230 :名無しモドキ:2011/05/07(土) 21:08:45
「忘れられた戦場」 -カンザスの戦い 裏話- →218-221の裏話です。

 1943年当時、最も優れた諜報組織を持っていたのはイギリスである。18世紀以来、政治体制が変わることなく、営々
と諜報組織の伝統を維持してきたのはイギリスだけだった。それにより、対ブルボン朝フランス戦争、ナポレオン戦争
19世紀の大陸諸国との対立、第一次世界大戦をしのいできたのだ。
 フランスは左右の国内対立と敗戦で諜報組織も半壊していたし、ソ連に至っては、革命時に、アナスタシア王女に、
忠誠と憧憬を持つ旧ロシア帝國秘密警察要員が資料ごと日本に引き抜かれたことで、諜報のノウハウを一から立ち上げ
る必要があった。また、ドイツも、第一次世界大戦敗戦により諜報組織が一時中断ことと、ナチズム特有の偏りが情報
にバイアスをかけていた。アメリカは、今だに力と正義を信望して洗練された諜報活動を行えていなかった上に、津波
で国内の上層部と分析組織が壊滅していた。
 意外かもしれないが、「憂鬱世界」において、現場の段階で、イギリスに抗して優れた諜報活動を行っているのはイ
タリアである。ルネッサンス以来の権謀術策と諜報活動の伝統は生きていた。少人数で行う、ある意味、英雄的な行為
はイタリア人の気質に合うのかもしれない。しかし、いくら優れた諜報活動を行っても、それを活用する政府が有能で
正しい行動を選択しなければ意味のないことである。

イギリス情報局秘密情報部(MI-6、CIS-国外活動諜報組織) 東アジア地域部 対日諜報課課長室
「トンプソン君、首尾は?」バーナム課長が、ファイルを手に持った職員のトンプソンがドアを開けるのももどかしく
声をかけた。
「対米課より任務が解かれた諜報員を回せて貰えるそうです。それも、日本にとって価値のある独自の情報を持った人
物です。」ファイルを手に持ったトンプソンも早口で言う。
「どんな奴だ?」
「ご覧ください。」トンプソンはファイルをバーナム課長に渡した。

イギリス情報局秘密情報部(MI-6、CIS) FILE-G-22-1055 機密
パーソナルネーム:リチャード・ベックフォード  コードネーム:デュラハン(Dullahan-首無し騎士)
エジンバラ大学経済学部卒業 アメリカ英語に堪能 初級ドイツ語会話  初級暗号通信課程及び写真技術課程修了

1911年-アメリカ、ニューヨーク生まれ 米国国籍
1932年-MI-5(国内担当)の外部協力者として活動 エジンバラ大学でのファシズムおよび共産主義的傾向の学生の報
    告監視 MI-5において12週間の基礎訓練を受ける。
1933年-MI-5で6週間の訓練を受ける。
1934年-MI-6外部協力員として採用 米国国籍者としてフォード社で勤務し幹部の私生活監視、営業方針の把握を担当
1938年-パメラ・スチュアートと結婚 MI-6で4週間の訓練を受ける。
1940年-MI-6準職員として採用 アメリカ・ボーイング社で勤務「米国外部委託組織の手配による」
外地勤務のため、外務省にイギリス人パスポート要請 内務省の協力で二重国籍者として渡米させる。
注釈1:諜報活動発覚時に英国国籍保持者として、同要員を回収するためである。
なお、諜報要員として徴兵名簿から除外 渡米前にMI-6で12週間の訓練を受ける
1941年-国籍取得にともない、MI-6正規職員として採用 ボーイング社の社内資料、技術について情報を担当。

「リチャード・ベックフォード。・・・(パープルのリーダー・ベックフォードのご子息か。)」ケイフォード課長は、思い
あたった。
 MI-6は、強固な組織であり、かつ柔軟な組織である。組織中央は官庁型の上意下達であるが、各課には独自の外部協力組織
がある。これを完全に把握しているのは、各課長のみであり、課が違えばどのような組織が手足として動いているのかは知ら
ない。また、部長という直接の上司も、部下の課長が、どのような組織に、どんな任務を任せているか、細部は知らない。知
らないことが、最高の機密保持という考えだ。

 外部協力組織パープルは、かつて、バーナムの同僚で、共にアメリカで活動したベックフォードが立ち上げた組織である。
現在、パープルは対日課に属する組織の一つとして活動している。ベックフォードの息子が、MI-6にいるらしいことは知って
いた。ただ、知らなくていいことは聞かない。しゃべらないがMI-6のマナーである。

