308: 弥次郎 :2018/11/05(月) 19:31:33 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
【前史】日仏ゲート世界 公家の門弟は大事に酷使されるようです
後世のドラマ、小説、劇、その他娯楽作品に描かれる織田家は、やたらと羽振りが良いことが多い。金銭を惜しみなく使い、朝廷や公家に対して献金を行い、戦の勝利のために必要な道具を高い費用をだして購入して集めるなどしている描写がみられる。
そのほかにも、技術者たちを囲い込んだり、人材の青田狩りをしたりと多々に綿って金銭を使い込んでいる。
この描写は正しくもあり、ある意味では間違っている。元々織田家は一地方の大名ではあるが、その立地や商業が盛んな土地があり、元来から多くの資金を得るだけ土台が既に存在していたこと。さらに織田信長の父である織田信秀がその整備に苦心したこと、また歴史には明確に記されはしないが織田だけに代々仕えていた夢幻衆が金策において多大な貢献を行っていたことで、織田家は膨大な資金を得ることが出来たのだ。
また、得られた資金は多様な用途に使われていた。夢幻衆が持ちうる技術や知識を現実化し、普及させるため、研究施設やその施設で使われる道具や資材の買い付け、労働力に対して払われる対価としての貨幣、さらには領内のさらなる整備と発展。
ただ徒に資金をためるのでもなければ散財するのでもなく、必要なところに惜しみなく投資したのが、そのように見られたのだろう。
それらの具体的な例を挙げれば、灰吹法の普及、正条植えと塩水選の導入による収穫量の増大、千歯こきや唐箕の発明などだ。
比較的初期から再現可能な未来の、江戸時代に生まれるような道具であっても、この時代では最先端の道具となり、大きく労力を削減することができる。この小さな積み重ねの一つ一つが、後の織田家の躍進に繋がっていると言っても過言ではない。
さて、ここで着目したいのが朝廷や公家への献金、という点である。この方策自体は何ら珍しくもないものであった。
応仁の乱に端を発し、長らく続く戦乱というのは朝廷はもちろんのことそこに使える公家にも影響を与えていた。
京から落ち延びた貴族は数知れず、散逸したり、失われた文化財なども多数ある。それだけ、朝廷も公家も疲弊してしまい、救いの手を求めていたのであった。
一方で、戦国大名である織田信長が足利義昭を神輿として担ぎ上げて朝廷に乗り込むにしても、その前段階には準備が必要であった。
朝廷とは、ある種の別世界、武家とは一線を画す世界であり、そこに何の準備もなしに乗り込むことなど無謀以外の何物でもない。
故にこそ、バックアップしてくれるような有力者を得て、権勢を振るう足場を構築しなければならず、また朝廷からの覚えも良くなくてはならない。
そこで物を言うのが、やはり金銭なのであった。何度でも言うことになりそうだが、金の力は偉大である。
賢しら顔で金の亡者だろうなどと言われるかもしれないが、金が無ければ何もできないのもまた真理である。
夢幻衆はそこをよく心得ていたし、如何に付き合うかについてもよく考えていた、それこそ、織田信長が生を受ける前から準備されていたのだ。
309: 弥次郎 :2018/11/05(月) 19:32:11 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
さて、織田家が幕府の将軍を担ぎ上げたことで実行可能になったのが、ずばり貨幣の鋳造であった。
この時代は明の貨幣の流用が一般的で、その質は年を追うごとに劣化、さらに私鋳銭も入り混じることで信頼性に欠ける有様。
そこで、新規に貨幣の鋳造を行うこと、織田家が旧貨幣との交換を行うことなどを朝廷から許可を取り付け、その状態の打破を目論んだ。
こうなると織田家というのは役割上そうなるのだが、金持ちになれた。必然的に公家をはじめとした貴族階級の注目を集め、また堺の商人などにも目を付けられることになった。
また、献金を求め、この乱世において頼りとなると思われる織田家への接触を図る公家も多くいた。筆頭と言えるのは
関白である近衛前久であるが、有象無象の公家たちが群がるように集まったのも言うまでもないことであろう。
