日米枢軸ルート 第38話改訂版

『コンブル=アン=バロアの戦い』での予想外の損害は連合国軍の主導権を握っていた日本軍上層部に大きな衝撃を与え、現場の一部からは作戦の見直しを図るべきではないかという声も出てしまう。

しかし彼らのさらに上、連合国軍総司令部や日米両国の政治家達はそうした声を一顧だにせず攻勢の継続を指示する。
『サン・ミヒエ』はムーズ県の中心にある都市である。フランス北部に築かれたドイツ帝国軍の防衛線『ジークフリート線(連合国軍名称:ファルケンハイン線)』の最重要拠点『ベルダン』の南側に位置している。
さらにその気になれば東部合同軍の最終目標でもある『メス』を直撃することも可能な位置にあるなど、ミーズ県における交通の要所の一つであもあった。
そうであるからこそ同都市は連合国軍に最重要攻略目標の1つと定められていた。いまさら攻勢を中止できるわけもなかったのだ。

とは言えなんの対策もなく攻勢を継続した訳ではない。
本来の作戦計画では、東部合同軍主力である第7-1任務部隊はベルダン方面での攻勢を担当することとなっていた。
そのため『サン・ミヒエル』への攻勢は『コンブル=アン=バロア』を陥落させた第7装甲騎兵連隊も属する第7-2任務部隊(第2機甲師団・第7歩兵師団・第7装甲騎兵連隊・第15装甲騎兵連隊・第72野戦砲兵旅団)が担当する予定であった。

当時の日本陸軍の師団編制は、満州戦争時に採用していた戦闘コマンド編成をさらに洗練したビルディングブロック編成を採用していた。
これは欧州列強やアメリカで一般的な恒常的に同じ部隊で編成される連隊や旅団を基幹としたものではなく、師団内に特定の所属部隊を持たない四つの旅団司令部を設置し、任務ごとに師団内の戦闘部隊を適宜に各旅団司令部の司令部に置くことで柔軟な運用を可能としたものだ。
具体的な編制は機甲師団が6個の戦車大隊と5個歩兵大隊、歩兵師団でも5個の戦車大隊と6個の歩兵大隊をその指揮下に置いている。
また日本軍は歩兵部隊への火力支援用に歩兵大隊の指揮下に騎兵中隊を配置している。

1個戦車大隊は58両の戦車(と7両の戦闘偵察車)から、1個中隊は13両の戦車から編制されているため、機甲師団なら348両の戦車と65両の軽戦車を、歩兵師団でも290両の戦車と78両の軽戦車を抱えていた。

装甲騎兵連隊は連隊を名乗りながらその実旅団規模の部隊で、機甲戦力として129両の戦車を保有している。
これらを合わせると第7-2任務部隊だけで900両近い戦車を有しているのだ。

主力ではないと言っても第7-2任務部隊もまた日本陸軍第7軍から抽出された戦力を中核として編成されている。
そのため装備も小銃や装甲車、火砲、戦車などの正面装備はもちろん、貨車や工車、支援車両や設備などの補助・後方支援装備、戦闘服や防弾衣、鉄帽などの個人装備に至るまで優良装備が配備されていた。

具体的には機甲師団では、105mmライフル砲を主砲とし後に世界初の主力戦車と評されることになる12式重戦車が各戦車大隊で充足していた。
歩兵師団は未だ旧式の8式中戦車が主力を担っていたが、それでも当時の8式中戦車は前面51 mmの装港と52口径76.2mmの主砲を持つA3型と呼ばれるタイプで、旧式と言えどもドイツ帝国戦車部隊にとっては死神でしかなかい。

日本軍の機甲師団では歩兵部隊の足として、86.8口径25mm機関砲を主砲として装備し最大で38mmの装甲を持つ12式歩兵戦闘車が1個師団あたり608両も配備されている。さらに師団偵察部隊には別途13式歩兵戦闘車の派生型である13式偵察戦闘車が約40両配備されている。

これらの戦闘車は流石に現在欧州列強の主力を担う中戦車と比べるとその性能は劣っている。それでも大戦初期に活躍した欧州列強の中戦車に匹敵する性能を誇っていた。
欧州基準としては十分戦車として扱える装甲戦闘車両が戦車とは別に650両近く配備されているのだ。
英仏独の軍人たちが1個機甲師団の装甲戦力を第7軍の総機甲戦力と勘違いしたと言う逸話が残るほど、日本と欧州列強の機甲戦力の規模は隔絶していた。

