595: ホワイトベアー :2021/09/28(火) 01:42:33 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 第43話(改訂版)

1940年代、欧州でドイツが中心となって欧州連合の統合と加盟国の増加を行っている一方で、欧州連合の仮想敵とされた日米陣営であるが、彼らはそこまで派手に動いてはいなかった。

この時の日本はアメリカの急速な工業力の発展や満州連邦や朝鮮連邦の国力向上がありながらも、いまだに世界第一位の工業力を有し、世界最高位の経済・軍事大国として君臨しており、豊かな人的資源と経済力を活かして科学研究・技術革新におけるリーダー的存在としての地位を維持し続けていた。

しかし、その内面では国内の各地で社会インフラの老朽化が目立ち始めており、また、幻夢会による効率的な改革を実施するために史実よりも中央集権化を推し進めた弊害で、都市圏への人口流入による過疎化と言う問題が姿を表し始めるなど様々な問題がチラホラとだが目に付き始めていた。

そうした中で日本大陸のインフラの更新による地方での雇用創造することで一時的に人口の流入を止め、大陸全土を高速道路・高速鉄道などの高速交通網や航空輸送網で結び、地方の工業化を促進し、過疎と過密の問題とを同時に解決すると言った要項を纏めた日本大陸改造論を掲げていた徳川家正が1040年に内閣総理大臣に就任する。

もともと、日本政府は中央集権を強めるために帝都東京と地方を結ぶ高速交通網の整備には力を入れており、都市圏と地方を結ぶ高速交通網の整備は十分行われていたが、反面、地方と地方を結ぶ高速交通網は軍備拡張などに予算とられてしまうなどの問題から遅々として進んではいなかった。

しかし、徳川家正が内閣総理大臣に就任したことを契機として日本政府はしれまでの軍備重視の政策を見直していく。彼は「工業再配置と交通の全国的ネットワークの形成」と「情報通信の全国的ネットワークの形成」を纏めた日本大陸改造論を政策として掲げており、国防予算を大幅に削り、それまで大蔵省が渋っていた国債を発行するなど取れる手段は全て取り、高速道路や高速鉄道が次々と着工し、さらにこれらと連動して航空網の再整備や全国的な民間回線の構築を活発に行っていく。

これまでの日本は豊かな国土を守る為に軍事に関わるモノに多くの予算を投入していた。しかし、日本大陸でのインフラの更新を含めた日本大陸改造論に則った政策を実施するには莫大な予算が必要であることは子供でも理解できる事であり、政府や大蔵省は当初は累進課税と相続税の大幅な強化といった方法での資金集めを行っていくが、それだけでは予算が足りなかった。

こうした状況で割を食うことになったのは、やはりと言うべきかそれまで多くの予算を与えられていた軍である。まず、予算の大幅な削減が決められ、それに伴っての軍備縮小が行われていく事になる。この軍備縮小と言う判断の背景には欧州で欧州連合と睨み合うオーストリアやオスマン帝国やソ連と睨み合っている満州連邦や極東ロシア帝国と言ったハワイ条約機構加盟国の軍事力の増強があった。

596: ホワイトベアー :2021/09/28(火) 01:44:21 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
オスマン帝国は第一次世界大戦以降、日米の支援の下でアラビア半島でのアラブ人反乱を鎮圧することに成功したこともあってアラビア半島での確固たる統制力を有しており、同半島の石油資源をその手に納めていた。そして、これらの資源によって得られた莫大な資金を元手に国内の近代化を次々と進め、世界恐慌の影響を受けながらも経済は飛躍的に成長させている。それに伴って軍事力も向上しており、1940年代に入る頃には列強に数えられる程の軍事力を手に入れていた。一方、ドイツ帝国やソ連、イタリアと言った欧州連合加盟国に半場包囲されている状態にあるオーストリアでは日米支援のもとで回復しつつあるとはいっても、世界恐慌によっていまだに深い傷跡が残っていながらも、軍事力に力を入れており、日米の最新兵器も輸出されていた事もあっていまだに有力な軍隊を保有している。

