349: 加賀 :2020/01/03(金) 19:32:45 HOST:p2761248-ipngn200907osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
日本国防海軍
重巡洋艦『八雲』(1958年 再就役時)
基準排水量 15000トン
満載排水量 19000トン
武装
58式60口径20.3サンチ連装砲 4基
50口径3インチ連装速射砲 2基
単装ターター発射機 1基
58式対艦ミサイル発射機連装4基(後に四連装型に換装)
12.7ミリ機関銃10基
機関
IHI・GE式55年型缶 9基
55年型IHI式タービン 3基
装備
OPS-1対空捜索レーダー 1基
OPS-5対水上捜索レーダー1基
NOLR-1電波探知機(ESM)1基
Mk.56砲射撃指揮装置4基
《概要》
元は旧ドイツ国防海軍のアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦三番艦『プリンツ・オイゲン』である。『プリンツ・オイゲン』が日本国防海軍に編入されたのは紆余曲折の出来事だった。
そもそも、ケーニヒスベルクの戦いで侵攻するソ連軍に艦砲射撃まで浴びせたのは良かったが只でさえ機関の調子が悪かった事もありダンツィヒの港で停泊する事となり結局、機関は直らずに侵攻してきたソ連軍に接収されてしまう。
戦後もダンツィヒに停泊していたがスターリンのウラジオストク艦隊増強命令により第二のバルチック艦隊並に日本海へと回航された。この時も航路途中で機関故障したりしたが回復するまで『ノヴォロシースク』(伊戦艦『カイオ・ジュリオ・チェザーレ』)に曳航されたりと何かと不幸がある。ウラジオストクに到着後は巡洋艦隊の旗艦『シベリア』として日本海側で活動していたが機関不調の件もあり其ほどの活動記録は存在していない。
転機が訪れたのは第二次日本海海戦であった。『シベリア』も参加していたが日本側の駆逐艦『雪風』が放った酸素魚雷が艦尾左舷付近に命中し左舷機関室が全滅し航行能力を失い漂流する事態が発生。
後に『足柄』らの掃討隊が接触するまで政治士官側の戦闘続行派と艦長側の降伏派による殴り合い・銃撃戦が発生し多数の死傷者を出してしまう。
《日本艦として》
日本国防海軍による接収後、上層部では『シベリア』の処遇をどうするかの議論が続出していた。即ち解体派と編入派である。
最終的には米側の意向(艦艇不足の懸念説等多数の説が存在)で日本艦への編入が決定。その後は米側の支援もあり1958年に『八雲』として再就役したのである。
武装は元々搭載していた20.3サンチ連装砲を主軸としていたが実験艦の意味合いも兼ねていたのでターターや対艦ミサイル発射機が他の艦艇より早期に搭載していた。(搭載のための改装する期間の問題で当初予定していた1955年就役が遅れた)
また機関も米側のをIHIがライセンスした缶を搭載、タービンも艦本式を元に作られたIHIの新型タービンを搭載する事で機関不調から漸く脱出したのである。
就役後は主に日本海側への警備を任された第三艦隊に配属され旗艦を1984年まで務めた。(後継はミサイル巡洋艦『神通』)
その後も第三艦隊の一員として属し多少の改装を含み1996年に退役。後に1999年の半島有事の際には復活して『長門』らと共に出撃している。
20××年の現在は赤レンガパーク駐車場付近で繋留され『八雲記念公園』として国防海軍に管理運営され休日になると親子連れや『艦これ』『アズールレーン』等の人気で来艦するオタク達の人気スポットとなっている。
なお、艦名についてはドイツと関連がある装甲巡洋艦『八雲』から取られている。
350: 加賀 :2020/01/03(金) 19:33:35 HOST:p2761248-ipngn200907osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
明けましておめでとうございます
本年も宜しくお願い致します
お久しぶりです。ふと『プリンツ・オイゲン』のネタが浮かんだのでやってみました(笑)
最終更新:2020年01月06日 09:41