850: yukikaze :2018/11/25(日) 00:05:02 HOST:185.227.150.220.ap.seikyou.ne.jp
ではちょっとしたネタを投下。ソ連が輝いた時でもあります。

赤いオーケストラ事件

赤いオーケストラ事件とは、ソ連が、フランスに張り巡らせていた一大諜報組織の発覚事件である。
同事件の発覚により、フランス第四共和政は終焉を迎えることになり、終戦から10年続いていたド・ゴール体制も崩壊することになる。

1 「赤いオーケストラ」の成立前の状況

第二次大戦において、ソ連は表面上は大成果を収めたと見られていた。
スペイン及びフランスの自陣営からの脱落はあったものの、ルーマニア及びブルガリアを除く東欧と中欧はソ連の軍門に下ることになり、ソ連は名実ともにスラブ民族が打ち立てた国家としては、最大版図を築くことに成功したのである。(アジアでは、内モンゴルも合わせたモンゴル人民共和国及びトルキスタン人民共和国が陣営入りし、甘粛省と青海省を合わせたトゥンガン人民共和国が作られようとしていた。)
まさにソ連の絶頂とも言える状況であったが、この貪欲なまでの領土拡張政策は、同時にソ連の上層部の恐怖感のなせる業でもあった。

どういう事かと言えば、ソ連と政治的な対立を深めている日英米3カ国連合の軍事力が、控えめに言ってもソ連の軍事力を圧倒しており、まともに戦った場合、勝てる可能性が無きに等しいという事実があった。
海に関しては比べるのもバカらしい戦力差であり、空に関しても、こちらの主力戦闘機が努力に努力を重ねて650km程度なのに対し、向こうの戦闘機は最低でも700kmオーバー。日本に至っては音速の領域にまで達しているのである。
陸はそれに比べればまだマシではあるが、制空権を取られた場合どうなるかは、独仏の悲惨な事例を見れば自明の理であった。
一部には「冬将軍と焦土作戦を使えば向こうは音を上げる」と主張する者はいたが、スターリンにとってはそれはもう最後の手段であったし、何より相手は世界第一位から第三位までの金持ち国家なのである。
彼らが本気になればどこまでやるか、彼のみならずソ連首脳部の誰もが確信を持てない状況であった。
戦争終結の直後に、全世界に向けて原爆実験を行っているのを見れば猶更であった。

ソ連がここまで疑心暗鬼に陥っていたのは、戦時中において英米の親ソ派スパイ団が壊滅したことにより日英米の情報が入りにくくなったことに原因があった。
俗に「近衛ノート」と呼ばれることになる、レッドセルのリストには、アメリカにおいては財務省次官補や国務省上層部だけでなく、「マンハッタン計画」の物理学者が名を連ね、イギリスに至っては、諜報機関や王室顧問官までがソ連のスパイであることが示されていた。
当初は半信半疑であった英米の首脳も、調査を進めるうちにそれが事実であったことに衝撃を受けることになるのだが、これにより日本に大恥を晒した両首脳は、苛烈と言っていいレベルで処分を行い、事実上ソ連のスパイ網は壊滅的な打撃を受けることになる。(なお、日本でも、用済みであるとして、政治家や省庁、マスコミにいたレッドセルを問答無用で逮捕し、根を断っている。)

結果的に、戦時中のこの処断により、ソ連は日英米からのありとあらゆる情報を得ることが難しくなり、それはソ連のあらゆる分野に影響を及ぼすことになる。
ソ連にとって泣くに泣けないのは、今回の取り締まりが「対仏独協力者への対応」という、絶好の名目によるものであり、彼らがコミンテルンに情報を流し、独仏両国がコミンテルンにべったりな証拠を突きつけられては、ソ連の反発は逆効果にしかならないという点であった。
故に、彼らは早急に新たな諜報組織を作る必要があり、白羽の矢を立てたのがフランスであった。

851: yukikaze :2018/11/25(日) 00:06:10 HOST:185.227.150.220.ap.seikyou.ne.jp
2 「赤いオーケストラの成立」

