859: 六面球 :2018/10/20(土) 02:03:43 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
こんばんは。ようやく第一試合書き上げ……中編その1、後でアップします
何でその1になったかって言いますと、自分語り始める人が登場→疋田先生大暴走で終了
中編2と後編で
小野先生やらかす→林崎&樋口先生フォロー入れるも失敗→東郷先生のやらかしが判明→東郷先生、本番でもやらかす→後始末とネタバラシ
な構成になっちゃったからでして……おかしい、ちょっと短編のはずが何で長くなってる
完結頑張りますんで、出来については勘弁で一つ
860: 六面球 :2018/10/20(土) 02:14:04 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」
尊い言葉ではないか。東洋の蛮族と侮って、そなたらは何を見ていた?
(全試合終了後、悄然とうなだれる選手たちを前にしたアンリ4世の言葉)
【ネタ】日仏世界・武術交流事情中編その1
さて、試合当日であるが主催者の一人であるアンリ4世の顔色は優れなかったと、当時その場にいた者の多くが記している。
当時の状況から来る心労だろうと後世で様々に書かれているが、実のところアンリ4世は試合の趨勢事態は気にかけていなかった。
どちらが勝とうが恥をかこうが、どうとでもプラスに転換できる。
武断派の臣下の一部から日本人の実力を試したいという嘆願する動きが出始めた頃から既に信長・信忠の親子には極秘に知らせ、連絡を密にする体制を整えていたのだ。
「どうせなら、派手にやってやろうではないか。夢幻衆にも話を通しておく」
織田家から返って来た、信長の手によるこの一文でアンリ4世は安心したと言っても良い。
日仏の交流が始まって二年と経たぬ現状で、夢幻衆と呼ばれる織田家の最高顧問機関とも言える集団については知らぬことばかりであるが彼らが想像をはるかに超える知性と知識を備えた技能者にして、あらゆる分野に秀でた人材を誇る者達であるのは理解していた。
ゲートが出現するまで交流一つなかったのに、彼らの中にはフランス語を(やや砕けた響きに聞こえるが)流暢に話せる者がいたし、織田家が送ってくる文に添えられた、彼らの手でフランス語に訳したものだけでも、アンリ4世にとっては十分な判断材料と言える。
何せ、この時代では貴族や騎士と言っても教養や教育に問題のある者は少なくない。
教養ある貴族の女性が、結婚相手を選んだ理由が「一人だけ、恋文の文法と単語の綴りに間違いが一つも無かったから」という笑い話があるぐらいだ。
多少の硬さやおかしさは感じたものの、彼らの(この時代での)フランス語の文書も完璧と言っていい出来栄えだったのである。
東の果ての国が、何の交流も無かったフランスの言葉や読み書きすら完璧に把握している。
明晰なアンリ4世にとって、それだけで恐るべき存在と想像できる判断材料となっていた。
もっともアンリ4世やフランス首脳部が驚嘆している裏では、悲喜こもごもな狂想曲が繰り広げられていたのは言うまでもない。
幅広い人材を持つ夢幻衆(
夢幻会)と言えどフランス語の会話だけなら話せる者は幾人かいたがフランス語の文章……特に数世紀前の古典の文章まで明るい人間を探す事については本人たちも最初は諦めムードだったのだ。
幸か不幸か、転生前は大学でフランス古典文学を専攻していたのが奇跡的に一人見つかった訳だが、当人は後に「嶋田さん達の苦労が本当に本当に(ry)よく分かりました」と振り返るほど扱き使われており、見ている夢幻衆リーダー格の反応が「仲間が増えた」という同情と喜びの混ざった業の深いものであるのも、いつもの恒例である。
861: 六面球 :2018/10/20(土) 02:19:26 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
話を戻そう。
話し出すと長くなるので割愛するが、この当時のアンリ4世はフランスの国王であるが、同時にかつてはフランスの敵であり、ナバラ国王も兼任するといった背景からその権勢は脆く弱いものだった。
これより十年後の暗殺未遂事件にしても、結局は彼の政治的基盤の脆さと同時に、フランスを上から下まで取り巻く特有の「大国でありながら団結を知らず、追い込まれるまで動くことを知らず。時に英雄が現れ、それにすがるがすぐに飽きて放り出す」悪癖とも言える呑気さ、無責任さを払拭できていない証と指摘する者もいる。
