353: ホワイトベアー :2019/08/19(月) 23:12:57 HOST:om126208192211.22.openmobile.ne.jp
日米枢軸ルート 第39話

フィンランドへの攻勢の為に軍の再編成と再訓練、さらに補給線の再構築に乗り出したソ連軍であったが、再編成と赤軍兵士の再訓練はともかくとして補給線の再構築は遅々として進まなかった。

彼らはこれ以上コマンド部隊による補給線の圧迫を防ぐ為に道路の両脇の森という森を切り開いていき、スキーコマンド部隊から遮蔽物を取り上げることで輸送部隊への攻撃を防ごうとする。そして、この対策は功を制し、スキーコマンド部隊による奇襲による補給線の圧迫は目に見えて減少したが、フィンランド側は補給線への攻撃を爆撃機と攻撃機による航空攻撃に切り替えていき、森を切り開いてしまったこと防ぐことはもちろん逃走することすら難しくしてしまう。

そこでソ連軍は今まで本土で温存していた最新鋭機であるYak-1と高高度迎撃機であるMig-1を戦線に投入する。しかし、これらの機体は当時のソ連空軍では最強クラスのポテンシャルを有していたが、護衛として爆撃機についている日米芬軍の戦闘機と比べると些か以上に性能が足らず、護衛部隊を突破できずに三カ国のパイロットにスコアを献上するだけに終わった。

また、チモシェンコは準備が整うまでカレリア地峡にいる第7軍とコッラ方面にいる第8軍などに陽動を命令、そこで第8軍は1個増強旅団(1個混成旅団+1個歩兵連隊)に4個師団規模の攻撃を仕掛ける。しかも、この時のコッラは先の寒波によって湖が完全に凍結しており、戦車部隊の渡河も可能であると言うほどソ連軍に有利であった。

このとき兵士たちは訓練をまともに受けていない徴兵組であり、取れる戦法は圧倒的な火力と兵力差を盾としての単純な突撃、冬戦争でソ連が今までとってきたのと同様に作戦とすら呼べないような稚拙な力押しのみであったが、純粋な数の上では110対1と言う圧倒的な戦力差をもってすれば"普通なら"塹壕陣地に籠る日芬の部隊を撃破し、コッラを占領することなど容易い筈であった。

しかし、ソ連軍兵士達は次々と対岸からの狙撃に倒れていき、砲撃による支援の下に塹壕陣地に突入に成功した部隊も二〇式機関拳銃や三六式短機関銃を装備する兵士たちによって文字通り皆殺しにされていく。

この戦いの最中には6000名のソ連軍がわずか1個小隊32名が守る陣地に攻撃をしかけて700近くの戦死者を出して敗退することもあった。

一方、カレリア地峡では今まで温存され、基本的に前線に出て来なかった日本海軍海兵隊2個師団とようやく実践への投入が可能になったアメリカ軍2個師団を主力とした大規模反抗作戦を決行する。なお、フィンランド側はリスクが高すぎるとこの作戦には反対の立場であり、フィンランド陸軍の参加は見送られた。

この攻勢は表向きは第7軍に大規模な損害を与えて時間を稼ぐことを目的としており、その目標はスンマとムオフの近郊に展開している第70狙撃師団、第43狙撃師団、第1戦車旅団を敗走させることであり、大まかに分けて制空権の確保、敵軍事施設への爆撃、先行して展開するコマンド部隊による敵有線通信網の破壊、航空部隊によるカレリア全域での電子戦による無線通信網の遮断、陸上部隊による目標部隊の攻撃という段階で構成されていた。

そして、作戦決行日は1940年1月1日からとされ、日米はわざわざミサイルや弾薬、航空燃料を満載した補給艦隊やアイスランドで待機していた日本海軍の第12航空打撃戦隊、さらにアメリカ海軍からアーネスト・キング少将を指揮官として、最新鋭空母《フランクリン》とその姉妹艦である《セイラム》を主力した第17任務部隊(※1)をバルト海に派遣すると同時に各国の義勇軍のパイロットにも本作戦の協力を対価として冬戦争中の限定であるが航空機の供給を開始する。

