438: yukikaze :2019/09/16(月) 00:56:34 HOST:152.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
取りあえず終わった。どうしてここまでデカくなったのか・・・
翔鶴型航空母艦
排水量 62,000t
全長 320.6m
最大幅 44m(船体)アンクルドデッキ込だと76.8m
吃水 11.4m
主缶 艦本式重油専焼缶 12基
主機 技本式オール・ギヤード・タービン 6基3軸
出力 280,800hp
最大速力 32.0ノット(実際には30ノット強が精々であったとされる。)
航続距離 18ノット/10,000海里
乗員 4,500名
兵装 50口径76mm連装速射砲8基
装甲 舷側 150mm(15度傾斜)
飛行甲板 102mm
同型艦 『翔鶴』『瑞鶴』
(解説)
昭和14年度に策定された『〇急計画』において建造された空母。
完成当時、世界最大の空母であり、主要艦載機が全てジェット艦載機であったことから、新時代の空母として宣伝されることになる。
1936年にワシントン軍縮条約及びロンドン軍縮条約の効力が停止された時、日本海軍の主力空母は蒼龍型4隻であった。
排水量制限限度額の25,000tを利用して作られた蒼龍型は、形状としては、史実エセックス級空母を閉鎖型格納庫&ハリケーンバウにした代物であり、航空機運用能力については、当時としても一級品の物を持っていた。
日本海軍も、基本的には同型の能力に満足しており、1937年に建造が許可された雲龍型2隻も、蒼龍型の運用を踏まえた上で、始めからアンクルドデッキの採用をしているなど、(イメージ的には、クレマンソー級の飛行甲板とエレベーターの配置。なお、蒼龍型も同様の改装が行われている。)より洗練された航空機運用ができるようになっていた。
海軍としては、同クラス乃を複数隻揃えることによって4個空母機動艦隊編成を取ろうと考えていた。
しかしながら、この構想は思わぬところで躓くことになる。
日本海軍は「航空戦力を主戦力とし、水上艦艇は、航空攻撃で打撃を受けた敵部隊の被害を拡大させる戦果拡大役」というドクトリンを策定したのは以前も記した。
その為、海軍としては航空戦力こそが主戦力であり、だからこそ、航空機の搭載量に拘り続けていた。
塩害により問題が出ること承知の上で、飛行甲板に露天駐機を許容したがために、搭載機数は90機近くを超えており、敵部隊に対し強力な一撃を与えることができたのである。
439: yukikaze :2019/09/16(月) 00:57:12 HOST:152.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
だが、航空機の発展は、その攻撃力を強化すると共に、それを運用する航空母艦にも負担を増すことになる。
簡単に言ってしまえば、航空機が高性能になればなるほど、航空機は重くなり、燃料もバカ食いし、弾薬も多く使うようになるのである。
大型正規空母であるが故に余裕であると見られていた蒼龍型と雲龍型であっても、海軍の艦載機が烈風や流星になるころには、蒼龍型においては継戦能力という点でカツカツになりつつあった。
こうした問題にさらに追い打ちをかけたのが、越山重工によるジェット艦載機開発成功であった。
後に共産陣営から『死神』と呼ばれることになる疾風の性能は、これまでの艦載機の性能を完全に過去のものにしてしまう代物であったのだが、同機体を運用するには、27,000tクラスは最低ラインであり、それなりに満足のいく数運用するなら35,000t、疾風以降の艦載機まで運用するのならば45,000tは必要であるという試算が出たのである。
(雲龍型は、ジェット戦闘機運用も小規模改装でまだ可能であったが、蒼龍型は不可能であった。)
ある海軍将官が「越山はパンドラの箱を蹴飛ばしたんじゃねえのか」と、遠い目で慨嘆したとされるが、(エンジンの寿命の短さにに目を瞑るとすれば)疾風の性能はダントツであり、海軍として見れば、疾風を無視するなど不可能に近かった。
結果的に、海軍は、雲龍型及びその拡大型の追加建造計画を取りやめざるを得なかった。
越山によるジェット艦載機の成功は、色々なところで余波を撒き散らすことになるのだが、皮肉なことに、その余波は、生みの親である日本海軍にも及んだのである。
さて、こうした事態から、日本海軍は雲龍型の系譜に代わる新たな空母の建造計画を練る必要が生じたのだが、ここで更なる横やりが入ることになる。