だが、荒れ地を眺めて嘆いていても腹は満たされない。
耕して水を引き、種をまかなければいつまで経っても救いなど得られない事をこれまでの翻弄され続けた人生から痛感していたアンリ4世にとって、名も知らなかった東の果ての大陸とゲートによって繋がった事は文字通り天の恵みだった。
皇室と将軍家という権威と権力が完全に分離された政治体制についても驚きであったが、それ以上に地方領主の一人でありながら一代で大陸を統一し、強力な指導力で次代へと続くシステムを作り上げた織田信長という人物を知れば知るほどアンリ4世はこの上もなく天啓と言うべきものを感じたのだ。
信心深いのか無神論者なのか、冷酷なのか情に厚いのか、猜疑心が強いのか鷹揚なのか、僅かな邂逅で得られる印象はまるで別人を見ているような気分にもなる、この二十近い年上の人物にアンリ4世はしばしば思いを馳せる事がある。
宗教に翻弄され、実の家族もバラバラになり、自分を敵視する者が蠢く大地を治めなければならない彼にとって、信長は胸の内にくすぶる理想を体現した者であると同時に、自分もこうなってみたいと思わせる物を確かに持っていたのだ。
どこか同志のような共感を感じていたのかもしれない。
そんな、この時代に珍しいほどの慧眼の持ち主であるアンリ4世であるが現状である足元を把握できない愚か者でもないため、信長のやって来た事を簡単に真似などできようもない事は十分に承知していた。
しかし、まずやらねばならぬ事は良く分かっている。
まずは自身の周りを信頼できる者で固め、よく動ける組織として鍛え上げなければならない。
勿論、フランスはその国土の広さと豊かさから欧州でも随一の大国であるが、日本のよく洗練された国家運営のシステムを端的にでも知った今では、城を前にした藁葺の小屋に住んでいるような気分となる。
この東西の君主が揃う中で両国の武芸者が技を競う御前試合であるが、アンリ4世の思惑では、これは彼に忠誠を誓う者をどれだけ選抜し固められるか、というための布石であった。
王権は弱く、また貴族や騎士たちの忠誠もあやふやであり、ともすればロマンなどという言い訳で容易く裏切る者達から僅かずつとも信頼できる臣下を汲み取られねばならない。
そのためにはまず、彼らが胡座をかいている場所が単なる砂上の楼閣であると知らしめ、価値観を叩き壊さねばならない。
これを一斉に至るところでやらかせば急激な改革に対する反動で暗殺されるか、そこかしこで反乱が勃発してアンリ4世の首はどこかの窓から夕日を眺める事だろう。
それ故、まずアンリ4世が考えたのは国を支え、また自分を守るための暴力装置である軍人達であった。
彼らの多くは将帥となるほどの能力はないが、軍という組織を支える骨格を形成するだけの能力は十分に備えている者も多く、無責任でバラバラになりがちなフランス軍をより強力な存在に変えるには、まずこの者達の鼻っ柱をへし折る必要があった。
少しずつ、少しずつ、水滴が石に穴を穿つのを待つかのように少しずつでも、フランス人の意識を変えていかねばならぬ。
それが、大陸日本の姿を目の当たりにし、これからのフランスの行く末を思ったアンリ4世の考えであった。
慧眼であるのだが、後で彼の思惑を知った夢幻衆の反応は、何も知らない高校生にフルメタル・ジャケットを鑑賞させたかのような物だったという。
862: 六面球 :2018/10/20(土) 02:24:29 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
「二十世紀の軍隊の発想に近いですな」
「一度、価値観や思想を徹底的に壊して軍というシステムに適応した人格へと作り直す、ですか」
「まあ、人間なんていつの時代でも生まれ育った価値観で凝り固まりますからね。カルチャーショックを与えるのも一つの手ではありますが」
「失敗すれば、反乱予備軍どころか反乱軍のできあがりになりそうですが。成功してもある種、カルト宗教の信者づくりに近いですよ」
「だから、彼らの嘆願を渋々ながら受け入れ、外国である日本が相手という体裁を整えたんでしょう。恥すら踏みにじる無責任なフランス貴族は少なくありませんが、周囲の評判というものがありますからね。これで負ければ、タレーランみたいな詐欺師の才能が無ければ貴族社会でも爪弾きにされていくでしょうよ」