354: ホワイトベアー :2019/08/19(月) 23:15:28 HOST:om126208192211.22.openmobile.ne.jp
そして、1940年1月1日、日米と各国の義勇連合軍はソ連への空爆を開始、その始めの攻撃場所としてソ連第二の都市であり、今戦争でソ連側最大の策源地であるレニングラードを選択する。

レニングラードがはじめの攻撃場所に選ばれた理由はこのときのレニングラードにはソ連軍が予定している大規模攻勢の為に多くの武器弾薬、食料、医薬品、燃料などが多く備蓄されており、ここに大打撃を与えればさらにソ連赤軍の準備期間が長引くことになり、更なる時間を稼ぐ事ができると考えたからだ。

レニングラードへの攻撃を担当したのは日本の空母機動艦隊から三三式艦上攻撃機 流星(※2)22機、二七式艦上攻撃機 紫電改24機、二六式艦上攻撃機 (※3)16機の計62機の攻撃機と攻撃機隊の護衛たる三〇式艦上戦闘機 烈風(※4)24機、ナビゲートを行うための二八式早期警戒機(※5) 旭叡1機が動員された。

この部隊は北ゴトランド海盆に設置され、アメリカではサムライ・ステーションと呼ばれる空母機動部隊の遊弋地点からフィンランド湾を直進する形で、さらにレニングラードを攻撃することは義勇軍はもちろんフィンランド側にも必要最低限の人間にしか知らせていなかった為にソ連側は日本の動きを掴む事ができなかった。

さらに夜間ということや、航空部隊が高高度を飛んでいるという事が合わさり監視所からの察知が不可能であったためレーダーをいまだに配備していないソ連側は事前に察知することは難しかった。

しかし、ソ連も最大の策源地で防空の対策をとらないほどバカではない。このときのレニングラードには3個高射連隊と300機を越える戦闘機部隊が駐留しており、高射連隊は常時中高度からの戦略爆撃を警戒して布陣しており、上空には常に20から30機ほどの戦闘機が警戒のために飛行しているなど、何かあれば即座に対応できる体制を整えていた。

もっとも、今回は相手が悪すぎた。ソ連側の警戒網を突破した攻撃部隊は、戦闘機のレーダーでレニングラードの上空の戦闘機部隊を察知すると、即座に戦闘機が装備していた空対空ミサイル(スパロー相当)を発射、アウトレンジ攻撃で上空に展開していた戦闘機部隊を壊滅させる。

そして、レニングラードの住民やソ連軍の兵士たちが突然の爆発に驚き、急いで迎撃の準備しているところで複数の部隊に別れていた攻撃機部隊が低空からレニングラードに接近、まばらな対空攻撃を悠々と回避しつつ目標地点まで飛行、最終的には全体で700t近くの爆弾を事前にスパイや高高度偵察機で把握していた弾薬貯蔵施設や燃料貯蔵施設などの各種貯蔵施設や、車両修理工場などの軍需工場、飛行場、北西軍司令部、通信施設、市街地などに投下し、これらの施設に壊滅的な打撃を与える事に成功する。

攻撃機が目標施設に爆弾を投下しているなか、上空待機していた戦闘機部隊を片付け、暇をもて余していた戦闘機部隊は各飛行場に低空で侵入、20mmガトリング砲で飛行場で待機していた戦闘機や爆撃機、市内各地にある高射砲陣地、さらには市内の車両や住民たちに攻撃を加えていった。

後にこの市街地や市民への攻撃は問題視され、進歩的知識人などから批判されるが、日本政府は「パンのお礼に花火をプレゼントしただけ」という一言でこの問題を終わらせ、逆に批判する先進的知識人達がモスクワからプレゼントを定期的に貰っていることを暴露、先進的知識人と日本政府による国際的な非難合戦が行われていくが今はその話はしない。

