782: リラックス :2019/08/01(木) 17:44:51 HOST:pw126233218176.20.panda-world.ne.jp
さて、ネタの投下。このネタはearthさんのSS 人民の、人民による、人民のための政治 にインスパイアされたものです。

天の涙事件、小ネタ 『幸福な我が家』

アメリカ合衆国崩壊後、合衆国を構成していた諸州はそれぞれの道を歩むこととなった。

カリフォルニアなど旧西海岸三州出身者、特に一族揃ってそこで暮らしていた者は間違いなく幸福だったろう。

黄色人種の国家を事実上の宗主国と仰ぐことは屈辱だったが、日本は必要以上に旧アメリカの空気を否定しなかったし、それ故に日本からの投資を受けられ、日本勢力圏にも経済的に参入できる上に、現地に進出した日本企業や日本人を守る為に日本政府はカリフォルニアを守る必要が生じ、ある程度の戦力を貼り付けてでも安定を図る必要があった。

これがなければ、どんなに上手く運んでも旧南部諸州やメキシコへの備える為、国防関連に大幅に予算を割かねばならず、社会への投資や福祉など二の次で二流の経済力と技術に支えられた軍事国家として非常に苦しい国家の舵取りを強いられていただろう。

勿論、そうなればアメリカの自由な風土など保てるはずもない。

テキサスなど、欧州枢軸に抑えられた南部諸州も、それに次いで幸福だっただろう。

アメリカ時代の自由な空気こそ失われたとはいえ、元々保守的な空気の強い地域であり、そこまでギャップに悩むことはなかった。

むしろ軍事力を重視する世論が強くなり、軍事費に国庫が圧迫されたのは問題だったが、欧州からの支援を得られる分、少なくとも孤立無援の単独で独立するよりはマシだった。

被災時に海外にいて、北米に戻れるようになった頃には地元に戻ることが出来なくなっていた東海岸出身者はこれには劣るが、分離独立した旧合衆国各国に帰化する選択肢があっただけ、やはり幸福だった。

戦後に北米に送られることになった東欧やユダヤの人間も、送り込んだ勢力もそれなりに思惑があり、鞭と使い分ける為とはいえ飴も与えられたことから、盟主に逆らわない限り彼らも幸福だった。

しかし、被災時に東海岸に在住していたり、もしくは仕事などで現地を訪れていた人間は間違いなく不幸だった。

津波に巻き込まれた者は、多くがそのまま命を落としたからだ。

かと言って、生き残った者が彼らと比較して運が良かったとも言えなかった。

各州政府や州軍の手に負えるレベルを超えていたことから、救助や支援は不十分、かと言って連邦政府は対日戦争との戦争遂行中。

それでも必死に生き残ろうとしていた彼らに次に襲いかかったのが、後にアメリカ風邪と名付けられる疫病と異常気象による大寒波である。

流通の混乱により、直接的に被災していない内陸部の州ですら凍死者が出るような状況で、医療品も食料も満足に無く連邦政府から満足な支援もない彼らはバタバタと倒れていった。

そして、彼らの悲劇は連邦政府が瓦解し、アメリカという国そのものが滅んでも変わらなかった。いや、むしろ悪化した。

現地の政府関係者の中には何とか踏み止まり、地元の復興だけでも達成しようと奮闘した者もいたが、最終的には多くがアメリカ風邪に倒れ、残った者達も力及ばず秩序と治安の崩壊を食い止めることは出来なかった。

旧連邦軍や旧州軍を中心とした匪賊が蔓延り、力が物を言う無秩序の中では力の無い人間は搾取されて殺されるか、さもなくば力ある者に従属するしかない。

連邦崩壊後、疫病で汚染された地域で生き残った人々が築いた集落は、大抵がそうした力こそがルールとしてまかり通る、暴力やカルト宗教が支配する場所となった。

だが、真の不幸はそんな場所でさえも彼らにとって生活の場として腰を落ち着けられる場所となっていれば、まだマシだったということだ。

783: リラックス :2019/08/01(木) 17:45:24 HOST:pw126233218176.20.panda-world.ne.jp
サンタモニカ会談で列強は東部の封鎖領域に指定された地域に対して五大湖周辺のように滅菌作戦を決定、多数の爆撃機から投下される多数のナパーム弾は、そこで辛うじて生活していた人々ごと町を焼き尽くした。

