129: yukikaze :2019/09/05(木) 19:52:30 HOST:65.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
結局作ってもーた・・・
大和型戦艦
排水量 48,000トン(基準排水量)
全長 268.0m
水線長 260.0m
最大幅 35.0m
吃水 10.6m
主缶 ロ号艦本式重油専焼缶 8基
主機 技本式オール・ギヤード・タービン 4基4軸
出力 212,000hp
最大速力 30.0ノット
航続距離 18ノット/10,000海里
乗員 2,200名
燃料 重油:6,800t
兵装 50口径42cm3連装砲3基(『越後』は前部2基)
54口径12.7cm単装速射砲10基(片舷5基づつ)
50口径76mm単装速射砲12基(片舷6基づつ)
70口径20mm単装機銃(多数)
装甲 舷側 330mm(ヴァイタルパート部。19度傾斜)
甲板 170mm(主甲板 150mm+バックプレート20mm)
主砲防盾 450mm(前盾)240mm(側盾)200mm(天蓋)
搭載機 水上機3機(『越後』は大型及び中型ヘリコプター併せて32機)
同型艦 『大和』『武蔵』『越後』『甲斐』
※ 『越後』は建造中に改装され『越後型戦艦』とも。『甲斐』は建造率20%で建造中止。
(解説)
マル3計画において日本海軍が建造した最後の戦艦。
戦後は、全艦『越後』と同様、後部をヘリ甲板に改装し、強襲揚陸用戦艦として、各紛争に駆り出され、陸軍から絶大な支持を得る等、冷戦全般を通じて活躍した艦であった。
本型を語る前に抑えておかなければならないのが、1935年1月にソ連で承認された海軍拡張計画の承認である。
4万トン級戦艦8隻と、2万6千トン級巡洋戦艦8隻を10年間で配備し、共産ドイツにおいても、2万6千トン級巡洋戦艦2隻の配備を目指すことになるこの計画は、その真正面に立たされることになるイギリスを大いに刺激することになる。
元々、軍縮条約について「イギリスだけが損をしている」と感じている、海軍軍人や国民はそれなりに多く、彼らはソ連のこの動きを利用して、軍縮条約の見直しを行うよう、政府に対して圧力をかけることになる。
ボールドウィン首相自体は「そんな甘いこと許すわけないだろ。米も日も」と、この動きに嘆息していたとされるが、1931年のインド自治問題で対立して以降、保守党内の反ボールドウィン派の有力者であるチャーチルが、この動きに連動して条約見直しを主張していたことから、1936年に各国代表をロンドンに集め、軍縮条約の見直しの検討を行うことになる。
もっとも、前述したように「軍縮条約の見直し」と言っても、それを望んでいるのはイギリスだけであり、他国が見直しを望んでいないのも事実であった。
何より、ワシントン及びロンドンでの軍縮条約会議での、イギリスの露骨なまでの自国本位の姿勢は、他国からの忌避感を招いており、日米海軍に至っては「イギリス抜きで次は話し合いをするか」という発言が公然となされているほどであった。
故に、正攻法で攻めた所で、鼻で笑われるのがオチであり、成果を上げることは不可能と言えた。
だが、諦めの悪いことにかけては世界一なのがジョンブルである。
彼らは「正攻法が駄目なら搦め手でやればいいじゃない」と、「国際世論が『イギリスがやむなく軍拡している』ように思わせる」ことに注力をする。
勿論、自らの手を直接汚すようなことをしないのもジョンブルである。
彼らは、ソ連を不倶戴天の敵とし、日米とも関係の深いロシア共和国にこの手の宣伝を行わせることによって、「国際世論の後押しによる軍縮条約の見直し」を目論んだのである。
結論を言えば、イギリスの目論見は半分成功し、半分失敗した。
確かに彼らは主力艦を望みどおりに建造することができるようになった。
だが、同時に彼らは「共産主義の拡大を防ぐために、軍縮条約を一時的に凍結する」という、彼らにとっては斜め上の結論に至ったことに、頭を抱えることになる。
そう。ロシア共和国にとって重要なのは、あくまで「反共」であり、むしろソ連の海軍軍拡を奇貨として、列強各国が対ソ戦の為の軍備増強に走ることこそ筋であると動いたのである。
もはや何度目になるかわからない「策士策に溺れる」の展開であった。
130: yukikaze :2019/09/05(木) 19:53:10 HOST:65.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
これにより、列強各国は、軍縮条約を気にせずに、予算の許す範囲内で海軍拡張を行うことになる。