攻撃を受けたソ連軍は大急ぎで防空陣地による反撃を行っていくが、低空からの攻撃など予想もしていなかったソ連軍は攻撃隊にろくな被害を与えることができず、さらに戦闘機からの機関砲攻撃で次々と沈黙させられていったこともあって、日本の攻撃部隊が攻撃コースへの再アプローチを行い、市内に爆弾を投下する事を防ぐ事など最後まで不可能であった。結果として大した妨害もなく目標への攻撃を行えた攻撃部隊は目標施設の破壊を確認後に速やかに帰投していき、近くの飛行場から戦闘機が駆けつけて来たときには各地で煙や炎をあげるレニングラードがただその目前に写るのみであった。

355: ホワイトベアー :2019/08/19(月) 23:18:23 HOST:om126208192211.22.openmobile.ne.jp
この作戦でソ連赤軍が受けた損害は極めて大きく、各種施設は大きな打撃を受け復旧にははやくて8か月、遅ければ1年はかかると見られ、備蓄していた物資をおよそ8割が消失、飛行場は滑走路はもちろん格納庫や整備施設も甚大な被害を受け、復旧には取りかかっているものの完全なる機能回復には時間がかかると思われた。航空部隊は航空機約120機が全損、約80機が修復不可能と駐留部隊の2/3が戦線復帰がわずか一夜にして消滅した事になる。

また、日本海軍がレニングラード市街地にクラスター爆弾(子爆弾のうち半分が時間式信管となっている)をバラ撒いたことによりロシア有数の大都市であるレニングラードの都市インフラそのものにも大きな損害がでており、都市機能が大幅に低下、止めとして、レニングラードにあったソ連赤軍北西軍司令部が日本軍の攻撃により物理的に消滅、司令官のティモシェンコは前線への視察に赴いており助かったものの、多くの司令部要員があの世に転勤し、北西軍全体の指揮系統が混乱てしまうと第二次攻撃はなかったか、ソ連赤軍に大損害を与えた。

レニングラードへの空爆と直後から、フィンランドとの戦線全域でフィンランド軍(+義勇軍)による航空攻撃が実施され始め、特にコッラ方面では80機近い戦闘機と60機近い爆撃機が投入されるなど大規模なソ連赤軍部隊への空爆が開始されていた。

この前線への空襲と前後して二二式輸送回転翼機(※6)を使いソ連赤軍の間隙および後方にスキーコマンド部隊を展開させ、ソ連赤軍有線網の破壊を開始、上下の連絡を遮るのと同時に横の連絡も遮ろうと動き始めた。

このスキーコマンド部隊は、ソ連赤軍がこのような後方にまでフィンランド軍が展開する筈がないと考えていた事もあって大した妨害もなく任務を達成していき、そして、レニングラードへの攻撃でソ連赤軍の混乱が極致に達すると作戦を第二段階いこう。陸上基地に待機していた電子戦機12機を飛ばし、電子攻撃を実施。ソ連軍の耳を奪うことに成功する。それが確認されると日本海軍海兵隊第3陸戦師団とアメリカ陸軍第1機甲師団がスンマから、日本海軍海兵隊第6陸戦師団、アメリカ陸軍第9歩兵師団がムオウを出撃し、ソ連赤軍第70狙撃師団と第43狙撃師団、第1戦車旅団に攻勢を仕掛ける。

以下がこの第二段階で動いた義勇軍の戦力である。
フィンランド陸軍カレリア地峡守備軍(総予備)
第4師団、第5師団、第8師団、第10師団、第11師団

連合義勇軍第1軍(スンマ方面)
第3陸戦師団、第1機甲師団
第13歩兵師団第1混成旅団

連合義勇軍第2軍
第6陸戦師団 第9歩兵師団
第1国際旅団(※7)

