261: 俄か煎餅 :2019/03/21(木) 17:20:55 HOST:FL1-119-239-191-151.fko.mesh.ad.jp
海洋のローマを目指して 全ての航路はタラントに通ず
第二次世界大戦終結時、イタリア王国の国際的な地位は戦前と比べて大幅に上昇していた。ドイツと組み、日英仏連合と、次いでソ連と戦い抜いた一世一代の大戦争に勝利した事で、イタリアは南欧州全域への影響力を確保したのみならず、地中海の覇者となった事が大きかった。
多大な犠牲を払いつつも、元世界一位のイギリス王立海軍と、新たに世界一位となった大日本帝国海軍を相手に果敢に戦いを挑み、地中海から追い出したという輝かしい実績もある。今やイタリアは、枢軸国陣営最強の海軍国家であり、そして世界で見ても第三位の海軍を擁する列強の上位にまで浮上したのだ。最早イタリアを軽く見る国家は世界には存在せず、日独英達列強の最上位ですら、イタリアの発言を無視して聞き流す事など出来なかった。
無論、この激動の動乱の時代を、イタリア王国のトップたるドゥーチェの地位で指揮し、見事に国家の舵取りをやり切ったムッソリーニの人気は留まる所を知らなかった。ガタガタだった経済を立て直し、南イタリアを中心に国家全体の犯罪率を激減させ、労働者達の勤労環境だって改善してみせた功績もある。一たび彼が何処かで演説を行えば、空が割れんばかりの大歓声が彼を出迎えた。
こうして、極めて高い支持率、圧倒的な人気、歴史に名を刻んだ栄光と名誉、その全てを手に入れたムッソリーニは、しかしここで満足などしていなかった。第二次世界大戦。それに参戦し数年にわたり戦火を交えた経験は、今なお残るイタリアの課題をドゥーチェ達政府の人間に知らしめていた。
イタリアの国際的な地位は確かに向上した。しかし、今のイタリアには世界の頂点を狙う力など無い。それどころか、ドイツに成り代わって枢軸のトップに立てるだけの力も無い。戦争する上で、工業力というのは極めて重要な指標だ。その工業力で、日独英仏に差を――特に日独には大きな差を――開けられている事を、ムッソリーニは正しく理解していた。
第二次世界戦は勝てた。だがそれは、工業大国ドイツの力を借りれた事、そして敵である最強の工業国である大日本帝国が
アメリカを気にして全力を出せなかった事という、外的要因に大きく依存した結果なのだ。もしも、第三次世界大戦が勃発し、そして全力を出して暴れる大日本帝国軍と真正面から激突した場合、たった一度の海戦、野戦で呆気無く叩き潰される可能性が高かった。
今のイタリアに、第三次世界大戦を戦うのは不可能だ。当分は不戦の方針を崩す事は出来ない。幸い、大日本帝国の底力を理解しているヒトラードイツが軽挙妄動に出る可能性も低い。今の内に、イタリアが更なる発展を遂げるために、目の前に山盛りの課題を着実にクリアしていく必要がある。地中海全域を手に入れたからといって、現状に満足して足踏みしている暇など存在しないのだ。
そう判断したムッソリーニは同時に、独日の対立に否応無しに巻き込まれ、破滅に向かって進撃する破目になる事を恐れた。独日が不倶戴天、犬猿の仲の怨敵である以上、何か些細なきっかけで激突してしまう可能性は否定出来ない。独日の全面戦争で矢面に立つ事が自殺行為に過ぎないと分かっている以上、緊張が垣間見えた段階で仲裁に乗り出さなければ自分達が死んでしまう。
加えて、バルボからの進言もある。現在の独日冷戦が、これから先も永遠に続くとは思えない。必ずどちらかが折れるだろう。そして、客観的に見て余裕の無いドイツが先に折れる可能性の方が高い。その時、ドイツ追従をし過ぎてドイツの同類と思われるより、今は敵である日本とも多少なりとも交流を深め、イタリアという国家を理解して貰えている方が、冷戦終結後の世界でイタリアが生きていく上での助けとなりうるだろう。そして、長い抗争の歴史の果てに歩み寄りをするであろう独日の仲を取り持つ事は、半世紀後、或いは一世紀後、必ずやイタリアの評価となる。後世のイタリアのため、ムッソリーニは自分がどう動くべきかを決定した。
262: 俄か煎餅 :2019/03/21(木) 17:22:56 HOST:FL1-119-239-191-151.fko.mesh.ad.jp
幸い、独日の仲を取り持つためにも日本に接近するというムッソリーニの思惑は、呆気無く上手くいった。ドイツも現状で日本と戦うことの愚を理解していた事、日本も枢軸陣営とのパイプを欲していた事、日本の頂点に立つ嶋田首相がかつてイタリアに駐在武官として滞在していたツテがある事、両陣営共通の敵である大災厄
アメリカ風邪が猛威を振るっていた事。すべてがイタリアにとって追い風となった。