アジア方面では満洲連邦が満中戦争の後も自国の経済事情と相談しながらではあるが軍備の拡大を続けて行っており、1940年代にはいると日本製のF-30(※1)やアメリカ製M4A3主力戦車が実戦部隊でも運用されているなど装備の質も極めて高い状態にあった。これは極東ロシア帝国や朝鮮連邦も同様で、各国の軍備強化と合わせてハワイ条約機構と言う集団安全保障体制の構築により単独で軍備を保有する必要も薄まり、日本の軍事負担が大きく軽減されていた。

また、オスマン帝国やオーストリアはもちろん、満州連邦や朝鮮連邦でも装備の更新と軍備拡大による軍需の拡大が発生し、日本の軍需企業やそこから献金を受けている政治家には兵器輸出拡大と言う飴で軍縮を認めさせる事ができた。また、この頃の日本企業人材が不足しており、若い働き手を求めていた財界の賛成もあり軍の反対もむなしく軍備が縮小されることになった。

まず、軍縮の対象となったのは組織の特性から最も多くの兵士を抱えていた陸軍である。この頃の大日本帝国陸軍は満中紛争の直後と言うこともあって凖戦時体制に移行しており、歩兵師団28個、空挺師団2個、機甲師団5個と大規模な軍備を有しておいた。これらの戦力は日本領土はもちろんハワイ条約機構加盟国にも大軍を駐留し、とくに海外への駐留はほぼ全ての費用を日本が負担していた事から、日本政府の財政にバカにならないほどの負担をかけていた。

この為、兵器の性能の高性能化に伴い日本陸軍の戦略単位であった軍を従来の3個師団体制から2個師団体制に変更。現役師団のおよそ1/3を削減することによって陸軍は軍の縮小を図る。また、削減される師団の多くはスケルトン師団以外の師団が選ばれてしまった事によって人員も多く削減された。

唯一の救いは兵力削減による過度の戦力の低下を嫌った政府によって各部隊により多くの砲兵戦力と機甲戦力を追加できたことだが、当然ながら解体された戦力の方が多かった。

これ連動してそれまで別であった欧州派遣軍と地中海派遣軍を統合し、新規に地中海方面軍を創設。有事の際の指揮系統の統合を果たす。

こうした改革によって陸軍の平時での定員は75万人にまで削られた。兵士定数の削減に合わせ、兵器の高性能化や組織の複雑化によって兵士にも専門性が求められてくるなど世情に合わなくなっていた徴兵制を正式に停止(廃止ではない)軍は兵士になる条件を高校卒業程度の学力があるものとする。

597: ホワイトベアー :2021/09/28(火) 01:50:30 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
陸軍地上軍に軍縮の嵐が吹き荒れていく一方、陸軍航空軍はこれ以上の削減は難しいとして、規模の縮小こそなかった。それでも組織改革は免れず、帝国軍再編成計画に則り固定翼機を運用する部隊は一部の輸送部隊や偵察部隊を除いて新たに創設される事になった「空軍」に移転されることになり、陸軍航空軍は回転翼機を主力とし、地上部隊支援を目的とする陸軍航空隊に再編成され規模を激減させることになる。高射部隊でも陸軍航空軍の管轄下にあった本土防衛用に固定配置されているミサイル部隊は軒並み空軍に移籍させらていくなど、権限は大きく削られていった。

今回の軍縮では今まであの手この手で軍縮を避けてきた海軍にもメスが入れられる事になり、海軍上層部はどの艦艇を残すかで頭を悩ませることになる。

これまでの帝国海軍は軍縮のたびに陸軍をサンドバッグとする事で何とか大幅な規模の縮小を回避して来たこともあって、主力艦だけでも20int砲搭載艦である《大和》型戦艦4隻に18int砲搭載艦である《紀伊》型戦艦4隻、《長門型戦艦》4隻《早池峰》型巡洋戦艦4隻と新鋭艦である《大鳳》型原子力航空母艦4隻(さらに4隻は建造中)、さらに従来より日本海軍の航空戦力の中核を担っていた改惴鶴型航空母艦8隻、瑞鶴型航空母艦8隻、蒼龍型航空母艦16隻の計52隻も保有していた。これに巡洋艦や駆逐艦、フリゲート、潜水艦と言った戦闘艦を1000隻近くも抱え込んでおり文字通り世界最大の艦隊を有する海軍であった。しかし、今回の軍縮でそうは行かず、海軍にも大蔵省の魔の手が迫る。