連合国軍総司令部が第7-2任務部隊だけでも十分だと思ってしまったのも理解できるだろう。
しかし東部合同軍司令官ジョン・パーシング大将とその幕僚達は『コンブル=アン=バロアの戦い』での反省から生半可な兵力での攻勢は被害を拡大させるだけだと理解させられた。
そのためさらなる戦力の増強を決定し、戦略予備として待機していたAEF第3軍団(第4機甲師団、第26歩兵師団、第80歩兵師団)を増援として第7-2任務部隊に送り込む。

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282 : ホワイトベアー sage 2024/06/04(火) 21:30:11
AEF第3軍団は世界大戦勃発後にアメリカ陸軍内で新規編成された部隊で構成されており、部隊編成も機甲師団ではコンバットコマンド編成が採用されていたが、歩兵師団では従来型のそれが採用されていた。
将兵の練度も世界大戦参戦後に入隊した者が大半を占めていたため、日本陸軍の最精鋭部隊が集まる第7軍や西部戦線を生き抜いてきたドイツ帝国軍と比べると遥かに劣っていると言わざるをえない。

ただ装備に関しては、銃器は76式半自動小銃を参考に開発された『M1910半自動小銃』や日本の『6式汎用機関銃』のライセンス版である『M1909汎用機関銃』、カモミール製の分隊支援火器である『M1914軽機関銃』などで統一され、さらにカモミール製の携帯式対戦車兵器である『AT9』無反動砲、ナイロン製の『M1911防弾ベスト』など他の歩兵用装備も配備されている。

重装備に関しても、戦車部隊は当時のアメリカ軍の主力戦車である『M34 パーカー』と、その発展型として開発された『M44 グラント』で編成されている。

『M44 グラント』は8割近い部品を『M34』と共有しながら、最大の装甲圧を持つ砲塔前面は120mm、車体前面は上部が傾斜60度、下部が40度の傾斜を持つ厚さ90mmの装甲が与えられ、主砲も54.6口径85mm戦車砲を搭載する強力な戦車だ。

歩兵部隊や砲兵部隊でも、20名の兵員を輸送可能な『M50』装甲車や『M152』155mm重自走榴弾砲など、1910年代より配備が開始された兵器が優先的に配備され、歩兵師団を名乗りながら機甲師団並みの機甲兵力を有していた。
トラックや四輪駆動車、各種工車などの車両に関しては日本製もしくは日本企業製ものも多く配備されており、兵の練度不足は装備で補うと言わんばかりに各種装備は充実していた。

同時に戦域に対して航空機の数が不足していると判断した連合国軍総司令部は、新たに米陸軍航空軍第14戦闘爆撃航空団と第19戦闘爆撃航空団、第26戦闘爆撃航空団を東部合同軍の支援に当てた。

これらの部隊にはアメリカの航空機メーカーであるリパブリック社が三菱と共同で開発し、アメリカ陸軍航空軍とアメリカ海軍が採用した『P-7 グレース』が主力戦闘攻撃機として配備されていた。
グレースはレシプロ機で、カモミールが開発した最新鋭ジェット戦闘機である『P-38 フレスコ』と比べると旧式と言わざるを得ない。
それでも中翼単葉形式や逆ガル翼を採用し、セミ・ファウラー式フラップ、エルロン・フラップも搭載したことで欧州列強の航空機と比べると高い運動性を有していた優秀な戦闘機であった。
固定兵装として翼内に20mm機銃を2挺装備するほか、胴体には最大 800 kg爆弾1発、または250 kg爆弾2発、翼下には最大で 60 kg爆弾4発または対地攻撃ロケット弾10発を搭載可能とするなど兵装積載量も高かった。
戦闘機としてのみならず攻撃機としても使える本機の増援は東部合同軍地上部隊の頼もしい騎兵であった。

対するドイツ帝国軍であるが、彼らもまた『サン・ミヒエル』一帯の重要性は十分に理解していた。
ゆえにレコンキスタ作戦発動前からサン・ミヒエル防衛隊には増援として、第13混成軍団A分遣隊を送り込む。
同部隊はオブラートに包まず言えば敗残兵を寄せ集めて編成された部隊で、部隊間の連携は未だ改善の余地が多く存在していた。
それでもカイザーシュラハトに参加し、さらに生き残った将兵が大半なだけあって練度も決して低くない。
また彼らの大半は日本軍が唯一都市部への無差別空爆を実施した4都市の住民達が占め、恨みを根付かせていた故に不利な戦況でありながらも士気も極めて高かった。

