658: yukikaze :2019/08/14(水) 11:47:41 HOST:128.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
やっとできたぞ。ワシントン海軍軍縮条約。

ワシントン海軍軍縮条約

ワシントン海軍軍縮条約とは、1921年(大正10年)11月11日から1922年(大正11年)2月6日までアメリカ合衆国のワシントンD.C.で開催されたワシントン会議のうち、海軍の軍縮問題についての討議の上で採択された条約。
アメリカ(米)、イギリス(英)、日本(日)、フランス(仏)、イタリア(伊)の戦艦・航空母艦(空母)等の保有の制限が取り決められた。

ワシントン海軍軍縮条約が結ばれた背景として上げられるのが、1918年に休戦した第一次大戦であった。
この有史以来未曾有の大戦争は、参加各国に等しく損害を与えることになった。

まず、ベルギーとセルビアは国を失う羽目になり、特にこの戦争の引き金になったセルビア王国は、亡命先のロンドンで罵声と石を投げられる有様であった。(反対に、ドイツに侵略され、勇敢に抗戦したベルギーは、イギリス人から同情と敬意を持たれていた。)
ルーマニア王国も領土を割譲される羽目になり、ロシア帝国に至っては革命によって共産主義国家になる始末。
イタリア王国は、何度も攻勢をかけるもアルプスを突破することができず、サヴォイア王家の権威は失墜。
イギリスとフランスは、中東でこそ優位に戦ったものの、1918年4月に行われた『カイザーシュラハト』によりイギリス軍の補給拠点となっていたハーゼブルクを落とされ、イギリス軍の精鋭部隊は半壊。
既に莫大な損害で抗戦意思を失っていたフランス共々、休戦協定を結ばざるを得ない羽目になっていた。

もっとも、表面上は勝者と見られた同盟側も内実はボロボロであった。
英仏よりも国家の体力がなかったドイツ帝国は、東欧に領土を広げたものの、それを運営できるだけの資金もノウハウも無きに等しかった。
戦争により政治的発言力が最高潮になったルーデンドルフであったが、彼は確かに戦場では有能であったかもしれないが、国家を運営する能力はド素人もいい所であり、彼の頭にあったのは「戦争の為に国家は軍に奉仕しなければならない」という、本末転倒な思想だけであった。
当然のことながら、ドイツの占領地域では、民衆の不満が高まることになり、散発的なゲリラとそれに対する治安維持費用が重くのしかかることになる。
更に言えば、休戦状態であるが故に、英仏との貿易は未だ再開されず、日米ソも最低限の貿易しかしていないせいで、ドイツ経済はもはや崩壊寸前でもあった。

ではオーストリアはというと、こちらはこちらで破滅へのカウントダウン待ったなしであった。
ユーゴの大半を得たとはいえ、その損害の多さからはとてもペイしたとはいえず、しかもオーストリア皇帝が半ば独断で停戦交渉に動いたことや、二重帝国の各地域において勝者の分け前を欲する動きが出たこと、そして既得権益を有するドイツ系住民の間から、ハプスブルグではなくホーエンツォレルン家への帰属意識が高まるなど、革命一歩手前であった。
中東で大敗を喫したトルコに至っては、もはや帝国崩壊を止めることができず、こちらも革命勃発であった。

このように欧州が疲弊している中、『知らんな、そんな瑣事は』と言わんばかりに、軍備拡張に勤しんでいる国があった。

659: yukikaze :2019/08/14(水) 11:48:30 HOST:128.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
『大日本帝国』

彼らの神話を信ずるならば、およそ2600年弱続く王家を君主として戴く極東最大最強の帝国。
欧州各国にしてみれば、突然変異かあるいはタタールの悪夢の再来とも言うべきこの国家は、欧州諸国の停滞をよそに軍備拡張を進めていた。
もっとも、大日本帝国の言葉を借りるならば『1908年に決めた国防計画のとおり進めているだけ。文句を言われる筋合いはない』だったのだが。
彼らが世界大戦終了後も我関せずと軍備拡張を進めたのは、ひとえに日露戦争時における欧州各国への不信感であった。
日本にとっては独立をかけた大戦争において、欧州各国は一概にロシアの味方であった。
その中でも特に日本が忌避感を覚えたのがドイツとイギリスであり、ドイツ皇帝は『黄禍論』を騒ぎ立てて日本への侮蔑と富の収奪を隠そうともせず、イギリスはイギリスで漁夫の利を得る為に裏で煽るなど、日本人の許容を超える行動をしていた。

