陸伝いであるため侵攻の危険性が高いという事で素通りする者が大半であり、少なくとも北部や中部に定住しようと考える者は殆どいなかった)
舟での航海は危険があったものの遥かな昔古代人が太平洋やインド洋を渡ったように不可能という訳ではなく
そして大海洋を渡るような大規模航海という程でも無かったことや日本近海の気象を知り尽くしている
日本人達のアドバイスにより成功確率は非常に高かった。
また陸伝いのルートであるが、定住して農耕を行うようになっていたものの
彼らのルーツは遊牧民族であり馬を多く所有すると共に馬の扱いにも慣れていたため
平野部の多い朝鮮半島の西側、黄海沿岸部を移動することで迅速に南端まで到達することができた。

その速度は趙の滅亡と共に加速し、その他の国が滅び秦が燕や斉の目前まで迫るとまさに空前の規模となりつつあった。
そして斉の滅亡と王族の亡命によってこの動きは終了したが、何とか目的は達成させることができた。
この30年以上に渡る日本への脱出により、最終的に400万人以上ものコーカソイド系の人々が日本へと亡命した。
後の歴史書にも人類史上有数にして紀元前最大の民族大移動として記されている。
また脱出したうちの数十万人が朝鮮半島南端に留まり、事実上日本の出先や小国となり
飛鳥時代の日本の半島からの撤退まで居住することになる。

一方の日本であるが史実紀元前の弥生時代中期には西日本を中心に約40万人の人口がいたと言われているが
大陸化によってその5倍にあたる200万人前後が住んでいた。(東日本にはこれとは別にスキタイ人が70万人ほどいた)
そこに大陸から倍以上の数に上るコーカソイド系民族がやってくることになった。
普通なら民族対立が始まりそうなものであったが、当時の日本大陸がその大きさに比べて
人口が極めて少なく、人口密度も非常に低く未開の土地だらけであったことや
これより昔に縄文人と弥生人が平和的に混合していったように、日本人達は大陸から追い出されてきた
コーカソイド系民族達を温かく迎え入れたことにより深刻な対立へ発展することは無かった。

これらやってきたコーカソイド系民族は人口密度が低い九州や四国、中国地方、北陸地方を中心に入植していった。
また朝廷のある中心地の近畿、中部地方西部や温暖な瀬戸内海にも住み着き、西日本各地へと拡散していった。
コーカソイド系民族の数の方が多かった為、数の違いから混合による同化で完全に取り込まれ人種構成の塗り替えが起きた地域も多々あった。
しかし概ね平和的な共存関係が築かれることが大半であった。

無論衝突や摩擦が皆無だったわけではないが、転生者達や当時の為政者や支配層も民族間の融和に尽力し
亡命してきたコーカソイド系民族の旧支配層たちもそれに協力した。
かつて神武天皇が言った「天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが一宇(一つ屋根)の下の大家族のように仲よく暮らそうではないか。
何と、楽しくうれしいことだろうか」という言葉も引き合いに出された。
後の世では諸外国の間で日本人の団結力の強さを表す際に引き合いとして出される言葉やエピソードとなっている。
皇族や朝廷の有力者、豪族と亡命してきた有力者の間で婚姻も行われ、旧支配層も大和朝廷の統治機構へと組み込まれていった。
また中華世界の様々な文物や技術が持ち込まれ、日本の発展に大きく寄与することになる。

一方秦の始皇帝は彼らコーカソイド系民族の大脱出を苦々しく思っていたものの
中華全土の統治機構の確立や長年の戦乱で荒れ果てた国土の復興や国力の増進の方が急務であり
外に目を向けることなく内側に集中していくことになる。
大和朝廷もその動きは掴んでいたものの、万が一に備え九州の防備を固くすると同時に
街道や港湾設備もこれまでに無いほど潤沢に整備され同時に国内の統治機構の強化や整備も進められた。
そして大陸への対抗という目的から国内における倭人とコーカソイド系民族の団結も強固なものへとなっていった。

