986: 弥次郎 :2018/10/26(金) 18:05:34 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
【前史】日仏ゲート世界 夢幻衆は九州の宗教的な惨状を知ってしまったようです
夢幻衆--
夢幻会の会合が開かれた会場である安土のとある茶屋は、非常に重苦しい空気で満ちていた。
夢幻衆の一員が切り盛りするその茶屋は「本日貸し切り」の札を立て、音が漏れないように戸や障子などを締め切った状態であった。
時に1584年、本来ならば2年ほど前に本能寺にて織田信長が死亡するという歴史をたどる筈であったが、この世界においては別にそんなことはなかった。
中国地方の平定は羽柴藤吉郎率いる軍勢によって完了し、四国も四国征伐を以て戦国大名が織田に屈し、いよいよといったところであった。
ある種夢幻会には楽観論というか、先の見通しが立っていることによる安ど感があった。
夢幻衆にとってみれば、この天下統一事業というのはその過程にロマンだのなんだのが見られてはいるのだが、目的としてはこの大陸国家を早期に一つの政権でまとめ上げ、来るべき列強の進出に備えて国力を蓄え、技術を磨き上げ、制度を整えて国家としてまとまっていく方向に誘導したいところなのである。
つまり、基本的に史実通りに進行している限りでは、織田家による天下統一など単なる通過点であった。
しかし、世の中はそんな単純に、あるいは簡単には出来ていないのである。
バタフライエフィクト--蝶のほんのわずかな羽ばたきが大きな嵐を引き起こすように、歴史は連鎖反応を以て思わぬ方向に転がったりするのである。
元よりこの時代で再現できる技術を惜しみなく再現して投入し、あるいは学問上の発見を行い、あらゆる分野で改革を夢幻衆は推し進めたのである。
その影響がどこにも見当たらないという方がむしろおかしいくらいであるし、織田家のブーストを行った結果、いくつもの歴史が本来のそれから外れて行ったのを夢幻衆は目撃し続けている。
さらに、日本列島ではなく、
日本大陸であるという影響も大きい。
領地管理が輪をかけて大変だったり、大井川がマジで越されぬ大井川だったり、馬がUMAだったり、某漫画から抜け出してきたような剣牙虎がいたり、景教やらマニ教やら拝火教(ゾロアスター教)がなぜか土着していたりと、史実の歴史や風土を知るが故に混乱をきたすことが多々あったのも確かである。
そして、前書きが長くなったが、茶屋に集まった夢幻衆が重苦しい空気を作っているのも、この日本列島が日本大陸であったが故に起きてしまったことが、九州へと密偵やら隠密やらを解き放ったことで夢幻衆たちの耳にも届くようになってしまったためであった。
「由々しき事態だな…」
「うむ、これはまずい…」
「そういえば景教やマニ教って本家本元のキリスト教(カトリック)から見たら異端でしたねぇ」
彼等が等しく頭を抱えている理由。それは、九州の所謂キリシタン大名とカトリックの宣教師たちのやらかしが、
史実を超えてさらに酷い状態で九州に展開されていることであった。
彼等が一度目、あるいはそれ以前の生を謳歌した時、宗教というのは一部例外を除けば政教分離に乗っ取り俗世にあまり関与せず、また政治の側も具体的な権力行使を認めず、大人しくしていることが多い。総じて平和な宗教が多かった。
しかし、この時代の倫理観と宗教観はそれを赦してくれない。
異端?迫害していいやつだね!とっ捕まえて審問しよう!
異教?改宗しましょうね!嫌でもやってもらうよ!
非白人だ!奴隷にしよう!許可ももらってるしね!
宣教師ですよ!スパイまがいの行動するけど!
