399: 六面球 :2018/11/09(金) 15:16:01 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
では第三試合の投下開始します

※弥次郎様、日仏ゲート世界 「ご挨拶」の剣牙虎のお話からフランスと剣牙虎の交流の部分、引用させていただきました。事後報告ですみません。


【ネタ】日仏世界・武術交流事情中編その3




「なかなか面白くなっておるのう」

 アンリ4世の隣に座る日本人が楽しげに呟く。

 どこか神経質そうな、理知的な雰囲気を持つ老いた男だった。
 一見すると華奢だが、若い頃は鍛え上げていた事が伺える肉体は老いてもしなやかな強さを感じさせ、鋭い視線は知性と明晰な記憶を伺わせた。
 灰色になっているが眉は太く力強く、目つきは鋭く日本人にしては目も大きい。
 白人種の血はあまり感じられないが鼻筋は通って高く、輪郭も鋭い。 
 髭は蓄えているが、こちらも灰色がかってよく手入れされている。

 そして、アンリ4世が後に彼を思い出す度、印象に残ったものとして挙げるのが彼の手指だった。

 武芸の鍛錬で鍛え上げ、ところどころが節くれだっているのに、どこかほっそりとした優美さと何やら得体の知れぬ怖さを持った指だった。
 荒くれ武者でも農民でも、ましてや聖職者でもこんな指の持ち主はいない。
 この指の持ち主がそれを振るえば、万を超える者が想像を絶する責め苦の挙げ句に殺されもすれば、逆に多くの者が希望を与えられ生かされる。
 生殺与奪をほしいままにする者の中で、たまにこんな指を持つ者が現れる事がある。

 あるいは、宗教画に出てくる天使や悪魔も、また。



「そう思わんか? アンリ殿」



 そう、織田幕府の先代将軍である織田信長は楽しげに、少し訛りの強いフランス語で繰り返した。

『相変わらず底の読めない御仁だ』

 対するアンリ4世の方は未だ覚束ない日本語で応えようとするが、上手い言い回しが思いつかず口澱んでしまう。

「おや、アンリ殿。恥ずかしがるのは芸事の上達の一番の邪魔になりますぞ。もそっと話されよ、儂に人の鍛錬を笑う趣味はありませんでな」

 からからと屈託なく笑う日本最大の権力者にして、統一政権を一代で打ち立てた英傑が昨年までフランス語が喋れないどころか、フランスの文化すら知らなかったと言われて信じられる者はいるだろうか。

 日本とフランスを結ぶ門が現れ、両国の政権が交流を持つことを決断してすぐ、この日本の先代将軍はフランス語を覚える事を決め、家臣でフランス語を知る者を召し出して四六時中話しまくって会話を覚える事に専心したのだった。

 噂によればオルレアンにお忍びで出かけ、子供に小遣いをやって話し相手にして会話を覚えたとも。
 一度決断すれば、並々ならぬ熱意と恥ずかしげなど微塵も感じずに実行に移す行動力は未だ健在と言えた。

 今年で六十七歳。

 この世界の歴史を先読みするならば今年の内に亡くなる筈なのだが、まるでその事を感じさせないほど生命力に溢れたエネルギッシュな人物。

 それがアンリ4世が後年、どれだけ記憶が曖昧になってもハッキリ思い出せる、織田信長という人物だった。


『なかなかに良い塩梅の空気になって来ておるわ』


 アンリ4世の視線に気づくか気づいていないか、信長はそんな事を思いながら大広間を見渡す。
 忠明が相手を全滅させてしまい、早くも試合は第三試合になろうとしている。
 既にフランス側の空気は最悪なものとなり、宗教的な災いなのではないかと思い始めている者もいるだろう。

 こうでなくては。

 ここからさらに混乱して追い詰められてくれなければ、面白くない。
 そうしなくては、彼の思惑通りになってくれない。

『あの者達なら心配はいらんしな』

 長年に渡り無理を言って織田家に留めてしまった景兼は勿論、今ここにいる代表たちの武勇を疑う余地は無い。
 彼らが何をやり遂げるつもりであるのか知っている身としては、ただ見守り、フランス側に暴走する者がいないよう目を光らせるだけで良いのだ。