まずイギリス海軍は、1934年にQE級代艦として、悲願の16.5インチ級戦艦KGV級2隻を建造し始めたのだが、軍縮条約凍結後は、KGV級を改正したネルソン級4隻の建造を進めることになる。
一方で、空母については、1930年に建造していたアーク・ロイヤル級2隻をベースに作成した装甲空母『イラストリアス』級4隻の建造を望んでいたものの、装甲板の供給能力の問題からネルソン級を優先させたために、1937年度計画艦の2隻しか建造できず、同級改良型のフォーミダブル級は起工が1939年にずれ込むなど、歪みが生じることになる。
次にアメリカ海軍であるが、彼らはネイビーカーニバルを心の底から楽しんでいた。
1934年にニューヨーク級代艦として建造された、改コロラド級戦艦『サウスダコタ』級2隻(コロラド級を塔型艦橋にし、機関もターボ電気推進システムではなく、タービン機関にしたもの)により、23ノット級の16.5インチ砲戦艦6隻の就役が見込まれていたのだが、彼らは他国が有する高速戦艦に対抗する為に、1938年度と1940年度に併せて8隻の30ノット級高速戦艦『アイオワ』級を、更には1942年度には、全ての戦艦を凌駕すべく、6万トン級戦艦『モンタナ』級を4隻建造することを決定している。
もっとも、『モンタナ』級については、戦争に間に合わないことと、空母の方が汎用性が高いということで建造が中止されることになるのだが、イギリスと違い、空母建造でも、2万7千トン級空母『エセックス』級を16隻建造を進める等、金持ち国家の面目躍如と言わんばかりの行動を示していた。
では、これに対して日本はどうしていたのか?
彼らは空母建造に関しては熱心に動きを進めていた。
当時の日本海軍におけるドクトリンは『航空主兵主義』であり、何よりも強力な航空戦力こそ必要であるという考えから、2万5千トン級空母である『蒼龍』型の発展艦として、準同型艦である『雲龍』型空母2隻を、1939年には、本命とされていた4万5千トン級空母『翔鶴型』4隻の建造に取りかかることになる。
一方で、戦艦に関しては等閑視していた。
無論、山城型や長門型の改装については熱心に行っていた。
条約凍結時の両型が、山城型が30ノット弱の戦艦に、長門型が28ノット弱の戦艦になっているのを見れば、彼らが戦艦戦力の維持に努力していたのは事実であった。
そしてそうであるが故に、彼らは、これ以上の戦艦戦力の拡充について必要性を認めていなかった。既に並みの戦艦が喰らえば中破以上の損害を出す「37式61センチ長魚雷」の配備が進もうとしている以上、日本海軍軍人にとって、戦艦の戦力は相対的に下落をしていた。
が・・・これはあくまで日本海軍の考えであり、日本の政治家も国民も『海軍力=戦艦』であった。
そして彼らは海軍の拡張計画を概ね認めたものの、そこに戦艦の建造計画が入っていないことを問題視し、海軍に対して「英米の戦艦戦力強化に対応するよう、日本海軍も戦艦強化をするべき」という主張を繰り出したのである。
海軍にしてみれば「それ作る暇あったら、もっと別なことに使いたい」という気分ではあったのだが、かといって彼らの純粋な好意を無碍にした場合、後が怖いのも事実であり、更には山城型の耐用年数もそろそろ見なければならなかったことから、マル3計画として新型戦艦4隻も組まれることになる。
以下、本級について解説する。
主砲については、新開発された50口径42センチ砲を3連装砲で3基備えている。
主砲の機構については、長門型を基準としているが、長門型よりも砲身の長さが増していることから、砲塔内部の艤装もそれに合わせたものとなっている。
同主砲は、長門型でも使われている砲弾重量1260kgの超重量砲弾を利用しているが、長門型で問題となった、遠距離砲戦時に散布界が拡大する傾向が、長砲身による初速の増大によって改善されただけでなく、近距離での打撃能力の向上にもつながっている。
また、同主砲については、最初から射撃用レーダー(史実Mk.13)が組み込まれており、公試時における主砲試験では良好な成績を収めている。
副砲については、日本海軍の駆逐艦用主砲として開発が進められていた54口径12.7cm単装速射砲を採用している。
同砲は、毎分30発近い射撃を継続できるよう、揚弾薬作業を機械化している。
具体的には、最下部の弾火薬供給所においては、弾火薬倉から取り出された砲弾・薬莢が人力でドラム型弾倉に装填される。
弾倉に装填された弾薬は、一体となって上部揚弾薬機まで垂直揚弾されたのち、回転式移送装置により、砲塔に従属する(砲塔とともに旋回し、発砲方位に向いている)揚弾薬機に移送され、砲塔内に垂直揚弾されている。