「ま、今は二十世紀じゃないし、宗教がバリバリ幅を利かせているご時世。この程度はまだかわいいもんでしょ」
「でも、そんな人数確保できますかね?」
「毎日、一人ずつ確保して365人の忠実な兵を揃えて挙兵した王様もいますからねえ」
「あれの最終巻、面白くなかったぞ」
「それを言うなら第二部からなんじゃあ……」
どんどん脱線しつつ焼畑農業とでも言うべき乱暴な所業を評する夢幻衆だったが、アンリ4世の思惑を否定するまでには至らなかった。
史実では後に大宰相と呼ばれるリシュリューをして「地球上でフランスほど戦争に対応する力を備えていない国はない」と言い切らせ批判させるほどいい加減さ、脆弱さを承知しているのは彼だけではないのだ。
日本人を評して「砂粒のような民族性であり、個々に優れた者がいても真の意味で団結できない」というものがあるが、その欠点を如何に改善していくべきか努力し続けてきた夢幻衆にとって、アンリ4世のフランスに対する苦悩は妙な親近感を与えていたのである。
他人事に思えなかったのが、織田親子の無茶振りに呆れながらも夢幻衆がこのショック療法の実験に協力する理由でもあった。
さて、どれだけの者が余の目に叶うやら。
ほんの僅かに冷厳な光を目に宿し、大広間に集う軍人たちを眺めながらアンリ4世はそんな事を考える。
もっとも、彼の要請を聞いた信長・信忠親子が考えられる限りの悪乗りを尽くしていると思わなかったのが、まだまだ未熟さとも、彼もまたフランスの気風を持っていたとも言えるのだが。
「フランス人というのは、なんと言いますか……大げさなのがお好きですな」
「猿山の猿と同じですな。まず自分を大きく見せたがる」
疋田景兼と小野忠明が述べた皮肉が、御前試合の始まりのグダグダっぷりをよく語っている。
御前試合の開幕を宣言する両国の君主&先代将軍に対し、フランス側の武人たちはまず、日本側の代表者が年寄りばかりであり、たった5人しかいない事をあげつらった。
何せ、日本人にフランスの武勇を示すためという言葉に乗って来た貴族や騎士、軍人、傭兵は意外に多く、まずその選抜からして骨の折れる作業だったからだ。
だが笑える事に、大勢が集まってどうするかとなった時、言い出しっぺの貴族だったか騎士隊長だったか今では不明だが、肝心のその人物が既にその場にはいなかったのである。
どうも日本も応じて大事になりそうだという空気を察したのか私は他の人から言われたと言い逃れ、他人事のように言える場所に陣取る始末なのはいつものフランスである。
司会不在で小田原評定になっているのを見かねたアンリ4世が軍事演習でないのだぞと特大の釘を差して彼らにくじ引きでもいいから早く選抜しろと命じ、ようやく十人ほどまで人数を搾ったというのが現状だったのだ。
それだけ不満を抱えている者は大勢いるというのに、日本側は死にそうな年寄りを自分たちの半分以下の数しか連れてきていない。
それらを修飾語が異様に生やされた長ったらしい言い回しで周囲を見渡しながら口々に言い募る姿は、「海外ドラマの敵側弁護士みたい」と評した夢幻衆の言葉を借りれば想像しやすいだろう。
アンリ4世の目がみるみるうちに険しくなり、言葉のわからない日本側の兵士たちも馬鹿にされているのは分かるため、苛立ってくだが、そういう空気を一切読まないのが今回の主役たちである。
863: 六面球 :2018/10/20(土) 02:28:02 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
「何を騒いでるのかと思えば、遊びたい者がまだおるのかね」
通訳に景兼は飄々としたいつもの顔のままで、そう訳させた。
「なら、遊びたい者全て手を上げてもらえばよかろう。我ら全てお相手しますので」
「どうせならくじ引きにしませんか? この数を頭割りでは食い足りなくなる」
景兼の言葉に忠明が皮肉げな笑みを頬に浮かべて続ける。
好々爺然とした景兼と、少壮でどこか毒っ気のある忠明の言葉が訳されるや、大広間に今度は怒気が満ち溢れた。
詰め寄ろうとする血の気の多い者もいるが、仲間の静止でかろうじて踏みとどまっているものの、こうなっては血を見ずには収まらないと思わせる空気である。
「……血の気の多い奴らだのう?」
「言うて、こちらを見据えておるのはそうおらんか」
「……3人……といったところですな」
呆れた顔をする林崎甚助に樋口定次が辺りを見回して答えるが、東郷重位が静かに続ける。
「思惑を見ようとしておるようだが、目の付け所がずれておる。野に敷いた陣幕を覗こうとするのは愚策よの」
