901: yukikaze :2019/10/13(日) 09:56:01 HOST:91.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
ちょいとお口直しの一品を投下。

沖縄型護衛艦

排水量  1,500t
全長  100m
最大幅  10.4m
吃水 3.5m
主機 艦本式24号12型ディーゼル4基
出力 8,000hp
最大速力 25.0kt
航続距離 16kt/6,000浬
乗員  180名
兵装   50口径76mm連装速射砲2基
     70口径20mm単装機銃6基
     305mm4連装対潜ロケット砲
     3連装短魚雷発射管2基
同型艦  32隻

(解説)
日本海軍が戦時中に建造した対潜護衛艦。
水中高速型潜水艦に対応する為に建造された艦であり、第二次大戦終了後も地方隊主力として長く現役に留まることになる。

第一次大戦以降、日本海軍の仮想敵国第一位はイギリスであった。
これは、ロシア共和国成立問題により、日米が政治的に連携せざるを得ず、必然的に日米海軍も協調関係を維持し続けなければならなかったからなのだが、その一方で、協調どころか、事あるごとに自国本位な行動しかしないイギリスとの関係は、徹底的に冷え切っていた。

結果的に、日本海軍はイギリス海軍が自国に対して侵攻した場合の対応を考慮せざるを得なかったのだが(逆にイギリスは日本のインド侵攻を真剣に考慮していた)、この時日本海軍が懸念していたものの一つが、イギリス海軍による無制限潜水艦戦であった。

第一次大戦において、潜水艦にトラウマレベルの被害を受けていたイギリスであったが、そうであるが故に、彼らは潜水艦戦を自家薬篭中のものにしていると、日本海軍は判断していた。(実際には碌に進歩しておらず、日本海軍は完全に呆れかえっていた。)
そして、日本海側はともかくとして、東南アジアやアメリカとの航路においてイギリス海軍が大規模な潜水艦戦を施した場合、日本海軍は、イギリスとの艦隊決戦を行う前に完敗してしまうという結論も出ていた。

1930年代において、日本海軍は、第四艦隊を海上護衛専門部隊として常設することにしたのも、イギリスによる無制限潜水艦作戦を危険視したことへの現れであったのだが(余談だが、第二次大戦において、護衛範囲が格段に広がったことで、第四艦隊だけでの対応が困難になり、最終的には、各海域ごとに護衛艦隊司令部が作られることになる。)、この時期の日本海軍にありがちなことに、彼らは、自らの技術的進歩の速さに自縄自縛に陥ることになる。
巡洋潜水艦四型と呼ばれる、水中高速型潜水艦の登場であった。

902: yukikaze :2019/10/13(日) 09:57:48 HOST:91.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
この巡洋潜水艦四型は、日本海軍でどちらかと言えば冷遇されていた潜水艦派にとって、逆転の切り札とも言うべき艦であった。
史実UボートXXI型のリファインと言ってもいい同型は、水中を最大18ノットで機動出来た。この艦は、従来の対潜護衛艦の価値を著しく減少させることになった。
何しろ、これまでの対潜護衛艦の速度が(軍縮条約の縛りもあるとはいえ)、20ノットに抑えられていることから、新型潜水艦との間に速度差が殆どなく、潜水艦を制圧するための運動の余裕がなくなってしまったのである。
実際、演習では、同潜水艦の果敢な攻撃に、護衛部隊は効果的な対潜バリヤーをはることに失敗し、散々な目に合ってしまっている。

この事態に、海軍側は、従来の対潜護衛艦では、船団護衛は困難ではないかという事実を不承不承ながら受け入れざるを得なかった。
無論『安価な艦を多数保有する』ことにより、数での制圧を行うという意見もあったが、コストを考えれば、画餅でしかなかった。
第一、高性能潜水艦を補足し、攻撃すべき兵器も、同様に高性能化、複雑化をするのが確実である以上、どれだけ費用が安くても、相手を討ち取る手段がなければ意味がなかった。

1939年に計画された新型対潜護衛艦案は、この現状の追認に他ならなかった。
彼らは、戦時中に、かつて想定した大量の護衛艦を就役させることが不可能であるのならば、ある程度大型化した船体に、優秀な対潜装備を乗せた艦を、平時においても一定数保有し続けなければならないと判断したのである。
無論、想定よりも護衛部隊が格段に減少する以上、エアカバーによる対潜が必要であるというコンセンサスも出来ており、彼らは、対潜哨戒機や対潜ヘリの開発に尽力するのだが、それは別の話である。

以下、同艦について説明する。

主砲については、この時期に完成した戦艦や巡洋艦の対空火器である、50口径76mm連装速射砲を2基備えている。
対潜が主任務であるとはいえ、個艦防空能力も必要であるということで装備されたのだが、2番砲塔については、近代化改修において、アスロックを備えることになる。

