574: yukikaze :2019/03/21(木) 12:40:32 HOST:35.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
ちょいと小ネタ投下。

『虎眼流』

虎眼流(こがんりゅう)は、柳生因幡介宗章によって創設された剣術の流派。
豊臣家の御流儀であると共に、他藩出身者でも望めば学ぶことができたため、派生流派が多数存在する。

歴史

流祖である柳生宗章は、その名が示すように柳生氏の出であり、当然のことながら、新陰流の使い手であった。
伯耆米子藩家老、横田村詮の客将であった彼は、横田が讒言により非業の最期を遂げたことに義憤を覚え、横田の遺児達とともに戦い、数多の敵兵を斬り捨てた後、瀕死の重傷を負って捕えられ、その後、米子藩を致仕することになる。(なお、中村家は宗章を召し抱えようとしたのだが、宗章からは『佞臣に惑わされる暗君の家など命運つきている』と、書状をその場で焼き捨てている。)

その後、気の向くままに各地を旅する宗章であったが、彼が痛感したのは、剣の修業を何十年もした者ならばともかく、そうでない者が剣を振っても、戦力としてカウントするには難しいという事であった。

何を当たり前というかもしれないが、この時代は関ヶ原こそ終わったとはいえ、まだまだ戦国の気風が色濃く残っている時代なのである。
何時合戦が起こるかもわからず、極論から言えば、剣術を学び始めて一月程度の子供ですら戦陣に立つ羽目になるのもあり得るのである。
そして宗章は、米子において、何人もの元服前の子供が、無残にも敵に一太刀で斬り捨てられた光景を見ていたのであった。

こうしたことから、彼は、他流派の特徴を学びつつ、新たなる流派を作り出すことになる。

虎眼流の特徴を一言で言い表せば『戦場ですぐに役立つ刀の操法』であった。
宗章の言葉を借りれば『20年も30年も修行してようやく繰り出せる技なんざ、創作では見栄えするけど、実際には使い道なんかねえだろうが!!』であり、以下の方針を徹底している。

575: yukikaze :2019/03/21(木) 12:41:04 HOST:35.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
1 修得が容易であること。
  熟練者でなければできぬような巧妙なものでは、取得までにあまりにも時間がかかるため、少しの修練でも実践できる様な簡単な技で構成されている。
  実際、虎眼流の刀法は、「真っ向に斬り下ろす」「斬り上げる」「突く」「左右袈裟に斬り下ろす」を徹底している。

2 合理的であること。
  無理のない合理的な動きを追求し、熟練者だけしかできないような高度な技は、基本捨て去っている。(わずかに『大目録皆伝』を受けたものだけが、突き技の奥義を学ぶことが可能になる。)
  そして、全体の構成も基本的な動きを修得すれば、即応用が利くよう工夫されている。
  例えば「居合」の場合でも、一太刀で斬り捨てるのではなく、必ず二太刀目で確実に相手に止めを刺すところまで体系化している。

3 実戦に即応すること。
  戦場では、巧妙な技よりも機先を制した大技の方が役に立つという考えで、技が構成されている。
  例えば、突きは敵の喉を突くよりも水月を突く方が成功率が高いため、全て水月を突く形になっている。

そして『1対1でいつも戦える訳ねえだろうが』ということで、対数敵の型が取り入れられている。
対数敵型は、一人で二人に対する場合を想定した型が主であり、前後から敵が迫る場合、あるいは左右から迫る場合を想定した二本の型が学ばされている。

また、江戸時代の他の流派と違い、伝位についても『初目録』『中目録免許』『大目録皆伝』の3段階にし簡略化した目録制度に留め、しかも刀法についてもマニュアル化することによって、秘伝・口伝と言った類のものを廃している。
徹頭徹尾、「素人を短期間に戦力化できること以外興味がない」と言わんばかりの開き直りであるのだが、当然のことながら、太平の世になったことで、礼法化、複雑化していった他の流派との折り合いは悪く、犬猿の仲と化していた江戸柳生からは『幼児剣法』『狂犬剣法』『下手くそが最後に縋りつく剣法』と酷評されることになっている。

もっとも、大多数の流派から冷笑されたのはある意味やむを得ないところで、熟練者だけしかできないような高度な技を端から捨てていたお蔭で、1対1の熟練者どうしでの道場試合では技の引き出しが少なく不覚を取ることも多かったことや、無理のない合理的な動きを追求したことで、熟練者や天才剣士相手には先読みされやすいという欠点を有していたのは事実であった。
『剣の素人を早期に使えるレベルにすることに特化したこと』が、太平の世の剣術の世界ではデメリットとして目立ったとも言える。(なお、武芸百般であったが故に、個人的武勇の限界を理解していた徳川家康は、基本的に『初撃の不意打ちさえ防げりゃ充分』という考えから、少しの修練でも実践できる虎眼流の取り組みを絶賛していたことも、他流派からの嫉妬を受けやすい側面があった。)

576: yukikaze :2019/03/21(木) 12:41:38 HOST:35.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
ただし、前述したように『大目録皆伝』を受けたものについては、虎眼流の唯一の奥義と言っていい『片手平突』(通称『牙突』)を学ぶことが許されている。
その構えは腰を深く落として相手に向かって半身の姿勢をとり、刀は右手のみで持ち、刀身は地面と水平に保ち、体の後ろに置き先端を敵に向け、左手を前に突き出して刀にやや重なるような位置に置かれる。
この姿勢から一気に間合いをつめ、相手を右片手一本突きで刺し貫くものであり、横に動いて避けられても即座に横薙ぎへ派生する事で追撃を可能にする形になっている。