イギリスを真似して大使館から情報を発信してみたり、陸海合同文化祭に色々出品してみたり。反対に、日本の食文化や芸術をイタリアのテレビで流してみたり。そうして始まった伊日間の交流は、すぐに急拡大し、やがて戦争によって一度は止まった物のやり取りも再開した。本場イタリア製のパスタが喰いたいからと輸入を申し込んで来る者がいたり、ワインが取り寄せられたり、日本から饅頭だとかお菓子類を買うものも出てきたり。流石に国防に使えそうな技術や物のやり取りこそ出来ないものの、概ね順調と言って良かった。
そして、このような交流が拡大していくにつれ、イタリアは次第に、狙い通りに枢軸と日本の窓口として機能するようになっていった。フランスやドイツの品物も、イタリアを介して日本に流れるようになり、逆に日本からの商品も、イタリアで箱だけ偽装してイタリアからの荷物として枢軸国内に流し始めた。
さて、この交流のためのイタリアへの出入り口として、ムッソリーニはイタリア半島南部、港町ターラントを指名していた。イタリアから日本を訪れるには、スエズ運河と紅海を通過し、インド洋を通り、マラッカ海峡を突破してから北上していくのが一番楽で確実だ。反対に日本からイタリアに来るのならこの航路を逆に辿ればいい。そのスエズ運河に近く、整備された大きな港町と言えば、ターラントは最適だった。
勿論、イタリア内部に最大の仮想敵国人である日本人の船を入れる事に反対する声もあった。船を受け入れれば、当然それを操る船乗り達も付いて来る。ずっと船に缶詰めにしたままなど出来るわけも無く、上陸も許すし、ホテルにも泊まれば、飲み屋を探して街に繰り出そうとする者だって現れる。この時イタリアは、アフリカの角にある東アフリカ帝国、バルカン半島西部にあるアルバニア王国を支配下に置いていた。そのため、本土ではなく、せめてそのどちらかで交流を行うべきという声も少なくはなかったのである。
理解不能な速度で発展し、鎖国を解いてから百年も経たずに世界最強の座にまで上り占めた有色人種の突然変異種。そんな連中がイタリア半島の土を踏む事を恐れ懸念する者達の想いも理解はできた。だが、ムッソリーニは日本との、日本人との交流をあくまでイタリア本土で行う事に拘り、己の決断を曲げなかった。バルボ達、ムッソリーニがこんな決断を下す影響を与えた者達も、防諜さえしっかりするなら、とこれに反対しなかった。ムッソリーニの狙いは、あくまで伊日間の交流であり、伊日間の接近である。エチオピアやアルバニアが日本と仲良くなっても意味が無いどころか、日本に取り込まれて切り崩されかねなかった。
263: 俄か煎餅 :2019/03/21(木) 17:24:17 HOST:FL1-119-239-191-151.fko.mesh.ad.jp
元々地中海の中心付近にあるという地理的要因もあり、要衝であったターラントは、このような事情からイタリア上層部に更に注目される事となる。他国、特に、世界を支配する二大陣営――イタリアから見れば、イギリスは半日本陣営でナンバーツーのようなものだった――の片方のトップとの交流の地、という事で、日本に見くびられては困るために港の拡張や整備は重点的に行われた。そして、この港の整備のために参考にされたのは、他ならぬ日本の港であった。
イタリアは、港湾においても日本に比べ大きく出遅れている。ならば、世界最先端を独走する日本を参考にするのが最も手っ取り早くて確実である。ムッソリーニのこの決断に、誰も文句は言わなかった。内閣の人間達は、イタリアからパスタだのピザだのワインだの模型だのを抱えて日本に向かった貨物船の船員達から、日本の港の凄まじさは聞き及んでいたからだ。
北海道から鹿児島まで、縦長の日本列島を縦一文字に貫き繋ぐ一大高速鉄道計画、通称新幹線の話を聞いた時も目が点になったが、日本の港湾の発展具合も唖然とするぐらいに素晴らしかった。東京、名古屋、大阪。それらの巨大な港湾では、かの大鳳クラスの空母と同等かそれ以上の貨物船が平然と横付けできる埠頭が整備され、それに伴いガントリークレーンをはじめとする設備もまるで分身するかの如く増えていく。これらよりは規模が小さいが、その後を追うように整備されていく広島港や関門港だって相当なものだ。そして、これらに匹敵する規模の港なんて、欧州全体を探しても未だ存在しない。それを知ったイタリア上層部は、早速日本からやってくる貨物船の船員達に、日本の港と比べての規模や設備の差異と不満を聞き取りし、また在日イタリア大使館の人間を東京や横浜の港に派遣。凄まじい勢いで改修、拡張していく港湾の様子を報告させた。