戦艦や空母と言った主力艦こそ、いくら技術差があるといっても、欧州連合と言う明確な脅威がいまだに存在している状況で大幅に減らすのは問題があるため、旧式化著しい蒼龍型航空母艦と長門型戦艦、早池峰型巡洋戦艦の予備艦化するだけでその他の戦艦8隻、空母20隻と半数以上を維持することが認められたものの、数が多い巡洋艦以下の補助艦艇についてはそうは問屋がおろさない。

それまで海外駐留艦隊の水上打撃戦力の中核を担っていた《秩父》型大型巡洋艦はその運用コストの高さからいまだに艦齢10年未満でありながらもその全てが退役させられ、ハワイ条約機構加盟国であるオスマン帝国や満州連邦、オーストリア帝国などに払い下げられていった。

ミサイル巡洋艦は旧式艦を改装した艦艇が多かった為、《改鞍馬》型ミサイル巡洋艦や《改大淀》型ミサイル巡洋艦と言った重巡洋艦や軽巡洋艦を改装して仕立てあげたミサイル巡洋艦は一斉に退役させられ、巡洋艦で残ったのは20年代後半より就役していった《最上》型ミサイル巡洋艦28隻と30年代から就役したイージスシステムを搭載する《金剛》型ミサイル巡洋艦10隻(さらに追加で32隻建造する計画あり)の計38隻のみで、最終的な定数は42隻とされる。

巡洋艦と同様に駆逐艦の定数も同様に削られる。新しく配備が進められていた《秋月》型ミサイル駆逐艦や《島風》型駆逐艦は計画通り建造することが許されたものの、旧式化が目立ち始めていた《改夕雲》型ミサイル駆逐隊《陽炎》型汎用駆逐艦や《初春》型対潜駆逐艦などのより前の艦艇は全て退役させられ、駆逐艦の定数は120隻まで削減された。さらに対潜駆逐艦と言う艦種は巡防艦と統合されていき、《伏見》型巡防艦の後継艦として設計されていた《名倉》型巡防艦と《石垣》型巡防艦が対戦任務を担う艦艇として配備されていくが、当然の事ながら艦艇数は少なく、《初春》護衛駆逐艦と《伏見》型巡防艦の後継艦でありながら、わずか166隻の配備しか認められなかった。

水上艦艇で唯一定数の維持に成功したのは史実乙型護衛艦を下に沿岸警備を主任務として設計された海防艦群のみでこれは160隻の保有が認められた。

598: ホワイトベアー :2021/09/28(火) 01:55:52 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
こうして、主力艦を含めてほぼ全ての艦艇が削減されていく一方で唯一削減を逃れた艦種があった。その艦種とは潜水艦である。もともと日本海軍は次世代の海戦や抑止力の主力を担う艦艇は空母と潜水艦と考えており、これらの研究に多くの力と予算を注いでいた。

その事からこの頃には原子力潜水艦を実戦配備しており、世界最強の潜水艦隊を有していた。その反面、潜水艦の建造および運用コストの増大によって従来のように300隻400隻と言ったように数を揃えることが不可能となっており、潜水艦の数事態は第一次世界大戦時の日本海軍と比べると顕著に減っていた。

その数は戦略型、攻撃型合わせて100隻近くしかなく、これ以上の削減は全世界の海での展開を主任務としている潜水艦隊に大きな負担をかけることにんるとして、海軍が断固として守りと押したのだ。最も、それもあって巡洋艦以下の補助艦艇が予定より多く削られてしまったが……

戦闘艦など高価な艦艇の削減が進む一方で揚陸艦や輸送艦、各種補給艦など日本帝国の対外戦力投射能力を支える艦艇群は数の増強を許されたが海軍の慰めにもならなかった。

こうして海軍は一通り艦艇の整理を進めていったが、それだけでは足りないとして大蔵省は更なる海軍の軍備縮小の為に空母航空団を除いた海軍航空総隊所属部隊の空軍への移転と海軍海兵隊の縮小を強く要求する。海軍は対潜哨戒機部隊の空軍への移転と海兵隊の縮小には反対するものの、その他の部隊、特に海軍の予算を容赦なく消費していく戦略爆撃機部隊と弾道ミサイル部隊の移転には大賛成であり、大蔵省の要求を大義名分に核戦力《負債を空軍に押し付けようと動き出した。