 それが、

『ま、片棒を担いじまった儂の仕事よな』

 ここまで長く生きるとは自身でも思っていなかった信長にとって、これは見ておかねばならない事でもある。

『仕事はこなす故、せいぜい楽しませてくれよ』

 楽しげにうそぶく信長の視線の先で、第三試合が始まろうとしていた。


 さて、第三試合以降であるが、多くの記録では一試合ずつが筆を多く割かれ、他の試合は特筆すべきものがないというのが多い。
 実際に多くの記憶に残る試合であったのも確かで、今回はそれに忠実に記していく事とする(長くなってきたんで、巻に入ってるんだろとか言わない)。
 とにかく第三試合の開始である。

400: 六面球 :2018/11/09(金) 15:19:07 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp


【第三試合・林崎甚助】


「さて、お初にお目にかかる……ハヤシザキ殿?」

 そう挨拶したのは第三試合のフランス代表チームのリーダーである、ラウール・ド・キリアンであった。

 今年で三十半ばになるこの男は、一言で言えば現代日本人が想像する典型的なフランス系伊達男だ。
 スラリとした長身に誂えた胴着は高級さが一目で分かり、綺麗に撫で付けられた黒髪や口ひげの整い方も美しく、特にクリームなどで手入れしている訳ではないのに手や肌の艶やかさは栄養や衛生の状態が良い身分の高さを見て取れる。

 貴族的な容姿に物腰も優雅で気品があり、言葉遣いも発音も美しいのは当然で子爵位を持つ貴族であり、戦の経験も少なくない人物だった。
 この時代の人間だから当然、決闘の経験も多く、今でも顔や手足に目立った傷もなく生きているのは彼の強さをさりげなく証明している。


「こちらこそ、お初にお目にかかる」


 対する林崎甚助の方も屈託なく自然に応える。
 景兼ほどではないが、来年で還暦になるから良い年の男である。
 フランス人騎士から見てずば抜けて長身という訳ではないが均整の取れた肉体をしており、よく鍛錬した剣のような鋭さとしなやかさを漂わせている。

 彼らは知らなかったが、十代で居合の極意に開眼し、各地を遍歴しながらその技を磨いてきた武名は高く、日本の武芸者で知らぬ者を探す方が難しいほどの男だ。
 もっとも、春風がふいているのを感じさせるようなふんわりとした雰囲気を持つ甚助を見て、彼が苛烈な技を持つ武芸者と思える者も少ないのだが異様な技を持つであろうことは分かる。
 何せ、彼が腰に差している木刀は、普段の愛刀と同じく刃長は三尺三寸(約1メートル)。
 フランス人から見ても、そう見劣りしない体格である甚助であっても、やはり異様な長さの武器を腰に据えているのだ。


『まったく日本人というやつは、どいつもこいつも特大の猫をかぶるのが得意らしい』


 日向ぼっこでもしに来たような様子の甚助に、ラウールは内心で苦笑する。
 先年、知り合いが彼の地で剣牙虎を見た時、世話をする日本人には子猫のようにじゃれつくのに、いざ戦となれば伝説の悪鬼すら屠ると思えるほどの戦闘力を見せたと聞いていたが、日本に住まう者は己の恐ろしい部分をさりげなく隠す術を身に付けているのかも知れない。

 とは言え、これは試合であるが真剣勝負。

 彼とてフランス武者として負けっぱなしでいて平気でいられる厚顔さは無かったから、ここで踏ん張らねばならぬ。
 さり気なく決意を胸にしたラウールの右手にはレイピアを模した細身の木剣があり、もう片方の手には……

「ほう、それが西洋盾か」

 甚助がしげしげと眺めながら言った通り、ラウールのもう片方の手にはバックラーと呼ばれる小型の円形盾が前腕に括り付けられ、その横から頑丈な革製の小手の姿も見えた。
 貴族の誂えものであるから当然、盾の造りもしっかりしているし、小手も分厚いのに指の一本一本が可動するようにできているから、高価なものであるのは一目で分かる。


 現代に残された資料を見聞する限り、日本古武道と西洋の古典武術の基本的な技術に特に差は見受けられない。

 人体の構造が共通する以上当然の事だが、甚助の居合のようにそれぞれの国にしか無い技法も存在し、西洋剣術と日本剣術を大きく隔てているのが、この盾を使用する技法だった。
 騎乗時はともかく、徒歩の際は両手で刀を用いる事の多い日本剣術に対し、片手剣と盾が発達した西洋では、盾を用いて防御するだけでなく相手を殴りつけたり引っ掛けて転倒させたり、あるいは盾に仕込んだ刃物やスパイクで殺傷してのけたりと、盾という道具の使いこなし方が無数に存在する。