131: yukikaze :2019/09/05(木) 19:53:55 HOST:65.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
当初計画では毎分40発を見込んでいたが、実験の結果、故障が頻発することになり、レートを30発に落とすことで、安定して射撃できるようにしている。
これにより、従来利用していた40口径12.7センチ砲の1.5倍の防空火力を有することになり、本級が戦後も防空火力の凄まじさを見込まれて現役に残る要因の一つとなる。
また、従来、中距離用として利用されていた40mm機関砲についても、ジェット機への対応には足りないとして、こちらも50口径76mm単装速射砲になっている。
同砲も、尾栓機構後部、砲尾両側にはロータリー式の自動装填機構を有している。
砲側の装填手は、2名ずつが左右両側に配置されており、砲架の後部に設置された回転式弾倉から弾薬を取り出し、自動装填機構に装填する。
装填された弾薬は左右交互に、砲の中心線上にある運弾樋上に落とされ、薬室内に装填される。
砲の発射速度は、毎分45発という凶悪な代物であり、1960年に
アメリカと共同して開発した62口径76mm自動速射砲採用以降も、補助艦艇等では現役であった。
もっとも、給弾は人力であり、発射速度を維持できるかは砲員の技量と体力に左右されるため、『海軍でも最も過酷な部署』とまで言われることになる。
防御については、長門型の大改装を元に配置している。
ただし、長門型の運用を元に改正が加えられているため、長門型よりも合理的な配置となっている。
それを示すように、長門型の水線長に対する主要防御区画は58%であるのに対し、大和型は53%にまで抑制されており、主要防御区画を圧縮することにより、防御装甲の厚さを増やしつつ、重量を抑制している。
なお、このデメリットとして、非防御区画が増える訳だが、潜水艦用低圧ポンプ・ブロアーを転用する事によって、注排水能力を格段に強化し、更に船殻縦貫強度部材の追加や、通路天井・舷側部側壁に装甲板を張り増ししたことで、戦闘時の移動も容易にするなど、応急の強化を行うことで対応している。
実際、大和がUボートの雷撃を受けた際は、迅速な応急が功を奏し、被害を局限した上で、戦闘行動を続けている。
KGV級が、フランス空軍の航空雷撃を1本受けただけで(推進軸付近という当たり所の悪さもあるが)、想定よりも大量の浸水が発生し、戦闘能力を失う羽目になった事と比較すれば、本級の水中防御の優秀さが見て取れる。
機関については、日本海軍の水上戦闘艦として最強の212,000馬力を達成している。
本級は、機関の効堪性の向上を狙って「缶―機―缶―機」とするシフト配置を計画していたが、これでは主要防御区画が拡大してしまうことから、長門型と同様の、ボイラー缶2基とギヤード・タービン1基を1セットとして並列に4セット並べられ、1セットごとにボイラー缶とタービンの順番が前後に入れ替わる方式にしている。(史実サウスダコタと一緒)
また、煙突については、1本の集合煙突にするとともに、天城型でも採用された後檣と一体化されるMACK構造を採用し、スペースの効率化に注力している。
なお、船体抵抗を低減する為に、内軸側をツイン・スケグとしているが、目立った問題は発生していない。速度についても、過負荷値では32ノット出しており、機動艦隊との運用に齟齬は生じなかった。
ちなみに本級の運動性能は、速度性能及び加速性能に秀で、2枚舵の採用によって高速艦でありながら旋回性能も良好であり、荒天時の航洋性にも問題がないとされている。
132: yukikaze :2019/09/05(木) 19:54:44 HOST:65.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
本級の中でも、最も特異な運命をたどったのが『越後』である。
彼女は、2人の姉に1年遅れて建造が開始されており、日本が第二次大戦に参戦することを正式に決定した時は、進水直前という状況であった。
その為、海軍としては「汎用性に難のある戦艦よりも、空母に改装するか、いっその事解体して資材を別なものに転用してはどうか」という意見が強く、艦政本部で改装空母にした場合の試算を行ったところ、改装に2年以上は見込まれ、更には排水量の割には、航空運用能力は、雲龍型より劣るという結論が出されることになる。
これにより『越後』も廃艦の決定が下されようとしたのだが、これに待ったをかけたのが、兵部大臣である山本五十六海軍大将であった。
山本自身は、航空主兵主義者として君臨し、大和型建造に対しても消極的な立場であったのだが、彼は、ここまで出来た船体をそのまま捨てるのも惜しいと判断していた。