231 :名無しモドキ:2011/05/07(土) 21:12:03
「それでは、対米課に依頼して、彼をカナダに脱出させて、英国船籍の日本行き木材運搬船に乗せてくれ。彼が日本に着
く前に、日本の情報局には連絡を入れておこう。任務が終われば、日本船で香港に脱出させて、本国行きのイギリス船を
探させろ。」バーナムの言葉を聞くなり、トンプソンは手配のため出ていった。

 日本との関係修復を急ぐイギリスは表だけでなく、裏からも日本にシグナルを送っていた。日本の情報局に、イギリス
の諜報員が、生のアメリカの情報を提供しようというのだ。この為、対日課のバーナムは、対米課に対して、そのような
日本が喜ぶ情報を持つ、諜報員の斡旋を依頼していた。その情報内容は、バーナムは聞かない。その情報はあくまでも、
対米課のものであるからだ。ただ、ボーイング社に勤めていたということから、噂の新型爆撃機の情報だと思えた。
(実際は、米国西部への生産施設移転状況から、工場での使用機械、生産上のノウハウなど多岐にわたる情報であった)

「このリチャードという男の経歴からすると、彼は観測者(observer)か。カエルの子はカエルだな。」まだ、ファイルを
見ながらバーナム課長はつぶやいた。

 現在、リチャード・ベックフォードの父親は、イギリスで貿易商としての会社経営をしており、東京に支店を持っている。
その社員(真実は知らない日本人社員も含めて)何人かがパープルチームのメンバーである。そのメンバーは、別のメンバー
が知らない協力者を持っている。メンバーは日本流にいえば草である。自然な市民生活を淡々と送るだけである。積極的な諜
報活動はしない。
 それとは、悟られないように日本人協力者を得て、または利用して地道に入ってくる情報を収集する組織である。そして、
お互いを知らない複数のチームの地道な情報収集が、20年以上かかって、ついに夢幻会に辿り着いたのだ。むろん、日本の防
諜機関も、警戒をして摘発もしているが活動を封じることはできなかった。イギリスの個々の諜報組織は、色の名を付けてい
るため、日本の防諜機関では、カラーギャングと呼び、忌み嫌っていた。

 イギリス情報局秘密情報部(MI-6、CIS)には、種々の活動を行う正規の諜報員がいる。その中でも、重要な任務を担い、か
つ有能な者が多いのが、観測者(observer)とよばれるグループである。彼らも積極的な諜報活動はしない。しかし、彼らは
情報源に就職するなどして内部に入り込む。有能に仕事をこなし、自分の地位を上げることにより、より上位の情報を得るの
だ。だから、バーナムはカエルの子はカエルと言ったのだ。

 バーナムは、彼の前任者たちの苦難の道を思い浮かべた。日本は手強い。言語や風習の違いからとけ込むための、難度がヨ
ーロッパとは比べものにならない。日本語を操れる人間が少なすぎるのだ。最初は、日本に好意を持った人間を通じての、間
接的な情報収集が主だった。しかし、それらは彼らの考える日本であり、真実の日本とは限らなかった。
 ようやく、日本語を操れる人間が増えて、情報が集まりだしても、ある限界点が常にあった。漸く、日本の内部に入り込め
たと思っても見えない壁があるのだ。かなり、日本の中枢機関に近づいたと思っても排除される。実はこの現象こそが、夢幻
会の存在を想定させる最初の兆候であった。
 このことに、気がつくまで、一体、何人の対日課長が、東洋の小国相手、有色人種相手に、諜報活動を行えない無能者とし
て職を追われたことか。後で思えば、諜報活動であってはならない偏見が真実を遠ざけていたのだ。

 兎も角、リチャード・ベックドフォードという男は、日本に素性を晒す以上、MI-6の要員としては内勤でしか使えない。本
人が諜報活動を続けるつもりなら、多分、国内向けのMI-5に鞍替えになって国内企業や、官庁の防諜と監視を行うことになる
だろうなとバーナムは思った。(事実、リチャード・ベックフォードはそれを選択した。)

 なお、日本において、リチャード・ベックフォードは、海外でも最後の重要な任務をパープルより受け取った。彼は日本が
開発中の弾道ロケットの技術的な情報を外交官ルート以外に最初に本国へ持ち帰ったのだ。

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最終更新:2012年01月27日 19:00