結果的に日本は「欧州の連中は信用できん」という意識に統一されてしまっていた。
日本人にしてみれば、欧州の人間は詐欺師以外の何物でもなく、少しでも甘い顔を見せれば、国すら奪うという印象が一般的であった。
ペリー来航や伊藤暗殺のような失態はあれども、原則的にはビジネスパートナーとして、比較的公平に付き合いのあったアメリカと比べれば雲泥の差であった。

そしてこの日本の動きに頭を抱えていたのがアメリカ合衆国であった。
この時期のアメリカ合衆国において、日本はアジア経営における重要なビジネスパートナーであり、更に言えば、一度結んだ契約についてはしっかりと守る相手であった。
無論、国内には白人至上主義者もいるし、経済界の中には、ロシア共和国の利権を独り占めしようと画策する者もいたのだが、史実と違い、自力で産業革命を成し遂げ、国富も欧州の列強に負けない規模備えている日本相手に戦争を起こすのは、受ける損害と得られる利益を考えれば大赤字もいい所であった。
日本ほどではないが、欧州の面々に対して不信感を抱いていたのはアメリカも同じであり、そして日米相争えば、彼らが漁夫の利を取りに来ることは火を見るより明らかであった。

一方で、日本海軍とアメリカ海軍の戦力差が大きく開くことも、アメリカは望んではいなかった。
現時点では日米ともに「相争うことには意味がない」という共通認識があるが、それもミリタリーバランスがある程度均衡していればの話である。
日本海軍に対し、アメリカ海軍が圧倒的に戦力不利になれば、その共通認識がどう変化するかわからない。
『国家に永遠の友情などない』のは当たり前であるが、自分達が隙を見せてやる気もなかった。
無論、逆の場合はまた別ではあったが。

とはいえ、戦力拡充を望むアメリカ海軍であったが、課題は山積みであった。
常に先手を取り続ける日本海軍に対し、後手に回っているアメリカ海軍はどうしても後追いになっている。
勿論、後追いには後追い故の強みもあるのだが、それは相手方が先に進まなかった場合であり、こちらが同レベル以上の戦力を揃えても、彼らがさっさとステージを移し替えてしまえば、何の意味もなくなるのである。勿論、同レベル以上の戦力を揃えるのに時間がかかる点を無視することはできない。
日本海軍が16.5インチ砲(42センチ砲)を完全実用化したのに対し、アメリカ海軍は何とか16インチ砲の開発に成功した状況であったことを考えれば、アメリカ海軍がどれだけ危機感を覚えていたかは理解できるであろう。

よって、アメリカとしては「アメリカ海軍の戦力を(財政に影響を及ぼさないレベルで)整える」「その間日本海軍に戦艦戦力の整備をさせない」という、極めて虫のいい方法を取らねばならなかった。
2期目となったアメリカ大統領チャールズ・エヴァンズ・ヒューズが、ロシア共和国の一件で日米に批判の目を向けていた英仏伊を宥める為にも、海軍軍縮条約開催を呼びかけたのも必然であった。
もっとも、ヒューズは、英仏や日本の不信感を甘く見ていたことを痛感する羽目になるのだが・・・

660: yukikaze :2019/08/14(水) 11:49:48 HOST:128.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
会議はのっけから紛糾することになる。
まあ当たり前と言えば当たり前であった。
ヒューズ大統領自体が、軍事関連は先に秘密交渉するという当時の国際慣例を破って、軍縮会議の要たる軍艦の隻数およびトン数制限に触れるという爆弾発言をしたからだ。
勿論、ヒューズが当時の慣習を知らなかったわけではない。彼は法曹界出身であり、且つベテランの政治家である。そんな彼がこういうことをしたのは、秘密交渉では纏まるものも纏まらないという判断と、ここでアメリカが軍縮に積極的であるという姿勢を示すことで、国際世論を味方につけ、軍縮条約の議論をリードしたいという目論見があったからだ。