上記の戦力のうち、第1国際旅団と第1混成旅団は攻勢における予備戦力として待機が命令され、師団クラスが攻勢をしかける事になった。しかし、この時にはフィンランドにおける回転翼機が大幅に増強されており、航空支援の層を厚くしており、数の劣勢を補えると上層部は考えていた。

そして、義勇軍部隊の攻勢を受けたソ連赤軍は指揮系統が完全に混乱していたことや奇襲による混乱もあって組織的な抵抗や対策ができず、最大でも連隊、最小だと小隊ごとに各自が独自に抵抗を実施するも、そこに最新装備を有する日米の部隊を中核とした連合義勇軍第1軍が殴り込んで来たこともあって第70狙撃師団はわずかな時間で包囲され、師団としての戦闘能力を喪失、さらに第43狙撃師団も連合義勇軍第2軍によって包囲される始末だった

さらにソ連赤軍にとって不幸な事に全体の無線および有線での通信が崩壊していた事から、通信は自然と伝令と言う不確かなものに頼らざるを得ず、即座に援軍を要請することは不可能であり、いつ到着するのかわからない増援が到着するまで現有する戦力のみでこれをしのがなければならなかった。

第70狙撃師団と第43狙撃師団早々に包囲されるなか、第ソ連赤軍第7軍の戦線中央近くに展開していた第1戦車旅団は第6陸戦師団所属の戦車連隊を中核とした第1機甲旅団と接敵、戦闘に入る。この第1戦車旅団は革命記念日の閲兵式に毎回参加すると言うソ連赤軍では珍しい精鋭部隊であり、他の2個師団と違い早々に混乱から回復し、第6陸戦師団第1機甲旅団に組織的に抵抗していた。

356: ホワイトベアー :2019/08/19(月) 23:20:26 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
だが、T-26を数的な主力とする彼らにたいして日本海軍は三二式中戦車(※8)や二三式軽戦車(※9)を主力としており、T-26の長砲身45mm砲では日本軍の戦車の装甲を貫通できず、弾かれるのみであった。一方で日本の長砲身105mm戦車砲や長砲身75mm戦車砲は長距離からの砲撃でも一撃で装甲を貫通し、自軍のT-26を葬っていくなど、性能差は圧倒的なまであり、また、この時にはスターリンが無許可で撤退するような敗北主義者は反革命分と見なすと言う言葉が前線にも伝わっていたことから撤退することも不可能であったソ連赤軍第1戦車旅団は加速的に戦力を失っていき、ようやく旅団長が撤退を決断するときには100両以上あった戦車のなかで動ける状態にあるのは10両あるかないかと言うまでに現象、また、撤退中もフィンランド側の攻撃機が徹底的に攻撃を加えて来たために無事に撤退できた人数は100よりも少ないと言う悲惨な損害を受ける事になってしまう。

短期間で第1戦車旅団、第70狙撃師団、第43狙撃師団が壊滅し、さらに第7軍はもちろん北西軍全体の指揮通信が破綻を来していたこともあってソ連赤軍はフィンランド側の攻勢を正確に認識できておらず、まともな対策をとることができておらず、さらに第20戦車旅団がパットン少将率いるアメリカ陸軍第1戦車師団により第1戦車旅団と同じ運命をたどり、第24狙撃師団と第138狙撃師団が攻勢開始から2週間後以内にわずか4個旅団によって全面的な敗走に追い込まれてしまう。

この頃にはようやくある程度であるが混乱から回復していた北西軍および第7軍は戦線左翼が食い破られる一方手前であることに気づき、慌てて予備戦力である4個師団を投入するが、これは間に合う見込みが薄く、チモシェンコはカレリア地峡戦線の大幅な縮小すら覚悟する。

