439: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22:10:54 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 第40話
パリにて開催された講和会議だが、開始前から波乱状態だった。ドイツの鮮やかすぎるフランスへの勝利の余韻があったのであまり目立たなかったが、イギリスはいまだにドイツ帝国軍に一兵足りとも殺されていないからだ。この事からイギリス本国はもちろん各自治領でも講和反対派が多くおり、さらにこれらの背後には欧州が連合を組むことを快く思っていない太平洋の二大列強の影があり、大英帝国はいまだに混乱を収拾できないまま講和会議に臨むしかなかったからだ。
この会議前に出されたドイツ側の条件は、基本的に穏当なものだった。特にイギリスに対しては。基本的にはドイツの要求はノルウェーからの撤兵とドイツを盟主とした欧州連合構想への参加のみであり、パリを含めた北フランスを占領しているフランスに対しても、第一次世界大戦前までドイツ領だった本国地域の返還とノルウェーからの撤兵、欧州連合構想への参加とイギリスと大差ない内容であった。軍艦など一部兵器の割譲や戦費賠償も要求されたものの、これらは事実上のベルサイユ講和条約でドイツが割譲した艦艇の返還やこれから支払う予定であった賠償金の白紙化を求めるものであり、ドイツが提示した内容を見たに英仏の外交関係者をホッとさせた。
この時のイギリスは日米からほぼタダでの護衛艦艇や陸戦装備、航空機、各種物資の供与を打診されていたが、講和条約を締結した方が被害は少ないと考えていた保守派や日米のこれ以上の影響力拡大を恐れるロイド・ジョージはこの打診を黙殺しており、インテリジェンス機関を使いこの事を把握した日米は首脳による緊急の電話会議を実施、核の公開実験を5月18日に実施する事を決める。
余談であるが、この核実験は偶然的に欧州での条約の締結日と被る事になり、結果として欧州各国に余計な屈辱と警戒心を与える事になってしまう。
話を戻そう。パリで行われていた講話会議であるが、ドイツの出した条件が極めて穏健であったことからイギリスは条件のほとんどを呑むことを決め、当初こそ会議は順調に終わると思われた。しかし、欧州連合構想へ話題が移ると一転してイギリスが強固に反発し、この条件を巡って交渉は当初の予定より長引いてしまう。
これはドイツと接近しすぎて日米との対立が激化するのをイギリス国内の一部保守派が危険視していたからだ。特に大英帝国の心臓たるインドとイギリス本国を最短距離で結ぶスエズ運河を有する日本との対立はできるだけ防がなければならなかった。
また、この条件を認めてしまうと、
アメリカの喉元であるカリブ海でもドイツの勢力が拡大してしまう事からアメリカとの間でも更なる確執が生まれる事が明白であり、政府首脳であったロイド・ジョージも、この条件を呑むことは最悪の場合ではあるがアイスランドの爆撃機が動きかねないと言う恐れからこの条件を呑むことはできなかった。
しかし、交渉をこれ以上長引かせて、日米に介入の時間を与える事を止しとしなかったドイツはソ連やイタリアからもイギリスに圧力を与えさせる。
これを受けたイギリス政府はドイツとの妥協点として欧州連合にオブザーバーとして参加を打診、ドイツ帝国宰相のヒトラーは時間が経てばたつほどイギリスに有利に働くことを理解しており、このイギリスの譲歩を受け入れることを承認し、1ヶ月と10日と前回の講話会議よりも圧倒的に短い期間で講話会議は終了し、第二次ヴェルサイユ講和条約が締結される。
440: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22:12:18 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
