585: yukikaze :2018/11/11(日) 14:16:55 HOST:185.227.150.220.ap.seikyou.ne.jp
取りあえず、反省とお詫びを込めて、37式中戦車を投下しますわ。

37式中戦車

全長: 8.19m
車体長:6.12m
全幅: 3.20m
全高: 2.49m
全備重量:38t
乗員:  4名
エンジン:三菱 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力:520hp/2,100rpm
最大速度:42km/h
航続距離:300km
武装:  60口径90mm戦車砲(58発)
     7.62mm機関銃×2
装甲厚: 15~120mm

(解説)
日本陸軍が1937年に採用した新型中戦車。
その圧倒的なまでの性能から、各国において『TYPE37ショック』を引き起こすと共に、『第二次大戦中最優秀戦車』の称号を受けることになり、戦後も西側諸国において使用されることになる戦車である。

日本陸軍が同戦車の開発方針を固めたのは1932年にまでさかのぼる。
当時、日本陸軍は、1922年に採用された17式戦車(史実T-26)を数的な主力とし、新型主力戦車として32式中戦車(史実M24軽戦車。ただしエンジンは史実と異なり220馬力の液冷ガソリンエンジン)を導入していたところであった。

だが、日本陸軍は32式中戦車の能力に満足していたが、これだけではまだ不足と感じてもいた。
32式中戦車は同時代でも見ても破格と言っていい性能であるのだが、彼らの眼に写るのは、シベリアや満州の大地を無慈悲に蹂躙するソ連の大戦車軍団の姿であった。
ロマノフ王朝の亡命やそれに伴う貴族たちの亡命によって、動産の差し押さえが限定的であったソ連は、近代化にえらい苦労をしているのだが、それでも彼らは強大な陸軍国家であり、ある程度の性能差など踏み潰すだけの軍団を用意することは充分に可能であったのだ。

「ソ連を侮るな。奴らは腐ったドアでも馬鹿な熊でもない。狡猾で凶暴な熊と思え」

日露戦争の大英雄であり、日本陸軍の軍神でもある十河秀勝元帥(憂鬱東条)の言葉を老人の戯言と侮る人間は、日本陸軍にはおらず、そしてそれは赤軍の教本を入手し研究を重ねたことによって、彼らが、恐ろしいほど攻撃的なドクトリンを組み立てている存在であることを、再認識することになる。

「まるで津波ですな。小手先の戦術ではどうにもならない」
「積極的機動防衛を担う地上戦力と、敵軍の前線へ補給を行う後方部隊への攻撃を担う航空戦力とを緊密に連携させる以外手はないな」

赤軍の攻撃的なドクトリンに溜息をついた参謀に対し、帝国陸軍随一の用兵家と見なされていた小畑中将はそう答えたとされるが、実際、怒涛の如く押し寄せる敵第一梯団を、機動防御によって捌きつつ、味方の空軍が第一梯団の砲兵や補給部隊を叩き潰すことで、第一梯団の衝撃をなくし、慌てて繰り出してくる第二梯団を、こちらの予備部隊で叩き潰す以外手はなかったのである。

そして、その観点からみると、32式中戦車は、現時点ではともかく、10年後に対応できるかは不透明であった。
主砲火力こそ75mm級であったが、防御力はその火力に対応しておらず、おまけに機動防御により動き回るには、燃費の悪いガソリンエンジンでは不足ではと見られたのである。

他国(特にソ連)からしてみれば「いやマテ、お前はどこと戦っているんだ」と、壮絶な突っ込みを入れたいところであっただろうが、帝国陸軍は大真面目であった。
彼らは、少なくとも完成して20年位は、小改良でも十分大丈夫なレベルの主力戦車を欲していたのであった。

以下、同戦車の特徴について解説する。

586: yukikaze :2018/11/11(日) 14:22:35 HOST:185.227.150.220.ap.seikyou.ne.jp
車体は、圧延防弾鋼板を溶接で組み合わせた箱型のコンパクトなものである。
各部の装甲厚は前面上部120mm、前面下部90mm、側面75mm、後面45mm(下部傾斜部分は30mm)、操縦室上面20mm、下面20mm、機関室上面(グリル部以外)15mmである。
車内レイアウトは前部が操縦室、中央部が砲塔を搭載した戦闘室、後部が機関室となっており、操縦室内には左側に操縦手席、右側に主砲弾薬庫が配置されていた。操縦手席には折り畳み式背もたれ付き座席が配置され、その右側にバッテリー収納ボックスおよび車内通信装置、計器盤等が配置されていた。

