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日墨ルート 
1918年4月18日、アメリカ合衆国ワシントンD.C ホワイトハウス
第一次世界大戦終結から一年ほどたったその日アメリカ合衆国海軍長官ジョセファス・ダニエルズはウッドロウ・ウィルソン大統領とあっていた。 
「…と、このように3年間で戦艦と巡洋艦を含む14隻を新たに建造します。」
ダニエルズは海軍内部から上がってきた計画案をウィルソン大統領に説明していた。
「なるほど、良くわかったよ。これで我が国はあの敗戦以来初めて戦艦というものを新規建造することになるな。」
「まあ、今やあの中華民国ですら持っていますからな(注)。問題はメキシコですが…」
「そこは、ロバートに頑張ってもらうさ。彼は今の仕事が退屈なようだしな。」
ウィルソンは国務長官ロバート・ランシングと国際連盟をめぐり対立があった。ウィルソンが心血を注いで作り上げた国際連盟に対してランシングは冷淡だった。
まあ、自分が何を考えても仕方がない。そう思い、退出しようとした時、ドサリと何かが倒れるような音がした。ウィルソンだった。
「大統領、大統領、しっかりして下さい。」

ウッドロウ・ウィルソンはデトロイトにて流行していた流行性感冒、のちにデトロイト風邪と呼ばれる事になる病気により倒れていた。
あとを継いだ副大統領トーマス・マーシャルによって日墨帝国からのワクチンの緊急輸入によって、何とか終息することが出来たが、アメリカ南部地域ではデトロイト風邪の流行によって新たな問題が持ち上がっていた。
デトロイト風邪の病原は黒人であるという風説が流れ、サウスカロライナ州コロンビアで白人と黒人による衝突が起きた。
南部出身だったウィルソンと違い北部インディアナ州出身のマーシャルはこの事件の収拾に手間取り、結果としてデトロイト風邪の終息に功績があったにも関わらず、1920年の大統領選挙では民主党候補者に指名されることは無く、財務長官だったウィリアム・マカドゥーが第29代大統領となった(注2)。

1922年、旧イタリア領エリトレアでは新たな国家が産声をあげようとしていた。
発端はワシントン講和会議にまで遡る。会議でエリトレアの統治権を得たのはエチオピアだったが、
その後すぐに当時の皇帝リジ・ イヤスが、ムスリムであったことからラス・タファリ(後のハイレセラシェ1世)率いる反乱軍との間で内戦となり、エチオピア統治は宙に浮いてしまい、更に、1921年のマッサワを中心とする地震で行政機構は完全に崩壊してしまう。
そこに目を付けたのがオスマン帝国だった。オスマン帝国では大戦以前からのナショナリズムにより、ユダヤ人のパレスチナ入植を問題視する世論が増えつつあり、代替地となる場所を探していたのだ。
歴史的にも紅海沿岸部は旧くはアクスム王国時代にユダヤ人が多く居住していたこともあって、エチオピアに配慮して自治国家という体裁ではあるがユダヤ人国家が誕生した(注3)。
首都は地震から復興した(注4)マッサワが首都に選ばれ、天然の良港であることもありアフリカのシンガポールと呼ばれる事になる。

注1 中華民国はオーストリアハンガリー帝国から戦艦セント・イシュトヴァーンを購入していた。鎮師と改名されたこの戦艦は中華民国海軍の象徴とされたが、元々の欠陥に加え中華民国兵の練度もありまともに稼働したのは数えるばかりだった。
注2 これは共和党候補者ウォレン・ハーディングのオハイオ州議会時代の汚職が暴露されたことも大きい。ちなみに大統領選の後、ハーディングは脳梗塞で病死している。
注3 一応、エチオピアには海への出口としてアッサブ周辺が割譲されていた。
注4 復興には世界的なユダヤ資本の他日本も技師の派遣等で援助した。1923年の関東大震災からの復興事業と相まって日本の評価を定着させることになる。

491: 透過の人 :2019/07/15(月) 08:51:56 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
投下終了です。戦艦鎮師はゲームネタですがわかる人いるかな?

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最終更新:2019年07月19日 22:03