しかし、ここで日米による世界初の核実験が太平洋上のビキニにて実施され、欧州に大きな衝撃を与える事態になる。そして、イギリスで日米の支援を受ける保守派がドイツとの接近に大反発し、国民も核兵器の事をメディアを通して知ると次第にドイツとの距離を取るべきではと言う声が大きくなっていき、こうした声をメディアが広めていき、さらに声が大きくなると言ったスパイラルが生まれ、世論も次第にではあるが欧州連合に参加すべきではないと言う声が大きくなっていった。無論、こうしたメディアはアメリカの戦略情報局から黄金色をしたお土産が渡されていた事をここに書いておく。
こうした日米の裏工作は、イギリスの優秀な防諜機関によってすぐに察知されるが、現状で日米と事を構えたくないイギリス政府はこれを黙殺するしかなかった。
また、欧州の一部国家(ベルギーやルクセンブルクなど)はドイツではなく日米へと接近し国土を奪回するべきだ、と言う声も生まれ始めており、こうした声を押さえるために、第二次ヴェルサイユ条約締結から時をかけずに今度はベルリンにフランス、イタリア、ソ連、スペイン、イギリス、ベルギー、ルクセンブルク、ノルウェー、さらに旧ポーランド政府の代表たちが集まり(オーストリアも招待されたが、丁重に断った)、ポーランド・ソビエト戦争の講和条約兼欧州連合の成立条約であるベルリン条約を締結する。
この条約によってポーランドはソ連に占拠されている地域を正式に割譲する事を認めさせられた一方、ドイツからの再独立を承認され、さらにドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ベルギー、ルクセンブルク、ポーランドを正式な加盟国とし、イギリス、ソ連、ノルウェー、ベルギーをオブザーバーとした欧州連合(Europe Union)が正式に成立する。この欧州連合はローマ帝国分裂以降分断されていた欧州の再統合と言うお題目を掲げており、通貨こそ各国の独自采配とされたが、安全保証や外交方針は統一する事が決まっており、正式な加盟国に限定されるが、ドイツが望む国の望む場所に軍隊を無条件駐留させることを認めさせ、駐留費用も基本的には駐留される国が支払わせることになり、これによって事実上ドイツは、西欧諸国に膨大な影響力を有するようになっていく。無論、この条項はヴェルサイユ条約で各国との間の大きな論争点となったが、ドイツ側が明記こそしなかったが、ポーランドを除いた国家の本土への駐留は避けると言う発言をしたため、各国も戦争の継続よりかはマシだとしてとりあえずは認めていた。
この第二次ヴェルサイユ条約とベルリン条約によって第一次世界大戦の敗者であったドイツは一転し、西欧諸国の盟主としての立場を手に入れ、さらにそれまで中華民国のみであった
アジアでの拠点にフランス領インドシナが追加されることになった。
この結果からドイツ国民は第一次世界大戦の敗北によって喪っていた自信を回復していく一方、ヒトラーら政府が積極的に核の情報を公開した事や第一次世界大戦のトラウマ(戦略爆撃)から自信を肥大化させずに兜の尾を引き締めていくことになる。また、政治面ではドイツ国内でのヒトラーの評価がうなぎ登りで、帝国議会ではヒトラーを永世宰相にする法案が可決される(最もこれはヒトラーがヴィルヘルム三世に直訴して取り消された)など彼と彼が率いるナチスはその人気を高めていくことになる。
これによってヒトラーの権限は次第に大きくなっていき、それに比例して仕事量も増大し、彼の趣味(ゲルマニア構想の妄想及びスケッチなど)の時間が削られていくことになるが、それはまた別の話である。
441: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22:12:58 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
話を戻そう。欧州で最大規模の影響力を手にしたドイツは自国を日米に対抗できる状態にするために早速その影響力を行使し、ドイツ・フランス・イタリア・ソ連の四カ国による合同での核の研究を開始していく。ちなみに、当初は独ソともに自国のみでの研究を予定していたが、総合予算の見積を見た両国の財務官僚が泡を吹きながら必死になってヒトラーやスターリンを説得し、信用のおける国家との合同開発に変更になったと言う噂も存在していた。
