692: 弥次郎 :2018/10/13(土) 22:59:42 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
日仏ゲート世界 日仏世界の水事情3 -Le Remodelage-
オルレアンと岐阜を結ぶゲートが開通してから10年余が過ぎた。
日仏交流の、そして貿易の中心地となったそれぞれの土地は、特有の問題を抱えることになった。
人口の過密化と、それに伴う環境の悪化である。双方の都市は交流の開始以来、都市の拡張や整備を進め、抱える人口や物量に合わせた工事を進めてはいたのであるが、それにも限度がある。
比較的余裕があったのは岐阜であったが、それでも欧州からの病気の流入などを阻止し、岐阜より外に出さないための努力は膨れ上がる。
また、人口の増大と富の集中は犯罪を誘発する要因でもある。その為、幕府は治安維持にさらなる力を割かなければならなくなった。
つまり、幕府が予想する以上のペースで、交易や交流に伴うリスクとハザードは増大する傾向にあったわけである。
織田幕府も、そして
夢幻会もその対応に追われた。
明文化された犯罪に対する処罰の規定の制定、奉行所をはじめとした警察制度の普及、起こりうる人口の過密に伴う処々の問題---特に史実の江戸時代においては多発し、甚大な被害を及ぼした火災への備えなど。
特に火災は恐ろしい。フランスとの交流の一環でレンガ造りの建造物も増えていたのだが、基本は木造ばかり。
これはフランス側、オルレアンも同様だった。
日本側への配慮として対策が打たれつつあるとはいえ、所詮はまだ10年。慣習としての徹底は万全とは言えないし、日本側と同様に交易をおこなう商人や日本から得られる富を得ようとする人々が集まることで、急速に人口が増大しつつあった。
元より環境が日本より悪く、暗黒時代を過ごしていた欧州だけに、悲惨さは岐阜の上を行っていた。
また、日本から訪れる商人たちを狙う犯罪者も増えており、時にはぼったくられるなどの被害も見られていたのである。
当時のオルレアンの様子は、オルレアンを訪れた日本人の手記などにその在り様が書かれている。
- 綺麗になってはいるが、裏路地に一本入ると汚物やごみがみられる。
- 財布などはきちんと懐に入れ、重要なものを置きっぱなしにすると危険である。
- 狭い土地に無理に人を住まわせるためか、橋の上にまで家が建てられている。
- 天気や場所によっては臭気がひどくなるので、予めマシな道を見つけておく必要がある。
ともあれ、都市の人口が増えたことによる環境の悪化が、必然的に病気の蔓延につながることは明白であった。
これはイギリスなどでも人口が急速に増え、都市化が進んだ産業革命期に見られたことだが、過剰な人口が一つの土地に集まると、どうしても住環境が劣悪化し汚水・悪臭・空気のよどみなどを引き起こしてしまうのだ。
693: 弥次郎 :2018/10/13(土) 23:00:34 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
これを目の当たりにして、アンリ4世が座して見逃すことはなかった。
1605年に発布した上下水道の整備命令を、やや強行的ではあるが、オルレアンに置いて実施したのである。
これは都市の区画整理や道幅の統一、建物の大きさの統一、下水道を最初から設計に盛り込んだ建物への建て替えなど、史実に置いてパリ大改装で行われたことの、先取りのようなものであった。
古すぎる建物は取り壊されて新しくなり、画一的な、清潔感溢れる建造物に生まれ変わらせる。
路地という路地は徹底して汚物やごみを取り除き、浮浪者やホームレスを追い出すか、もしくは労働者として雇用して家を与える。
これらは、都市の空気の流れを大きく改善させることに成功した。人という生き物自体が一種の臭いや臭いの発生源であるので、発生した空気を外から入って来る空気と入れ替えることで過ごしやすさを保とうというわけだった。
さらにオルレアンという都市自体の拡張も行われた。人が生活していけるように、地面を固め、舗装し、家を建て、道路を作り上げるのである。並行して、夜間の間、大通りの明かりを確保するための松明の設置が行われるようになった。
闇夜に紛れる、というのは犯罪の常套手段であり、それを潰すことを目論んだのであった。これは後に、ガス灯の設置へと繋がっていくことになる。
さらに、治安維持のための、所謂警察の制度の走りを導入。治安維持を目的に軽武装をした兵士を配置することで、犯罪に対して即応が出来るような体制を作り始めたのだ。
特に着目すべきは「地下下水道」とそれがつながる「下水処理場」であろう。
オルレアンは丁度ロアール川をまたがるようにして広がっており、雨水をまとめて流したり、各家庭から出た水を集め、流していく都市の構造を早くも実現したのである。ここには夢幻衆が有象無象の形でかかわっており、最先端を通り越した技術が投じられていた。
また、ここには一部ではあるが下水の生物処理が導入されており、垂れ流しにするよりはある程度マシな排水を流すようになっていたことをここに記す。
電気やそれによって動く装置がない以上、それらに依存しない処理方法を導入せざるを得なかったのだが、それでも、先取りというレベルではない処理はロアール川を美しく保つためには必要不可欠であった。少なくとも、人の排泄物や体液交じりより、
手間こそかかるがある程度綺麗にされた水を放流した方がいくらかマシであることは確かだろう。
これらは総じてフランスだけではできなかっただろう。
だが、潤沢な資源を持つ
日本大陸との接続と、その
日本大陸を治める織田幕府との関係を良好に保つアンリ4世の手腕は、それを実現させた。
さらに、夢幻衆が持つ未来の知識や技術と経験が役立ったことも間違いない。
そして、こういった都市の改装はオルレアンだけにとどまることを良しとしなかった。
首都であるパリをはじめとした大都市を中心とした地域でも、同じように都市の改装が始められたのである。
人間という生き物は、一度清潔で過ごしやすい環境を知ってしまうと、それに慣れ切ってしまって、それ以下に戻りにくいという厄介な面を持つ。それが人間という生物の性。
こうして、フランス及び織田幕府は住環境という健康的な生活に不可欠な要素を強化することに成功したのであった。
もっとも本格的な大改装はもっと時代を下り、フランス全土の人口の伸びがさらに加速度的に増していき、技術と学問がさらに発達するナポレオン三世の時代を待たねばならなかった。
694: 弥次郎 :2018/10/13(土) 23:01:23 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
以上、wiki転載はご自由に。
地味に変化が起こり始めました、ということで。
もうちょい華のある話を書きたいんですが、ネタが思いつかない…
除虫菊のSSも書いてはいるんですが、如何に盛り上げるかがネックとなっております。
もっと近代の、クリミア戦争のあたりか、織田幕府の大政奉還のあたりを書いた方がいいのかなぁ…?
最終更新:2018年10月18日 10:33