しかし、空軍はその組織規模から陸軍航空軍出身者が主流派となるのがほぼ確実であったため、陸軍への不信感が脱ぐ得きれていない政府が核戦力の空軍への移転を拒否してしまう。そして、政府は大蔵省の反海軍派とも言える派閥の官僚の首をいくつか切り、海軍の軍縮は大蔵省の要求より少なく済ませる。しかし、その代償に新設された空軍の予算が当初の予定より減らされてしまい、それが理由で空軍と海軍の中は創設当初から悪い状態となる。

日本の核抑止の3本柱(弾道弾・戦略爆撃機・戦略型原子力潜水艦)を保有・管理する事になった海軍は、当然ながら核抑止の観点から他の2軍より多く予算が割かれる事になる。

しかし、戦略爆撃機部隊やその護衛部隊、弾道弾部隊の維持は帝国海軍にとって重りで有り続けた、事あるごとに空軍に押し付けようとして政治家がそれを止めるという茶番が繰り返されていく。

今回の軍縮の目玉とも言える空軍の創設と言う大改革であるが、これは空軍創設決定から早々に上記したように核戦略部隊の所属を巡り陸軍航空軍と大蔵省、海軍、政府を巻き込んだ騒動がおきる。

空軍の設立に対して、陸海軍双方の反応は正反対であった。陸軍はこれは陸軍は固定翼機をほぼ全て失うことになるとして大反発をするが、海軍は最低でも空母航空団と海兵隊航空隊は海軍の管轄に残る事が決まっており、さらに予算奪い合いが激化するかもしれないが、核戦略部隊と言う重しを他所に押し付けれるのならお釣りがくると考えていた。そのため、空軍の創設に手放しとは言えないものの賛成的であった。

実際に夢幻会は空母航空団や海兵隊航空隊の他に対潜部隊、救難部隊、飛行艇部隊を海軍に残し、戦略爆撃機部隊やその護衛部隊、弾道ミサイル部隊を空軍に移転しようしようと考えていた。しかし、非転生者の政治家や官僚達が抱いている陸軍への不信感を彼らは侮っており、最終的には上記した通りに核戦略部隊は海軍に残されることになり、結局、空軍の創設は陸軍の権限を削り、陸海軍の予算競争相手を増やすと言う両軍にとって不利益な結果に終わる。

海軍航空隊が移転されなかった事から大日本帝国空軍は陸軍航空隊の看板を変えただけの組織としてスタートを切ることになり、空軍の主流派は当然陸軍航空軍出身者で占められた。これは空軍の戦力整備方針にも強く影響を及ぼした。以後の空軍は航空優勢の確保と本土防空・地上部隊への近接戦術航空支援を重視して組織の整備が進められていく。
余談であるが、陸軍から独立した後も陸軍との関係は良く、対立も少なかった。反面、海軍に対しては戦略部隊の移転の件で感情的なしこりが残っており、しばし方針の違いでぶつかっていくことになってしまう。

599: ホワイトベアー :2021/09/28(火) 01:57:24 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
空軍の創設と平行して行われたのが三軍の統合であり、1940年代後半にはそれまで戦時にて一時的に組織されていた大本営の廃止が決定。その代わりとなる最高軍事補佐機関として統合参謀本部が新たに創設された。この統合参謀本部は軍事戦略の立案などや、内閣総理大臣と国防大臣、国家安全保障会議への軍事的助言をその任務としており、司令部としての機能を持つ陸軍参謀本部や海軍軍令部とは違い現場部隊への指揮権はないと言うそれまでと違う特徴を有している。また、日本軍はこの頃には各軍種が高度・専門化してきており、作戦行動の際には軍種によって指揮系統が分かれることは作戦の阻害要因(縦割り)にもなりかねないと考えていた夢幻会によって、軍種を超えた統合司令部を設置することが軍事作戦の効率化に繋がると言う意見が軍で急速に広まっていき、後に統合司令部と地域別統合軍、機能別統合軍と言う組織を新たに作り出す土壌となっていく。