この動きは勿論日本にも察知されたのだが、だからといって日本の公安はこのイタリアの動きを止める事など出来なかった。日本の諜報機関が優秀である事は、イタリアだって把握している。下手に非合法な活動を仕掛けようものなら、イタリアの諜報網が返り討ちに遭う。ならば、合法で正攻法な活動で真正面から情報を集めれば良い。そもそも欲しいのは民間施設の情報であり、イタリアから日本に行った船だって利用しているものなのだ。軍事転用も出来る最重要機密は流石に隠されるだろうが、そうじゃないものの見学まで断られるとは思わなかった。
方針が決まれば、早速行動あるのみである。世界一発達した日本の港の素晴らしさを見習うべく、政府の命を受けて見学に来たイタリア大使館職員。こんな肩書を引っ提げて堂々と正面から取材を申し込んだイタリア側は、恐らく公安であろう監視員に付き纏われながらも、太平洋の中枢となった港をそれはもうじっくりと見て回った。
コンテナという輸送システム自体の有用性の勉強から始まり、ガントリークレーンの構造や建設、維持、運用の注意事項、港でコンテナを動かす際に使う門型車輛であるストラドルキャリアという存在、積み上げたコンテナの崩落を防ぐ階段積みという手法、トレーラーや船台上での荷崩れを防ぐためのコンテナ内の荷物の詰め方まで。
荷崩れによる事故防止策といった細かな点まで考えてあるのは、流石は最も運用ノウハウを蓄えた国家であると言うべきだろう。まだコンテナ輸送というシステムに興味を持ったばかりと言っていいイタリアにとっては、貴重な情報であった。そして同時に、このコンテナ輸送というシステムがいずれ世界を席巻するであろうという事は、上はドゥーチェ、下は木っ端役人ですらが半ば確信した。
264: 俄か煎餅 :2019/03/21(木) 17:25:21 HOST:FL1-119-239-191-151.fko.mesh.ad.jp
これは流通の、とりわけ海運の革命だ。やがて世界中でこのシステムが当たり前になる日が来るだろう。そして、イタリアはその影響をもろに受ける海運国家であった。
イタリアがこの画期的なシステムに乗り遅れてはならない。港湾も、鉄道も、やがて来たる時に備えて、この仕組みに適応できる物へと変革していくべきである。このドゥーチェの判断に、異を唱える者など居なかった。
無論、問題は山積みである。港を整備するためには莫大な額の金が必要になるし、それを鉄道輸送やトラック輸送にも波及させようとすれば更に金がかかる。予算の壁もあり、全ての問題に今すぐ対応する事は到底不可能だ。だが、出来る範囲だけでもやるべきである。イタリアを、世界の海運大国にするために。タラントを、西洋と東洋とを結ぶ玄関口にしてやろう。
以後、イタリア政府の方針に従って、タラントは以前にも増して、港町として急速に栄えていく。それは、伊独仏と日英が戦火を交えたモーリシャス事変という逆風を経ても変わらなかった。戦闘後、イタリアはドゥーチェの指揮の下、独日の橋渡しを行う仲介者の役割を忠実にこなし、タラントは日本からやってくる政府の使者を出迎えて玄関口の役目を果たした。
やがて、欧州と日本の橋渡しを行う仲介役から、時代が下るに従って欧州及び北部アフリカと
アジアの仲介拠点となり、スエズ運河を通る貨物船がまず最初に向かう港、という地位を確立したのである。
全ての航路はタラントに通ず。今では、タラントは地中海におけるハブ港湾の代名詞となり、欧州の顔として、毎日数多の貨物船達を出迎えている。
265: 俄か煎餅 :2019/03/21(木) 17:27:04 HOST:FL1-119-239-191-151.fko.mesh.ad.jp
以上
イタリアにちょっとテコ入れしてみたかった 後悔はしていない
なお、担う役割としては、史実マルタ島南東部、マルタフリーポートの役割を奪う形になります
物資集積所として、あちこちからタラントにコンテナを運んで来て、ここで仕訳けて積み替えてまた出発していく形になるでしょう 長距離国際便の交点です
マルタ島の金の生る木を奪われたイギリスは歯ぎしりして悔しがってそうですが――地中海喪失しちゃったから仕方ないね
なお、最大の商売敵は同じイタリア内のジェノヴァ(対仏、対スイス輸送はここからが近い)、トリエステ(対バルカン半島北部、対独、対ハンガリー等はここからが近い)である
とはいえ、ジェノヴァからタラント(約800km)、あるいはトリエステからタラント(約1000km)の短距離輸送も盛んでしょうけどね
アメリカと違って、伊半島縦断ダブルスタックコンテナカー百連結なんてのが走り回るような土地の余裕、ないでしょうし
将来、国際貨物船として、同じく極東のハブ港湾である東京とタラントをひたすら往復するのが仕事なパナマックスコンテナ船なんかも誕生する日が来るのやも知れません
最終更新:2019年03月22日 11:28