対潜兵装としては、球磨型軽巡洋艦の一部に採用された305mm4連装対潜ロケット砲が、1番砲塔と艦橋の間に設置されている。
砲弾は1発辺り80kgの重量であり、射程として、1,500m~2,500m有している。
同システムは、遠隔操作で旋回・俯仰・発射でき、甲板下から12回の再装填が可能である。装填時は、仰角を90度と垂直にし、筒後端より装填することになる。
同システムと、325mmアクティブ音響ホーミング誘導式魚雷が、同艦の対潜兵装であるが、誘導魚雷については、信頼性が低く(あわや自艦に直撃する事例もあった)同魚雷の信頼性が構築する1940年代中頃までは、対潜ロケットが重宝されることになる。

船体については、コスト逓減と居住性の為に、商船構造を大々的に採用している。
また、船体設計に当たっては、従来は重量配分を基準として行われていたのに対し、同級では、日本海軍の軍艦としては初めて、スペースベースの手法が導入された。
これにより、レーダーやソナー、指揮・統制(C2)装備など電子機器やそのための各種配管・空調設備のため、急激に増大していたスペース所要への対応がなされた。
科員一人あたりの居住面積は2.5平方メートルとされ、冷房量の増大に伴い、従来の低圧通風方式に替えて中圧通風方式を採用、ダクトの大型化を回避し、出口騒音の増大に対して低減対策を施している。

機関については、艦本式24号12型ディーゼルを、減速装置を介して2基ずつ2軸にまとめるというマルチプル・ディーゼル方式が採用されている。
また、同級では、ソナーへの影響を考慮して、主機の防振・防音対策の強化が図られている。
特に、煙突と煙突室の容積を有効活用して排気管の拡張性を大きくするなど消音器の能力強化が図られて、かなりの成果をあげている。

903: yukikaze :2019/10/13(日) 09:58:23 HOST:91.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
同級は、中堅所の造船所複数社に発注がなされ、1943年までには、追加分も含めて32隻全艦が就役している。
同艦の能力は、第二次大戦型の潜水艦相手には過剰と言ってもよい性能を誇っており、「鶏を割くのに牛刀を持ってきたようなものだ」と評されたものの、水中高速型潜水艦が主流になるにつれ、慌ててそれに対応する護衛艦を備えなければいけなくなった英米ソに比べれば、はるかにアドバンテージがあったといえるであろう。

もっとも、同級を多数備えていたことから、海軍側は、主に予算の問題から、同種艦種を整備することがなかなかできず、1970年代には、近代化改修して尚、陳腐化しているのが実情であった。(特に機関の老朽化が激しかった。)
結果的に同級は、1980年代まで地方隊に存続することになるのだが、最終艦の『志賀』が退役する時の海軍幕僚長は、最初に乗艦したのが『志賀』であったことからか、「まさかこの立場でお前の最後を看取るとは思わんかった」と、慨嘆することになる。

これ以降、対潜護衛艦については、現在まで建造されておらず、海軍としても、地方隊も含めて今後どうするかが纏まっていない状況である。
もっとも、同級は、日本海軍にとって、最後の『島名を冠した艦』であったことから、離島出身者を中心に、離島名を艦名として採用することを願う声が多い状況である。

904: yukikaze :2019/10/13(日) 10:09:11 HOST:91.228.242.49.ap.seikyou.ne.jp
投下終了。元ネタは史実自衛隊のいすず型(と・・・いうより『きたかみ』か)
ディーゼル機関の問題考えると、もうちょい全長延ばしてもよかったかと思う所である。

第二次大戦型となると、まあタコマ級あたりを量産すれば事足りるのですが(何気に沖縄級の前級がまさにそれ)、頭痛いのが、それ大量に作っても、1960年代には完全に置物にしかならないことに。

結果的に、原潜はともかくとしても、通常型ならまだ戦える艦を今のうちに作っておくことで、少しでも予算を節約しようとしたのがこれ。
まあ・・・第二次大戦終了したら、日本周辺で無制限潜水艦作戦出来る国なんてどこにもないので、ほぼ無用視されて、結果的に代艦建造が無くなった訳ですが・・・
まんまあぶくま以降の海自のDEやな・・・

豊臣夢幻会世界、周辺国家で日本に敵対できるだけの海軍力持つのいないせいで、ある意味日本海軍にとって、予算確保が大変なんですよねえ・・・
唯一左団扇なのが、戦前は比較的冷遇されていた潜水艦(戦略原潜)というのが、皮肉ではあるのですが。

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最終更新:2019年10月22日 14:17