54: yukikaze :2019/09/01(日) 17:33:09 HOST:219.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
ロンドン軍縮条約出来ましたわ。これで巡洋艦見直しができるかねえ。

ロンドン海軍軍縮条約

ロンドン海軍軍縮条約とは、1930年(昭和5年)1月21日から4月21日まで大英帝国の首都ロンドンで行われた海軍の軍縮条約である。
アメリカ(米)、イギリス(英)、日本(日)、フランス(仏)、イタリア(伊)の補助艦等の保有の制限が取り決められた。

1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約により、列強各国の建艦競争はひとまず終焉を迎えた。
唯一、1930年中ごろになるまでは16インチ以上の戦艦を建造できないイギリス海軍だけは、不満を持っていたものの、第一次大戦による祖国の疲弊は、彼らの我儘を許してやるほど甘くはなく、1920年代後半のドイツ革命及びそれに伴うドイツ大海艦隊の亡命によって、猶更、彼らの要望を聞き届ける余地はなくなっていた。
この事態にイギリス海軍は焦燥を覚えたものの、下手に海軍軍縮条約を破れば、日米の建艦競争に巻き込まれるだけであり、却って自殺行為であった。

特にイギリス海軍にとって目障りだったのがアメリカ海軍の伸長で、彼らは、1926年のフロリダ級廃棄を待って、念願の16.5インチ砲戦艦の建造に着手。
速度こそ23ノットと長門型より遅かったものの、垂直防御を343mmとし、主砲も50口径16.5インチ砲戦艦10門とした『コロラド級』4隻を就役させている。
アメリカ海軍にとっては待望の新型戦艦であり、『コロラド』就役時には、大勢のアメリカ国民が彼女の就役に祝福した程であった。

無論、戦艦だけでなく、その他の艦艇の建造も、彼らは熱心に行っている。
『エンタープライズ』級空母、『レキシントン』級装甲巡洋艦、『ペンサコーラ』級重巡洋艦と、ロシア共和国や瑞穂半島開拓に対する極東への投資によって、経済成長が堅調であったアメリカの状況を反映するかのような拡張振りであった。
第一次大戦の実質的な敗戦、更にはドイツ革命による欧州への中途半端な介入や、イスラエル独立戦争による仏と共同しての鎮圧で、ユダヤ資本との関係が悪化したことからくる不況により、海軍の艦艇更新どころか、維持に四苦八苦しているイギリス海軍の現況を考えれば、質の面で凌駕されるのは時間の問題であった。
そしてそれは「大英帝国の根幹は世界最強の海軍にあり」と認識していた、イギリス政府首脳部にとっても見過ごせるものではなかった。

もっとも、上記の理由はあくまでイギリス政府の都合でしかなく、他国がそれに付き合ってやる義理も義務もないのも事実であった。
事実、この時のイギリス側の軍縮案を見れば「舐めているのか?」と言わんばかりの内容であったからだ。

1 16インチ以上の戦艦の比率を、同数から、割合比率とする。(英米仏6隻、日伊4隻)
2 代艦建造した場合、その代艦は25年以上たってからの建造となる。
  例えばフロリダ級代艦であった、『コロラド級』3番艦、4番艦については、就役して20年後の1949年ではなく1954年に代艦建造許可
3 重巡洋艦については、10万トンを限度とし、軽巡は20万トンとする。日伊はその8割。
4 駆逐艦の保有量は15万トン。1,500以上は禁止。日伊はその8割
5 潜水艦は全廃
6 補助艦の代艦規定は、1920年前の起工だと竣工の日から15年、それ以降だと20年とする。

55: yukikaze :2019/09/01(日) 17:33:59 HOST:219.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
軍縮条約とは名ばかりで、徹頭徹尾『イギリス海軍が一番利益を得る』ものでしかなかった。
何しろ、1では16.5インチ級戦艦の量で日伊に差をつけ、2ではアメリカに対して質の差をつけ、3ではアメリカの重巡洋艦の拡充を防ぎ、4では日仏伊の大型駆逐艦建造構想を潰し、5では第一次大戦で一番痛い目にあった潜水艦そのものをなくし、最後の6では、第一次大戦中に建造して旧式化していた軽巡洋艦のほとんどすべてを代替できるようにしたのである。