軍事改革により政府の目論み通りに軍事費は大きく縮小していき、その他の手段で集めた予算と共に日本大陸改造論の下に計画された公共事業の財源に当てられた。そして、この大規模な公共事業は退役した兵士達に職を与え、欧州各国と言う市場を失った事や軍縮によって労働力が増加した事で停滞の兆しを見せていた日本経済のカンフル剤となった。実際にこの頃の日本経済は緩やかにではあるが成長を取り戻していく。しかし、この頃にはアメリカ合衆国はもちろん満州連邦や極東ロシア帝国、朝鮮連邦と言った日米の実質的な属国ですら発展した工業力を有する程に成長しており、既存のハワイ条約機構の有する市場では供給が需要を大幅に超えかねない状態であるなど問題もあり、これはあくまでも一時しのぎでしかなった。

また、こうした問題を差し置いても徳川内閣も万事順調とはいかなかった。そうしたいくつかの問題の中で、特に徳川内閣を悩ませた最大の問題は女性の参政権問題であった。

大日本帝国の選挙はアメリカをモデルとした事もあって普通選挙制を採用している。しかし、フランス革命当時の欧米と同じように、男性のみの参政権が明文化されており、政治は男性の特権として扱われていた。

その為、朝鮮戦争後からは女性の中には政治的権利を希求する意識が醸成されていったが、それでもこのときはまだ表だった問題は出ていなかった。

その後、日本では黄金の20年代とすら呼ばれた1920年代に一部財閥が日本の産業全般を占められる事を阻止するために経済の自由化をより推進すると言う名目で独占禁止法が大幅に改定され、さらに夢幻会主導の下に旧態依然としていた保守層を守るために存在していた各種規制、既得権益の多くが撤廃もしくは大幅に緩和され、経済の健全化がなされていた。こうした改革や国際的な好景気を背景として女性の社会進出が進んでいくことになる。この女性の社会進出と言う波は世界恐慌の影響で一時的にストップがかかってしまうが、それでも緩やかに進んでいく。

女性の社会進出と並行して女性の政治的権利を求めた気運が徐々に高まっていき、1930年後半には日本各地で女性活動家を中心とした参政権を求める運動が公然と行われるほどにまでいたった。

この頃の女性活動家達の活動はあくまでも女性の参政権付与を求める論文を掲載したり署名活動を行ったり、公聴会を開くなど平和的なもので、もともとリベラル的な政治家であった徳川家正の日本人女性達にも参政権を与えるべきだと考えてと合わさり、いわゆる大学生などの知識人を中心に少なくない男性が女性の参政権付与の為に動き始めてるほどにまでいたった。しかし、参政権を持つ多くの一般男性は旧来の男女価値観を抱いており、一部の先進的知識人を除いて女性による参政権要求運動を快く思ってはいない者が大多数であったことから票を気にする政治家達からの賛同はあまり得られなかった。

600: ホワイトベアー :2021/09/28(火) 01:58:17 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
また、前世の記憶を有している転生者達もその多くが平成での女性政治家に対する記憶やフェミニストへの嫌悪感から夢幻会も現段階での女性参政権には否定的であり、上からの改革は頓挫。国民の啓蒙も思うようには進まず、時間だけが流れていった。

むろん、女性の権利を拡大させようとするこの活動は女性からは好意的に見られており、当初は多くの応援の手紙などが届けられていた。しかし、多くの女性達は空気をこの活動を快く思っていない社会の空気を読んでしまい、次第に彼女らから離れていってしまう。それでも対話によって参政権を求めようとする女性達は多くおり、7割ほどが穏健的であった。
だが、周りからの理解が得られないことから次第に活動が尖鋭化していく女性も少なくなく、そうした一部の女性達は何らかの方法で今の日本の体制を崩壊させないと男女の平等を達成するのは不可能だと言う考えを持ち始めてしまう。そしてそうした女性たちに一部の先進的知識人が加わった事で彼女らは平等を掲げる共産主義と出会ってしまい、左派学生を中心とした全国学生自治連合や、レーニン主義を掲げる共産主義者同盟、ハワイの独立を求めるハワイ人民解放戦線と言った共産主義、反日的な考えを持つ勢力と接近していくことになる。