だが、ヒューズのこの目論見は、イギリスに見事に利用されることになる。
イギリスの代表であるバルフォアは、日露戦争中にイギリスの首相であったのだが、彼の日露両天秤にかけた戦略は、イギリスの株式市場暴落とそれに伴う大不況という結果を生み出し、関税改革問題もあって辞任に追い込まれるという屈辱を受けていた。
そんな彼にとって、このヒューズのスタンドプレーは噴飯物であり、そして彼は即座にそれを利用する。

「軍縮の一環として、イギリスは、1919年12月31日までに完成していない艦については廃棄することを提案する。我が国もアドミラル級を失うことになるが、世界平和の為に甘受する。」

ヒューズの発言が爆弾ならば、バルフォアのそれは核爆弾であった。
仮にバルフォアの発言を受け入れた場合、イギリスはアドミラル級6隻のうち、3隻を失うことになる。
だが、日本は長門型全てを失う羽目になり、日本にとっては受け入れられる話ではなかった。
何しろアドミラル級は、ジュトランドの戦訓を受けて、急遽改正を行ったものの、史実よりも早く建造したせいで、根本的な強化は出来なかったのに対し、長門型は世界最強の戦艦であるからだ。
このバルフォアの発言がいやらしいのは、アメリカ海軍においては、ニューメキシコ級6隻自体は、1919年12月31日までに就役されており、アメリカで現時点で完成している艦船で失われる艦はいないのである。(なお、仏伊は建造中の艦すらなかった。)
バルフォアが思わせぶりにヒューズに微笑み、日本側代表の真野海軍元帥に冷たい視線を『マスコミに分かりやすいように』したことで、彼の仕込みは終わったも当然であった。
後はもう、マスメディアが面白おかしく書き立てるだろうし、それで「英米はグル」と日本を追い詰めれば自滅に持って行けると、彼は判断していた。

彼のこの余裕は、イギリス諜報部によって、内務長官のフォールの疑獄事件のネタを握っていた事が大きかった。
後に、ヒラリー・クリントンによる『インディアゲート事件』が起きるまでは、アメリカ政界最大の疑獄事件と言われたティーポット・ドーム事件の首班であるフォールの汚職を、イギリスは極秘裏に手に入れ、彼を政権の内部スパイとして利用していたことが、FBIの情報公開により明らかになるのだが、ヒューズの爆弾発言もバルフォアにしてみれば、爆弾でも何でもなく、カードを見ながら行うポーカーでしかなかった。

だが、バルフォアは知らず知らずのうちにミスを犯していた。
1つは『アメリカの行動を自分達だけが把握をしている』
もう1つは『目の前の海軍提督は外交では全くの素人』
その判断が、日本代表を侮ることになり、そしてさらなる混沌を生み出すことになる。

「成程。米英両国の平和への想いは理解できました。我が大日本帝国天皇陛下並びに日本国民も、平和を愛することには負けてはいないと自負しております」

そう切り出した真野元帥は、穏やかな表情を浮かべながら、バルフォアに対して質問をした。

「時にイギリス代表にお伺いする。廃棄する艦の取り扱いについては、建造国に処分方法を一任するとご判断してよろしいか?」

その問いに、バルフォアは、この老提督が、戦艦廃棄に露骨なまでに時間稼ぎをしたいと考えた。
無論、バルフォアにとってはそれは何の意味もない。彼にとっては、日本側がどの選択肢を取ろうとも追い込める手段を、彼はいくつも考えていた。

「そうですな提督。廃棄の方法については建造国に委ねても構いますまい」

バルフォアにとっては何げない一言であったが、彼は、このセリフを死ぬまで後悔することになる。

「大変結構です。では我が国は軍縮の一環として、イギリス代表の提案を受け入れましょう。なお、廃棄する長門型は、『屑鉄』としてドイツ第二帝国に売却しますが、当然異論はありませんな。何しろ『廃棄の方法は建造国に委ねても構わない』と、イギリス代表が認めましたからな」