こんな具合である。あるいはもっとひどい場合もある。
さらに困ったことに、熱心な宗教家ほど善意から押し付けて回るのである。
さらにさらに、日本人というのは概して感化されやすかったりする。つまり、騙されやすいし人を簡単に信じてしまうのである。
とは言え、全員が全員そこまで日本人も馬鹿ではない。寧ろ日本というのは宗教家の墓場といわれるほどである。
しかし組み合わさった結果が、具体的に例を挙げればキリシタン大名である大友宗麟である。
987: 弥次郎 :2018/10/26(金) 18:08:48 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
大友宗麟。洗礼名をドン・フランシスコ。
この戦国大名についての細かいところは各員の調べる所に任せるとするが、生臭坊主でキリスト教徒で戦国大名というある種の節操なしである。
彼以外にもキリシタン大名は九州をはじめとして各地にいたのであるが有名な人物はと聞けば彼の名前があがるだろう。
非常に文化的な功績があり、家臣にも恵まれていた彼であったが、キリスト教への帰依の後の行動は少々いただけないものである。
即ち千年王国、神の国の実現に奔走したのである。領内の神社仏閣の破壊がその端的な例と言っていいだろう。
キリスト教を受け入れたことは家臣団の間にひびを入れることとなり、さらに神道の奥方と離縁する羽目になるなど、枚挙にいとまがない。もう一度言うが、当時最先端ともいえる欧州の文化や風土を学び、取り入れたことは功績と言える。
だが、大陸世界においては彼等はさらに上を行ってしまった。当然、悪い意味で。
景教諸派への虐殺まがいの迫害、そして資産の没収、身分のはく奪による奴隷化、そして発生した奴隷の国外への輸出。
改宗を拒んだ住人の審問や処刑、神社仏閣の破壊活動、さらにそこに保存されていた過去の記録などの破棄。
枚挙にいとまがないとはまさにこのこと。戦国時代末期には、この九州という土地を舞台として、キリスト教カトリックと景教・マニ教・拝火教を筆頭とする諸派宗教という対立構造が構築。
戦国大名同士の争いと並行して勃発していた。二重の戦国時代が、九州という地で勃発していたのである。
神の国。それは確かに素晴らしいものなのかもしれない。それを生み出そうとするのも、一つの宗教に殉じるのも、これまた評価すべき行いなのかもしれない。だが、九州に置いて現出されようとした神の国は、あまりにも多くの血を流し、悲劇を生み、苦しみばかりを生み出していた。やっていることと、お題目が余りにも乖離し過ぎていた。
さて、これを夢幻衆が知ったのが、ようやく諜報の手が九州にも届き始め、まとまった情報が入手できるようになった最近の事であった。
当初こそ情報の錯そうや誤認情報ではないかとの疑いを持っていた夢幻衆であったが、徐々にその報告の量が増えていき、その信ぴょう性が高いと判断せざるを得ない状況になっていった。そして、冒頭に戻るが頭を抱える羽目になったのである。
彼等の主君、織田信長は領内での布教や信仰についてキリスト教--この場合にはカトリックには認めていた。
南蛮との貿易の足掛かりとなることや、フランシスコ・ザビエルと直接会い、信頼に足る人物と判断し、尚且つザビエルが日本に存在する宗教とは対立せず、争いを起こさないことを明言したことに由来する。
少なくとも比叡山などのように頑固に抵抗する寺社勢力などよりは心象が良かったはずである。
そんなところにこの報告を持っていけば、最初こそ疑うだろうが、割と沸点が低い主君の事である、これに激怒しないはずがない。
「どーすんだよ、これ…」
「むしろ喜々として九州征伐の理由にしそうな気がするんですが…」
「いい笑顔しそうだな」
「それって魔王の笑みだろ、俺知ってるし」
「現地入りしてからの仕事が増えるぞこれは…多分重要な土地が教会に対して寄進されていそうだし、それを取り戻さなきゃならんな」
ハァ…と揃ってため息をつくしかない。なんでこう、宗教とはめんどくさいことしかしないのだろうか。
戦国時代に転生して以来寺社勢力が武力や政治力を以て乱世の一員となっていることに彼らは一様にため息しかない。
「大殿に報告すると考えるだけですっごい胃が痛い…」
「でもしないわけにもいかないし、これ大殿の命ですし…」
「ですが、少なくとも朝廷が出していた製作に思いっきり反していることは確かです。
いっそ朝廷にまで話を挙げて、堂々と九州に乗り込んでしまいましょうよ。お題目が得られればこっちのものですし」
「そうだな。色々と交易にいそしんでいるスペイン人達には申し訳ないが、法を守れないなら実力行使するまでだ」
そうして彼らはこれから襲い来るであろう苦労の未来にため息をしつつも、九州平定のプランの骨子を話し合い始めた。
そして、1585年ごろには、夢幻衆の持つ史実の知識と密偵や諜報活動によって得られた情報を元とし、
さらには具体的な調略・軍事的侵攻計画まで含めた総合的な九州平定計画書が織田信長の元に奏上されることとなる。
これを受けて信長は朝廷とも話し合いを重ね、「九国(きゅうこく)の情勢甚だ悪し、直ちにこれを平定すべし」との言質を取り付け、四国平定の疲れも癒え、装備等も補充が完了した軍の動員をかける用意を命じる。
後の「九州平定」が始まるまで一年を切ったころの話であった。
988: 弥次郎 :2018/10/26(金) 18:09:22 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
以上、wiki転載はご自由に。
ゲート開通以前の、織田家による天下統一の前の話なので【前史】としてみました。
九州平定まではとりあえず史実通り進んでいるという仮定ではありますが話を作りました。
九州の後は関東と奥羽ですな。あとこれの後始末…具体的に禁教令に至るかどうかまでちょっと考えなくては。
まあ、個人的にも九分九厘はカトリックに対して禁教令にちかい何かを出さないと示しがつかないかなと思っております。
今回は宗教関連のお話でしたので、例によってひゅうが氏のSSである参考 「日本大陸の三異教について」を参考にさせていただきました。
この場を借りまして、お礼を申し上げます。
最終更新:2018年10月27日 11:29