この研究は欧州統合の象徴として大々的に宣伝されることになり、欧州の一大プロジェクトとしてドイツ・フランス・イタリア・ソ連の物理学者が総動員され、さらに予算も防空網の整備とともに重点的に当てられていくことにった。
また、日米の爆撃機による空爆に備えてヨーロッパ西部の海岸部に大西洋の壁と呼ばれるようになる巨大な防空網を建設し始める。これは北はノルウェーから南はスペインまでの沿岸に多数のレーダーサイトと監視所を建設し、これらの後方にジェット機であるMe210(※1)や開発中であるTa186の運用が可能な飛行場の建設も行われていくなど、アイスランドからの爆撃機を仮想敵とした防空網であり、欧州連合のオブザーバーであったイギリスやノルウェー、デンマークなども大なり小なり参加することになる。また、この大西洋の壁と並んで地中海方面で防空網の整備が緩やかにではあるが開始され始めるなど、欧州の空を守る為に核開発なみの予算と膨大な資材が投入されていく。
また、防空の面で欠かせない戦闘機では、ドイツを中心として、フランス・イタリア・ソ連の四か国が防空戦闘機の共同開発を開始する。幸いなことにこの時の四カ国が求める機体は似たよったものであり、特にこれと言った論争もなく、順調に開発が進むことになるが、これが効果を表すには時間が必要であり、当面の間はドイツ空軍の最新鋭機であるHe180(※2)のライセンス機がイギリスとドイツ、オーストリアを除く欧州各国の主力迎撃戦闘機(※3)となっていくなど、欧州で統一された規格が導入されていくことになった。
また、欧州連合加盟国は数年の準備期間の後に加盟国内からの輸入品に関しては関税の撤廃を義務付けられている事もあって経済的関係も歴史上類を見ないほど密接になっていくと予想されていた。
こうして、欧州ではドイツによる平和(パクス・ゲルマニア)が訪れている一方、アジアでは逆に平和とは言えない事態になっていた。
もともと、中華民国内では建国の際の出来事から反米反日思想が根強くあり、1930年代には中華民国各地で抗日抗米運動が盛んに行われており、蒋介石率いる国民党政府もこれを支援していた。一方で、日米の本格的な軍事介入を防ぐ目的でこうした行動は上海でおきあ誹日米貨運動のように非暴力運動が中心であり、日米の国民に犠牲が出ると基本的に中華民国側は謝罪と犯人への厳罰を実施していたこともあって最悪の事態には至っていなかった。
しかし、冬戦争と西欧戦争が中華民国の方針を一変させることになる。
日米を除く誰もが予想できなかった冬戦争でのフィンランドの勝利は誰の目にも日米の兵器の性能の高さを証明するには十分であった。そして、この戦いでフィンランド側に提供されたものと同じモノが満州連邦にも供与されていると言う事実は中華民国にとっては脅威以外の何者でもなかった。
現状では軍事力こそ中華民国側が優れていたが、それを支える経済は圧倒的に満州連邦側が優れており、時間が経てばたつほど満州連邦側には天秤が傾いていくのは少しでも政治や軍事、経済に通じる者の誰の目にも明らかであった。
そこにドイツのフランスでの電撃的な勝利が明らかになると、中華民国側では満州連邦がこれ以上強大になる前に戦端を開き、日米が介入する前に満州連邦側に決定的な打撃を与えて、満州連邦全ては無理でも華北の回収をなそうと言う意見がドイツ式の教育を受けた中華民国軍上層部から出てくるのは自明の理であった。
しかし、蒋介石をはじめとした国民党政府からしたら、例え満州連邦に決定的な打撃を与えても、満州連邦の背後にいる日米には対して大したダメージにならず、むしろ日米を本気にさせるだけであるとしてこの動きに迎合することはなかった。
だが、蒋介石の小飼を除いた国民革命軍青年将校が中華統一の最後のチャンスと考えており、国民党政府のような弱腰政府(青年将校感)によってこれを潰される事は許せることではなかった。さらに彼ら青年将校団の背後にはドイツのヒトラー政権の外交方針や国防方針に不満を持っていたドイツ軍事顧問団がおり、青年将校団は軍内部の支持を広げていった。
