542: ホワイトベアー :2019/09/14(土) 11:36:59 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 第42話

後に第二次世界大戦とも呼ばれるソ連のポーランド侵攻以降の一連の戦争群は中華民国と満州連邦間におきた満中紛争を最後に一応の終結を見ることになる。

中華民国に送った軍事顧問団の暴走とも言える行動によって日本および満州連邦に賠償金を支払うハメになったドイツ帝国では、軍部の責任が徹底的に追求されることになった。

無論、ドイツ帝国軍は必死に追求から逃れようと、全ての責任は軍事顧問団にあり、本国軍部は今回のことにか関わっていないと主張するものの、ドイツ軍事顧問団に居た人間の全てが現役の軍人であったことから言い訳としてしか受け入れられず、ドイツ帝国軍は対日対米戦略に則るドイツ帝国軍再編成計画の名の下に徹底的な粛清の嵐が巻きおこっていった。

これによって今まで参謀本部で圧倒的な権勢を誇っていたプロイセン派軍人はそのほとんどが更迭され、更迭を免れた軍人も秘密警察や親衛隊による監視がつけられるなどしたため、派閥は一気に縮小する事になった。

変わってドイツ帝国陸軍の主流派になったのはヴィルヘルム・カイテルらの親ヒトラー派であり、彼らは軍のナチ化を精力的に進めていった。これによって反ヒトラー派最後の牙城であった軍部もナチスに押さえられる事になり、ヒトラーはようやくドイツ帝国の軍事の主導権を握った。

大きな代償を払ったものの国内に居た獅子身中の虫を排除することに成功したドイツ帝国は、1940年11月に初めての欧州連合理事会(※1)の開催を打診、各国の承認を受けてミュンヘンにおかれた欧州連合仮本部にて第1回欧州連合理事会が開かれる。

欧州連合自体は先だって締結されたベルリン条約によって成立こそしていたが、その後の中華民国の暴挙によって日米とドイツ間の対立が悪化したことから、それ以上は進んでおらず、中満紛争の終結によってようやく開催にこぎ着けることができた。

この理事会での欧州連合全体の安全保障と外交方針が話し合われる事になったが、これは欧州連合主要国のほぼ全てが陸軍国であることや社会主義を掲げるヒトラーと共産主義を掲げるスターリンの親和性が予想より高かった事もあって、当初の日米英の三カ国の予想を裏切りこの会議は順調に進んでいくことになる。

特に安全保障の面では欧州連合加盟国各国は大きな協調姿勢を見せる事になり、日米との衝突に備えて各国の部隊から構成される超国家的な軍隊であるヨーロッパ防衛軍の創設とその管理機関であるヨーロッパ防衛機構を欧州連下部組織として創設することが決まる。本来なら決して受け入れないはずのソ連は、冬戦争での敗北や欧州防衛機構のトップをドイツ軍将校とソ連軍将校の持ち回りとすることをドイツ側が約束したこと、この会議中におきたオリヒメ・ショック(※2)も合わさった事もあり、むしろドイツとともに積極的にこの提案を推進していった。

また、オリヒメ・ショックで発覚した日本の宇宙開発に対抗する為にドイツ人科学者フォン・ブラウンを中心とし、フランス・ソ連の科学者達で創設されたロケット開発機関である欧州ロケット開発機構も設立することが決定し、日本の独壇場であった宇宙開発に参戦する為の準備を行っていく。

543: ホワイトベアー :2019/09/14(土) 11:37:46 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
こうした欧州の統合の動きにたいして日米英も警戒を抱いていき、年を越した1941年4月には大日本帝国、アメリカ合衆国、オーストリア・ハンガリー帝国、満州連邦、朝鮮連邦、オスマン帝国と言った国々の代表が一同にしてハワイ特別自治区オアフ島に集結、そこで集団安全保障条約であるハワイ条約が締結され、日米を中心とした軍事同盟であるハワイ条約機構が誕生する。余談であるが、イギリスはこちらにもオブザーバーとして参加していた。本題に戻ろう。こうしたハワイ条約機構と欧州連合挟まれる形となったイギリス本国政府は各自治領政府の間で実質的な集団安全保障条約であるオタワ協定が成立するなど、勢力圏の引き締めに走る。

