458: 透過の人 :2019/08/28(水) 23:41:19 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
日墨ルート
第二次世界大戦後、フランス帝国では本土国民の国外脱出が相次いでいた。
そして、諸外国の中にはそれをフランスの弱体化と捉えた国も少なくなかった。東南アジア唯一の独立国タイ王国もその一つだった。
第二次世界大戦を中立で過ごしたタイ王国は戦後、余剰となった兵器類を連合、ミッテルオイロパ陣営を問わず購入した。
目的は国境紛争を抱えるフランス勢力圏各国(注1)に対する圧力をかけて国境確定交渉をより有利に進めることだった。
ミッテルオイロパのロシア、ドイツはこれをチャンスと考え、最新兵器を装備した軍事顧問団まで送り込んだ。
これに気を良くした王国宰相プレーク・ピブーンソンクラームはミッテルオイロパ陣営に対し共同でのクラ地峡運河の開発を秘密裏に提案。
これを掴んだ英仏よりの強い抗議により運河建設は撤回するも、フランスとの対立姿勢は崩そうとしなかった。
そんなタイ王国にとってフランスの弱体化は格好の好機だった。

1945年、ついにタイ軍は越境を開始、カンボジア軍並びにフランス軍と交戦した
さらにドイツ製ジェット爆撃機によってサイゴンを空襲し、
その迎撃に現れたウーラガン(注2)と護衛のロシア製ジェット機が激しい空中戦を繰り広げた。
この知らせは英仏両国にとって衝撃だった。タイ王国が実際に動くとは思わなかったからだ。
フランスはすぐに空母機動部隊と現状動かせる唯一の45cm砲戦艦であるリールを向かわせると同時にイギリスに支援を要求したが、
イギリスの動きは低調だった。タイに近い最大の自治領であるインドでは領土を奪われたタイへの同情の声が大きく、
かといってマラヤ植民地は防備を固めるだけで精一杯だった。
モズレー内閣は本国軍を派遣してマラヤ、ビルマとタイの国境の警備を固めるとともに東洋艦隊を増強したが、
自らが宣戦を布告されていない現状ではできるのはこれぐらいだった。

フランス軍は本国艦隊の到着までフィリップ・オートクローク指揮のフランス軍とヴォー・グエン・ザップ指揮のベトナム帝国軍が、
数で勝るタイ陸軍をカンボジア中部でなんとか食い止めていた。
現地では第一次世界大戦時のイギリス諜報部のように戦いを有利に進めるべくタイ内部の反政府組織との接触を開始。
その中にはかつてタイ王国に滅ぼされたパタニ・スルタン国の再興を望むタイ深南部のムスリム独立派も存在していた。

しかし、それはフランス軍が考えもしなかった事態を引き起こす事になる。
それらの援助物資の一部はマラッカ海峡を超えて歴史的に繋がりの深いオランダ領東インドスマトラ島、
中でも独立意識の高いアチェ人組織の手に渡ったのだ。こうして、戦火は東インドにまで広がろうとしていた。

注1 フランス保護国ベトナム帝国、ラーンサーン王国、カンプチア王国、コーチシナ自治国のこと。仏領インドシナ及びその総督府は帝国再編の際に廃止された。
注2 グロースター ・サンダーボルトF.3(史実MiG-15相当)のフランスでのライセンス生産機。

459: 透過の人 :2019/08/28(水) 23:43:37 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
投下終了です。
とりあえずネタが浮かんだので、多分ゲートネタよりは良く書けた気がします。

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最終更新:2019年09月02日 10:10