そうして、これまでは行進やビラ巻き、街頭演説、署名集めと言った女性の参政権を求めてた運動よりも放火や爆弾テロ、さらには暴動などと次第に女性参政権運動家過激派による過激な事件が目立ち始め、警察機動隊や陸軍憲兵隊などとの衝突も加速的に増えていく。当然、こうした行動はそれまで女性参政権に否定的であった有権者達はもちろん、今まで女性参政権に賛同的であった知識人や一般女性なども女性参政権運動に反対的な立場へと追いやってしまい、こうした支持者離れがさらなる先鋭化を促すという見事な悪循環のはまってしまう。

そして、1946年2月27日、こうした事態を重く見た昭和天皇陛下が国民の心を慰撫するために帝都東京より全国に巡幸しようとする車列に女性権利活動家達が爆弾を投擲すると言う大事件、昭和天皇暗殺未遂事件が発生。昭和天皇陛下の命に関わる傷を負わなかったものの、軽傷を追うという帝国政府始まって以来の大事件となり、さらに死者5名、重軽傷者3名を出す大惨事になってしまった。

この事件に(参政権を持つ男性の)世論は激昂、女性参政権運動に対する厳しい弾圧を望むようになる。こうした世論の圧力は夢幻会に都道府県戦闘警備隊、統合情報局、警視庁(※2)人質救出隊(※3)、都道府県警機動警備隊(※4)、都道府県警察および警視庁地方支部局特別警備隊(※5)、陸軍憲兵隊を投入した大規模な武力鎮圧を決意させてしまう。

そして、1946年3月8日、夢幻会の指揮のもとに統合情報局・軍・警察はこの一連の騒動に決着をつけるために有力な女性参政権運動家達およびその支持者を逮捕するべく一斉に行動を開始する。

まず、大規模に動いたのが都道府県戦闘警備隊及び警察機動警備隊であった。彼らはこの日に日本各地で計画されていたデモの参加者を逮捕するべくほぼ全隊が動員され、次々と摘発を実施していった。一部の地域では石を投げるなどの抵抗もあったが、こうした抵抗が確認されると機動警備隊は抵抗の激しさに関わらず容赦なく催涙弾を水平射撃で撃ち込んで行き、それでも抵抗をやめない場合はゴム弾などの低殺傷能力兵器を装填した短機関銃や自動小銃になどの銃器による発砲が実施され、無力化された後に次々と逮捕していった。

デモ参加者達が都道府県警察機動警備隊によって次々と逮捕されているのとほぼ同時に警視庁特別警備隊と人質救出隊は各左派系過激派活動グループの拠点を強襲。中にいた活動家達を容赦なく無力化と逮捕を行った。一部の拠点はほぼ無抵抗で陥落させるこちができが、しかし、大半の拠点では猟銃や手製の爆弾などを有している活動家達が激しい抵抗を見せ、自動小銃や短機関銃で武装する警察や憲兵達と銃撃戦に発展していく。当局側にとっては不幸な事に、こうした抵抗が見られる拠点はそのほとんどが要塞化されており、中には制圧の為に陸軍が戦車を投入しなければならないほどの拠点すらあり、警察と憲兵隊は制圧の為の対価として少なくない犠牲を払う事になった。

601: ホワイトベアー :2021/09/28(火) 02:00:57 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
とくに帝都東京にある全日本婦人協会本部では同協会に所属する人間や協力関係にあった勢力からの増援など500名前後の男女が警視庁特別警備隊を中心とし、活動家達の検挙を目的とした治安維持部隊の間で激しい攻防戦が行われ、警視庁が保有する軽戦車を投入。30人以上の死者とその10倍以上の重軽傷者を出しようやく制圧するほどの大惨事となった。

警察に逮捕された数は最終的には14,000人を越える規模であったが、そのほとんどは特に問題のないデモ参加者であった事から不起訴処分とされ取調終了後に釈放される事になったが、裁判にかけられた女性参政権運動家や共産主義者など2200名あまりであり、彼ら彼女らは事件発生から1年あまりたち開催された裁判で大逆罪が宣告され、即日死刑が執行されることになった。