部隊内訳としては1個機甲師団、7個歩兵師団、2個後備師団、1個歩兵旅団を中核とし、司令部直轄の重砲兵旅団、高射砲兵旅団、さらに独立戦車旅団も複数属している。
当時のドイツ帝国軍の1個装甲師団は、戦車大隊2個からなる戦車連隊を2個と2個連隊の機械化歩兵、機械化された各種支援部隊を加えて編成されていた。

装備も充実しており、このときドイツ帝国軍は先の戦いに配備されていた装備はもちろん、日米軍将兵からドアノッカーと馬鹿にされていたPaK 11 37mm対戦車砲ではなく、最新のPak 17 88mm対戦車砲までも配備されていた。
Pak 17はドイツ帝国軍が開戦時から運用していたFlaK 8 56口径88mm高射砲を原型に開発された強力な対戦車砲で、8式中戦車なら距離2000メートルでも正面から撃破可能で、日本軍自慢の12式重戦車ですら至近距離なら正面から撃破することも不可能ではない。

防衛陣地に関しても複雑に掘られた塹壕陣地に8.8 cm Kw FlaK 18などが備えられた対戦車陣地や対空陣地、日本軍の12式重戦車すらも戦闘不能できる対戦車地雷原を組み込む極めて強力な防衛線を構築ししている。
どれだけ日本軍が協力であっても真っ当な手段で攻勢に出ればただでは済まないとドイツ帝国側はもちろん連合国軍も考えていた

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283 : ホワイトベアー sage 2024/06/04(火) 21:31:32
戦闘の火蓋を落としたのは、やはりというべきか攻勢側に立つ連合国軍側であった。
先の戦いの反省から連合国軍は天候が良好になってから航空隊と砲兵隊を総動員してドイツ帝国軍の防衛線全域に対して徹底的な砲空爆を実施、圧倒的な鉄量を短期間のうちに叩き込んだ。

ここまではドイツ帝国軍の予想の範囲内で、ドイツ帝国軍の兵員は直ちに塹壕内のシェルターに退避、重装備も塹壕陣地内に分散配置することで砲空爆の被害を最小限に抑えることに成功する。
しかし、ここからはドイツ帝国軍にとってもそして連合国軍総司令部および東部合同軍司令部にとっても予想外の事態がおきた。
砲撃終了直後にドイツ帝国軍の防衛線に対して第7‐2任務部隊が攻撃を開始したのだ。

この言い方ではあまり不思議なことと思わない人間もいるだろう。自軍の砲撃による誤爆を恐れることなく全力でドイツ軍の防衛線最外郭へ突撃したと言えばその狂気度がわかるだろう。
ドイツ帝国軍としても、まさかここまでバカ正直に正面から攻勢をかけて来るとは思っていなかった(実際連合国軍総司令部も第2機甲師団に期待していたのは陽動であった)。
そのため砲撃を塹壕内のシェルターで凌ぎ、砲爆撃が終わってから防衛体制を固めるつもりであったのだが、実際には砲爆撃終了から間髪入れずに連合国軍の攻勢を受けてしまい、空爆や砲撃を凌ぐために塹壕内に退避していたドイツ帝国軍将兵達は防衛線を固める間もなく戦車と機械化歩兵に蹂躙されるしかなかった。

ただドイツ帝国軍は世界大戦を3年以上に渡って戦い抜いてきた歴戦の組織である。
その中で浸透戦術や電撃戦といった戦術への理解も深めており、サン=ミヘル一帯の防衛線は5層に渡って構築され、連合国軍砲兵隊の砲撃範囲内にある最外郭の第一防衛線はその中でもっとも防御が薄いようになっていた。

第2防衛線以降に展開しているドイツ帝国軍部隊も航空戦力による攻撃を受け、少なくない数の重装備の大半を破壊されていた。
しかし大量に配備されていた歩兵用対戦車火器は、小型であるがゆえにそれを装備する部隊とともに塹壕内で爆撃の被害を免れ、砲撃の射程範囲外であったことから対戦車砲を中心とした重装備類も少なくない数が依然として稼働状態にあった。
そしてそれらを装備するムーズ方面の部隊はドイツ軍でも数少なくなった練兵済みの兵士達からなる部隊だ。

