723: ホワイトベアー :2019/11/10(日) 15:06:35 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
汝、豆戦車を讃えよ

満州連邦初の国産装甲車両

34式軽装甲車

全長  :3.94m
全幅  :1.90m
全高  :1.87m
重量  :4.85t
速度  :40 km/h
乗員  :3名
行動距離:240km
装甲  :18mm(最大)
    : 4mm(最小)
武装
主砲  :M20 25mm機関砲×1門
副武装 :八九式七.六二粍車載機関銃×1丁
エンジン
同和自動車製作所空冷直列4気筒ディーゼル


34式軽装甲車は満州連邦で初めて開発された本格的な軍用装甲戦闘車両であり、歩兵に対する火力支援と非装甲車両の撃破、敵勢力への威力偵察、警戒任務などを目的として開発され、1934年に満州連邦陸軍に採用された。

当時の満州連邦陸軍の機甲戦力は当時の軽軍備経済重視政策もあって日本より供与された一三式装甲偵察車のみであった。しかし、一三式装甲偵察車は路外踏破性能が悪いと言う欠点もあり、1920年代後半に入ると後継車両の導入が検討される。

この時、満州連邦陸軍では後継車両の調達にあたり、

1.国産の装甲戦闘車両の独自開発
2.日本、もしくはアメリカ製装甲車両のライセンス生産
3.日本、もしくはアメリカ製装甲車両の輸入

と言う三つの案が検討された。また、日米の企業も最低でも3桁近くの需要が見込まれた事から積極的に売り込みをかけていき、陸軍内部では2のライセンス生産が内定しかけていた。しかし、自国の軍需産業の育成を行いたい満州連邦軍技術研究本部や陸軍の一部の働きかけもあって国防大臣であった張 作霖が国産開発に強引に変更させる。これには陸軍主流派は大きく反発するものの、決定を撤回させることはできず、1927年に正式に一三式装甲偵察車の後継車両の国内開発が決定した。

開発は満州連邦最大の重機メーカーであり、自動車メーカーであった同和自動車製作所が担当する事になった。

しかし、軍用の装甲車両の開発は初めてと言う事もあって、当初の試作車両ではエンジンの位置の問題から真夏や9月の残暑が残る時期で運転したら操縦席周辺の温度が極めて高くなる、エンジンの騒音によって車長との連携に支障が発生する、側面装甲はライフル弾によって撃ち抜かれる、エンジンの出力が不足しているなど、多くの問題が噴出した。これらの問題は当然修正されなけれれば正式採用などされるはずがない。

まず、エンジン出力不足は空冷ガソリンエンジンから、空冷ディーゼルエンジンに変更することで解決させ、さらにエンジンの配置を後方に変更することによって車内温度の高温化とエンジン音による連携への障害と言う問題を改善させることに成功する。また、防御力の向上では装甲の厚みを12mmから18mmに増加させ、さらに車体形状には避弾経始が徹底的に配慮させることで小火器による攻撃は防げるようになった。

こうした改修の結果、車体重量は当初の試作車両より増加する事になったが、エンジンの出力も増大したために出力/重量比は逆に向上している。

主砲には、関東製鐵製が開発し、日本軍の装甲偵察車にも採用されている20式25mm機関砲を満州製鉄所がライセンス生産したM20 機関砲を搭載しており、砲塔両側面には発煙弾発射機(3連装)を装備している。

724: ホワイトベアー :2019/11/10(日) 15:07:37 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
当初の計画では34式軽装甲車は対装甲車両も担う予定であり、主砲には満州連邦軍技術研究本部が独自に開発した36.7口径37mm対戦車砲を搭載する予定であったが、中華民国軍の機甲戦力が想像より遥かに強力であったことから、この砲では対抗できないとして満州連邦陸軍は素直に日本製の軽戦車である一二式軽戦車の導入を決定、結果として本車両の任務から対装甲車と言う役割が消滅した事から、速射性能が高い25mm機関砲を採用している。

砲弾としては徹甲弾と榴弾の二種類が用意されており、徹甲弾は射距離2,000mの傾斜角30度の25mm装甲板を貫通可能であるため、当初の予定よりかは低いが一定ながら対装甲車両能力も有する。

エンジンとして同和直列4気筒空冷ディーゼルエンジンを搭載してる。これは装甲戦闘車のエンジンとしては非常に珍しい渦流式と呼ばれる方式を採用している。これがなかなかのくせ者で低温時の始動が弱いという弱点があり、ディーゼルノックを起しやすいという欠点もあった。

その反面、燃料消費量は1時間当たり7リッターと言う燃費の良さもあったため同エンジンは最後まで搭載され続ける。

1935年より量産が開始され、同年に180両、翌36年に110両、その後の二年間では合わせて60両が生産されるなど大量に製造され、当初の目的通り一三式装甲偵察車の後継車両として師団捜索大隊に配備されていった。しかし、本車両が最も活躍した中華民国軍との戦闘においては防衛戦がメインであったこと、制空権を確保できていた事から偵察任務で活躍することは少なく、歩兵部隊と共に防衛戦での活躍の方が圧倒的に多かった。

本車は調達コスト削減の為にファミリー化もなさえれており、35式装甲運搬車、35式装甲観測挺進車、同和トラクターなどの派生型が開発され、これらの車両も34式軽装甲車と同様に陸軍に配備されていった。

725: ホワイトベアー :2019/11/10(日) 15:09:15 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
以上になります。

修正点などが御座いましたらお知らせ下さい。

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最終更新:2019年11月11日 12:07