砲塔の形状は、防弾鋳鋼製で低平な亀甲型になっており、良好な避弾経始を実現している。砲塔各部の装甲厚は前面・防盾と側面が90mm、後面75mm、上面15mmとなっていた。
砲塔部に配置される乗員は砲手(主砲右側)、装填手(主砲左側)、車長(左側)の3名である。
車長席には、砲塔上面に防弾ガラス付き視察スリットを周囲に5個持つ視察用キューポラが配置されていた。
キューポラ周囲の装甲厚は90mmで、上面には半円形ハッチを持つ旋回式マウントに可動式視察用ペリスコープが設置されていた。
一方、砲塔の天井を低くすることでの、良好な避弾経始の実現の代償として、主砲の俯仰角は、-5~+10度とでしかなく、高地に陣取った相手に対しての攻撃を苦手とする悪癖を持つことになる。
ライセンス権を取得したイギリス側は、この点について苦情を述べることになり、急遽+25度にまで仰角を上げることができる新型砲塔(俗に『英国型』と称される)を設計している。
(輸出及び供与型は、基本、英国型砲塔が主となる。)

主砲の60口径90mm戦車砲は、大阪砲兵工廠で開発されたもので、第二次大戦中最強の対装甲威力を持っていた。
砲口初速1,020m/秒のAPDS(装弾筒付徹甲弾)を用いて、射距離1,000mにおいて290mm厚のRHAを貫徹可能であり、これに対抗できる防御力を持つ戦車は、第二次大戦中存在していない。
FCSについては、新型のステレオ式測遠機(基線長1,524mm)を装備しただけでなく、主砲の俯仰角を自動的に算定可能な弾道計算機も備えており、さらにパルシング・リレイ式の砲塔制御システムも搭載されていた。
これにより、同戦車の遠距離での命中率向上に寄与することに成功する。

足周りは上部支持輪無しで大直径の転輪、起動輪、誘導輪で構成され、サスペンションはトーションバー方式を採用していた。
車体下面はトーションバーを横に渡した部分が膨らんだ形に成形されており、左右サイドも斜めに切れ上がったデザインとなっていた。
グラウンドクリアランスを少しでも稼ぎながら、地雷による爆圧を側方に逃がして被害を局限するための工夫であり、後の52式中戦車にも採用がされている。

また技術的特徴として、エンジン、トランスミッション、ステアリングを1体化したパワーパックを採用している。
これにより、同戦車のメンテナンスは格段に楽になっただけでなく、従来、車両前方にあったトランスミッションを後方に置くことによって、エンジンとトランスミッションをつなぐドライブシャフトが車体前方と後方を貫通させる必要がなくなり車高を下げることができ、また、トランスミッションを引き出すために、車体前面の装甲板に開口部を設置する必要もなくなったことで、防御力向上にも役立つことになる。

パワーパックは三菱製の4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル(出力520hp)と、同社製のクロスドライブ式自動変速機
(前進2段/後進1段)を組み合わせて搭載していた。
同エンジンは、元々三菱が小型艦艇用に開発していたエンジンであったのだが、極めて信頼性が高く、このエンジン開発によって三菱重工は、帝国陸軍の軍用車両のエンジンメーカーとして確固たる地位を築くのに成功している。
操縦装置も大きく改善され、帝国陸軍の制式戦車としては初めて操向レバー式に代えてハンドル式操縦装置が導入されている。

同戦車の試作車両は1936年に完成し、様々な試験の結果、1937年に『37式中戦車』として採用されることになる。
もっとも、同戦車は、高価な装備をふんだんに使っていたことから、単価も高く(32式中戦車の2.5倍)同戦車が大量に生産され出すのは、日本が第二次大戦に参戦することになった1940年以降であり、英国に派遣された独立中戦車中隊(それまでに生産している車両全て)が、英米の戦車部隊に対し圧倒的なまでの戦果を見せつけ、英米両国から問い合わせが殺到したことによるものであった。
最終的に、同車両は、ライセンス生産等も含めれば、8,000両近い生産数を誇っており、この生産数は現在でも破られていない。

588: yukikaze :2018/11/11(日) 14:36:23 HOST:185.227.150.220.ap.seikyou.ne.jp
投下終了。ネタとしては、憂鬱三式及びT-34&M48を参考にして作成した代物。
まあ第二次大戦前期に、戦後第一世代相当の戦車が来たら、どの国も「ふざけんな」と怒るよね、と。

泣く泣く割愛しましたが、説明の中には、同車両を105mm砲搭載の駆逐戦車『コンカラー』としたり対ゲリラ制圧用車両の『TOS-1A』になったりとか、ファレーズ攻囲戦最大のクライマックスとなったトルン近郊での、共産ドイツ軍最後の予備戦力であった、親衛教導師団『カール・リープクネヒト』との戦車戦とか、あと、試作車両のステレオ式測遠機の配置が悪くて、1発撃つごとに誤差が生じてしまい、一射撃ごとに照準を修正し直さなければならずそのせいで次発の発射に時間が掛かり、連射速度が著しく低下するという致命的欠陥を露呈したりとかあったりしました。