 百戦錬磨の甚助にとっても、やはり間近で見るのは初めてであるから、お上りさんのようにしげしげと眺めてしまう。


「そう。そして、これが俺の技だ」

 甚助から十分に間合いを開けながら同僚に目配せすると、怪訝な顔をしつつも頼まれた通りに、手のひらほどの大きさに切られた羊皮紙を数枚バラバラに放り投げてくる。

 確かに、投げたように見えた。


「ほう、早い突きですな」


 次の瞬間、響いた甚助の感嘆の声は、大広間にいる者全員の感想でもあっただろう。

 放り投げられた羊皮紙は一枚たりとも床に落ちていない。

 全てラウールのレイピアに吸い寄せられるように貫かれ、束ねたような状態になっている。
 誰も、どう突いたかを見えた者は……甚助を始めとする剣豪達を除けばいなかった。

 恐るべき速さの突きを繰り出し、ラウールは地面に落ちる前に羊皮紙全ての中心を貫いて束ねて見せたのである。

401: 六面球 :2018/11/09(金) 15:22:31 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
 物理的に突き技は剣術の技でも最も早い部類に入る技術だが、ここまでの技を……木剣で羊皮紙を貫いてしまうほどの鋭さと速さを持つ技を会得するには、どれほどの才能と修練を要するか。
 それを知るがゆえに、甚助は素直に感嘆してみせる。

「お褒めに預かり光栄だ」

 突き技だけでなく、架空の相手を前にするかのようにバックラーと小手で防御しながら倒す技や様々な得意技を披露し、そうラウールは甚助に優雅な動作で一礼する。
 仕草の一つ一つが洒落ているのが、伊達男の特権なのかもしれない。

「某に技を見せて良かったのかね?」
「勝つも負けるも時の運なら、納得できるようにしておきたいのだよ、ハヤシザキ殿」

 そう、フランス人騎士は甚助に言い切る。
「手の内を見せなかったが故に勝てた。それじゃあ当たり前の話だろう? 手の内を知らせておいて、なお勝つ。これこそが誰も卑怯と謗れない、誰もが納得できる決闘の勝ち方だ。
それが俺の流儀だよ……馬鹿だとは思うがね」
「いやいや、そうでもござらんよ」

 まるで負けん気の強い孫をなだめるような笑顔で甚助が手を振る。

「武において敵を考えるのは下の下、向き合うべきは己だと言いますしな」

 そう言って、ラウールから間合いを離すと甚助はどっかと座ってあぐらをかくと片膝を立てる。

「さて、フランスの御仁が得意技を見せたと言うなら、こちらも相応の礼を取らねば恥でしょうな」

 言って、松田にベンチに置いてある袋から何か投げるように指示し、良いのかという顔をした彼がままよとばかりに取り出して投げるや……


「お見事」


 次の瞬間には、からからと大広間の床に硬いものが転がる音と共に、ラウールの賛辞が続く。
 皆が気づくと、甚助はいつの間にか立ち上がり、鞘から本物の刀のように薄く削られた木刀を抜き放った状態から、するりと再び鞘に収めるところだった。

 彼から少し離れたところに転がったのは、殻付きの胡桃。
 食べるつもりだったのか、袋に入れていた胡桃を投げさせた甚助は立ち上がるのと同時に抜き放った木刀で、それを砕くのでも割るのでもなく、断ち切ってみせたのだった。
 こちらもまた、常人には不可能な真似をしてみせたのは剣豪の茶目っ気か、ラウールへの返礼か。


「それも四つ割りとはね。どう斬ったのかは俺も見えなかった」

 床に転がった胡桃は、四つの破片に綺麗に分割されている。
 抜き放って斬るのは分かるが、もう一度はどう斬ったのか、それを見えたのは何人もいないだろう。

「それに、見事な剣の抜き方だ。その長い刀をどう抜くのかと思っていたが、まさかそんな風に抜く方法があったとはね」

 だが、彼がどう刀を抜いてみせたのかはラウールにも分かった。
 抜きやすいと思われる水平方向でなく、甚助はほぼ垂直に刀を抜いて見せたが、原理は単純なものだった。

 甚助は立ち上がりながら抜刀するのに合わせて鞘も同じ方向に抜き、ある地点で鞘だけを元の位置へと急激に引き戻したのである。
 こうすれば立ち上がる時には刀は抜き放たれ、そのまま相手へと放たれる。


