467: 名無しさん :2019/05/20(月) 10:05:13 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
日蘭世界妄想 ジョルジュ=ビドーの憂鬱 6 改訂版
1979年 FFRエストシナ植民地 境界地帯
そこは単に境界地帯と呼ばれていた。その向こうは国ですらないセクトの巣窟だからだ。
「すごい眺めだ。」ビドーは言った。彼の視線の向こうには侵入防止の地雷原があった。上空には監視のための飛行船か常時待機している。そして…更にその向こうには、中世さながらの家々が見えた。
だが、ビドーは凄い眺めだとは思っても中世さながらの暮らしを送っている現地人に同情することはない。罪はその身をもって償われなければならないからだ。彼等の祖先の犯した罪は余りに重いのだから。
その後ビドーは境界地帯の警備部隊を激励した。ビドーはその中にアラブ系らしき兵士を見つけた。
「君は出身はどこかね?」何気ない質問のはずだった。
「…アルジェであります。」その兵士が重く口を開くまでは、
アルジェリア出身者に対しては「あの事件」以来あまり高い信頼を出来ない事情があった。祖先の犯した罪で苦しんでいるのは、境界の向こう側だけではない。こちら側にも存在していたのだ。
「…そうか、頑張ってくれたまえ」
軍務に励めという意味で言ったのか、『罪の清算』を頑張れと言う意味で言ったのか、それはビドー自身にもわからなかった。
1948年5月25日15時33分 パリ東駅
「いやあ、こいつも意外と役に立ちますね。軍曹。」
政府軍の兵士の1人が破壊したシャールDを見ながら言った。
「…ああ、そうだな」聞かれた軍曹は力なく答えた。
違う、そうではないんだ。撃破できたのはたまたまそいつの装甲が最大35mmしかなかったからに他ならない。
他の国の戦車相手ならそんなものは通じなかった筈だ。その「投げ槍」など。
軍曹が投げ槍と呼んだ兵器には正式名称などなかった。何故ならそれは大戦中、自由フランス軍に押し付けられたホームガードパイクに即製の成形炸薬弾頭を付けただけのものだったからだ。(非公式な愛称としてはチャーチルの逸物などと呼ばれていたが、軍曹はその呼び名が嫌いだった。)
当然、即製なので貫通力は低かったが、それにさえ自国戦車が撃破された事実に軍曹は自らが助かった安堵とは別に悲しみを感じていた。
468: 名無しさん :2019/05/20(月) 11:05:04 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
1948年5月25日17時 ブルタイユ通り
「急げ、政府軍の連中が来る前に守備を固めるんだ。」
民兵団の男が土嚢を積みながらそう言った。進捗は芳しくなかった。当然だ。フランスの為に決起したはずなのに反乱軍として鎮圧される羽目になったのだ。その状況で士気など上がりようがなかった。
「おい、どうだ?進み具合は?」唯一まともな砲を装備した部隊である対戦車部隊の指揮官だった。といっても、オチキス25mm対戦車砲2門と例によって自由フランス時代に英国から貰ったゲテモノ兵器であるスミスガンが1門あるだけだったが、それでも男は彼の事を信頼していた。何しろ彼はあのオランダ侵攻作戦の生き残りなのだから。理由はそれだけで十分だった。
「あまり良くないな。」と言ってから男の顔が真っ青になる。彼らの目の前に4両の戦車が迫っていた。
「なんだアレは見たことない形だ。だが、こっちにはコイツがある。戦闘…」
開始、と指揮官が言い終わるまえに敵戦車が発砲し、周りの民兵共々、75mm榴弾で吹き飛ばされた。
「砲手、よくやったぞ。…全く相手がフランス人でなければもっと良かったのに…」