あと、こぼれ話としては、1960年代の旧植民地間での争いで、第二次大戦中発生しなかった、37式中戦車VSシャーマン戦車
とか、大量生産受注できたことで三菱重工が、航空機の損失をカバーできたとか、そう言ったのも入れようかと思ったのですが、そこら辺は今後の課題でしょうねえ

590: yukikaze :2018/11/11(日) 14:51:29 HOST:185.227.150.220.ap.seikyou.ne.jp
もう一つ余談。
この戦車の出現によって、イギリスは半ば悟った顔になって、日本へのライセンス生産交渉に動いたのですが、アメリカでは、派遣部隊の「いいからこいつに匹敵する戦車作れさもなければこいつを購入するかライセンス生産しろ!!」と、「アメリカ軍の戦車に与えられていた使命は歩兵を支援して陣地を突破することであり、敵戦車に対しては軽快で強力な砲を持つ駆逐戦車をあてることが基本だろ。そもそも兵器はむやみやたらに採用するなんて合理的に欠ける」という陸軍地上軍管理本部との間でガチバトル勃発。

史実と違いパットンまでもが「こいつを今すぐ寄越せ。そしたらベルリンどころかモスクワまで突っ走れる」となる反面、共産側の戦車が、基本四号戦車の改良型か、親衛部隊用としてKV戦車導入でしたんで、シャーマンでも勝てることから「自軍の戦車がドイツ軍重戦車に全く対抗できない」事例がなく、泥沼の争いになるなんてネタもありました。

ここら辺も形にできれば面白いんですけどねえ・・・

599: yukikaze :2018/11/11(日) 17:49:20 HOST:185.227.150.220.ap.seikyou.ne.jp
594 >>598
ゴメン。8000両を超えていないというのは「日本製戦車で生産された数」としてはです。
トップはアメちゃんのシャーマンで2万5千。次点がT-34シリーズで1万8千。

597
60口径に統一でお願いします。
なおソ連はファレーズでKV-1が無残な敗北を喫したことにショックを受け、なんとしても同砲を無傷で獲得しようと動き
それが1949年の奪取作戦に繋がるのですが、その結果に相当ショックを受け、量産に走っていたT-54の主砲強化を指示。
ですが、その最中に105mm砲搭載の52式中戦車とセンチュリオン105mm型が登場したことにより、T-54を諦めT-62の前倒しを図ることになります。

537: yukikaze :2018/11/10(土) 10:55:27 HOST:185.227.150.220.ap.seikyou.ne.jp
(おまけ 52式中型戦車の系譜)

52式中型戦車
戦後第一世代戦車。シルエット的にはM60A1だが、寸法をやや小型化して、重量を抑えている。(大体74式と史実M60A1の中間)
105mm砲及びアクティブ赤外線暗視装置を備えており、ソ連がT-54に完全に見切りをつける要因となる。

52式中型戦車改
1960年代以降に生産された型。性能としては史実M60A3準拠。
それまでも段階的に小改良が実施されていたのだが、1964年に登場したこれはFCSはレーザー測遠機と弾道コンピューターを連動させたシステムを採用し、夜間戦闘用にはこれまでのアクティブ赤外線暗視装置に代えて操縦手、車長共にパッシブ映像強化装置(スターライト・スコープ)が装備されるようになったのが特徴。
重量的にはこれまでの44tから46tにまでなったが、幾分の機動力低下にとどまっている。

52式中型戦車改2
1970年から1976年にかけて作られた最終型。シルエットとしてはM60T戦車。
本命視されていた史実90式戦車の開発が、主に複合装甲と油気圧式サスペンションの開発に時間が取られすぎており、しかもソ連が新型戦車開発に成功した(勿論、史実T-72である)ことによって、改1では厳しいのではという事で、急遽作られた型でもある。
最大の特徴は防御力で、砲塔の前面と左右側面、車体前面、サイドスカートには新開発のモジュール装甲システムが装着され、装甲防御力が大幅に強化される。
もっとも、同モジュール装甲はあくまで『使い捨て』であり、どこぞの90式のような狂った性能にはしていない。
また、重量が50t近くなることから、エンジン及び自動変速機の換装、トーションバー・スプリングとショック・アブソーバーの強化が行われ、大蔵省から「もうこれ新型戦車として採用しろよ」と、ぼやかれることになる。
ただし、FCSや主砲については、予算の面もあって改1と据え置きになっており(あくまでこれは繋ぎでしかない)、その点が不満が延べられることになる。(輸出先での改修では、FCSや主砲も強化されている)

76式戦車(史実90式)が採用された後も、改二型については現役に留まっており、彼らが退役したのは、97式戦車(史実10式)が量産された2000年代以降である。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2018年11月12日 15:55