121 :ヒナヒナ:2012/01/24(火) 01:34:59
○ラシュモアの頂


サウスダコタ州。
肥沃な大地を抱え、ダイナミックな景観を見せるアメリカ中部の州だった。
北アメリカ有数の河川、ミズーリ川によって東西に分かれており、
ロッキー山脈とミズーリの恵みを受けた肥沃な農業地帯グレートプレーンズの一部を担う。

かつて先住民族との抗争を物語るように、未だにネイティブアメリカンと白人との溝は深い。
そして、先住民族スー族の聖地であるラシュモア山にアメリカ人が、
ダイナマイトで山肌を削り、4人の偉大な大統領の胸像を掘った事は、
抑圧された先住民族の反感を買うのに十分なできごとであった。

さて、完成まで1927年から1941年、14年かかったこの巨大石像は今や見向きもされない。
何故なら、「偉大な大統領」達の国は既に滅び、新しい支配者を迎えようとしていたからだ。
ここまで進軍してきたのは強力な戦車を中心とした、精強な陸軍を誇るドイツ軍だった。
もちろん、東海岸からここまで来るのは並大抵の苦労ではなかった。
貴重な油を多く食う、戦車を引き連れての進軍は取りやめられ(ロンメルは渋った)、
周囲を制圧しながら鉄道や銀輪部隊によって何とか進撃速度を上げていったのだ。
殆どの戦車は後から輸送された。
自警団(という名のゴロツキ)が物資を狙って来る他は、組織だった反抗はなかったことが幸いし、
英伊と協力し破竹の勢いでこの大地まで漕ぎ着けたのだ。

前述の通り、血の沸くような戦闘もなく、ただただゴロツキに気を配りながら、
西進する毎日であったが、そんな旅にもようやっと終りが見えてきた。
何故ならロッキー山脈から西は、あの忌々しい日本の勢力範囲である。
ただし、日本はこれ以上東進してくる事はなく、アメリカ風邪に対する防衛線を張っている。
此方が、刺激しなければ彼らと事を構えることにはならないだろう。


そんな事を考えながら、親衛隊の士官はラシュモア山を見上げる。
親衛隊の一部隊はこの地が「政治的に有用」だとして留まっていたのだ。
岩でできた4人の大統領達には工兵が取り付き何か作業を行っていた。
そう、ナチスドイツの支配の象徴としてラシュモアの大統領像を破壊しようとしているのだ。
士官が号令を下すと、乾いた発破音とともに、4人の顔が欠けて大きな岩が崩れていった。



ことの起こりはドイツ総統の一言だった。

「偉大なるアーリア人の功績をあの野蛮人からなる大地に刻みつけよう」

周囲の閣僚はまた始まったのかとぽかんとしたが、
宣伝相は直ぐに相槌を打った。

「そうですな。そういえば中部のサウスダコタには巨大な石像があるそうです。
亡国の支配者には勿体無い。そこに新たに総統閣下のご尊顔を彫られてはいかがでしょう」
「ふむ、しかし」
「中東の石仏は文化が滅びてなおその形を残します。より雄弁に後の世へアーリア人優越を語るでしょう。
歴史に残りましょうな。(ついでに映画の費用を……)」

歴史だとか、美術といったヒトラーの好きそうな単語を散りばめる宣伝相。

「世紀の美術品として残すか。ありだな。」
「「「……(ネーヨ)」」」

その場にいたその他大勢(主に軍人)は茶番に鼻白みながら心の中で突っ込みを入れた。
しかし、ここで無駄に総統の不興を買うのは避けたかったので、
沈黙という逃避を選んだのだった。



こうして、4人の合衆国大統領の居た形跡が取り払われ、
ラシュモアの頂にはヒトラーの立像が作られる事となった。
これだけなら喜劇であるが、悲劇であったのはスー族などの先住民族であった。
彼らにとってアメリカ合衆国は住みやすい国とは言えなかったが、ある一定の権利を与えていた。
しかし、新しく彼らの聖地を軍靴で踏み荒らしたのは自身の血筋を絶対とする民だった。
自分的に反抗的な態度をとる下等民族を、ドイツ軍は徹底的に弾圧した。
その結果、サウスダコタの象徴であったラシュモア山は鉤十字が翻る山となった。

ちなみに、
自分の体型などにコンプレックスを持つヒトラーが、『写実的に』彫刻せよとのたまったことから、
体型をもっと筋肉質にしたり、少しでもアーリア人ぽくしようと、
細い顎と高い鼻に不自然にならない程度に細工するという無駄な努力が行われた。
完成後、その石像はラシュモアの頂から下界を睥睨していたが、
知っている人間から見ると、あまりヒトラーには似ていなかった。

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最終更新:2012年01月26日 21:30