この三大勢力のなかで最も大きな勢力圏を誇っていたのは恐らくイギリスであろう。この時のイギリスはイギリス本土の他にカナダ、オーストラリア、南アフリカ、ニュージーランドと言った自治領やアフリカ、インド、東南アジアの各直轄植民地を有しており、単独で日米陣営や欧州連合に匹敵する潜在国力を有するほどであった。

しかし、この時のイギリスはもはやこれだけ大きな勢力を統治する力は存在せず、イギリス連邦内の自治領は親日親米のカナダとニュージーランド、親ドイツの南アフリカ、オーストラリアと真っ二つに別れており、難しい舵取りを迫られていく。

こうした理由からイギリス本国政府はどちらかの陣営につくことができず、単独で日米陣営と欧州連合に対抗する必要に迫られた。この時のイギリスは西欧戦争で想定より早くフランスが陥落した事から軍備に損害を受けておらず、島国と言う特性と欧州最大の海軍によって当面の間なら単独で欧州連合に対抗する事ができると見られていた。しかし、将来的には単独で対抗するのは不可能だと言う事は明白であり、イギリスはいまだに世界恐慌の経済的に厳しい状態であるのに軍備の削減は難しかった。

しかし、ここで諦めないのがイギリス紳士・淑女であった。イギリス政府は単独での核開発での予算を少しでも削るべく、欧州連合の核兵器研究所に諜報員を獲得するべく動き出した。そして、イギリスはロシア革命時より独自に築いた対ソ連諜報網を活かしてイギリス諜報部の《ジョイ(JOY)》と言うコードネームを持つエージェントがソ連の研究員を工作員として抱き込む事に成功、多くの情報を得ることできた。これによってイギリスの核開発は一時は欧州連合に大きく引き離されたものの、一気に欧州連合に追い付くことに成功できた。

このイギリスの暗躍は欧州連合は1960年代に入るまで把握することができず、その間、欧州連合の兵器はほぼ全ての情報がイギリスに流れていくことになり、イギリスの兵器開発に大きな影響を与えていった。その代表例が遠心式ジェットエンジンを搭載した為に開発されてすぐに旧式機の烙印を押されたスピリットファイアの後継機として登場したタイフーンであり、主力戦車となったセンチュリオンであろう。

タイフーンはハリケーンの再設計機であり、エンジンを従来のものよりはるかに強力なデ・ハビランド ドラゴンに換装することによってハリケーンを越える積載量を獲得し、欧州連合に潜伏していた工作員よりもたらされた後進翼の概念が試験的に導入されたことによって優れた運動性と上昇性能を有していた。さらに機体強度も高かく、改装によって艦載機としても運用が可能であったこともあわさりイギリス本国はもちろん各植民地や自治領でも主力戦闘機として採用されていった。

544: ホワイトベアー :2019/09/14(土) 11:38:30 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
また、イギリスは工作員より得られた情報の一部を日米への取引材料としており、特に核開発の情報は日米すらも大まかにしか掴めていなかった事もあって技術供与など高く売る事ができた。

一方、欧州最大勢力となった欧州連合はこの時期には味方の獲得を第1としており北欧三国やバルカン諸国に対する工作に力を入れていた。

特に先の冬戦争やアイスランド紛争により盛大に日米に対して恨みを持っていたデンマークや同じく冬戦争時に中立を踏みにじられたノルウェー日米への恨みがあったことから親欧州連合的であり、大なり小なり欧州連合に組み込まれており、スウェーデンも一応中立であったが欧州連合陣営に半ば組み込まれていく。