甚助の言葉に若干の失望があるのは気のせいではない。
「栖雲斎殿も無理難題を言うと思ったが、来て正解でしたな」
「そうであろ?」
景兼が大広間の喧騒を楽しげに眺めながら忠明に返していると、椅子から立ち上がったアンリ4世が手を挙げているのが見えた。
「おう、そろそろこちらの王様もしびれが切れたようだぞ」
アンリ4世の演説を眺める景兼を始め基本、日本側の剣豪たちにフランス語の分かる者はいないが、彼らにとっては別にどうという事もなかった。
目や声を始めとした表情や体の動かし方を見れば、喋っている者がどんな感情を持ち、何を言いたいのかぐらい読み取るなど造作も無いことだったのだ。
この時代、史実でも全国を武者修行するというのは異国を回る事に近かった。
風習や文化だけでなく薩摩のように外国語なのかと思えるほど言葉も違えば、本州でも余所者は立ち入り禁止という閉鎖的な場所まである。
そこを回って修行するという事は現代で考えれば世界を一周するのに近く、それがさらに巨大化した大陸日本で各地を回って修行してくるというのは、どれだけの困難な荒行であるのか想像を絶するだろう。
夢幻衆も時折、「史実よりチートな人になってないか?」と首を傾げる人物が出てくる事も珍しくない大陸世界だが、そういった人材を生み出す土壌を日本が持ち合わせるには、大陸化したという一点だけでも大きな物があった。
「そなたら、失礼な事ばかり言うものではない。そもそも、こちらが頼んで来た事だろう。それが騎士の礼儀を口にするのか」
「まずは礼節を持って迎えるが礼儀であろうに、先程から何だ……ですかな」
「……何であなた方、私より先に喋ってる事分かるんですか?」
アンリ4世の演説見ながら面白そうに喋る景兼と忠明に、そばで通訳として控えている杖をついた夢幻衆の男……松田と言う……が「とことん、この人達チートだわ」と言いたげな表情を見せる。
昔、フランスの名門レストランであるトゥール・ダルジャンで副料理長にまで上り詰めた人物は会話が未だ不自由でも「相手の顔と声の調子で何を言いたいのか察して」指示を守って動いていたと言うが、間近で見ると驚くしか無い。
「ま、細かい事までは分からんがの」
「大方、こちらの無作法をせっかく相手が応じてくれたのだから、こちらも応じろと言ったところでしょうな」
この人達、フランスで迷子になっても平気そうだな。
アンリ4世の言葉の内容を正確に喋ってみせる剣豪達の言葉どおり、いいかげんしびれを切らしたフランス王は強引に剣豪一人に付き五人ずつ選抜させると、そのまま試合をするように言い渡したのだった。
フランス側が精鋭を大勢選抜したのに対し、日本側が老人主体に送り込むというある意味での無作法も、元はゴリ押ししたのも悪いだろと強引に言い切ったのである。
ここいら辺は王族の風格というべきか、アンリ4世の静かだが怒気を感じさせる言葉に大広間も静まり返った。
864: 六面球 :2018/10/20(土) 02:32:27 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
「一人につき5人といったところですか……くじ引きで当たった者が総当たりにしませんか? 5人ではその」
「今度はくじの結果でこちらが内輪もめにならんかの?」
新たに人選を始めるフランス側を見ながら全員を一人で食ってみたいという忠明の物騒な言葉に、甚助が苦笑する。
「まあ、そこまで気張るな忠明殿」
剃髪し、剃り上げている頭を撫でながら景兼は笑った。
「今日は試合ではないでな」
ゲート開通から一年あまり、日本とフランスの両国が共同で開催する初めての武術交流は、この景兼の言葉が物語るものとなったのである。
この日、フランス側の武人たちは運が悪かった。
彼らの実力は非常に高く、技術的にも日本と何ら遜色ないどころか独自に発達した技術も大いに兼ね備え、何も知らずして戦えば日本で実力ある者も痛い目を見るだろう。
だが、繰り返す。
今日、この日にこの場に来た者達は運が悪かったのだ。
戦うには相手が悪すぎた。
【第一試合・疋田景兼】
とにもかくにも選手の人選が終わり、フランス側は日本側の選手に付き五人ずつの代表を選んだが、その顔は一様に渋いものである。
当たり前の話だがそれぞれ武人としてのプライドもあれば、厄介な『騎士道』の持ち主であるのだから、見ていて弱々しく見える老人を多数で破るのは卑怯千万に思えたし、実際にそれを不満として試合を見るには同意したものの、手を挙げなかった者も大勢いたのだ。