389: 名無しさん :2018/09/17(月) 23:06:34
以上になります。
数が少なく消えてしまうか隔世遺伝しか残らないのなら増やせば良いじゃないかと思い切って大量に日本へとなだれ込ませましたw
大雑把な計算になりますが、当時の資料から当時大国であった趙と斉、中規模の国であった燕と合わせて人口は550万前後といったところでしょうか。
当時の中華の人口が二千数百万と言われているので大体4分の1前後といったところですね。
やはり全員が亡命できるわけでは無く秦の手にかかり虐殺される人々も大勢います。
また内戦状態であったり敵軍が攻めてくる状態でも残る人々がいるように中華地域に残る人々もいるでしょう。
そういった人々はやはり虐殺されるか圧倒的な数の漢民族に同化されていくかのどちらかと思われます。
流石に400万以上はやり過ぎかと思いましたが、まあ転生者たちや為政者たち、亡命してくる人々がとにかく頑張ったという事と
日本が大陸化したり転生者が断続的にやってくるレベルのミラクルが起こったということでお願いしますww
ただ下手したら倭人達の方が押し潰されてしまう可能性もありますが、まあ大丈夫でしょう(笑)

転生者による品種改良による北海道での稲作は第三帝国氏のネタを参考にしました。
大陸世界において戦国時代、或いは明治や昭和に夢幻会としてまとまってやってくる以前にも転生者がちらほらいたそうなので
今回のネタにおける世界線のこの時代でも少数ですが国家の上層に近い部分やそれなりの地位、環境に転生者が憑依してきたので彼らに頑張ってもらいました。

ちなみに臨シ地区で発掘されたコーカソイド系の骨のDNA解析の結果は異論も出ているそうですが
この世界ではこちら以上に活発になった草原の道を通ってやって来たコーカソイド系民族が華北で暮らしていたのが歴史上の事実となります。
また始皇帝もコーカソイド系かその血を引いていたのではないかと言われており地理的にもその可能性はあるでしょうが
一般的に歴史書や研究ではテュルク系やチベット系のモンゴロイド民族による国であったとされており
こちらに関してはこれがこの世界において歴史的な事実とお考え下さい。

そしてスキタイと匈奴は生活様式が似ていることからモンゴル起源のモンゴロイドではないかとの話もありますが
こちらもこの世界ではイラン系遊牧民のコーカソイドというのが正しいです。匈奴に関しては後編で深く関わってくる予定ですので。

古代日本語は弥生時代に中華からやって来た渡来人の影響を史実でも受けていると言われていますが
この世界ではそれが大量にやって来たコーカソイド系民族によって役割が果たされることになります。
しかし影響は与えるでしょうが中国語に公用語が取って代わるような事態にはならず
普通に我らの知るような史実同様の日本語へと変化していくでしょう。
朝廷や転生者たちからすれば中華の良いものは取り入れても自分達の独自化は推し進めたいでしょうしね。

あと朝鮮半島に広く定住しないかとも考えましたが、本文でも書いたように陸伝いで
侵攻の可能性が高いですし、国土もあまり豊かではない過疎地帯ですからね。
1万年前から5000年前までほぼ無人地帯であったことからも分かると思います。
夏はとにかく蒸し暑く、冬は緯度の割にあまりにも極寒という気候でもあるので
せいぜい任那や伽耶があった南端辺りに住み着く位でしょうね。
百済や新羅、高句麗などの出現は史実通りです。
ただもしかしたら比較的豊かな百済方面に後の時代に流入する可能性はあるかもしれません。
それでも百済の滅亡と共に日本へ移住するでしょうけどね。

まあ結論から言うとスキタイ人の更なる増加や中華地域からの大量亡命、そして後編で書く予定の更なる流入によって
アニメ同様のカラフルな髪が街中や教室に溢れる光景が日本中に広がり
転生者たちや夢幻会のメンバーは派手な色の髪をした美少女の存在に泣いて喜ぶことでしょう(笑)

後編では漢の時代の匈奴、五胡十六国時代、隋・唐の時代までを書こうと思っています。

あと、wiki掲載はOKです。
最終更新:2018年10月03日 21:57