661: yukikaze :2019/08/14(水) 11:50:34 HOST:128.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
この瞬間、会議場は怒号と悲鳴に包まれたが、真野元帥は全く動じなかった。
彼は、先程バルフォアに向けられた冷ややかな視線を、更に百倍以上冷たくした視線で、彼を見下ろしていた。
そしてこの時点でバルフォアは理解していた。目の前の男は外交の素人ではなく、一切の隙も見逃さないプロであると。
その夜、真野が日清戦争時に、輸送船拿捕事件を、国際法を元に解決したことを聞いて、報告者に思わず怒鳴りつけたとされる。

「そういう大事なことは早く言え。この愚か者が!!」

翌日以降は、バルフォアと真野というこの2人の老人の嫌味と当てこすりの応酬であった。
バルフォアが「ドイツに売るということは再度の世界大戦を招く、日本代表は平和に対して無責任だ」と批判すれば、真野は「我が国は『屑鉄』として、最も鉄資源を欲している国に売るだけである。無論契約で『戦艦を屑鉄とすること』と契約において明記はするがね。それで我が国の法的責務は終わる。そもそも世界大戦云々を言っているが、中東において三枚舌外交を駆使して付け火をしている無責任国家がありましたな。世界平和云々と高説を垂れるならば、まずは火遊び好きな老人を隔離してはいかがか」と、イギリスの外交姿勢を手厳しく批判する有様である。

しかも両者ともに、マスメディアに対して積極的にアピールしつつ、各国に工作をしているのだから始末が悪かった。
日本側の随行員が「何が武辺者だよ。謀略も鼻歌交じりでやっていやがる」と、半ば呆れた手記を残しているが、ここで両者の能力とは別のところで差が出ることになる。
両者の発言は、両国政府とも寝耳に水のことであり、当然混乱することになるのだが、日本側は、豊臣公爵が「海軍については真野元帥が一番よく理解している。黙って真野元帥の交渉を見ておけばよろしい。それとも元帥の見識がそれ程不安か?」と釘を指した事で鎮静化したのに対し、日露や第一次大戦での結果から、その能力に疑念を持たれていたバルフォアに対して、イギリス国内では賛否両論の議論が巻き起こっており、バルフォアの選択肢を狭めることになる。
特にバルフォアにとって腹ただしかったのは、アメリカのユダヤ系財閥及びユダヤ系マスコミはバルフォア宣言の恨みを晴らさんと、イギリスへのネガティブキャンペーンを展開し、真野は真野でユダヤ系の子供達との交流を宣伝することで「気さくで優しい子供好きのおじいさん」というイメージ戦略を打ち出し、ますますバルフォアが「陰険で嫌味な詐欺師」扱いされる羽目になり、その解消に時間が取られるという有様になっていた。
(なお、このイメージ戦略が理解できず、『外交は外務省の権能であり、外務省の言うとおりに動いていただきたい』と、真野の指示を悉く拒絶していた、幣原駐米大使は、この会議終了後、病気療養を理由に駐米大使を更迭され、以後、閑職のまま終了する。)

こうした状況に、ヒューズは「慣例通りやればよかった」と心底溜息をつき、国務長官のハーディングと一緒に事態の収拾を図ろうとしたのだが、バルフォアに脅されているフォールと、棚ぼたに舞い上がっているデンビ海軍長官の行動によって、閣内の統一すらできない有様であった。
あまりの醜態に見かねたフランスのサロー海軍大臣が「一週間ほど休会にして、その後それぞれの国の意見を出せばいかがか」という提案が、満場一致で採択されるくらい、会議は前に進まなかった。