そうして辛うじて築き上げた生存の場さえ焼き払われた者達は、近隣の無事な集落を襲撃するか、さもなくば逃げるしかない。

かつてこの北アメリカの大地の先住人たちを追いやった者達の子孫が、同じようにありもしない救いを求めて流離う様は、歴史は繰り返されると表現出来たかもしれない。

そして東部の崩壊による経済的な混乱やアメリカという国の威信喪失により、内陸部の州は自身らを守ることに手一杯であり、彼らに手を差し伸べることはなかった……むしろ、疫病のキャリアとして、武力を以って排除しようとした。

その際に旧連邦軍のM2が猛威を奮ったというのは、ここでは置いておこう。

地元の住人達は独自に自警団を作って東部からの難民達を殺すなり、追い返すなりしており、封鎖線の外側の地域の難民達もまた、東部からの難民を汚物扱いして排除しようとしており、そうした難民達の大半はこの逃避行の最中に生き絶えた。

それでも辛うじてアリゾナにまでたどり着いた者もいたが、そこで待ち受けていたのは強制収容所での生活だった。

そして収容所に務める人間に、難民達をかつての同胞として同情する心は殆ど無かった。

あるのは厄介ごとを押し付けられたという態度である。

彼らからすればアメリカ風邪とは東部の馬鹿が行った暴挙の産物という意識が強く、旧連邦州から独立した国家の政府首脳も、自身の正当性を主張しなければならなかったり、スポンサーの顔色を伺わなければならない事情から元の政権を良く言うメリットなどなかったことから、大っぴらに旧連邦政府や東部の人間を罵倒していた。

強制収容所が絶滅収容所とならなかった辺りが辛うじて残った良心の限界だったとも言える。

辛うじて何時か開発されるかもしれないアメリカ風邪の特効薬が希望となっていたが、絶望に覆われる収容所の中で、いつからか流行った歌があった。

しっかりとした歌詞がきちんと定まっていた訳でもなく、各人の思いをそれぞれに乗せて歌われたその歌を、誰が最初に歌い出したかは不明だ。

しかし、音楽の力とは偉大であり、本来なら難民の戯言など安酒と共に飲みくだすか吐き出すかして忘れるだけだったはずの収容所の関係者が、難民達の歌うその歌を何となく気に入ったのか、家や行きつけの店で口ずさむことがあったらしい。

そして、偶々それを聞いた誰か(アリゾナに帰化した元軍楽隊の人間だと言われている)が曲をつけ、酒場廻りをしながら各地のパブで歌ったことで、伝言ゲーム特有の聞き間違いや覚え間違い、もしくは歌い手なりの改良やアレンジを加えられながら広まっていったというのがこの歌が世間に知られるようになった経緯とされている。

ある者は多くのものを失って、一人となろうとも生きようとする心を、ある者は歩みを止めそうになってしまう自身を叱咤する声を、ある者は懐かしい故郷は何時だって道の先に繋がっている、という考えを、ある者は過去を振り切って前へ進もうとする強い意志を歌い込んだその歌は、

人から人へと伝わる過程で歌詞にアレンジが加わることもあり、マイナーな物から比較的メジャーな物まで様々なバージョンが存在する為、本家本元の歌が実際にはどのような物だったか、今となっては不明である。

しかし、大凡の意味合いとしては東海岸にある『幸福な我が家』に帰りたいという切なる思いを語り、永久に失われた家や家族、友人知人達と心穏やかに過ごす日常を思う物だったことは間違いないらしい。