この厚顔さに、各国代表は揃いもそろって呆れかえり、日本副代表の加藤寛治海軍幕僚長は「叩き台にしてももう少しまともな案を作ってほしいもんだ」と、コメントし、ロンドンにいた各国の海軍関係者が頷いた程であった。

特に、自国の海軍戦略が根底から覆される羽目になる米伊の反発は凄まじく、米海軍の俊英として同会議に特に参加することを命ぜられたアーネスト・キング大佐は「軍縮条約という名を借りたイギリスの覇権主義の表れ」と、マスメディアの前で切って捨て、イギリスの猛反発を受け(逆ギレともいう)会議途中で帰国を命じられ、『エンタープライズ』艦長に転任させられる羽目になる。
(これがキングのイギリス嫌いを決定的にさせた。)
一時は、米伊両国が会議脱退をほのめかし、軍縮条約は空中分解する所まで行った。

この現状に頭を痛めていたのが、フランス外相のブリアンであった。
彼にしてみれば、ドイツ革命のゴタゴタで、ベルギーを復活させ、悲願のアルザス、ロレーヌを奪還できたのは良かったものの、イギリスに輪をかけて経済が苦しいフランスにとっては、アメリカの投資と、イギリスとの協調、そして海軍予算の圧縮は何が何でも達成する必要がある代物であった。
彼は、イギリスの主張に一定の理解を示したものの(大型駆逐艦を除けば、フランスの損はない)「もう少しエレガントに話が出来んものか」と、20世紀以降顕著になっている、イギリス外交の雑さにほとほと呆れかえってもいた。

結果、ブリアンは、自らが旗を振って妥協案をまとめるしかないと判断をした。
幸いなことに、当時の日本側全権代表である牧野伸顕は、ワシントン海軍軍縮条約にも参加していた国際協調派であり、少なくとも軍縮条約の必要性を理解していたことは間違いなかった。
このブリアンの要請に、牧野も「日本も協力は惜しまない」と返答し、両者の間で妥協案と根回しが行われることになる。

さて・・・この妥協案であるが、ブリアンにしろ牧野にしろ、最大のネックとなるのは「どこまでアメリカが引けるのか」という点にあった。
既にアメリカ代表は態度を硬化させており、イギリスとの間で不毛な言い争いをしている真っ最中であった。まあアメリカ代表にしても、イギリスに恨み骨髄のユダヤ系の面々の存在に配慮せざるをえないという国内事情もあるのだが。
アメリカ代表であるケロッグ国務長官も、軍縮の必要性までは否定していないことから、あとはもう英米双方のメンツを立てる妥協案(最悪の場合は、イギリス抜きでの条約締結をも、牧野は覚悟した)をどう作るかの問題であった。
彼らは、フランスのデュメニル海軍大臣及び加藤寛治海軍幕僚長の助言を聞きながら、妥協案策定に動くことになる。

まず、日仏側は、イギリス側の上げた提案のうち、6はそのまま受け入れることとした。
確かにイギリスの保有している軽巡洋艦は老朽化しているのは事実であり、主力艦の先例もあれば起工時の年数に併せて代艦規定を設定するのは必要であるからだ。

だが、それ以外については論外レベルと言って良かった。
流石にこれはイギリスの意図が露骨すぎたし、だからこそイギリス以外の国が反発しているのである。
ブリアンにしても、1は日伊の、2はアメリカの反発が凄まじい状況であることから、あっさりと
消すことにしていた。

56: yukikaze :2019/09/01(日) 17:35:09 HOST:219.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
3については、日仏とも総量規制で決着をつける他ないと割り切っていた。
アメリカ側にオフレコで「20センチ砲巡洋艦は何隻必要なのか?」と尋ねた時、「20隻は必要」と回答を貰ったことから、英米仏の巡洋艦の総排水量を35万トンとし、6インチ砲を超え8インチ砲以下の巡洋艦は、総排水量の6割を超えない事とすることで、巡洋艦の建艦競争を抑制しつつ、アメリカ側の必要ラインを満たそうとしたのである。