向こうから言ってきた以上、応じるのが礼儀と思ったフランス側の代表であるがやはり内心では面白くない。
とは言え、始まった以上は全力を尽くすのもまた礼儀であり、大急ぎで試合の準備が整えられ、大広間の中央を囲むように人々は分かれていく。
これが正午を少し過ぎた頃で、アンリ4世の合図に従い最初の試合に景兼が立ったのは、フランス側にも軽く驚きが走った。
言葉がわからないのは彼らも同じだが、景兼が日本側のリーダー格であるのは容易に見て取れたので最も若く見える忠明がまず出てきて、彼は大将として最後に出てくるものと見ていたのだ。
なお、日本側の順番は以下の通り。
ルールも簡単で木剣など金属製でなく、飛び道具でないものなら何でも持ち込んでよく、勝敗も気絶するか戦闘不能になるか、負けを認めるの三つだけという雑なものである。
一番・疋田景兼
二番・小野忠明
三番・林崎甚助
四番・樋口定次
五番・東郷重位
日本側で剣豪の名前を少しでも知る者からすれば、「どんな順番でも最初の一人で皆殺し確定」であるのだが、そんな事はフランス側には分からない。
対して、最初にフランス側の代表として試合場に立ったのはクロード・デュナンという三十そこそこの騎士身分の男で、身の丈も景兼より大きければ、鍛え上げたであろう肉体は維持できるピークの年齢な事も加味すると全盛期と言って良いだろう。
経験にしても申し分なく、ユグノー戦争への参加だけでなく領内に出没した山賊狩りなどでも自ら先頭に立って戦い、決して馬上試合しかやったことのないような似非騎士ではなかった。
そんな彼であったから、後ろから聞こえる味方側の野次を目線で黙らせると、目の前に佇む景兼をジッと観察する分別があった。
年の頃は六十を過ぎているだろう。
筋骨は昔の逞しさを遺しているが総量は少なく、背丈は190センチ近い自分より頭一つ分程度は小さいが、老人らしく膝を曲げ猫背になっているので一見するともっと小さく見えた。
頭をつるりと剃髪し、年の割にツヤツヤとした肌と柔和な表情はこれより試合をするという雰囲気は微塵も感じられない。
昔、最初に自分に剣を手ほどきしてくれた祖父もまた、こんな顔をしていたなとふと思う。
ハカマとかいう、スカートを思わせるおかしな衣装はともかく、彼が持っている奇妙な棒きれ……袋竹刀も違和感は拭えなかった。
一応、クロードも練習用の木剣を持ってはいるが、その半分ほどの幅もない細い見たこともない木の棒(竹というのだそうだが)の上から革の袋で包み、赤く塗装されている。
「撓(しない)が気になりますかな?」
表情を察したのか、そう言って持たせてくれたが木剣よりずっと軽くしなやかに出来ており、切っ先に向けて指を滑らせていくと軽く形を変える事から、先端の部分に従って割られているのが分かった
865: 六面球 :2018/10/20(土) 02:36:50 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
「練習用は八つか十六、試合では四つか二つに割ったのを用いるのですよ」
そう言って、景兼が返してもらった袋竹刀で手のひらを叩いてみせる。
確かにこれなら、安全に練習が行えるかもしれないな、とクロードは感心し、目の前の人物が属する国を少し見直した。
この時代、どこの国でも練習時の怪我や事故は付きものであり、骨折や死に繋がる怪我も少なくなかったから、安全な練習方法を模索する者は少なく無かった。
怪我をすれば未熟な証拠、人の殺し方など二、三人殺せば覚えるものという脳筋理論を捨てない者もいるが、そういう者はもう滅びつつあるご時世なのだ。
端的な事であるが、些細なものからでも奥の事は見て取れるもので、クロードはこの時、目の前の老人がいる国が皆が噂するような蛮人の集まりでなく、違う文化を発展したものなのではないかと想像を巡らせる事ができたのだった。
「では、そろそろやるとしますかの」
試合場から出るよう通訳の松田を促しながら、景兼がクロードに声をかける。
「ま、肩から力を抜かれよ。これは戦でも死合でも無いでな」
合図を前に間合いを開けようと離れていくクロードに景兼は飄々とした顔を崩さず、そっと呟く。
「これは、ただの遊びでござるよ」
そう笑った景兼の顔が人のものでなく、また血生臭い戦を駆け抜けてきた者とも思えぬ見たこともない類であるのを感じたクロードの背中に、ゾクリとした物が駆け抜けるや