後に和訳もされ、邦題で『故郷に帰りたい』と呼ばれることになるその歌は、今では最後のアメリカの歌と呼ばれることもある。

784: リラックス :2019/08/01(木) 17:46:07 HOST:pw126233218176.20.panda-world.ne.jp
ここまでで終われば悲劇の中で生まれたしんみりとした話で終わりなのだが、この話はまだ続きがある。

天の涙事件の後、強制収容所の人間はアメリカ風邪の特効薬が完成したこともあり、ようやく解放されることになる。

そんな彼らの中には日本より開示された擬似魔法を身につけ、魔物討伐に参加する者が少なくなかった。

手っ取り早い就職先の一つだったこともあるが、解放されてなお、帰属した国家で評判が良いとは言えない強制収容所出身者(指定された居住地域以外での居住に制限があるなど)の立場向上の為、国家への貢献を示す手段として行われていた側面も強い。

ちょうど「俺たちは魔物の餌ではない!」というスローガンの下に活動する魔物狩人(モンスターハンター)が「彼らこそ、愛国者の鑑である!」と絶賛されていた時期でもあり、自らが魔物の生息域の最前線で矢面に立つ存在として、積極的に自分たちの活躍をアピールすることで強制収容所(旧東部)出身者の立場向上を図ることになる。

新たな祖国を『幸福な我が家』とする為に(例の歌は強制収容所出身者の仲間意識を育む為に解放後も良く歌われ、更にこの頃に曲が逆輸入されたらしい)。

しかし、いくら不屈と名高い元アメリカ人とはいえ、収容所での厳しい生活や収容所の管理官などから向けられる冷たい態度、解放されてからも変わらず向けられる厳しい視線を前に、此処こそが新しい祖国であり、祖国に貢献することで地位向上に繋げようという健全なポジティブシンキングを行える人間ばかりではなかった。

特に強制収容所で生まれた後、親を亡くした二世世代の中には散々に自分たちを冷遇した国家や政府を自らの国家や政府として認められず、親や周囲から繰り返し聞かされていた歌の中にある東海岸の『幸福な我が家』を求めて魔物の生息域に入ったまま戻って来ないという者が少なからずいた。

勿論、そうした者たちの大半は東海岸に辿り着く前に政府や自治体の広報通り魔物と戦った末に屍を晒すことの方が多かった。

しかし、中には目的地にたどり着き、現地にて執拗な列強の爆撃やその後に発生した魔物の脅威にも晒されて、尚も生き残っていた僅かな者たちと合流した者もいた。

彼らは身につけた擬似魔法について教え、魔物に関する知識を提供して魔物に対抗する術を強化するのに役立つことを示し、実際に退治した魔物を食料として提供するなどした結果、仲間として迎え入れられるようになったらしい(実際、魔物狩人として訓練を受け、更にここまで魔物の生息域を突っ切って旅をして来た彼らの方が強かったことも無関係ではないと思われる)。

これにより、新天地を得ることに成功した彼らは新しく得た生活の場を守ることに注力することになる。

「親父が帰りたいって言っていた場所に戻って来たんだな……」

「此処には何も残ってない。だけど、俺たちを閉じ込める檻も無い」

「お袋や親父達が帰りたかったって言う我が家を、俺たちで此処に作ろう」

民族も肌の色も、今や国籍さえも違ってしまった彼らは、協力して自分たちの住む「我が家」を築き、守る為に協力し合った。

そして擬似魔法という技術が持ち込まれたことにより、彼らは少しずつであるが生存圏を拡大させることに成功する。

中には魔物狩人時代の仲間と渡りを付け、魔物の死骸と引き換えに僅かであるが物資や生活環境改善に必要な資料などを得る体制を構築する者もおり、彼らの身につけた擬似魔法があって尚も原始時代の三歩手前な生活は徐々に改善されていった。