会議が再開された12月2日。発言を求めた真野は、日本側の提案として以下の条件を提示することになる。

662: yukikaze :2019/08/14(水) 11:51:10 HOST:128.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
1 戦艦に関しては、米英仏が52万5千トン。日伊は42万トンの保有を認める。
2 1艦当たりの排水量は、基準排水量で4万トンまで。主砲は16.5インチ乃至は42センチ
3 空母については、米英仏が12万5千トン。日伊は10万トン
4 個艦排水量は、最大で25,000t
5 巡洋艦は1万トン以下で5インチ以上8インチ以下。排水量の制限なし。
6 戦艦については、合計排水量の中でなら何隻でも保有して構わない。ただし、16.5インチの戦艦は各国とも6隻が上限。
7 代艦については、就役してから20年のインターバルが必要。なお、1910年以前に起工した艦については就役してから15年で可。
8 第三国への戦艦輸出は認めるが、14インチを超えないようにすること。
9 総排水量を超えている国は、1910年以前に起工した艦は15年迎えるごとに、1910年以降の艦は20年迎えるごとに廃棄すること。

「素晴らしい」と、大声を上げて賛同したのはサローで、対照的にバルフォアは苦虫を噛み潰していた。
ドイツと建艦競争をしていたイギリス海軍は、1910年以降に起工した艦も多く、オライオン級及び準同型艦9隻は、1930年代にならないと代艦建造できず、止めにこれら9隻だけで20万トンは浪費しているのである。
QE級が、6隻で15万6千トン。アドミラル級が6隻で22万8千トンであることを考えれば、彼らが16.5インチ砲戦艦6隻を確保するのは早くても、1930年代後半になるのである。
イギリスにしてみれば到底受け入れられる話ではなかった。

しかも、バルフォアにとってムカつくことに、1930年代後半まで代艦が得られない日本を除けば、他国は1920年代後半には代艦建造を大手を振ってできるのである。
元々戦艦の保有量が少なかった仏伊は当然のこと、アメリカでさえ、フロリダ級代艦は1926年度以降に作る事が許されており、1930年初めには何の問題もなく16.5インチ級戦艦6隻が就役できるのである。
つい先日までイギリスに対して好意的な発言をしていたデンビ海軍長官が、真野の発言に対して、盛んに祝意の声を上げているのを見れば、誰もが真野の発言を歓迎しているのは明らかであった。
無論、バルフォアは、それをやすやすと受け入れるつもりはなかったが。

「イギリス一国のみ不利益になる提案である。イギリスは受け入れられない」
「日本も貴国と同様、1930年代後半まで代艦を建造できず、しかも16.5インチ砲戦艦については、1940年初頭である。我が国が一番平和の為に譲歩しているのに対し、イギリス代表は自国のことしか考えられないのか」

正に舌戦であったと、アメリカの新聞記者は書き残しているが、前述したイメージ戦略により、イギリス代表は日に日に追い込まれる状況になっていた。
ドイツの脅威という理屈に対しても「だからこそ連合国の一員であるフランスとイタリアにも相応の保有量を認めている。貴国はフランスとイタリアを信じられないとでもいうのかね。」という真野の切り返しの前に、沈黙を余儀なくされるなど、防戦一方であった。
おまけに、日本は、太平洋における各国の本土並びに本土にごく近接した島嶼以外の領土について、現在ある以上の軍事施設の要塞化を禁止する提案を行ったことで、イギリスは、せっかく獲得した内南洋の根拠地化すら封じられる羽目になっていた。

こうした状況に、イギリスでは『バルフォアの無能がまた祖国に禍を呼び込んだ』と、バルフォアに対する抗議活動が高まり、それが更に彼の健康と心労に追い打ちをかけることになる。
それでも彼は、通常の政治家ならば確実に折れるところを、粘りに粘ることになる。
彼は「イギリス帝国を守るには、カナダ、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドの4地域に戦艦を配備する必要があるが、これら4つの自治領には独自枠で戦艦保有を認めるべきだ」と訴え、詠本国とは別に15万トンの戦艦保有量の拡大を強硬に訴えたのである。
ハーディングが思わず「それは貴国の植民地であり、貴国が責任を以て安全保障を担うべきでは」と、言った瞬間「植民地ではなく自治領だ。二度と間違えるな」と、叱責し、彼らが帝国でも特権的地位であることを滔々と述べ、各国代表がうんざりするレベルで続ける等、イギリスの国益を追求し続けることになる。
様々な評価はあるが、バルフォアが愛国者であることだけは、誰も否定できなかった所以である。