「始め!」
場外から開始の合図がかかり、先程の正体を把握できかねたクロードは瞬時に慣れ親しんだ構えをとり、2メートルほどの距離を開けた景兼への万全の警戒を取る。
「どうしたクロード! そのような年寄り、お前の敵ではあるまい」
「後がつかえている、さっさと片付けてしまえ!」
無責任な野次がどこからか飛んでくるが、クロードは木剣を構えたまま目の前の相手を待ち構える事に専念していた。
この時代、フランスの武術に関する資料は少なくとも日本では手に入らないものの、推測するならば地形的に行き来しやすいドイツやイタリアの武術が土着の技法と混ざりあった状態だったのではないかと思われる。
戦場はともかく市街では細身剣であるレイピアも普及を見せており、決闘による死者が続出して問題となっていた時代でもあるが、クロードの構えはレイピアと長剣の構えを取り混ぜた独特なものである。
レイピアの基本である四つの構えの一つ……第四の構えと呼ぶ半身になって剣を突き出す構えに、ドイツでは「愚者の構え」、イタリアでは「中心の鉄の門」と呼ぶ剣道の下段構えと似た姿を取り込んだものだ。
半身になる事で敵の攻撃が当たる面積を減らし、頭上を含んだ上半身をがら空きにする事で相手の攻撃を誘ってカウンターを仕掛け、相手の胴を突き、小手を薙ぐのが得意技である。
クロードの踏み込みは自身でも自慢するほど大変に早く、決闘でも山賊相手の白兵戦においても、彼の上半身に傷を付けた者は誰もおらず、全てを勝利で飾ってきた。
そんな絶対の自信を持つ構えの向こうに立つ景兼はダラリと袋竹刀を下げたまま、何を考えているのか分からない。
だが、続く言葉は生涯に渡ってクロードは忘れる事ができなかった。
ほんの僅かに息を吐いた彼は、こう言ったのである。
「その構え、悪しうございますな」
立ち合う際、景兼が必ず相手にかけると伝説になった一言。
通訳がフランス語に訳し、クロードが理解するまでの間、景兼は動かなかった。
そう、誰もが認めざるを得なかったほど間を開け、相手が油断しないだけの時間を与えてから、そろりと袋竹刀を振り上げる。
誰もがそう見え、クロードもそう認識できたが……
「……………っ!」
トンッと軽く肩を叩くような音が頭上から鳴り響くのをクロードが聞いたのは、ほんの一瞬の後である。
衝撃が先に来て、音が後から聞こえ、視覚がそれに続いたように錯覚しかけるほどで、何が起こったかを認識するまでもう一瞬かかった。
頭上に細長い物が置かれている感触は確かに景兼の袋竹刀が彼の頭を一閃した証拠であり、クロードは構えたままの姿勢のままだった。
ほんの一瞬前まで、景兼はクロードから2メートルは優に離れた距離に立っていた筈なのに、今いるのは己の眼前……剣に当たらぬよう僅かに斜め前だ。
まっすぐ振り上げた袋竹刀を、ただまっすぐ下ろす。
剣を学ぶ上での最も基本の基本であるが、万全の構えを取った相手と距離を一瞬で詰め、一撃を与えた後にようやく気づかれる事など出来る者は普通いない。
866: 六面球 :2018/10/20(土) 02:40:20 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
「真っ二つ」
面白そうに忠明が呟くのが聞こえたが、分からずとも何を言っているかは聞くまでもない。
そうだ、俺は斬られた。頭から斬られたのだ。これが剣であれば、頭から股ぐらまで一直線に斬られ、二つになっていただろう。
後で仲間たちに何事かと詰め寄られたクロードは、そう静かに言い切った。
景兼の一撃は軽かったが、打たれた瞬間、クロードの頭上から股間に至る一線を衝撃がそのまま駆け抜けたのである。
ただ頭を打たれただけでは、こうはならない。
これが袋竹刀でなく木剣なら、景兼が本気で打てば脳天を穿ち、剣であるなら構えたままの姿勢で頭を叩き割られている。
そう思えるだけの才と経験を有していたために
「続けられますか?」
「いや……」
距離を開けた景兼にクロードは首を振った。
「俺の負けだ」
それが日仏交流試合第一試合の始まりであり、フランスを代表するべく集まった剣客や武人たちが生涯で最も忘れられぬ出来事と記す事になる邂逅の始まりでもあった。
さて、景兼が相手をする第一試合であるが二人目と三人目については特筆するべきことがないので、割愛しておく。