442: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22:15:49 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
このドイツ軍事顧問団は典型的なプロイセン軍人の集まりであり、政治的なコントロールを嫌う一段であった。その事から背後からの一撃を加えてきたオーストリア出身で、栄光あるドイツ帝国軍を名実共に政府の統制下においたアドルフ・ヒトラーと彼が率いるナチスを毛嫌いしており、彼が由緒あるプロイセン軍の伝統を汚すぞんざいであると敵視すらしていた。そして、彼らはヒトラーの西欧戦争の勝利と言う功績に匹敵する成果を求めていた。
そうした考えからドイツ軍事顧問団の支援を受けていた国民革命軍青年将校団は4月30日に反蒋介石を掲げている第十九路軍司令官蔡廷鍇をトップとしてクーデターを実行、わずか1日で南京の国民党政府の主要機関を掌握し、蒋介石を筆頭とした国民党政府首脳部を拘束または殺害することに成功する。拘束された高官たちはその後、監禁されることになる。
そして、蔡廷鍇は自らを首脳とした中華民国臨時政府の再樹立を宣言、各地の国民革命軍に自らの統制下に入る事を要求する。この要求を受けた各地の軍は内部にいた青年将校の暗躍もあって一部蒋介石の小飼の部隊を除いて臨時政府へと合流し、国民革命軍の掌握にも成功した臨時政府はドイツ軍事顧問団の助言の下に軍部隊を満州連邦の国境線近くに極秘裏に配置、そして、1940年5月26日、中華民国は宣戦布告もせずに突如満州国境を突破する。
この時、国民革命軍の先陣を切ったのはソ連やドイツの支援の下に整備された機械化部隊で、ドイツ製Ⅱ号中戦車やソ連製BT軽戦車
シリーズや装甲車、トラック、自走砲を有する精鋭部隊であった。そして、その後方からドイツ製、もしくはそのライセンス版を装備した精鋭の騎兵部隊や歩兵部隊が後続として、補給部隊も連れて次々と満州連邦領に侵攻、その数は合わせて30個師団60万人を越える大軍であった。
この暴挙とも言える中華民国の動きに対して満州連邦軍は全くの劣勢であった。
当時の満州連邦軍はそれまでの経済重視軽武装路線を辞め、軍備拡大路線を進めており、この時にはそれまでの常設部隊6個師団3個旅団体制から常設部隊13個師団体制への発展的拡大をしていた。
満州連邦陸軍の師団は日米の支援もあって予備役で編成される後備師団も含めたほぼ全ての師団が自動車化師団であり、さらに全師団に一四式軽戦車を主力とした1個戦車連隊が配属されており、各歩兵連隊には国産の装甲車である34式軽装甲車が1個大隊配備されていた。この34式軽装甲車は65馬力空冷ディーゼルエンジンを動力源として搭載し、重量4.75t、最大装甲厚12mm、主砲40mm機関砲1門からなる軌走式の装甲車で、歩兵支援用の装甲戦力として運用されている。
師団砲兵には105mm榴弾砲と155mm榴弾砲が混合で配備されているなど高い作戦遂行能力と機動力をあわせ持つ有力な師団であった。また、自動車化師団とは別に機甲戦力を中核とした機甲師団が2個、エアボーンを主任務とする空挺師団が1個、ヘリボーンを主任務とする空挺師団が1個編成されていた。
また、満州連邦国内には日本軍6個師団が駐留していた。しかし、日本軍はソ連との関係もあって満州地域に駐留しており、華北には満州連邦陸軍10個師団と数個大隊規模の国境警備隊合わせて28万人近くが中華民国と睨み合っていた。
これは侵攻前には軍内部からも過剰な兵力と考えられていたが、実際には圧倒的なまでに不足しており、満州連邦政府は国境警備隊に遅滞戦のみに集中するように厳命すると共に軍に交通の要衝である西安の死守を命令する。また、山東省のでも済南でも死守命令が出されていた。
しかし、中華民国の人の波の前には多少の遅滞戦術など意味をなさず、さらに満州連邦空軍の多くの航空機を飛び立つ前に撃破し、空からも充実した支援を受けれた事から、国民革命軍の進撃は極めて順調に進んでいき、第一目標としてあげられていた蘭州、西安、鄭州の占領まであと一歩と言うところまでいく。
