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日墨ルート 第二次世界大戦8
1943年1月10日、東京にて講和会議が始まった。
まず、問題になったのは賠償問題だったが、これについては裏で互いに求めないことになっていたので、激しい議論は見かけだけのものだった。
国境線や勢力圏についても、基本的に戦前の状態に戻すことで合意が成立しかけていたのだが、それに待ったをかけた国々があった。
大統領選挙を控えていた
アメリカと政権基盤が揺らぎ初めていたブラジルだった。
もともと、アメリカにとってはカナダの市場化を狙って始めたような戦争であり、それを達成するまでは帰るわけにはいかなかった。
ブラジルはさらに深刻だった。ブラジル内戦後の粛清によって何とか政権の安定を図っていたヴァルガス政権だったが、ベネズエラ侵攻の失敗後は暗殺未遂が頻発するなどヴァルガス政権は危機的な状況にあった。
そのため会議はカナダにおけるイギリスの譲歩を求めるアメリカとマラカイボ油田の99年間の租借を求めるブラジルに対して、戦前の状態に戻すことを求める英仏が対立することになった。
また、アメリカはキューバの併合も求めていたが、これに対しては日墨も反対した。
日墨英仏とアメリカの対立は決定的なものとなりつつあったが、日墨の支援が受けられるかもしれないとはいえ、これ以上の戦争継続は英仏も望むところでは無く妥協が図られたが、結局時間だけが過ぎていった。
一方、不満をつのらせていたブラジルは会議からの脱退を宣言し、代表団を引き上げてしまった。
しかし、ブラジルの動きに対しては列強各国は特に気にしなかった。
侮れぬ技術力と工業力を持ったアメリカに比べてブラジルは開戦以来終始負けていたようなものだったからである。
こうして、会議では自ら出ていったブラジルを犠牲にする形で条件が纏められ、ブラジルをアメリカ勢力圏とすることと、アメリカ勢力圏の国家であったベネズエラに係争地域だった英領ガイアナのエセキボ地域を割譲する他はすべて戦前に戻すことで合意が成立してしまう。
もちろん、この決定に対してブラジルは反発したが列強各国の決定には逆らう事はできなかった。
後にブラジルではアメリカの意向に従って亡命していた旧ルイス派による政権が誕生するが、ヴァルガス政権で冷遇された反動のようにサン・パウロ州など内戦時にルイス派だった州を優遇したため反乱が勃発、アメリカ軍が介入し、ブラジル戦争が起こることになる。
また、東京講和会議では新たな経済秩序の確率も図られた。イギリスのケインズの提案による国際精算同盟の設立がそれだった。
一般的に黒字が多い日墨が損を強いられることから反発も大きかったが、結局は英仏のこれ以上の疲弊を望まない日墨側もこれを呑んでいる。
代わりに各国にはある程度の軍縮が義務付けられる事となったが、その直後に日本海軍が大和を公開したため各国は阿鼻叫喚の騒ぎとなった。
こうして、問題はありつつも第二次世界大戦は終幕した。
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最終更新:2019年08月23日 19:42