 卍抜け


 甚助が抜刀の神髄を得るために神社に百日籠もり、満願の日に夢に出た白髪の老人から学んだという、いかなる状況でも刀を抜き放てる技。
 林崎流の根幹とも言える技術である。
 言ってみれば単純な原理だが、それを可能とするための技術と……それを身につけるためにどれほどの修練をしてのけたのか、ラウールは痛いほどそれがわかったから賛辞の声を惜しまない。

「ま、見せられた以上はこちらも見せねばなりませんでな」

 太刀の木刀を収めた甚助は、今度はラウールの盾や小手の技へ返すように小太刀を抜くと、ひょいひょいと振ってみせる。
 こちらもまたラウールには見事に見えるが、先程の卍抜けほどのインパクトは無い。
 するりと抜いたかと思えば軽やかに振り、ピタリと静止した状態になって再び納刀する。


「林崎先生、今回は小太刀の技も使うんですかね」
「……長生きはするもんだの」
「へ?」


 甚助の演武を見ていた松田の背後から、景兼の聞いたこともないような声音でそんな言葉が届いた。

「松田殿、よう見ておくがいいぞ? 絶対に損はありませんで」

 振り向くと、珍しく驚いたような顔になった景兼の顔が、にんまりとした笑顔になる。

 それはどういう……

 そう問おうとしたのと、第三の試合が始まるのは同時だった。

402: 六面球 :2018/11/09(金) 15:25:46 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
 これまでの試合のスピーディな終わり方と違い、両者の出だしは緩やかなものだった。
 最初、二人は一礼すると5メートルほどの距離を開け、ラウールはレイピアとバックラーを前方に突き出す第六の構えと呼ばれる姿勢で、甚助は木刀の柄に手すら置かず自然体で対峙し始める。

 お互いの剣が絶対に届かない間合いから、二人の足がそろりそろりと動き出す。

 少しずつ距離を詰めながら、相手の側面に回るように弧を描いて歩を進めていく姿は上から見れば剣牙虎などの猫科の獣が間合いを詰めていく動作にも通じ、あるいは太極のマークを描いているかのようにも見えた事だろう。


「甚助殿も、遊びに入りましたな」

「まあ楽しまねば損ですからな」


 景兼に忠明が笑って返すのを聞いてか聞かずか、対峙し合うフランスと日本の剣士二人の顔には緊張感はなく、むしろ薄く笑みが浮かんでいた。
 無論、ふざけている訳は毛頭なく、ラウールの頬に汗が伝い落ちていく。

『さすがだな。やはり特大の猫かぶりだ』

 この間合であれば、ほんの僅か、呼吸のほんの一瞬の間があればラウールは一気に間合いを詰めて突きを食らわせる事ができる自信がある。

 だが、そうはできない。
 縁側で日向ぼっこをしているような甚助なのに、まるで彼が突き込める隙が無いのだ。
 逆に、少しずつ少しずつ防御の間を削り取られているような気がするのは錯覚ではないだろう。
 抜いても神速だが、抜く前から勝負を決めにかかっているらしい。


 最速の突きが勝つか、最速の抜刀が勝つか


 知らず知らずの内に日本とフランス双方ともに黙り込み、固唾を呑んで二人を見守り始めている。
 空気が次第に張り詰め、人の息遣いしか聞こえてこない。







「っ!」


 その静寂を破ったのはラウールだった。
 まるで呼吸を合わせるかのように歩を合わせていたのを、突如として一気に駆け出すが、甚助の間合いに入るまでもう僅かだというのに、彼は柄に手をやろうとすらしない。

 なぜ?と皆がそう思った瞬間、

「思い切りましたなあ」

 景兼が感嘆の声を出すのと、ラウールが斜め右横……甚助から見て左側に一気にジャンプするのは同時だった。
 そして、跳躍する瞬間、僅かに身を捻りながら跳んだラウールはそのまま勢いをつけて回転し、自身の体重と回転の遠心力が一気に乗ったレイピアを甚助へ突き出す。

 中国拳法にも駆けながら相手の横へと跳躍し、回転して背後から蹴りを入れてしまう大技があるが、ラウールも自身の研究によって似たような技を身に着けたのだろう。

 奇襲の効果と、十分なスピードと体重の乗った一撃を、それも防ぎづらい頭上からの一撃とあれば達人とて防ぎようが無い。
 誰もがそう思ったが、


「え?」


 誰かがキョトンとした声を出した。
 ラウールが絶対の自信を持って突き出したレイピアが届く寸前、到達する筈だった甚助の上半身が消失していた。

 無論、消えた訳ではない。
 甚助の頭も上半身もちゃんとある。

 だが、その位置は先程まで見ていた場所になく、そこからずっと下がったところにあった。
 ラウールが跳躍し、回転を始めるのに合わせて甚助は相手の方を向くや体を開いて身を沈め、最初に見せた趺踞と呼ばれる胡座に片膝立てた姿勢になっていたのだ。