785: リラックス :2019/08/01(木) 17:46:40 HOST:pw126233218176.20.panda-world.ne.jp
生活環境が改善されたとは言っても、農業を中心に狩りによる成果で糧を得る生活で、娯楽が充実していたり、贅沢が出来るという訳ではなかったが、彼らにとってはそこで過ごす日々こそが守るべき大切な日常であり、幸福な我が家であった。

そして、彼らは邦題で『故郷に帰りたい』と呼ばれる歌(大分大元になった歌に近いと思われるバージョン)を仲間たちと歌いながら、その幸福な我が家に、この歌を生み出したとされる『アメリカ』の名を付けた。

こうして東海岸を中心に生存圏を切り開いている者たちがいるという事実は、上空写真などからある程度各国政府も察してはいたのだが、今更滅菌も無いだろうし、魔物がそちらにも引きつけられ、ある程度は数を減らすのにも貢献しているとして、支援こそしなかったが、他の無政府地帯に存在する村落と同様に黙認というか黙殺されていた。

そのまま何事もなく行けば、或いは各勢力が魔物から東部領域を解放した際に彼らの開拓した範囲にプラスαしたくらいの領域を自治領として認められるといった未来も有り得たかもしれない。

しかし、合衆国崩壊後、人間扱いすらされなくなった有色人種を中心に、曲がりなりにも人間扱いを受けることが出来た旧合衆国時代を懐かしみ、各地でアメリカ合衆国の復活を求める運動が行われるようになったことで雲行きが変わる。結果、この運動は共産主義と同様の危険な思想によるものとして弾圧され、『アメリカ』はそうした思想で洗脳した信者を各国に送り込んだカルト宗教の総本山(実際、大西洋大津波やアメリカ風邪、天の涙事件とその後の魔物の発生を絡めて「神による審判」とし、終末思想を唱える考えの宗教観が広まってはいたらしい)と見なされることになる。

つまり、こうした運動の黒幕と旧アメリカ構成国から『認定』された。

かつてのような連邦国家としてのアメリカ復活を『アメリカ』が本当に目論んでいたか、それについては否定する証拠も肯定する証拠も残ってはいない。

ただし、実際に奴隷とされていた有色人種の中には『アメリカ』の噂を聞いて命からがら逃げ出し、そこにたどり着いて迎え入れられた者もいたし、『アメリカ』の存在を知ったからこそ、連邦政府としてのアメリカ復活という考えに至った者もいた。

また、『アメリカ』にたどり着いて魔物退治により糧を得られるだけのスキルを身につけた元奴隷の中には、奴隷仲間の解放の為に行動した者もいた。

そして、そうした者たちから得た支援や物資などが活動に利用されることもあったのは事実ではあるらしく、活動に参加している団体の中には『アメリカ』を精神的な支柱としてまとまっている所があったのも本当のようだ。

まあ、結論を言ってしまうと実際に音頭を取っていたかはともかく、罪を被せる材料には事欠かず、罪を被ってもらい、スポンサーに対して『我々はアメリカ復活なんてちっとも望んでいません』という踏み絵になってもらうにはちょうど良い存在であることも間違いなかった。

半ば公然の秘密扱いだったとはいえ、公式には『存在しない』者たちであることもあり、彼らがどのような末路を辿ったかは記録に残されていない。

しかし、大規模な「共同魔物討伐作戦」がこの時期に各国共同で行われたのは事実であり、その後に撮影された上空写真からは『アメリカ』の痕跡さえも確認出来ないことから、察することは出来る。

余談だが、邦題で『故郷に帰りたい』と名付けられたその歌は、同年に日本で公開されたとあるアニメーション映画の主題歌として用いられた。

映画の雰囲気を引き立て、視聴者の心を捉えたこの歌はそれなり以上の人気と知名度を得たことから、現在では多くのミュージシャンによってカバーされている 。

786: リラックス :2019/08/01(木) 17:49:37 HOST:pw126233218176.20.panda-world.ne.jp
以上、トゥ!ヘァ!さん、アドバイスありがとうございました。

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最終更新:2019年08月03日 09:16