796: 透過の人 :2020/01/05(日) 23:58:13 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
「日墨世界におけるハーケンクロイツ」
2020年 大日本帝国帝都東京 とあるファストフード店
「いらっしゃいませ」
「あ、来たかこっちだぞ」
店内に店員の声が響くとすかさず入店した男を先に座っていた仲間たちが呼んだ。
「ふう、転生してから初めての東京だったけどこの店は一発でわかるな」
「まあ、あの目印だからな」
そういうと仲間の一人が店外に高く掲げられている『鈎十字』の旗を指し示した。

ドイツ語でハーケンクロイツと呼ばれるその旗こそ現在世界を席巻中のファストフードチェーン「ヴェヴェルスブルク」のシンボルだった。

「ヴェヴェルスブルク」の歴史は第二次世界大戦終結直後にまで遡ることができる。
当時、敗北こそ免れたもののドイツ帝国の国土は荒れ果てていた。特に連合軍による核攻撃を受けたケーニヒスブルグの被害は深刻だった。
そんなときに立ち上がったのがバイエルン王国で有機農法の権威として知られていたハインリヒ・ヒムラーだった。
彼は東プロイセンに飛ぶと農業指導を行い現地を再建しようとしたが、問題が起きた。東プロイセン産の農作物に対する深刻な風評被害だった。
ヒムラーはそこで発想を転換し、自らが農作物を売る店を作ろうと考えた。
海軍を負傷により除隊したラインハルト・ハイドリヒ、
生まれ故郷ザールブリュッケンを空襲で焼け出せれていた弁護士で同じく東プロイセンにいたヴァルター・シェレンベルクなどを迎え、「ヴェヴェルスブルグ」は始動した。ハーケンクロイツはその時ヒムラーが採用したシンボルだった(注1)。
ヒムラーが最も重視したのは菜食の推進だったが、これがまず躓いた。というのも肉食を好むことの多い欧州人の口にまず合わなかったからだ。
しかし、救いの手は意外なところから差し伸べられた。
1950年から始まったブラジル戦争で散布されたDDTの健康被害が報告されていたアメリカだった。
これによりドイツでヒムラーが提唱していた有機農法にも注目が集まり、その流れでニューヨークに出店が決定。タイムズスクエアが宣伝のためハーケンクロイツで覆われ、著名なラジオパーソナリティーのアドルフ・ヒットレルなどの有名人も駆けつけた。
かくしてアメリカを中心に店舗を広げた「ヴェヴェルズブルク」はその後は勢力圏の垣根を超えてインドやテュルクアラブにも進出した。

「お待たせしましたガラナです。」
「…相変わらず元道民の俺としては複雑なんだけど」
「まあ、いいじゃん美味しいし」

ガラナ。これも「ヴェヴェスブルク」の看板商品のひとつだった。
「ヴェヴェスブルク」のアメリカ進出時に現地の炭酸飲料に対抗して新商品の開発を迫られたヒムラーは、
ブラジル帰還兵が持込んだガラナ飲料に着目し、ユナイテッド・フルーツと組んでガラナ栽培に力を入れさせた。
これがきっかけとなりブラジルは戦後ガラナ共和国と呼ばれる事になる。


当初は赤地にハーケンクロイツだけだったが、青卍社(注2)と区別するために白い丸が足された。
注2
カール・ローゼン伯爵を代表に発足した人道支援団体で独自に多数の輸送機を保有して物資を輸送するという点で特色があり、所属資格はかなり厳しい。近年では民間軍事会社と契約して独自に基地警備を行うなどしており、行き過ぎではという批判もある。

797: 透過の人 :2020/01/06(月) 00:01:29 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
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最終更新:2020年01月06日 09:37