ソ連にとって、フランスという国は目を付けやすい条件がそろっていた国であった。

まず、第一の要因として、フランスにおける連合国の印象が著しく悪いという点であった。
元々、フランス自身が、第一次大戦での悪夢の消耗戦のトラウマから、厭戦気分が蔓延していたお国柄であり、それが第二次大戦初期でのあっけない程の降伏に繋がったのであるが、彼らからすればドイツから受けた損害よりも、連合国から受けた損害の方が格段に大きく、それはそのまま、連合国に対する嫌悪感を増やすことになっていた。(東南アジアや中東での権益を失ったのもそれに拍車をかけた。)

第二の要因としては、共産党そのものは弾圧されたものの、社会主義のシンパが、知識人層を中心に依然として多かったことがあげられる。
元々フランスという国は、フランス革命の影響等もあって、社会主義思想が受け入れやすい土壌が形成されており、共産党はこの手の面子の最左翼の代表という位置づけでしかなかった。
故に、共産党が排除されたからと言って、それが即、社会主義の退潮になるという訳ではなく、むしろ反連合国を背景にして、勢力を拡大する余地すら有していたのである。

第三の要因としては、ド・ゴールの政治的基盤の脆弱さであった。
本来ならば、フランスを取り戻した救国の英雄として、称賛を浴びてもおかしくない彼であったが、実際には、派手なスタンドプレーが多く、マッカーサーをして「口だけのガリア人」「誰でもいいからあいつの代わりを連れて来い。あいつよりははるかにマシだ」と、露骨に嫌悪感を示すように、後ろ盾になる連合国にすら持て余し気味の男であった。
無論、ド・ゴールには、彼なりの論理があるのだが、フランス国内でも政治分野では知名度は無きに等しく、しかもフランスの権益を守りぬけなかったこともあって、フランス内では「マッカーサーの傀儡」扱いされる程、不人気の限りを尽くしていた。
お蔭で、ド・ゴールは、ますますスタンドプレーに頼らざるを得ない状況に陥り、国内でも有数の政治勢力である、社会主義勢力とも手を結ばざるを得ない状況であった。

結果的に、ソ連政府は、地下に埋没したフランス共産党員を介して、フランスの官界及び教育界を通じての諜報組織の構成に着手することになる。
英米両国での失敗を受けて、敢えてフランス国内に中心組織は作らず、組織の構成員であっても組織の全貌は分からないように組み上げたこの組織は、ソ連において「オーケストラ」という暗号で呼ばれることになる。

3 「オーケストラの戦果」

「オーケストラ」が実働し始めたのは、関係者の証言や、KGBに残された資料によると、1947年頃であると推測されている。
この時期は、戦争による影響から、フランス国内でも未だ食糧の自給が困難であり(ドイツに比べればはるかにマシだが)、そうした点からも、協力者が得やすいという側面があったのだが、上述した理由もあってソ連側が予想していたよりも多数の情報が舞い込むことになる。
無論、その情報は玉石混合であり、KGBの担当官をして「何でも情報を送ればいいという訳じゃねえぞ」とぼやくことになるのだが、ソ連にとっては貴重な情報源となるのに時間はかからなかった。
特に、英米の大陸派遣軍の動きについては、「相手のカードを見ながらポーカーしているようなもの」と見なされており、彼らは、それに則り行動をしている。
1948年8月のストラスブール事件(仏共産党シンパによる、英ライン軍団所属の37式中戦車奪取事件)や同年12月におけるジェフ・アンダーソン亡命事件(アメリカ空軍中尉であるアンダーソンが、最新鋭機であるF-86でソ連に亡命した事件。機体引き渡しを求めるアメリカと、機体は墜落したと主張するソ連との間で激しいやり取りがあり、戦争勃発寸前になっている。)は、彼らの情報網なくしてはできぬものであり、そしてこれらの実物によるデータが、海外からの技術情報流入が極度に難しくなっていたソ連にとっては干天の慈雨であったことは想像に難くない。
英米政府も、裏にはソ連がいると判断し、手引きしたグループをその都度潰してはいるものの、上述した組織の特性から、潰しても効果は限定的であり、疑心暗鬼に陥ることになる。