彼らは第1防衛線で稼いだ時間を最大限活かして日米軍部隊との接敵までの僅かな防衛体制の再構築に成功。
第2防衛線の突破にかかった第7-2任務部隊に対して生き残った対戦車砲や機関銃陣地から猛烈な反撃を加える。

第7-2任務部隊は大口を開いておいてこの始末の航空部隊への罵倒を飲み込んで直ちに攻撃ヘリ部隊と攻撃機部隊に支援を要請。
攻撃ヘリコプターや攻撃機で反撃で判明したドイツ帝国軍の対戦車・機関銃陣地を潰し、機械化されていた砲兵部隊の重砲が防衛線を射程範囲内に収め容赦のない火力投射を加えたことで第2防衛線に取り付く事に成功した。
しかしそこで待っているのは、すでに戦闘態勢を整えている歩兵部隊(短機関銃&自動小銃装備)と塹壕陣地であった。

複雑に構築されたドイツ軍の防衛陣地とそこに籠るドイツ帝国軍歩兵部隊を攻略することには機甲戦力のみでは不可能であり、『12式重戦車』や『T-44』、『12式歩兵戦闘車』『M50装甲兵員輸送車』の支援の下に日米軍も歩兵部隊を投入せざるをえなかった。
いくら装備の差があるとは言え日米軍歩兵も人間である。小銃弾が当たれば死ぬし爆発で吹き飛んでくる破片だけでも重症を負う。
戦車部隊や装甲車部隊も歩兵部隊を支援するために比較的至近距離での、言い換えればドイツ帝国軍の歩兵携帯型対戦車兵器の有効射程範囲での戦闘を余儀なくされた

自分たちが築いた陣地内かつ至近距離での戦闘に持ち込めたことでドイツ帝国軍は、日米軍の装備が持つ神通力を大きく削ぐことに成功し、参戦からレコンキスタ作戦開始までの戦闘で負った損害よりも多くの損害を日米軍に負わせた。
しかしそれでも万全の航空支援や装甲部隊、砲兵隊の支援を全面に受けれる日米軍との差を埋めきることはできず、日米軍の圧力を前にドイツ帝国軍第2防衛線も3日間で突破を許してしまう。

日米軍と自軍の戦力差を理解していたつもりのドイツ帝国軍であったが、それでもこれほど早く防衛線が突破されることは予想外の出来事だった。
このままでは『サン・ミヒエ』は愚か『メス』まで奪われかねない。そう焦ったドイツ帝国軍は予備戦力である近衛騎兵軍団と第3騎兵軍団を動かした。

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284 : ホワイトベアー sage 2024/06/04(火) 21:32:48
これらの2個装甲軍団にはドイツ帝国軍でも数少ない『Pkw37中戦車G型』が定数配備されていた。
同戦車は英仏の新型戦車に対抗するために開発された中戦車で、装甲は前面50mm、側面25 mmと開戦時に主力であった『Pkw27』とは比べ物にならないほど強化されている。
主砲も50口径57mm戦車砲を搭載するなど従来のドイツ帝国軍戦車とは比べ物にならないほど強力な対装甲車両攻撃力を持つ。
またこれとは別に各師団や軍団は直下に対戦車大隊を有しており、34口径75mm砲を装備し日本軍の『8式中戦車』にも対抗可能な『Jpkw16』駆逐戦車が定数配備されていた。
砲兵部隊も機械化が行なわれており、『Pkw37』のシャーシを利用し105mm榴弾砲や75mm榴弾砲を搭載した自走砲が配備されていた。

文字通りドイツ帝国最大最強の機甲戦力が動いたのだ。
この移動によって時間を稼いでいるうちに防衛線を下げることを考えていた。しかしドイツ帝国軍の予備戦力動員は連合国軍にとって望んでいたもので、この隙を待っていたとばかりに日本陸軍第7軍主力を中核とした第7‐1任務部隊がベルダン方面で攻勢を開始。ムーズ方面の戦いは新しい段階を迎える。

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285 : ホワイトベアー 2024/06/04(火) 21:41:37
以上になります。
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最終更新:2024年09月07日 07:04