天下取りに一番近いとされる織田家に近づくことは、おのれの繁栄にもつながる。そういった打算が多かったことであろう。
既に幾多の大名を下し、寺社勢力とも対等に戦い、近畿地方の支配を安定させ、包囲状態にありながらも悠々と権勢をふるう織田家。
聞けば、織田家の支配下に納まった地域は石高があがり、暮らしが楽になったと聞く。その恩恵を自分達にも。
こうして彼らは、夜に灯る明かりに群がる虫たちのようにあつまった。
そうして集まった公家や商人たちの数に、ひそかに喜んでいたのが夢幻衆であった。
彼等は公家や商人たちを通じてみていたのだ、彼らの抱えている、読み書きそろばんなどをこなせる人材を、彼らの門弟を。
そう、夢幻衆は読み書きそろばんが出来るような人材に非常に飢えていたのであった。
普通教育?何それな戦国時代、読み書きはともかくとして、数式を読み解き、その意味するところまで理解できるのは、ほんのごく一部の、商家や武家、そして寺社といった日本全体のほんの一部に限られていたある種の特権であった。
現代で例えるならば航空機の操縦ライセンスかそれくらいの取得率といってもいいのかもしれない。
だが、これからの時代においてそういった人材というのは前線で槍働きをする人間以上に重要になって来ると理解している。
だから、あえて彼らを釣り上げた。
もちろん、
夢幻会もそういう人材を、所謂文官を育成することに力を注いではいた。孤児を引き取って育てたり、家督を告げそうにもない武家の次男や三男をそのように教育したりと、可能な限り数を増やそうとしていた。だが、いくつもの研究や開発を並行して進めている夢幻衆にとって、その手の自由に使える人材というのはいくらいても足りないのだ。
だからこそ、すでに教育を受けていて、暇をしている人間というのは垂涎の人材であった。殊更に、教養という観点では下手な武士の上を行く。
文官としてこれほど頼りになる人材はいない、最小限の教育の後に最前線に放り込むことができるのだ。
夢幻衆的にも、そして雇われる側の公家・商家の門弟らにとっても願ったりかなったりである。
斯くして、こうした公家・商家の人材の買いたたきは織田家の伸長に伴って各地で行われ、快進撃を支える文官達として活用されることになった。
武断派の武将に軽視されることもしばしばあったのであったが、そういった武断派への、彼らの修羅場ともいえる働きぶりをみせたり、彼等の仕事が如何に支えているかを主君である織田信長を通じて広めるなどして、武断派と文官派での対立構造が織田家を割らないように苦心した。
目に見えて働くわけではなく、後方の安全なところで必死に筆を走らせるだけという、見ようによっては楽をしているようにも見えるが、当時の技術的水準から言って、文官の物書きや書類仕事というのは控えめに言って非効率。だからこそ数が必要なのだ。
その地獄のような働きっぷりについてはまたの機会に語ることとしよう。
全ては織田家による天下の統一と、日本国を列強に引けを取らない大国へと育て上げるための布石。
夢幻衆は今日もまた、影に日向にと働いているのである。
310: 弥次郎 :2018/11/05(月) 19:33:00 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
以上、wiki転載はご自由に。
織田家による人材の買いたたきについてでした。
なまじやることがたくさんある+大陸であるが故の仕事の増大で、多分こういったこともやっているのではないかなと。
さて、次は伊達のDQNの話にしましょうかねぇ…
従うのか、それとも腹に一物抱えて従うふりをするのか、そこら辺はっきりしてもらいましょうかね、態度で。
とりあえず白装束ダッシュはほぼ確定かもですね…w
355: 弥次郎 :2018/11/07(水) 17:34:31 HOST:p2729046-ipngn201308tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
354
申し訳ないです
×そのほかにも、技術者たちを囲い込んだり、
〇そのほかにも、技術者たちを囲い込んだり、人材の青田狩りをしたりと多々に綿って金銭を使い込んでいる。
修正のほどお願いします…
最終更新:2018年11月12日 14:52