そして彼は、憂鬱世界での記憶から、戦艦の主砲攻撃が、揚陸時における対地支援としては破格であること、更には、今後の揚陸作戦において、迅速に兵員を上陸地点に展開させる手段としてヘリコプターの有用性がますます増すことも理解していた。
故に、彼は『越後』建造を認める代わりに、第三砲塔を撤去し、代わりに後部甲板部分に兵員及びヘリ搭載区画を有する大型の上部構造物を設けることを命じている。
具体的には、艦尾側の最上甲板部には、ヘリコプター作業用甲板として、ヘリの発着用スペースが設けられ、その下にはエレベーターで通じた、大・中ヘリコプター32機が搭載可能な、1層式の格納庫が設置されている。
船体内部については、兵員用のスペースとなっており、主装甲版内部には、揚陸部隊用の作戦室等が設けられるなどしている。(なお、副砲を8基撤去するなどして空いたスペースにLCVPを12隻搭載する案もあったが、山本から「あまり意味はない」とされ立ち消えになっている。)
同艦に乗り込んだ陸軍第一空挺団の面々は「上陸作戦と聞いたが、まさか戦艦から出撃する羽目になるとは思っておらんかった」と、半ば呆れかえっていたが、マルセイユ近郊での上陸作戦『アイアン・フィスト』では、『越後』の砲撃支援の元、ヘリコプター大隊のが戦果を挙げており、後々まで『俺達は戦艦から出撃したんだ』と、自慢したとされる。
戦後は、軍事費の縮小等もあり、大和型も予備役から退役を取りざたされていたが、陸軍から「こんな立派な強襲揚陸戦艦を捨てるとは何事か」と、クレームが入り、実際に揚陸作戦での使い勝手も良かったことや、元来、揚陸指揮もこなしていた天城型が、まずは空母機動艦隊の指揮艦として重宝されていたこともあり、『大和』と『武蔵』も、『越後』に準じた改装を施されると共に、揚陸指揮艦としての機能も兼ね備えられることになる。
海軍としても、中程度の紛争ならば、大和型1隻と瑞鳳型1隻に護衛艦で対応可能であることから、虎の子の翔鶴型や大鳳型を出す必要もなく、また、対潜ヘリ運用においても、母艦として利用できることから、当初の想定とは裏腹に長く運用され、いつしか『世界最強の揚陸艦』『世界最強のヘリ母艦』の称号を得る羽目になる。
(なお、アメリカもアイオワ級8隻のうち、4隻を同様に改装している。)
1980年代になると、流石に老朽化が目立ちすぎ、また強襲揚陸艦も揃ってきたことから退役が取りざたされたものの、ヘリ区画の一部を潰して、代わりにVLS(48セル)を装備し、併せて、副砲を両舷2基づつ撤去する代わりに、艦中央部に4連装の巡航ミサイル発射器を4基置くなどして、対地及び対空能力の向上に務めている。
(なお、対艦ミサイルの装備も取りざたされたが、砲術課から「うちの主砲が見えねえのか」と、怒鳴りつけられ、止み沙汰になっている。)
本級は、冷戦終了後の軍縮により、真っ先に整理対象となり(機関等の老朽化が限界になっていた)1994年までに全艦退役している。
133: yukikaze :2019/09/05(木) 20:05:04 HOST:65.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
投下終了。
戦艦作らないといったな? うん。都合の悪い事は忘れてくれ。
ただまあ普通に戦艦作ったんじゃあ「いらねーじゃん」で終わるので戦後でも使えるような感を作成することに。
そしたらまあありましたわ。アメリカ海軍が割と真剣に考慮し、改装する寸前までいったやつ。
つ「アイオワ級強襲揚陸艦改装案」
はい。『越後』の元ネタはマジでこれです。
史実では、第三砲塔取り払って、一番煙突から艦尾分までに上部構造物立ててシーナイト20機運用しようとした奴。
ちなみに予算的にも実現可能なレベルだったのだが、当時のアメリカ海軍が『ソ連原潜何とかする為に第二次大戦型の駆逐じゃアカンのじゃ。改装じゃ』と、それに金使いすぎて(後、ナム戦)ポシャった訳なんだが。
じゃあそれ第二次大戦時にやってのけて、その運用から普通に作った奴を改装しようと。
うん。アイオワ級類似艦作れば全く問題ないな。(史実より10年越えで技術力上がったが故の乱暴さである。)
艦のスペックについては、アルザス級戦艦の4万5千トンverで、これクラスの装甲持っているんでまあ大丈夫かなあと。
アイオワと比べると大分厚くなっているけど、アイオワの場合ヴァイタルパートが長いのが影響しているしねえ。
(ちなみに防御の装甲配置は史実モンタナである。)
しかし、退役したとはいえ一度使われた『大和』が使われるかというと、まあ難しいだろうけどここはもう趣味の世界ですわな。
最終更新:2019年09月07日 10:32