 こうなると、突き技や跳躍技の弱点……一度体重を乗せてしまえば、容易に方向を変えれないのが仇となる。

 ラウールのレイピアの切っ先が耳横を掠めるほどの近い場所を通るのと、甚助が抜刀しながら立ち上がるのは同時だった。

 一瞬で抜刀した甚助の木刀は方向転換出来ないラウールを一刀で仕留める。
 誰もがそう思っていただろうが、


『あなたなら、きっと俺の突きをも破るだろうと信じていたぞ! ハヤシザキ殿』


 ただ一人、甚助がそうするであろうと信じていたラウールは、最後の奥の手を用いた。
 だが、剣豪達以外で誰が彼のとった戦法を見極められただろうか。

 甚助の木刀が下から斬り上げてくるのをバックラーで受け止めるのでなく、滑らせるようにして衝撃を受け流すや、ラウールは小手で木刀を掴み、地面へと着地しようとする自分の体重を乗せて捻ったのである。

403: 六面球 :2018/11/09(金) 15:30:29 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
 日本剣術と西洋剣術の最大の違いの一つがこれで、相手の剣の刃ごと刀身を掴んで制する技術がヨーロッパには数世紀に渡って伝承されてきた。

 無論、日本剣術にも相手の刀の刀身を掴むなどして制圧する技法はあるが、刃ごと握って制圧してしまう前提で組み立てられた技術はまず存在しない。

 例え剣豪である甚助と言えど、初見殺しとも言えるやり方で、なおかつ経験した事がまず無いであろう技を使われたら、絶対に引っかからないとは言えないだろう。

 卑怯とは思わない。

 先程、自身の手の内を見せた時、実際は相手の刃を小手で掴んで倒す技も見せていた。
 説明こそしていないが、彼ほどの剣豪に見せたというのは教えたというのと同じことなのだから、何ら恥じるものをラウールは感じていない。

 それに加え跳躍しての奇襲もブラフとして、ラウールは最初から甚助の木刀をまず奪ってしまうつもりで、そのためなら、受け止めた盾を固定した前腕と木刀を掴む小手の中を折り砕かせる事すら構わない心づもりでいたのだ。

 恥じるものは何一つ無く、そして、そこまでの覚悟をもって挑んだ彼の賭けは成功した。

 梃子の要領で木刀の切っ先を掴まれて捻られた甚助は、そのまま体を持っていかれないように手を離してしまう。
 地面に転がるように素早く着地したラウールが膝立ちとなって、人体の構造上避けにくい下方向から甚助への意趣返しをするかのように突きを繰り出すのと、甚助が小太刀を抜くのは同時だった。

 だが、小太刀とレイピアではリーチが違いすぎる。
 フランス側の全員と、日本側の何人かもラウールの勝利を幻視してしまう。
 本当に、一瞬の後にはそんな光景が広がっていると誰もがそう思った。



















「……教えてくれないか、ハヤシザキ殿」
「何でも構わんよ」
「あなたの実力なら、俺の奇襲も木刀を奪う技も見抜いて破れていたのではないか? なぜ、敢えて付き合ってくれた?」
「そうですなあ」

 ラウールの問いに甚助は首をひねる。

「武術とは、絶体絶命の危機から生を拾い上げる術。ならば、敢えて危機に体を晒した時にこそ、逆に勝利の目が見えるというもの。そういう事ですよ」

「なるほど、それは真理ですな」

 言われてラウールの口元に晴れやかな笑みが浮かぶ。
 その喉元には甚助の小太刀の木刀が突きつけられているが、ラウールのレイピアは甚助の体に届いていない。

「何が……」

 傍で見ていた松田にも訳が分からなかった。
 甚助が小太刀を抜刀したところまでは、誰もが見えていたが、その次の瞬間が訳が分からなかった。

 まるで木の枝でも振るかのような軽やかな振りでラウールのレイピアは撃ち落とされ、跳ね上がった小太刀はそのまま彼の喉元へと突きつけられたのだ。

 その動きが、さっき甚助が小太刀を抜いて見せた動きそのままのものであったのに気づいたのは、剣豪たちを除いて僅かにしか存在しなかった。

 実戦で相対する相手に見せた形そのままで技をやり遂げてしまうなど、離れ業にも程がある。


「だから、よう見ておくように言ったであろう? 松田殿」

 景兼の声が背後から届く。

「儂も卜伝先生に見せてもらった時以来、久々に見たでな」
「へ? じゃあ、あれが……塚原卜伝の」

 景兼が頷き、ようやく松田にも合点がいった。





 一之太刀


 戦国時代最強にして最高の剣豪の一人として、塚原卜伝の名を挙げない者はいないだろう。
 生涯無敗のまま世を去った剣聖の奥義として、名前だけ知られている技が一ノ太刀。