強いて挙げるなら景兼の袋竹刀にケチを付け、軽いから早く打てた、あのようなもので打たれても本当は効きはしないという発言が記録されているが、彼らの発言が的はずれであったのは、二人目が頭を一撃されて失神し、三人目は手首の関節を打たれて折られた事で同じ事を言う者はいなくなった。
自分の身で愚かさを証明した二人が運ばれる中、四人目も容易く打たれ、フランス側で残るは早くも一人となってしまった。
最初は日本側が何か卑劣な手を使ったと喚く者もいたが、一人二人と倒される間にその声もしぼみつつある。
ここに来ている大半の者が、戦場に身を置き白兵戦を行なった経験があるのだから、真剣に戦って敗北したのを見て取れないほど鈍い者はいなかった。
無論、見抜けぬ鈍い者はいるが、それでも少数派であるのは今日のフランスにとって幸いなのかもしれない。
最後の一人であるミシェル・グロッソがこれ以上の恥を晒すわけにはいかぬと気合を入れる中、反対側の日本勢のベンチは呑気なものだ。
「栖雲斎殿、遊ぶついでに新陰流の演武もされておるのかな」
「最初の一刀両断を始め、新陰流の技を上から下まで見やすいように打っておるからのう。これで学べる者がおれば学んでみろとの事か」
「お優しいことで。ですが栖雲斎殿が気前良く見せれば、後の我らもお茶を濁すわけにはいきますまい」
そう談笑する剣豪達であるが、そこにふと
「ちょっと預かっておいてもらえるかの」
ベンチに近づいてきた景兼の言葉に、彼らの目が少し変わる。
「遊びも本気でやらねば意味がないと言いますが、本気の本気でやれとの仰せですか」
「ようもまあ、気前の良い事で」
薄っすらと笑う忠明の横、景兼の席に置かれたのは彼が今まで使っていた袋竹刀だったのだ。
「……何のつもりですかな?」
フランス側の五人目であるミシェルは、手ぶらで戻ってきた景兼にそう言うしかなかった。
「何? 遊びだと言っておるのに皆、肩肘はろうとしておりますでな。手本を見せようかと」
対する景兼は先程から全く変わらない飄々さであるが、それがどれほど物騒なものであるかを否定する者はもう、この場にはいない。
代表の五人目を務める人物だけあり、ミシェルは誰からも認められる武人だった。
年は四十とやや食っているが、その分の経験は豊富で負け戦も勝ち戦も潜り抜けた歴戦の男である。
持ち込んだ木剣も、柄も刀身も通常より長い大剣を模した物であり、レイピアのような突き技も好まない古典的な剣術を好む人物であった。
そんな彼であるから景兼の実力を見図れないほど差があるのを見抜いてもおり、他の四人以上に覚悟を決めて試合場に立ったのだ。
自身は敬虔なカトリックであるが故に自殺はできないが、もしも仲間の恥を雪ぐ事ができなければ、二度と剣を振るう事などできない。
それほどの覚悟を決めて来たのに、目の前の男は悠然と佇んでいる。
侮辱のつもり……ではないだろう。
冷静に考えれば、自分たちの方がよほど彼らを侮辱しているのに、目の前の男は気を悪くした様子一つ見せない。
867: 六面球 :2018/10/20(土) 02:44:02 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
「そこもとも武人であろ? 言葉だけで戦をするのかね?」
「………………」
なるほど、確かに相手は歴戦の武人だ。
貴様も武人なら言葉でなく、一手交えれば分かるであろう?そう問われた事にミシェルは頷くと木剣を振り上げる。
剣道で言う八相の構え。ドイツ流剣術では「屋根」の構えと呼ばれる最も基本にして攻防に優れた構えである。
相対する距離を詰めず空けず、ミシェルは頬を伝う汗の感触すら忘れ、タイミングを図る。
今から用いる技は師から習った技でも、特に使うことのなかったものだが、この老人と戦う以上はこちらも奥義をもって相手をするのが礼儀というものだろう。
この老人と切り結ぶ距離で戦えば、前の四人と同じ事になるのであれば体格差を徹底して利用するしかない。
「ほう……」
ミシェルの気迫が伝わったのか、ほんの少しだけ景兼の目が細まった。
瞬間、
「っ!」
景兼の呼吸の間のほんの一瞬、反応が僅かに鈍るその一瞬を狙い、裂帛の気合と共に一気に踏み込んだミシェルの剣が天へと突き上げられるように伸び上がり、一気に振り下ろされる。
天辺切り
ドイツ流の剣術奥義であり、主に足への攻撃に対抗する技だ。
上にまっすぐ伸ばした剣を相手の頭目掛けて一気に振り下ろす単純な技法であるが、ミシェルは柄の持ち方を工夫し、振り下ろす瞬間に少し柄頭の方に両手を寄せる事で最大限のリーチをもって振り下ろすようにしていた。