852: yukikaze :2018/11/25(日) 00:07:08 HOST:185.227.150.220.ap.seikyou.ne.jp
4 「アルジェリアとオーケストラの暴発」

もっとも、ソ連の絶賛と英米の焦燥とは裏腹に、「オーケストラ」の構成員も苛立ちを強めていた。
確かにソ連の利益にはなっているし、大嫌いな英米に煮え湯を飲ませた点は溜飲が下がる思いであった。
しかしながら、彼らが成果を上げれば上げる程、スタンドプレー好きなド・ゴールの得点にも繋がっていたのである。
事実、英米の度重なる失態は、相対的にド・ゴールの発言権を強めることになり、フランス国民の間でも、ド・ゴールを「タフな政治家」と見直す声が強まってきていたのである。
1952年のフランスの独立でのド・ゴールの宣言は、彼が大国フランスの威信を捨てるつもりがないことを改めて示すと共に、フランス人のプライドを満足させるのに十分なものであった。
「このままではド・ゴールが、第二のナポレオンになるのでは?」という「オーケストラ」構成員の疑念は、時間がたつにつれて、確信へと変化していた。
構成員の究極的な目的が、フランスにおける社会主義政権の樹立であったことを考えれば、「ド・ゴール」王朝樹立に手を貸すなど、絶対に避けなければならないことであった。

そんな彼らにとって絶好のチャンスが、アルジェリアの独立紛争であった。
敗戦により国連の委任統治領となっていたアルジェリアであったが、フランスは未だ「アルジェリアは自国領」であるという姿勢を崩さず、アルジェリアに軍を派遣しようとし、英米との間に対立が生じていた。
「オーケストラ」の面々は、アルジェに対して強硬姿勢を示しているド・ゴールとその取り巻きを煽ることでアルジェリアで泥沼の紛争を起こし、ド・ゴールを失脚させ、社会主義政権の樹立を目論んだのである。
政財官軍に存在している「オーケストラ」の面々は、それぞれ独自に行動を開始することになる。
そしてそれは、ソ連にとっては想定外の事態であった。

5 「オーケストラの終焉」

「オーケストラ」の構成員の動きは迅速であった。
政官軍の構成員たちは、アルジェリアへの軍の派遣について、各組織の強硬派を焚き付け、財界の構成員もまた、マスメディアを利用して、アルジェリアへの軍の派兵を煽っていた。
本音としてはアルジェリアへの派兵など行うつもりはなかったド・ゴール(彼はあくまで英米への条件闘争のつもりであった)が気付いた時には、もはやアルジェリア派兵を止めることなど不可能であった。
彼が半ばヤケクソ気味に「アルジェリアへのフランス軍展開」を決めたのも、史実と違い、政権中枢に居座り続けてしまったが故に、自縄自縛に陥っていたからであった。

そしてこの事態に対し、アメリカは完全にド・ゴールに見切りをつけた。
マッカーサーの後を継いで大統領になったデューイもまた、ド・ゴールを「時代錯誤の目立ちたがり屋」と忌み嫌っていたが、ソ連との冷戦そっちのけでアルジェリアで軍事行動を起こそうとするド・ゴールの行動には、穏健的な彼もとうとう堪忍袋の緒が切れたのであった。

と、言っても、ド・ゴールを力づくで排除しようとした場合、悪影響が酷くなるのも事実であった。
これが前任のマッカーサーならば、朝食を頼むかのごとく、CIAやら何やら使って平然と叩き潰しただろうが彼よりは外交的評判とは何たるかを理解しているデューイは、その手の謀略を嫌っていた。
勿論、イギリスに相談するなどという愚行を犯すつもりもなかった。
詐欺師に相談した瞬間どうなるか、デューイならずともお断り案件であった。