『大蔵省の魔王』の呼び声高い郡政信子爵(憂鬱辻)である。
かつて日露戦争で、大規模な仕手戦を仕掛けて、英仏独露の経済に大損害を与えてのけ、世界の投資家から『サタン』と恐怖されたこの男は、大蔵省に入省後、めきめきと頭角を現し、40代の若さで大蔵大臣になるという化物であった。
そしてその化物は、次期空母の建造を計画する面々にこう告げることになる。
「45,000t級以上の空母は認めます。ただし2隻が限度です。3番艦以降は、早くても1950年代中頃と思っていただきたい。なお、今回作る艦は、できれば40年から50年は使用していただきたい。」
用兵への口出しに激昂する海軍軍人たちであったが、それも郡の次のセリフを聞くまでであった。
「建造費と維持費に幾らかけるおつもりです? 仮に6隻作ったとして、代艦が必要な時に6隻まるまる一気に国家予算から出せると本気でお思いなのですか?」
ぐうの音も出ない正論であった。
郡自身が「今後の艦載機の発展を考えると、基準排水量で6万トン、満載排水量で8万トン越えは確定でしょう。場合によってはそれにそれぞれ2万トンプラスしないといけないかもしれません。乗組員で言えば、航空要員も含めて5千人に近いでしょう。で・・・海軍さんは、これだけの大船を作り動かすのに、どれだけのヒトモノカネを捻出するのです?」と、具体的な数値で言われれば、誰もが口を閉じざるを得なかった。
軍事的な理想を現実が崩壊させた瞬間であった。
こうしたことから、日本海軍としては、1960年代末までに、超大型空母4隻体制に出来れば良しと判断することになる。
それ以降は、10年ごとに1隻の割合で代艦を建造すれば、攻撃力は維持できると判断したのである。
一部には、45,000t級6隻ではどうかという意見もあったが、越山重工業の倉崎総帥から、1970年ごろには、30tクラスの艦載機となるという予想が出された時点で、誰も彼もが超大型空母の建造にせざるをえないことを痛感することになる。
440: yukikaze :2019/09/16(月) 00:58:21 HOST:152.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
以下、翔鶴型の特徴について説明する。
同艦は、日英海軍で標準と化している閉鎖型格納庫を採用している。
波の荒い日本海での運用を考えれば当然と言えば当然であるのだが、そのままだと、いざ格納庫に爆弾や砲弾が飛び込んだ時に、そのエネルギーが格納庫に充満して大被害を受けることは確定である。
そのため、日本海軍においては、蒼龍型において舷側エレベーターを採用し、その開口部からエネルギーを出すように計画していたのだが、翔鶴型では4基あるエレベーターを全て舷側エレベーターにすることによって開口部を4箇所設け、格納庫内で爆発が起きても、エネルギーが開口部を通じて拡散されるようにしている。(エレベーター配置はキティ・ホークと同じ)
また飛行甲板と船体とをエンクローズドバウ化させることによって、凌波性の確保にも務めている。
飛行甲板については、20mmDS鋼の上に82mm装甲板を貼っており、少なくとも250kg徹甲爆弾及び500kg通常爆弾による全高度での水平爆撃及び700kg爆弾による低高度での急降下爆撃にも耐えられるようにしている。
また、格納庫甲板下の装甲も合計100mm近くあることから、機関部などの主要区画は高度3,000m以下の1t爆弾の急降下爆撃及び700kg徹甲爆弾による水平爆撃にも耐えられるようになっている。
舷側装甲については、20cm砲の砲撃を受けた場合でも、1万4千メートル以遠までならば、充分な耐弾性能を発揮できることになっている。
装甲適用範囲も、長さこそ155mと艦の長さの半分程度であったが、水線装甲防御の高さは5.5mもあり舷側装甲上部から格納庫甲板に至る間には、大口径砲弾や爆弾の至近弾による断片防御に50mmの装甲が設置されていたことで、それまでの空母よりも圧倒的なまでに被弾による艦の損害箇所の極限を図ることができていた。
なお、舷側装甲についてはインターナルアーマーとなっているが、改装作業時に邪魔になっており、大鳳型ではこの点改正されることになる。
水線下の水中防御にしても、TNT318kgの魚雷に抗堪するように設計されており、史実ミッドウェイと同じ機関配置としたことで、仮に機関部舷側の水中防御が破られたとしても、個々の汽缶室で食い止めることによって被害の極限を図ることに成功しているが、反面、機関の取り回しが大変面倒になっており、大鳳型では同形式は採用されていない。