刀身で切り裂く威力は減じられるが、確実に相手の攻撃範囲から斬りつけられるのは今までの経験上、よく分かっている。
相手の顔なり胸なりを斬りつければそれだけで足が止まり、二撃目で仕留めれば良い。
遠く離れた間合いから放たれる剣を切り上げるのは物理的に困難であり、突きを放つにも頭上から落ちてくる剣を無視できる者はいない。
だが、今回は相手が悪すぎた。
「当たるまで太刀の下にいるには、まだ耄碌し過ぎとらんでな」
景兼の呟きがミシェルに聞こえたか、どうか。
渾身の力を込めて振り下ろされたミシェルの木剣が空を切るのと、
「っ!?」
彼が床に這いつくばるのは、どちらが先に見えただろうか。
『……何が……何があった』
剣を振り下ろしたのに、気がつけば自分は地面に頬を付け、身動き一つ取れなくなっている。
「だから、お主も肩の力を抜けと言っただろうに」
うつ伏せに倒れている自分の背中越しに景兼の声が聞こえてくる。
剣で斬られるはずだった景兼が、なぜか自分をねじり倒しているというのは、分かった。
剣を持っていた右手の手首を抑えられ、肘と肩にも彼の手と膝が添えられている。
力や体重を微塵も感じさせないほど、そっと乗られているのにまるで岩に体を押し付けているかのようにビクともしない。
まるで体から力を抜かれてしまっているかと錯覚するほどで、レスリングの練習で似たような事をしてくれた師匠はいたが、まさかそれを剣を相手にして行う者がいるとは想像の範囲外だった。
「無刀取りを生で見ちゃったよ、俺……」
その光景を前にして、松田の呆然とした言葉が大広間に響いた。
868: 六面球 :2018/10/20(土) 02:48:31 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
いや、日本側の兵士や信長までもが目を見開いている。
無刀取り
剣聖・上泉信綱が考案し、彼の後継者達が苦心惨憺して各自に研究していった技である。
斬られず斬らず、殺活自在という武の理想を体現する技だが当然の事ながら習得は困難な技であり、これを自由に使える者など日本でもそうはいない。
だが、今目の前にいる男は新陰流創始者の高弟であり、日本でも屈指の剣豪だった。
「……どうやって」
「?」
今、自分がとんでもない状態にいるのに気づいているのか、消え入るようなミシェルの言葉に怪訝な顔をした景兼が松田に通訳させる。
「どうやって、あの技を破れた?」
「おお。なかなか良い踏み込みだったぞ。もそっと迷いなく恐れが無ければ危うかったかもしれん」
景兼の言葉の響きに、意味はわからずとも嘘は感じられなかった。
「だが、剣は相手の太刀に身を晒してこそ生きるもの。お主は色々と抱え込み過ぎたのう……故にこちらが踏み込む間を自分から空けてしまった」
遮二無二突っ込んでいれば勝てたかと言えば無理だろうとミシェルは思ったが、この老人が自分に何かを伝えようとしているのは分かる。
「言ったであろう? これは戦でも死合にもあらず、ただの遊びであるとな」
「………………………」
景兼の言葉が全て彼の中で理解できた訳ではないし、自分の中で重くのしかかる物があるのも確かだ。
だが、いつの間にか立ち上がり、自分から離れて佇んでいる景兼に頭を下げ
「俺の負けだ」
そう告げた時、胸は何故か痛みを覚えなかった。
第一試合・疋田景兼、五人抜きである
「無刀取りまで披露するとは、栖雲斎殿は本当に人が悪い」
「遊びに手を抜くのは気が引けるでな」
戻ってきた景兼に忠明が笑うと、そんな言葉が返ってくる。
「本当に人の悪い方だ。一番手が無刀取りまで見せてしまうとは……」
試合場を見渡しながら、忠明は笑みを深くしていく。
「これでは、こちらも全てお見せしなくてはならんではないか」
一瞬、その顔を遠目で見たフランス側の者は硬直し、後でこう書き記している。
「人食い鬼を間近で見た気分だった」と
869: 六面球 :2018/10/20(土) 02:54:58 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
以上、中編その1でした。
色々と欠点だらけかと思いますが、ご笑納いただければ幸いです
これ当初の予定は30kぐらいの量で終わるはずだったんですが……完結目指して頑張ります
深夜とは言え、けっこうな時間を投下独占してすみませんでした
最終更新:2018年11月07日 10:36