結果的に彼が採ったのは、「一番喧しい連中の金か女を探れ」という代物であった。
この命令を発した時「何で大統領がイエロージャーナリストのようなことをしないといかんのだ」と、嘆いたとされるが、当時のフランスの政治家は大概小粒であり、仮にド・ゴールを無理やり挿げ替えても、小物が代わりに大統領になれば、同じことを繰り返す恐れがあった。
デューイとしては「アルジェリア侵攻」そのものが、政治的に鬼門であることを、誰の眼にも明らかにする必要があり、とにかく誰の眼にもわかりやすいスキャンダルを示すことによって、この侵攻が政治的にデメリットであることを示そうとしたのだ。

853: yukikaze :2018/11/25(日) 00:07:42 HOST:185.227.150.220.ap.seikyou.ne.jp
だが、CIAからの報告は、彼の口を大きく開けるのに十分であった。
軍部上層部及びド・ゴールの側近に対して、財界から多額のリベートが出ているのはある程度予想できた。
しかし、この政財軍をつなぐルートにおいて、その構成員が多かれ少なかれ社会主義に傾倒しており、調査を進めると、この構成員の組織が予想以上に広がっていることが明らかになってきたのだ。
ソ連政府が苦心して「組織の構成員であっても組織の全貌は分からないように組み上げた」にも関わらず組織の面々が、ド・ゴール排除の為に自発的に組織作りをしてしまったことで、ソ連のこれまでの努力は水泡に帰すことになるのだが、下手に動いた場合、アメリカに感づかれる恐れがあるため、半ば呆然としながら静観せざるをえなかった。

「何の気なしに藪に小石を投げたらドラゴンが出てきた」

と、言うのが、当時のCIAの担当官のセリフであったが、この報告書は、フランスに首輪をつけるのに充分であった。

1954年6月3日。
ド・ゴール大統領は、フランス全土に向けて臨時放送を行い、フランス政財官軍において大規模なスパイ組織が形成されており、その摘発に踏み切ったこと。
アルジェリアへの侵攻も、彼らの誘導があった事実を伝えると共に、アルジェリア派兵については全面的に凍結し、自身も大統領を辞職し、政界から完全に引退することを告げることになる。
この時の逮捕者は、主だったものでも百人単位で数えられることになり、暫定の首班となったジョルジュ・ポンピドゥーが「フランスの頭脳だけでなく心臓や延髄すら消えることになる」と、アメリカの要請によるレッドパージに、力なく頭を振ったとされている。

当然のことながら、西側マスコミが評する「赤いオーケストラ」は、おおよその全貌を明らかにされたあげく、歴史上から姿を消すことになる。
ソ連は、公式には「西側諸国のペテン」と、でっちあげによる謀略と宣伝したものの、フランス人のやらかしに、ウォッカのグラスを床に叩きつける者多数という状況であった。
せめてもの救いは、「赤いオーケストラ」が、その壊滅までに数多の情報をソ連にもたらした事によって遅れていた通常兵器の技術革新がなしえた事であったが、同時にソ連のスパイ組織による最後の大規模な勝利と言える代物であった。

以降、ソ連は、諜報において、ここまでの成果を上げることはできず、その支配体制もあって、技術的な差が開くことになる。

854: yukikaze :2018/11/25(日) 00:14:33 HOST:185.227.150.220.ap.seikyou.ne.jp
以上投下終了。

ソ連が頑張って作った一大諜報組織が、ソ連と全く無関係な所で崩壊するという「ソ連お前は悪くない。お前は頑張った」的なお話。
史実と違い、ニーンの売却とか絶対にないだろうから、ソ連のジェット機開発どうにかするためにひねり出した理由がこれ。ちなみに米ソ戦争にならんかった最大の理由が、フランスのやる気の無さに米国が匙投げたのが大きい。(だってビックマウスなんだもん)

これでなんとか西側に追いつこうと足掻くソ連ですが、当初の差は大きく、結果的に核戦力を中核とした戦備にせざるを得なかったというのは今までの説明通り。
なお、70年代後半に、もう一度だけ、ソ連はパワーアップの機会を得ることになりますがそれがカルカッタ条約(ソ印軍事協定)の締結になります。

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最終更新:2018年12月02日 18:28