しかし、フィンランド陣営は第24狙撃師団と第138狙撃師団を敗走に追い込むと作戦目標を達成した考え攻勢を中断、マンネルヘイム線まで撤退していった。

後に冬季攻勢と呼ばれるこの攻勢を受けたソ連赤軍の最終的な被害の報告を受けたチモシェンコは不気味に笑うしかなかった。

軍需施設は軒並破壊され、施設の復旧のみで四半年かかる見込みであるが、日本軍がバラ撒いたクラスター爆弾の子爆弾の除去やレニングラードのインフラの復旧もあわせると半年から一年はかかると試算された。また、一大兵站拠点であったレニングラードの備蓄物資の喪失はソ連赤軍の戦争計画に大きな狂いを発生させる事になり、ソ連赤軍内では攻勢は論外として防衛戦でも砲弾や燃料が足りるのか不安の声出る程である。

また、2個狙撃師団および2個戦車旅団の壊滅と2個狙撃師団の敗走と言う結果はただでさえ低いモスクワでの赤軍への信頼を奈落のそこに落すことになり、スターリンは怒り狂いソ連空軍の防空責任者と第7軍司令官を粛清する。一方でチモシェンコが要請した攻勢の大幅な延期を認め、さらにモロトフに命令してフィンランドとの講和交渉を開始させる。この交渉はスイスで開かれることになり、この時、ソ連が持ち出した講和条件は以下の通りであった。

レニングラード湾(フィンランド湾)の4つの島嶼の割譲

カレリア地峡のフィンランド国境を、ヴィープリの東30キロメートルまで西へ変更

カレリア地峡の防衛線(マンネルハイム線)の防衛設備の撤去

当然であるがこれを受けたフィンランドは一歩も引かないとばかりの態度でこれを拒否、これには日米も公然と拒絶感を露にするなどの背景もあった。だが、これを受けたソ連は戦闘での敗北ぶりなど知らないという態度でこれ以上ん譲歩は不可能と強気な姿勢を見せつつ交渉を行う。

そして、この交渉が続いているなかで西欧で大事件がおきる。そう、ドイツのイギリスおよびフランスへの宣戦布告である。

357: ホワイトベアー :2019/08/19(月) 23:24:10 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
1939年の独ソ不可侵協定の締結以後、同条約を原因としてドイツとイギリス、フランスの関係は緩やかにではあるが悪化していた。

特にイギリス政界ではドイツの動きに裏切られたと感じる者も多くおり、ドイツとソ連が接近し、再びフランスが最前線となることを避けるべくドイツに首輪を付けたいと考えていた。また、イギリスの同盟国であるフランスも自国が再び最前線となるのは避けたいと考えており、ドイツが対共産主義の盾としての役割から脱する事を恐れており、その事もあってイギリスのドイツに首輪をかけると言う方針には賛同であった。

そこで両国はドイツ帝国の再軍備が終了する前に北欧を押さえ、ドイツへの鉄鋼の輸入と言う強大な首輪を付けようと、フィンランドへの援軍を名目とした北欧への出兵を決定、およそ15万の兵力を派遣する。

しかし、この英仏の企みに感ずいていたドイツやこれ以上フィンランドを強化したくないソ連はノルウェーやデンマークに圧力をかけて英仏の領内への侵入をさせないように動来はじめ、北欧諸国は連合国軍の領内通過を拒否する。また、モロトフ・リッベントロップ協定で結ばれた密約もあって東部の安全は一応確保しており、北欧諸国の中立を脅かした場合、これを回復させる為に実力行使も躊躇わないと言うものの極めて景樹な警告文をドイツ外務省はフランス、イギリス両国に通達していた。

だが、再軍備が終わっていないドイツ帝国や冬戦争で手一杯のソ連が積極的に動くとは考えなかったイギリスとフランスは、アーク・ロイヤル級航空母艦《イラストリア》、ジョッフル級航空母艦《パンルヴェ》の空母2隻とアドミラル級巡洋戦艦《フッド》《ロドニー》、アルザス級戦艦《ノルマンディー》の戦艦3隻を中核とした連合艦隊(※7)と6個師団18万の連合陸軍を編成し、フィンランド救援を名目に北欧に軍を派遣する。