 史実では足利義輝や北畠具教に伝授したと伝えられる幻の技であるが、史実でも林崎甚助は卜伝に一ノ太刀を伝授されたという伝承が存在する。
 伝える派によっては一子相伝で伝えられ、小太刀を用いる技として伝えられているという。

 この大陸日本の世界でもまた甚助は卜伝から教えを受けていたようで、抜いた小太刀でラウールのレイピアを撃ち落とすと同時に、彼の喉元へと突きを放ってみせたのだった。

 最初から、甚助は奥の手のさらに奥の手を見せ、きっちりそれを使って勝利したのである。

404: 六面球 :2018/11/09(金) 15:35:26 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
「一つ頼みがある、ハヤシザキ殿」
「何でしょう?」

 立ち上がりレイピアを鞘に収め、小手と盾を外しながらラウールは訝しむ甚助に左手を差し出した。

「あなたの国の習慣ではないかもしれんが、できれば握手してほしい。心臓に近い方の手で」
「これで良ければ」

 なんとなく意味は察したのだろう。
 木刀を納めた甚助もふんわりと笑いながら手を差し出し、二人の手がガッチリ握られる。
 どちらの顔にも、先程までの真剣勝負の名残は微塵も見当たらない。

「勝てば栄光、負ければ惨めといいたいところだが、今回ばかりは誇りをもって敗者とならせていただくぞ、ハヤシザキ殿」

 真剣勝負が終われば、もう敵ではないとばかりに快笑したラウールは大広間を見渡し、よく通る声で宣言する。

「この試合、ハヤシザキ殿の勝ちだ」

 どよめく観衆を前に、手を離したラウールが優雅に相手に一礼すると、甚助もまるで打ち合わせでもしていたかのような完璧なタイミングと美しい一礼で応える。

「彼の勝利を称えてくれないか? フランス騎士の名が泣くぞ」

 未だどよめく同僚たちをたしなめるように言いながら、ラウールは甚助に向かって困ったように片目をつぶって試合場を後にした。







「フランス人というのは洒落が効いていますな」
「甚助殿も遊びのコツを心得ておられますから」
「分からぬ野暮もいそうですがな」
「ま、本人は心得ておるでしょう」

 景兼と定次の言葉に忠明がそんな事を言うが、重位がフランス側を見やりながら付け足す。

 実際、ベンチに戻ったラウールに詰め寄る者もいたのだが、この貴公子然とした伊達男は苦笑しながら首を振った。

「よしてくれ。俺は敗北の苦い酒は甘んじて飲めるが、負け惜しみの腐った酒は飲めんのだ」

 なお言い募る者に、ラウールは続ける

「それに、最初からハヤシザキ殿は俺との勝負に付き合う必要などなかった。あの最後に見せた技は太刀でも使えただろう。ならば、最初の一合で俺は破られていた。敢えて俺の流儀に付き合い、その上で彼は勝ったのだ。……俺を負け犬と呼ぶのは構わんが、恥知らずにはなれんよ」

 そう、全てを悟ったような顔で静かに告げた。

 そこには、これ以上の文句があるならまず自分が受けて立つという意思表示が込められ、そうまで言われては誰も口を挟む事ができない。

「この交流会で思惑の崩れる者は多勢出るだろうし、話がどうなるか分からんが……」

 黙った同僚たちを横目で見やりながら、ラウールは呟き、そして破顔する。

「あのような男たちが住まう日本という国、見たくなったぞ」


 敗北してなお爽やかさを失わず、伊達男の挟持を崩さない男はそう言って自分の敗北を締めくくったのだった。

405: 六面球 :2018/11/09(金) 15:37:27 HOST:ipbfp004-030.kcn.ne.jp
以上で、第三試合終了です。
どんどん長くなってしまって、本当申し訳ありません。

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最終更新:2018年11月12日 15:07