443: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22:16:32 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
しかし、ここで国民革命軍は、いやドイツ軍事顧問団は第一次世界大戦と同じミスを犯してしまう。そう補給線の軽視だ。
そもそも、国民革命軍は正面戦力を整備する一方で、予算の関係から後方部隊を削っており敵地での遠距離進撃能力はあってないようなものであった。その為、今回の侵攻は満州連邦の物資を持って補給を確立しようと国民革命軍は考えており、それは当初は上手くいっていた。
しかし、この侵攻を受けた満州連邦が日本軍に自国のインフラの破壊を要請した事と国民革命軍の数によってそれまでもような敵からの略奪による補給の確保は不可能となり、侵攻開始から一週間で西安まであと一歩と言うところまで進撃するものの、この頃には前線部隊では深刻な補給不足に陥り、国民革命軍の前進速度は非常に遅くなっていた。
さらに奇襲攻撃によっておきた満州連邦側の動揺もこの頃には収まっており、西安は交通の要衝であることから鉄道網も充実しており、補給や増援が迅速に送れる状態であったことや、日本側が本腰を入れて大規模な航空殲滅戦を華北上空で展開し、国民革命軍空軍に壊滅的打撃を与えていたことも国民革命軍に大きな負担をかけることになる。
この時の国民革命軍の主力機はドイツ製のFw110とBf109と言う極めて強力な戦闘機であり、爆撃機もSB爆撃機など旧式機も見られたが、主力はJu86やJu87と言った当時の航空機としては優秀な機体で、P-11や一二式戦闘機を主力とする満州連邦空軍となら例え奇襲攻撃でなくても互角に戦うことはできただろう。
しかし、彼らの相手が悪すぎた。この時の満州駐留日本陸軍航空軍部隊の主力機は高い機動力と搭載量を誇るジェット戦闘機である二四式戦闘爆撃機であり、これだけでも国民革命軍保有する全ての戦闘機よりもはるかに高い性能を誇っていたが、日本軍は万全の体制を敷くために本国の防空部隊にのみ配備されていた二六式要撃戦闘機や海軍の新型戦闘機である三〇式艦上戦闘機すら満州連邦に派遣していた。
史実では第三世代ジェット戦闘機と第二世代ジェット戦闘機に分類される戦闘機が容赦も油断もなく襲いかかって来たのだ。プロペラ機しか保有していない国民革命軍対抗できるはずもなかった。
制空権の確保に成功した日本軍は台湾や本土に駐留している戦略爆撃機部隊を使い満州連邦領内にいる国民革命軍へ空襲を開始する。この空襲によってただでさえ低い国民革命軍の補給は壊滅することになり、これらが原因で前線の部隊は物資不足に頭を悩ませることになる。また、前線部隊でもまともな対空装備を有していない国民革命軍は日本の航空戦力の的でしかなく、彼らは地上を蜘蛛の子のように逃げ回るしかなかった。
そして、国民革命軍の足は侵攻開始から三週間ほど経つと完全に停止、戦況は膠着状態に入る。
444: ホワイトベアー :2019/08/27(火) 22:17:08 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
(※1) Me263相当のジェット戦闘機で、ドイツ空軍の次期主力迎撃戦闘機として配備が進められている。
(※2) Me162相当のジェット戦闘機。一応Me162より開発期間に余裕があったこともあって史実であった翼の強度や接着剤などの問題は解決されている。
(※3)イギリスは自国で開発したグロウスター・ミーティア相当のジェット戦闘機であるスピリットファイアとヴァンパイア相当のハリケーンを主力戦闘機としておりましたドイツはMe210を、オーストリアはアメリカ製のMig-15相当のXP-25のライセンス機を主力戦闘機としていた。
以上になります。訂正とお詫びで、前39話で講和条約の締結は4月18日となっておりましたが、正確には5月18日でした。wikiへの転載はOKです。
最終更新:2019年08月28日 11:03