この一連の騒動は全国規模でおきたことから一般人達にも広く知られる事になった。また、各主要マスコミ達も事件終結後もこの事件を大々的に、そして詳細に放送し続けていった。

そして、今回の事件の真相と検挙された組織の実態が明らかにされるにつれて、女性参政権運動に参加していた者や擁護していた者たちの面目と社会的信用は丸つぶれになっていった。かくて、これまで女性参政権運動を否定的に見ていた人間はもちろん、最後まで女性参政権運動を好意的に見ていた人間や養護していた人間もこの事件によって同運動を嫌悪するようになっていっていった。

こうした結果、女性参政権運動は大幅な後退を余儀なくされ、再び同様の内容の運動への不信感が拭われるまで半世紀以上の時間がかかる事になる。

余談であるが、事件解決後に事件発生時現場の警護担っていた剣虎師団師団長および幕僚、現場責任者であった第1剣虎連隊連隊長以下幕僚が切腹自殺を図ると言う事件も発生すると言う事件や当初女性活動家に理解を示していた徳川家定が総辞職をおこなうなど事件終結後も日本の政治に大きな影響を与えた。

ここまでなら日本での内政問題として解決するはずであったが、この事件はその規模から諸外国にも知れ渡る事になり、日本と対立を深めていたフランスなどの欧州連合の一部(なお帝政ドイツやソ連は粛清やら戦後の混乱やらで見に覚えありすぎて黙っていた)がこの事件を利用して日本は女性を差別する国家だと大々的にプロパガンダを展開、アメリカの“自称“先進的知識人やフェミニスト達、さらには黒人運動家達も日本を大々的に非難するなど、国際的なプロパガンダ競争で欧州列強に遅れをとってしまう。

また、調査を進めていくと、今回起訴された活動家達が所属する左派勢力の多くが欧州連合陣営のフロント企業から資金援助を受けていた事実が判明し、政府への責任問題にまで発展してしまう。

こうした事を受けた日本は欧州各国の植民地支配を公然と批難していく、影響力下においているテレビやラジオなどのアメリカマスコミを動員して“自称“先進的知識人やフェミニスト達の不祥事の暴露や、各左派勢力の実態の公開、事件の矮小化などのプロパガンダをおこないつつ、密かにであるが、欧州連合加盟国の植民地運動家達に本格的な資金や物資の提供などを開始するなどの報復処置を実施していった。

602: ホワイトベアー :2021/09/28(火) 02:01:51 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
(※1) F-30
三〇式艦上戦闘機の海外での名称。本来ならType-30とするべきではあるが、それでは名前だけでは爆撃機や攻撃機、戦闘機の違いが判りにくいと言う意見が日本内部からも続出したため、このような形となった。

(※2)
政府の汚職、複数の都道府県に渡る広域事件、強盗事件などの捜査を担当する国家警察。史実FBIのような組織であり、東京に本部をおき、各都道府県に複数の地方支分部局を設置している。なお、東京都の治安維持は東京都警察の仕事

(※3)
警視庁本部の有している集団警備力の1つであり、夢幻会肝いりで創設した対テロ特殊部隊。即応部隊としての側面も持っており、地方支部局所属の特別警備隊だけでは対応が難しい場合は増援として派遣される

(※4)
史実の機動隊をモデルに各都道府県警察の下に編成されている部隊。M4カービン相当の三六式自動小銃やMP5相当の三六式短機関銃などが配備されている重装備部隊で、集団的警備力及び機動力を有しており、治安警備及び災害警備等の中核部隊としての役割を有している。

(※5)
ハイジャックや各種テロ事件など通常の警察官では対応困難な重大犯罪で被害者等の安全を確保しつつ事態を鎮圧し、被疑者を検挙することをその主たる任務として編成されている警察型特殊部隊。各警視庁地方支部局の下に編成されており、警視庁管轄の事件や都道府県警察機動隊では手に負えない事件が発生した場合に投入される。

603: ホワイトベアー :2021/09/28(火) 02:03:05 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
以上になります。これを書いているときと軍備関係の設定がちょこちょこ変わってしまいましたので改訂版を挙げさせていただきました。

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最終更新:2024年08月23日 22:35