ちなみに機関については、これだけの大艦を30ノット以上で動かすには28万馬力は必要とされていたが、この時期の日本海軍の機関ユニットは1基52,000馬力が限度であり、やむなく定格を下げた上で、ツインエンジンにすることで対応している。
もっとも、3軸推進となったことで、舵の効きは素直であり、操艦はしやすかったとされる。
武装については、個艦防御として、50口径76mm連装速射砲を片舷4基づつ備えている。
当初は『護衛艦艇がいるので不要では』という意見があったが、流石に丸腰は問題があったため、最小限の対空火器を積むことになる。
441: yukikaze :2019/09/16(月) 00:58:52 HOST:152.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
搭載機については、2個戦闘飛行隊及び3個攻撃飛行隊を主軸として運用している。
就役時において、戦闘機隊は疾風改であり、攻撃隊は輝星(史実A-4)が運用されることになるのだが、これに流星改を早期警戒機とした彩雲等合わせると100機近い数を誇っており、それらが殴りかかったことによって、1944年からの航空撃滅戦で、独仏空軍は止めを刺されることになる。
なお、本型と比較されるフォレスタル級であるが、舷側エレベーターが、アンクルドデッキの先にあることから、航空機運用がやや悪く、アメリカ海軍が翔鶴型と同レベルの航空機運用能力を持つにはキティ・ホーク級まで待つ必要がある。
同型は、欧州情勢が極めてきな臭い状況であったことから、当初の1隻建造から2隻建造に切り替え、最優先建造艦に指定されることになる。
同型の建造により、大和型4番艦を始めとするいくつかの艦が、予算面で『撃沈』され、海軍内部では『日本海軍の艦艇を一番撃沈した艦』という、余り有難くないジョークを奉られることになる。
もっとも、ジェット機を完璧に運用できる(蒸気式カタパルトも装備済である)この超大型空母が、第二次遣欧派遣艦隊として長門型と共に出撃した時の衝撃は凄まじく、ハルゼー提督は、自ら艦載機に乗って表敬訪問する有様であった。(そして仏独に対し破滅的な打撃を与えることになる。)
本型は、第二次大戦以降は、日本海軍の新たな象徴として国民に親しまれることになり、強烈なプレゼンスを発揮することになる。
1番艦の『翔鶴』が退役するのは1980年初めであり、2番艦『瑞鶴』も冷戦終了間際に退役をし冷戦期間中、彼女達は日本の海を守り続けることになる。
442: yukikaze :2019/09/16(月) 01:08:07 HOST:152.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
投下終了。
当初ミッドウェイ改装型に抑える筈だったのが、気付いたらJFK級空母になる羽目に。
理由はまあもう簡単で『どれだけ無理せず代艦建造を伸ばすことができるか』
ミッドウェイ改装型は、かなりの無理をしている訳で、更に言えば日本海軍の80年代以降の艦載機は、Su-33に近い代物。(やや小型化はされているだろうが)
うん。めっちゃ厳しいわ。運用が。
それ考えれば、さっさとキティ並みの空母作って、50年代末までは、翔鶴型と雲龍型と瑞鳳型で何とか耐えて改翔鶴型と言っていいい大鳳型が60年初めに出来たことで、雲龍型と瑞鳳型の調子の悪いのがお役御免。70年始めに大鳳型の2番艦が出来たことで、瑞鳳型は完全にお役御免。
後はもう10年おきに超大型空母を代艦として作れば、大体40年程度で変わるサイクルになるかなと。
ちなみに、インドの一件がなければ、『大鳳』と『白鳳』の代艦がどうなっていたことやら。
中華大陸だけ見れば、史実QE級クラスで良いじゃんと言われかねないんですよねえ。
446: yukikaze :2019/09/16(月) 10:31:12 HOST:152.82.0.110.ap.seikyou.ne.jp
438
なお史実JFK級空母よりも船体幅が広いので、実際の基準排水量は66,000t近いとは思いますが飛行甲板やら舷側装甲厚とか禄に公表されていないからなあ・・・
ここら辺は攻龍の旦那の添削まちかな。(旦那の大鳳との差別化が難しいんだよ。いやマジで)
最終更新:2019年09月22日 11:53