技の構造上、片手一本で刀を持ち、ぶれることなく突かねばならず、しかも横薙ぎへの派生もあることから相当の腕力・握力を必要としており、同奥義を学ぶ者は、まず徹底的な体力作りから始めなければならず結果的に、『大目録皆伝』を受けたものですら、大半の者は脱落することになる。
一方で、極めた少数の者が使う『牙突』は、凄まじい踏込と強力な一撃によって、まさに一撃必殺の技に昇華されており、特に柳生宗章が使ったとされる『無明三段突き』は、踏み込みの足音が一度しか鳴らないのに、その間に3発の突きを繰り出したとされている。(この時相手になったのは江戸柳生の高弟とされているが、二間余り吹き飛ばされて絶息している。なお、彼の腹には突きで突かれた跡が3か所残っており、これが三段突きの根拠となっている。)
もっとも、柳生自体は「若気の至り」「奥義もないと言われるのは癪なので作ってみたが、まあ剣一本で生きたいと思う道楽者位だな。これを学ぶのを許すのは」という風に、虎眼流のおまけ程度にしか考えてはいなかった。

虎眼流は、他流派からの入門についてもオープンであったことから、多くの剣客達が一度は同流派の門を叩いたとされ、江戸期に作られた流派の多くに影響を及ぼすことになる。
とくに有名なのは、幕末京都で大いに武名を上げた天然理心流であり、同流派は、虎眼流を基礎として集団戦法を練り上げることによって、多くの戦果を挙げることになる。
なお、この活躍が、虎眼流及び天然理心流の警察庁への正式採用に繋がったとされている。

現在、同流派は、「あまりにも実戦向けすぎる」ということで、日本剣道連盟の主流にはなれなかったもののその実戦向けのスタイルから、示現流等と並んで人気のある古武術となっている。
また、柳生宗章が『日本のサブカル界の生みの親』と呼ばれていることから、創作作品において、題材として使われることも多い。

577: yukikaze :2019/03/21(木) 12:42:14 HOST:35.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
(おまけ)

『虎眼流と飛天御剣』

虎眼流を語るうえで外せないのが『飛天御剣』の存在である。
虎眼流において、秘伝・口伝の類は廃されているとしているが、たった一つの例外が『飛天御剣』と言われる存在であった。
これについては、虎眼流宗家である柳生家当主だけにしか伝えられておらず、全くの謎とされていたが、明治期に豊国神社の再築を行う際に、柳生宗章直筆の書物が発見され、公のものになっている。
前書きの部分で『これはあまりにも危険な物故封印する』『本来ならば我が胸の内だけに抑えるのが筋であるが、我が胸の内の衝動が抑えられぬ』と書かれているとおり、その技の数々は、常人では到底達成できないような高度な技ばかりであり、柳生宗章が、剣士として到達したかった道ではないかととりざたされることになる。
実際、同書に書かれた技は、高速の動きと抜刀術とで組み立てられており、虎眼流の『牙突』の突進力は、この高速の動きを極める為の通過点であり、腕力や握力についても、高速の抜刀術を繰り出すための修練であると主張する者も多い。
なお、同書を見た大多数の剣客は「これは常人では到底真似ができず、剣聖と呼ばれる者ですら到達できるかは難しい。そのことを理解したからこそ、柳生は封印したのでは」と述べているのに対し、豊臣慶秀はどこか悟った顔で「まあ・・・中二病という奴だろ。あいつ絶対楽しんで書いたと思う」と、述べている。

578: yukikaze :2019/03/21(木) 12:58:11 HOST:35.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
これにて投下終了。

柳生宗章(憂鬱トミー)とゆかいな仲間達による歴史改編の産物『虎眼流』
についての説明。

この『虎眼流』。元になっているのは陸軍が採用した両手軍刀術。
これをこの時代に持ってきた最大の理由は「素人を早期に実戦で使えるようにすること」いつ何時合戦が起きるかわからんのに、20年30年修行しないと意味がない剣法なんて役に立たねえわというのは、当時の大名からすれば「いやもうその通りです」なのでニーズには合っていたため。
まあ太平の世では「長く剣法の修業の時間が取れる」ために、デメリットにはなったのですが。

権現様の絶賛については、割と真面目にあるだろうなあと。
実は史実でも権現様武芸百般なのですが、「俺の剣で無双するぜ」じゃなくて「爺様も親父も暗殺されているからなあ。不意の一撃食らわんように修練しとこ」という動機なので、権現様のニーズに合った柳生新陰流を取り立てたりしています。

奥義については、まああの中二病集団が何もやらない訳がないだろうと。
元ネタの虎眼流も、腕力や握力が強くないとどうにもならん流派ですんで、上手く設定を拾えたかなと。

飛天御剣については、宗章の中二病全開です。
もっとも、三段突きの記録が残っているせいで、その上位技として九頭龍閃の実現性にワンチャン疑惑が生じる羽目に。

この世界のFGOで宗章が実装されてしまったら、さぞかし愉快なことになりかねんなあとしか。

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最終更新:2019年03月22日 09:26