冬戦争の関係から国民世論は親日的であったフィンランドは北欧三国、ソ連、ドイツと言った欧州連合陣営の国家群に包囲された状態であり、難しい舵取りをせまられていた。その為、同国は政治的・外交的には親欧州連合的な中立を保つのが精々であり、事実上北欧は欧州連合陣営の裏庭となっていく。

さまざまな民族が入り交じるバルカン半島では欧州連合の支援を全面的に受けているブルガリア王国とルーマニア王国が対オスマンを前提としたバルカン同盟を結成していた、これがハワイ条約機構加盟国であるオーストリア・ハンガリー帝国やオスマン帝国と睨み合っておりです国境近くでは武装した両軍の兵士が見ることができた。また、バルカン半島のオスマン領やオーストリア領では現地民族の独立機運が高く、これらの事が合わさりバルカン半島は欧州の火薬庫から世界の火薬庫にレベルアップしている始末であった。現状での全面衝突を望んでいない各陣営はこのバルカン問題では国際連盟の名の下に連絡を密に取り合ってなんとかバルカン情勢を軟着陸させようとしていたが、一方で各陣営は各国を時陣営に留めておくために経済面、軍事面での支援や政治工作を行っており、最新の武器や航空機がバルカン半島に配備されていった。

その為に、バルカン半島、特にルーマニア、ブルガリアの2国とオーストリア、オスマン帝国の国境での緊張は依然として収まる事はなく、一度爆発し、対処に誤ると世界大戦がおきかねない状態に代わりはなかった。

その一方、欧州各国の植民地として分割されており、各陣営の勢力圏入り交じるアフリカでの対立はそこまで激しくはなく、むしろ安定していると言っても過言ではなかった。これはアフリカを植民地としている各国がアフリカでの騒動の結果として植民地を失うことを恐れていたからであり、日米もハワイ条約機構加盟国への支援にそこそこの出費をしており、下手に干渉して自国の負担を大きくすることを望んでいなかった。そうしたなか理由があるなかで、とくにアフリカで大きな利権を持っていたイギリスとフランスは陣営こそ違うもののアフリカでの秩序を守ろたいと言う点では利害が一致しており、イギリスは同じくアフリカに植民地をもつオーストリアを取り込むことで日米を説得、フランスはスペインやベルギー、さらに1941年に欧州連合に加盟したポルトガルなどのアフリカ利権を持つ加盟国と協力してドイツとソ連を説得することによってアフリカでの基本的な相互不可侵協定を秘密裏に締結することになる。

日米陣営の行動は後に詳しく語ろうと思うのでここでは割愛させていただく。

ともかくとして、世界は対立の種が蒔かれていくものの、いまだにその芽が芽吹く事はなく、一応ではあるが世界は穏やかであった。

545: ホワイトベアー :2019/09/14(土) 11:39:14 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
(※1)
史実欧州理事会にあたる組織であり、欧州連合全体の方針を決める事をおもな仕事の1つとしている。

(※2)
1940年10月に大日本帝国が世界各国のマスコを招いて宇宙船オリヒメ1号による世界初の有人宇宙飛行を行ったと言う大事件。オリヒメ1号の打ち上げから地球への再突入、強襲揚陸艦による回収はマスコミ関係者の徹底的な調査や検閲こそ入ったが、ほぼ全てが公開され欧州列強につよい衝撃を与えた。

なお、地球最初の宇宙飛行士と言う輝かしい名誉を手にしたのは、大日本帝国海軍の西沢広義(ロケット打ち上げのすぐあとに二階級特進した)であり、彼は後に記者たちにたいして「その時、地球は青かった」と言う言葉を発したと言う

(※3)
大日本帝国憲法では、それまでの風習もあって参政権は成人男性にのみ与えられる不可侵の権利と明記されており、その他の人権は女性にも与えられていたが参政権は男性の特権となっていた。

546: ホワイトベアー :2019/09/14(土) 11:40:59 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
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最終更新:2019年09月22日 11:45