そして、ノルウェーが連合軍の領海通過を拒否すると、これを侵略者への協力であるとノルウェーを非難、イギリスとフランスは中立国であるノルウェーへの侵攻を開始するという暴挙に出た。

これを知った日米やフィンランドも含めた世界各国は驚愕し、日米上層部は自分等に無断でこのような暴挙におよんだ英仏を公然と罵倒、国民らもイギリスやフランスに対する反感を抱きはじめてしまう。そして、両国政府上層部は自分等が構想していた戦略が完全に破綻した事に頭を抱える事になる。

侵攻を受けたノルウェーであるが、ノルウェー軍は世界恐慌以降の不況の影響で軍事費を削減しており、陸軍の規模こそ6個師団12万名であったが、即応可能なのは1個師団のみであり、その師団もフィンランド国境地帯に展開していた事もあって、連合国にろくな抵抗もできなかった。そして、進行開始からわずかな1ヶ月ほでトロンハイム、ナルヴィクと言った港町を制圧し、ノルウェー北部をほぼ占領する。

これを受けたドイツ帝国は座しているわけにも行かなくなり、1940年2月16日、ノルウェーの中立回復を大義名分にイギリスおよびフランスに宣戦を布告。ヒトラー宰相はこの時の演説で、『我々は1914年の過ちを購う機会を得た。過去、我が国は国益を優先して他国の中立を踏みにじった。ならば今回は我が国は国益を無視して他国の中立を守べきだ』と発言。この発言は日米の上層部からはともかく日米を含めた中立国国民からの支持を受けることになり、ドイツの行動の正当性を高めていく。そして、イギリス海外遠征軍がフランスに到着する前にフランスを攻略する為にドイツ帝国軍に対フランス攻勢作戦である《黄色の場合》の発動を命令する。

この宣戦布告を受けたイギリスおよびフランスは大きな混乱に陥り、急いで対ドイツ戦の準備を開始する。

フランスは念のために主力をベルギー方面に展開しており、なんとか対応する事は可能であったが、イギリス海外遠征軍は即座に動かせる兵力を北欧に送っており、しばらくフランスに兵力を送る事は不可能であった。そのため、ベルギー国境の防衛にあたる兵力は当初の予定よりかは兵力は少なく、自然と重視していないアルデンヌ方面の兵力は史実よりも縮小する。

また、この時のフランス軍は対ドイツ戦マジノ線とベルギー国境の防衛線で支えきる事を前提としていた事や、日米に対抗する為に海軍と空軍に予算を多く割いていることもあって、陸上戦力は要塞や野戦砲、機関銃などは比較的充実していたが、機動戦力や通信機機はお粗末であった。さらに貴重な機動戦力のうち少なくない数がノルウェーに送られており、これらもあってフランス軍は空での戦いこそ互角であったが、アルデンヌを突破してきたドイツ陸軍にフランス国内を言いように蹂躙されることになる。

358: ホワイトベアー :2019/08/19(月) 23:24:59 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
この事態にイギリスは日米に支援を求めるが、日米の世論は中立国であるノルウェーに侵攻したイギリスやフランスを快く思っておらず、さらにドイツ帝国は『日米が中立を保つのなら今まで同様にバルト海での航行の自由を保証し続ける』と口外にフィンランドに派遣している部隊を人質に取った事もあって友好的な手を打つことができず、フランスは3月16日にドイツ軍がパリを占領、同日中にダラディエ内閣が倒壊、ドイツとの単独講和を主張していたペタンが首相に就任、3月22日にはフランスはドイツに降伏する。