4については、イギリス側の総排水量規制の提案はそのままで、最大排水量枠を2,000tにすることにした。
これについては、デュメニルも加藤も一切妥協するつもりはなかった。
加藤曰く「4個水雷戦隊48隻分は、2,000t級駆逐艦でないと、早晩陳腐化する」であり、巡洋艦のような割合縛りすら行うつもりはなかった。

5の潜水艦については反応が分かれていた。
実のところ、日本自身は「まあ全廃してもいいんじゃね」という部分があったのだが、妙に潜水艦整備に熱心なイタリア(戦艦戦力で劣勢なことに危機感抱いたドゥーチェの指示であった)を考えると、全廃は不可能で、こちらも総排水量規制にする所であった。
これについてはイタリア代表への譲歩という形で、各国とも5万トンとすることで、イタリア代表の了解を得ることに成功している。
(なお、他の補助艦については史実通りの扱いになっている。)

この妥協案に対し、予想通りというかイギリス側は反発したものの、議長国としての体面と、下手に自案に固執した挙句、補助艦での建艦競争を激化させた場合、イギリスがより損をするというブリアン達の指摘の前には、何も言い返すことができなかった。
せめてもの抵抗として、巡洋艦の総排水量を33万5千トンにすることで、英国は軍縮に努力したとアピールする位であり、加藤から「イギリス人はいい加減『国際協調』の概念を理解してもらえないだろうか」と、呆れられる羽目になる。

このように、表面上は『更なる軍縮』とアピールできたものの、実態は『アメリカの覇権が鮮明になった』でしかなく、相対的にイギリスの凋落が目立つだけであった。
この状況と金本位制の維持失敗からマクドナルド内閣は総辞職することになり。融和主義的傾向の強いボールドウィン内閣が成立することになる。

最後に、同条約における日本での反応については、42センチ砲戦艦保有の比率問題を除けば全くと言っていいほど話題に上がらず、戦艦の保有比率が従来通りとなった時点で、関心を失う状況であった。
海軍部内においても『条約維持が日本の国益だろ』で纏まっており、一部過激派の意見に対しても『英米仏全てを足す軍備を揃えられるか? 揃えられんだろ。では、こちらのやることは、これらの国が一致して反日にならんように、外交で働きかけることだ』と、意に返さなかった。

後年、ソ連や共産ドイツの拡大政策から軍縮条約が実質的に死文化したことに、最も残念がっていたのが日本であったことを考えれば、彼らが条約を日本の国益に足る存在と見ていたことは間違いないであろう。

57: yukikaze :2019/09/01(日) 17:46:45 HOST:219.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
投下終了。

ブリカス外交酷くねと思われるかもしれませんが、これ史実でもやらかしているというのが。
例えばワシントン海軍軍縮条約では「既に就役済みの空母や建造中の空母とかは建造枠にノーカン」としてのけ、アーガスやハーミス、フューリアスやイーグルを制限外艦艇にしてのけ、ロンドンでは赤城やレキシントンが1947年以降じゃないと代艦できないのに対し、イギリスはカレイジャス級代艦を1933年以降にできるようにしてのけた(アークロイヤル建造時の英国の建造枠13万5千トン丸々残っています)わ、巡洋艦についても、1934年以降はまるまる建造枠が使えるという状況に持って行っています。

正直「各国なんでイギリスの圧倒的優位な条約結んだん?」と、言いたくなるレベルの状況でした。史実においては。

まあ豊臣夢幻会世界では、史実以上にイギリスの国際的評価の下落と経済力の下落が進んでいますんでどちらかというとアメリカの優位性が発揮されるものになっています。<軍縮条約
まあ何気に一番利益得ているのは日本なんですが。

ちなみにドイツのゴタゴタのせいで、史実ではドイツに流れていたアメリカの金は、極東並びに戦後復興で忙しいフランスなんかに流れたりしています。(ブリアンがアメリカに譲歩した見返り)
まあ、この状況を上手くいかせれば、第二次大戦でのフランスの運命代わっていたんでしょうけど、惜しむらくは第三共和政の混乱がフランスの足引っ張るんですよねえ。

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最終更新:2019年09月07日 10:22