663: yukikaze :2019/08/14(水) 11:51:57 HOST:128.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
結果的に、バルフォアの粘り腰に、ヒューズとサローが力尽き、(イタリア代表は、めんどくさくなったか途中からは『イタリアがらみになったら起こせ』と、別室で昼寝をし続けた。)最後まで折れなかった真野との間で以下のような妥協案が結ばれたことで、会議は終結に向かうことになる。

1 戦艦に関しては、米英仏が52万5千トン。日伊は42万トンの保有を認める。
2 1艦当たりの排水量は、基準排水量で4万トンまで。主砲は16.5インチ乃至は42センチ
3 装甲巡洋艦枠として、英米仏に10万トン。伊は7万5千トン。日は5万トンの保有を認める。
4 1艦当たりの排水量は、基準排水量で2万5千トンまで。主砲は8インチを超え12インチまで。
  なお、主砲口径さえクリアすれば、戦艦2隻に限り装甲巡洋艦枠にすることは可能。
5 空母については、日米仏が12万5千トン。英伊は10万トン
6 個艦排水量は、最大で2万5千トン
7 巡洋艦は1万トン以下で5インチ以上8インチ以下。排水量の制限なし。
8 戦艦については、合計排水量の中でなら何隻でも保有して構わない。ただし、16.5インチの戦艦は各国とも6隻が上限。
9 代艦については、就役してから20年のインターバルが必要。なお、1910年以前に起工した艦については就役してから15年で可。
10 装甲巡洋艦の代艦も同様。ただし、戦艦からの転用枠は1律20年。
11 各国とも、保有している戦艦を装甲巡洋艦枠乃至は第三国に売却しても、インターバル期間は変わらない。
12 第三国への戦艦輸出は認めるが、14インチを超えないようにすること。
13 総排水量を超えている国は、1910年以前に起工した艦は、竣工から15年迎えるごとに、1910年以降の艦は竣工から20年迎えるごとに廃棄すること。

結論から言えば、現状維持以外の何物でもなかった。
イギリスは、総排水量の関係上、最も戦艦を多く廃棄する必要はあったが、大半がJ級戦艦であり、既に戦場で限界を示していたことから、それ程大きな戦力ダウンにはならなかった。
むしろ、『ニュージーランド』『オーストラリア』を守るために、装甲巡洋艦枠で無理をしたせいで、逆に空母保有枠で日本に譲歩させられてはいたものの、この時代海のものとも山のものとも分からない空母保有枠は、今後には影響しないだろうと思われていた。(水上機母艦には制限がなかったのも大きかった。)
20年後、イギリスは本心からこの決定を後悔することになるのだが、後の祭りであった。

米仏伊については大喜びであった。
アメリカは、当初目的であった「アメリカ海軍の戦力を(財政に影響を及ぼさないレベルで)整える」「その間日本海軍に戦艦戦力の整備をさせない」が達成できたことに満足し、フランスとイタリアは、現有戦力以上の保有量を得ることができたのである。
もっとも、フランスとイタリアは、ただでさえ大戦で疲弊している財政に継続的なダメージを与えられる羽目になり、アメリカは、海軍軍縮条約を実質的に纏めた日本から花を持たせられた代償として、大陸問題で一定以上の譲歩をする羽目になった。

もっとも一番の利益を得ていたのは日本であった。
『装甲巡洋艦枠』で譲歩したように見せかけつつ、彼らは今後主力艦となる空母戦力でアメリカと同じ戦力の保有を認められたのである。

『欧州大戦の実績を見るに、これからの海戦は三次元の戦であること明らかである。海軍は、空と海中の戦力を軽視してはならない』

装甲巡洋艦枠の譲歩への質問に、真野は真剣な顔で返答している。
既に真野の頭には、これからの海戦がどのようなものかイメージができていたと、『真野元帥伝』に記されているが、これ以降、日本海軍が、海軍航空隊及び対潜戦技の研鑽にリソースを傾けたのも事実であった。