これを受けたイギリスでももはや戦意など存在せず、フランス降伏の責任を取って降伏したチェンバレンの後任として親ドイツで有名なロイド・ジョージが就任。彼は第一次世界大戦の時と同様にこの大戦で欧州列強が疲弊し、その隙に日米が影響力を拡大することを恐れており、ドイツが提案した休戦協定の締結に賛成、イギリス・フランスとドイツの間でおきた戦いはわずか1ヶ月と少しと言う短い期間でひとまず終結するになった。そして、パリにおいて休戦協定締結から一週間と少し経った3月8日にパリのフランス外務省省舎にて講和会議が開催される運びとなった。

この情報はスイスで講和交渉を行っていたフィンランドとソ連にも大きな転機となり、ソ連側は当初に挙げていた条件よりさらに厳しいもの要求をぶつける一方でドイツ帝国の参戦もチラつかせ始める。しかし、これは日米が参戦をチラつかせるというやぶ蛇状態になり、さらに1940年4月18日、パリにて連合国とドイツの講和条約が締結されるのと同日に日米がビキニ環礁で行われた公式には世界最初の核弾頭の起爆実験を実施、フィンランドへの核兵器の譲渡すらチラつかせ、結果としてソ連が以下の条件を対価としてレニングラード湾上の4つの島嶼を割譲されると言う条件に収まる事になった。

  • フィンランド側の戦費の支払い
  • 占領地の返還と同地の復興資金の支払い
  • ラドガ湖の北の東カレリアで、フィンランドとの係争地の一部をフィンランドへ割譲

上記の内容を知ったスターリンは怒りを浮かべたが、核兵器と言う強大な力を前にしてはこれ以上強硬に交渉を続けると言う選択肢はなく、1938年に要求した内容をフィンランドに飲ませたことで満足するしかなかった。

講和条約はモスクワにて調印されることとなり、1940年5月4日にモスクワ講和条約が締結され、長きにわたる冬戦争は終結した。

359: ホワイトベアー :2019/08/19(月) 23:27:30 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp

(※1)
第17任務部隊 編成
航空母艦 《フランクリン》《セイラム》
重巡洋艦 《グリーンビル》
防空巡洋艦 2隻
駆逐艦   8隻

(※2) A-6相当の艦上攻撃機
(※3) A-4相当の艦上攻撃機
(※4) F-4相当の艦上戦闘機
(※5) E-2相当の早期警戒機
(※6) 史実CH-47相当の大型輸送ヘリコプター

(※7) 各国の義勇軍で編成されている部隊。第1国際旅団は主にイギリスやフランス兵で構成されている

(※8) 史実M60A1相当の主力戦車。
(※9) 史実M41相当の主力戦車。

(※10)
英仏連合艦隊編成
航空母艦 《イラストリア》(英)《パンルヴェ》(仏)
戦艦   《フッド》《ロドニー》(英)《ノルマンディー》(仏)
重巡洋艦 《ロンドン》(英)《シュフラン》(仏)
軽巡洋艦  3隻
駆逐艦  14隻


おまけ
フランクリン級航空母艦
排水量:47,000t、最大速力:30kt、武装:38口径5int砲4基、艦載機:81機

アークロイヤル級航空母艦
排水量:27,000t、最大速力:30.5kt、武装:ポムポム砲52基、艦載機:81機

ジョフル級航空母艦
排水量:20,000t、最大速力:33kt、武装:45口径13cn連装高射砲4基、50口径37mm連装機関砲4基、艦載機:40機

360: ホワイトベアー :2019/08/19(月) 23:35:28 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
以上になります。余談ではありますが、この時の英独の技術は2年から最大で4年進んでおり、ドイツの主力戦車は史実パンター相当のⅢ号戦車とキングタイガー相当のⅣ号戦車、戦闘機ではMe262相当の機体が配備されています。対するイギリスはブラックプリンスやチャレンジャー相当の戦車の配備が進んでおり、戦闘機でもミーティアやバンパイアの配備が進められている状況です。

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最終更新:2021年09月24日 10:33