337: 透過の人 :2019/08/18(日) 09:30:28 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
そういえば、書き忘れましたが日墨ロイヤルネイビーではヴィンディグティブが初めての空母で、ハーミーズは三段空母になってます。
338: 透過の人 :2019/08/19(月) 19:57:48 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
第二次世界大戦7
1943年6月5日、連合軍空挺部隊が航空支援と電子妨害に援助されつつキールに降下。
さらに、インコンパラブルを旗艦とした連合軍戦艦部隊もキール運河を通過した。
連合軍のバルト海侵攻作戦の始まりだった。
これを受けたドナウ連邦ではすでにドイツに勝ち目はないと考えて、国内の大ドイツ主義者が次々と逮捕され、ドイツ南部の要塞線に本格的な攻撃を仕掛けたが、結果は芳しくなかった。
一方、すでに瓦礫の山となっていたロストクの地を踏みしめていた連合軍だったが、意外にも抵抗は少なくドイツ側の戦意は低いのではないかと判断するものもいたほどだった。
だが、それは間違いだった。確かにドイツ軍は連日の連合軍艦載機や爆撃機によって疲れ果てていたが、それでも、戦意まで失ってはいなかった。むしろ彼らは新たな兵器を揃え、それを投入する機会を待っていたのである。
最初に異変が起きたのは空だった。見慣れぬ後退翼をした機体が連合軍のサンダーボルトを面白いように撃ち落とした。
さらに陸でも従来の戦車とは異なる扁平な形状の重戦車が連合軍戦車を撃破した。
連合軍は制海権を握っているという優位を背景に絶えず支援攻撃を行なったが、ドイツ軍の激しい反撃の前にロストク周辺での混戦が続いた。
こうした思わぬドイツ軍の新兵器の前に連合軍は苦戦を強いられ、上陸から2ヶ月が経っても連合軍はロストク周辺から動けなかった。
英仏両国では政府に対する批判が相次いだ。英国ではロストクの肉屋のあだ名をチャーチルがつけられた。
連合軍のバルト海作戦は失敗に終わりつつあり、ドナウ連邦内でも大ドイツ主義者が巻き返しを図り始めた。
しかし、連合軍はこのまま敗者として終わるつもりなど微塵もなかった。
1943年9月1日、ハンドレページ社製の試作爆撃機ハングドマンにより、東プロイセン州州都ケーニヒスベルクに対して人類史上初めての核攻撃が行われた。
これらを聞いたヴィルヘルム3世は激怒。直ちに報復を命じたが核兵器は未完成であったため、炭疽菌弾頭の弾道ミサイルによって、10月3日、フランスのランスが攻撃された。
これに対して連合軍はヴィカース・ヴェンジェンスによるドレスデン核攻撃を狙ったが、ドイツ軍の新兵器である地対空ミサイルによって撃墜されてしまう。
連合軍はこれ以降爆撃機による核攻撃をためらい始めたが、ヴィルヘルム3世はまたも報復を命じた。
こうして、ドナウ連邦皇帝フランツ・フェルディナンド1世の生まれ故郷グラーツが攻撃された。
しかし、その弾頭は通常のものでも無ければ、前回のような生物兵器でもなかった。
核兵器製造で生み出された高濃縮ウランや放射性廃棄物を弾頭とした、いわゆる汚い爆弾だった。
こうした凄惨な報復合戦が続く中、この大戦において親連合ながら中立を貫いていた日墨でも、前大戦を超える惨禍に日墨が和平の仲介をするべきではないか、という意見が上がり始め、必要以上の欧州各国の疲弊により債券が紙屑になることを恐れた経済界からも声が上がった事で和平の仲介が始まった。
すでにキューバの過半を制圧し、同盟国ベネズエラも英領ガイアナの過半を占領していた
アメリカと、ベネズエラ侵攻以降負けしかないブラジルはこれに不満だったが、結局は彼らも講和会議に参加することなった。
こうして、東京講和会議の幕が上がろうとしていた。
339: 透過の人 :2019/08/19(月) 20:00:26 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
投下終了です。
第二次世界大戦の最後になってようやく日墨が出てくるって、日墨ルートとしてどうなんだろう?
最終更新:2019年08月23日 19:39