664: yukikaze :2019/08/14(水) 11:52:37 HOST:128.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
また、国際法上大いに問題のあったロシア共和国樹立を、英仏伊に認めさせたのは、外交的得点であった。
会議後半には、幣原の器量に見切りをつけていた真野は、副使であった牧野伸顕、牧野のサポート役であった大野秀文(治長流大野家当主。憂鬱近衛)及び吉田茂に対して、海軍軍縮条約でのある程度の譲歩を餌に大陸勢力の恨みが列強に向くように工作するよう指示。
10ヶ国条約により、中華民国は、清の最大領土こそ中華民国の領土であるという従来の主張を根本から叩き潰され、モンゴルやウイグル、チベットの民族自決まで認めさせられる羽目になっていた。
ロシア共和国ができた以上、中華民国の論理が無視されるのは必然であったのだが、日本側の動きに、アメリカも積極的にサポートしたのは、それだけ満州権益の交渉における中華民国側の態度に、アメリカが苛立っていた証拠でもあった。

結果的に、中華民国の怒りは、欧米列強に向けられ、日本は「アジア人なのに欧米の味方をしている」という批判が主となっている。(これは、日本が清に対して、表面上甘かったことも影響している、実態は、暴力団経営の闇金融並みの悪辣さだったのだが)
もっとも、日本でも、満州権益における中華民国の交渉態度から、アジア派と呼ばれた面々の権威は失墜しており(日本に訪れ支援を求めた孫文に対し、これまで彼を支援していた宮崎や犬養が「どのツラ下げてきたんだ貴様は!!」と、怒鳴りつけて叩き出す程度には、中華民国への心証は悪化していた。)、中華民国は、欧米列強との対立姿勢を強めることになる。

なお、ワシントン海軍軍縮条約は結ばれたものの、比較的余裕のある日米はともかく、欧州や中東での紛争に介入せざるを得なくなった英仏の軍事負担は限界であり、同条約が結ばれてから10年後、ロンドンにおいて新たな海軍軍縮条約を結ぶ呼びかけがなされる事になる。

665: yukikaze :2019/08/14(水) 12:16:53 HOST:128.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
投下終了。なげえよバカヤロウという批判は甘んじて受け入れる。

軍縮条約については、日本の国力や現状戦力とか考えると、『英米8割いけんじゃね?』ということに気づき、よくあるパターンの7割ではなく8割に変更。空母に至ってはアメリカと同率
まあ日本だけ主張すると拙いんで、この手の条約では脇役な仏伊の保有量を大幅に上げるという暴挙をかましています。

フランスは、正直この提案を「余計なこと」と思っていますが、下手に断った場合、イタリアが提案受け入れると地中海の軍事力バランスが崩れ去るのと、「イギリスと同レベルの海軍」というフランス人の大国意識をくすぐる提案でもあることから、最終的には受諾。
そうなるとイタリアも受け入れるという流れです。(なおバーターで中国問題で日米の提案に乗ることに)

アメリカは、当初のもくろみをすべてクリアしていますんで大満足状態です。
まあイギリスの報復受けて、疑獄事件バラされて、ヒューズはレームダックに陥りますが。
あと、装甲巡洋艦枠ができたことで、レキシントン級はまっさらの空母として建造されることになります。

イギリスは現状維持こそ許されましたが、色々ときついことに。
ただまあ、第一次大戦前後にアホみたいに戦艦作っていたんで、そのツケがモロに来たとしか。
アドミラル級もジュトランドの影響で急遽改正されましたけど、史実フッドよりも舷側装甲は弱体(12インチから11インチなど)されていますし、ほんと既存の兵器が配備中に旧式化されるってのほんと当事者だったら帽子叩きつけるレベルだよなあと。

あと、バルフォアの頑張りで装甲巡洋艦枠が設けられたけど、これも縛りがきつすぎて、イギリスの補完戦力になれるかは微妙な状況に。
まあ仏伊が「おもろいやんけ」と、熱心になるんですけどね。

しかし・・・史実と比べると、間違いなく「現状維持認めただけのお手盛り条約」扱いだろうなあと。

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最終更新:2019年08月18日 10:41