民兵たちを吹き飛ばした戦車の車長であり、指揮車両でもあるルノーG1、1号車で指揮をとるピエール=アルマンド=ガストン=ビヨットは若干の不満を漏らしながらも上機嫌で言った。オランダ侵攻とそれに続く対ドイツ戦を貧弱な戦車で戦わざるを得なかった彼にとって、この戦車の存在は喜びだった。
フランス陸軍は1930年代に入り流石に旧式化したルノーFTに変わる新戦車を作り始めた。ルノーシャールDと名付けられた戦車はそこそこの出来だったが、問題はその後だった。悪名高いビンソン計画の影響下で後継戦車に開発ができなくなったためである。
新型戦車開発のみならず、ルノーシャールDの改良型の生産すら出来ず(仮に改良型が生産されていたらルノーシャールDはD1と改称していただろう)、辛うじて戦前に出来たのはルノーシャールDの無線機を自国製より性能の良いアメリカ製に換装するだけだった。
これに困っていたのが軍需企業群であり、従来より圧倒的に高性能戦車を作り上げることで意地でも採用を勝ち取ろうとしたのである。
特に戦車の開発をルノーに事実上独占されていたため、ルノー以外のメーカーはその独占を崩そうと、一層新型戦車開発に力を入れた。一方のルノーもそれに対抗するように研究を進め、フランス軍内部でも後継車両に対する不安があった為、シャールG1と呼ばれる新型戦車開発計画がスタートした。
しかし、結局は余力のあったルノーしか試作車両を完成させる事が出来ず、その試作車両もフランス陥落の際に田舎の納屋に隠匿されていたのだった。
昨年その車両が発見されたのでパリ祭のパレードで部品から組み立てた残り3両とともに走る予定だったのだが、今回の鎮圧に駆り出される事になったのだ。
「このままいくぞ、全車進め。」
ビヨットはさらなる進撃を命じた。
1948年5月25日 17時 アンヴァリット
ビヨットが民兵団の部隊を撃破したのと同時刻、アンヴァリット前にはフランス救国委員会に反対する群衆が政府軍の鎮圧開始の知らせを聞いて詰め掛けていた。
彼らはアンヴァリットを警備する兵士がアルジェリア出身だとわかると差別的な誹謗中傷も交えて救国委員会を批判する様になった。
「ここはフランスだ。アフリカに帰れ」、「文明人に歯向かう蛮人めが」、「俺たちが中国兵に襲われた時は何してたんだ?役立たず共」
彼らがヒートアップしつつあったその時、兵士の一人が発砲した、群衆の中から反撃するものもいてアンヴァリット前は血の海となった。
最初に発砲した兵士ムハンマド=アフマド=ベン=ベラにとって祖国とは生まれ故郷のアルジェリアではなくフランスという国家そのものだった。
だからこそ、ベラはフランス軍に入隊し、地獄の様なオランダ侵攻作戦から帰ってきたのちも北アフリカに渡って戦い続けていたのだ。
それなのに…目の前の連中は、自分達がフランス本土に生まれたと言うだけで、俺達のことを蔑んでいる、そして終いには役立たずと言った。俺たちの戦友を殺した奴らに、フランスの敵に尻尾を振ったくせに、俺たちを侮辱するなど…許せない。
ベラは引き金引いた、周りの兵士が取り抑えようとするが、彼等の一人が群衆の反撃による流れ弾で死ぬと彼等も発砲を開始した。
後にアンヴァリットの虐殺と呼ばれる事になる惨劇は民兵団の部隊を撃破したビヨット達の到着によって形勢が逆転するまで続いた。
アルジェリア兵達は少数を除きシャールG1の砲撃で死ぬか、怒れる群衆によって殺された。
名目上は内地であり、最も同化が進んでいたはずでもあるアルジェリア出身兵士によるこの事件はアルジェリア人の信用度に疑問を抱かせることになり、
更にはのちのフランスの人種差別的な政策やひいてはFFRの成立に大きな影響及ぼすことになる。
469: 名無しさん :2019/05/20(月) 11:06:16 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
投下終了です。
加筆修正するだけなのに1時間もかかってしまった、
最終更新:2019年05月20日 21:17