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『日墨世界における例のアレ』
1953年9月7日 大英帝国 オーストラリア自治領 ウーメラー発射場
「今度は上手く行くかな、クラーク君」
「行きますよシュートさん。信じましょう、私達の作ったパンジャンドラ厶を。」
ネビル・シュートの問いにアーサー・C・クラークはそう答えた。
この日、大英帝国の衛星打ち上げ試験用ロケット『パンジャンドラム』は大気圏を突破し、
大英帝国は日墨、ドイツ、ロシアについで4番目の衛星打ち上げ能力を保有することになった。

大英帝国では1933年に英国惑星間協会が設立されるなどロケットに対する関心は高かったが、
それらは主に民間が中心のものであり国家的なプロジェクトとしては何も行われていなかった。
なにしろ大英帝国にはアブロ、ハンドレページ、ショートといった優れた大型航空機製造メーカーがあり、
わざわざロケットという新しいものに頼る必要性を感じていなかった。
その姿勢が変化したのは1944年、第二次世界大戦末期のドレスデン核攻撃の失敗とその後のドイツによる報復攻撃が原因だった。
貴重な原子爆弾を積んだ爆撃機はたった1発の地対空ミサイルに落とされ、反対にランスとグラーツを狙った弾道弾は両都市に甚大な被害をもたらした。
それは大英帝国にとって従来整備してきた防空網が全く役に立たない新しい戦争の恐怖だった。
こうして、その年の終わりに大英帝国でも初めての弾道弾開発がスタートしたが、様々な点で難航した。

特に課題となったのは大出力のロケットエンジンがないことだった。
オーベルトやフォン・ブラウンを擁するドイツ、『宇宙開発の父』ツィオルコフスキーに始まりコロリョフなどのロケット技術者がいるロシア、
そして、ゴダードの祖国であり第二次世界大戦前後の戦訓から国をあげてのロケット狂となりつつある(注1)アメリカなどの国に比べると、
大英帝国はロケットという面では後進国だった。
第二次世界大戦大戦の終戦後には緊縮財政もあり特に成果は挙げられていなかった、弾道弾開発プロジェクトは打ち切りかと思われた。

だが、1948年の東京オリンピックに合わせた形での人工衛星打ち上げのショックがそれを許さなかった。
こうして弾道弾開発プロジェクトは衛星打ち上げロケット開発計画へと変わった。(注2)
計画変更後、ネックだった大出力エンジン開発を諦め、思い切ってクラスター式と呼ばれる複数のエンジンを束ねる方式へ転換した。
クラスター式はドイツのアグリガットロケットなどでは複数のエンジンの同期が難しく不採用となった方式だったが、
大出力エンジンが作れない大英帝国ではこれしかなかった。

何回かの打ち上げ失敗の末、遂に9月7日に開発メンバーの1人ネビル・シュートによって、
パンジャンドラムと名付けられたロケットは無事に打ち上げに成功し、
その後の1995年のHOTOL打ち上げなどにつながる英国宇宙開発の礎を築いた記念すべきロケットとして、
現在、パンジャンドラムは、ロンドンのサイエンスミュージアムにて誇らしげに展示されている。

ちなみにまさか大英帝国に先を越されると思っていなかったアメリカでは新型空母をキャンセルしてまで宇宙開発にのめり込んだり(注3)、
苦し紛れに人類を月に送るといったら、メキシコのホセ・ケネディ首相(注4)に呆れられたりと色々な意味で混乱することになる。

注1 陸海空軍の装備がロケットを主体としたものが多かった他、ロケット列車やロケット自動車も計画された。
注2 この頃同じくロケット後進国であり、イギリスより余裕が無かったフランスでは、技術蓄積のある大砲を使い、より安価に人工衛星を打ち上げようとしていた。
この計画は後にカナダ連合出身の天才科学者ジェラルド・ブル博士の手によって実現された。
注3 ロケット開発においてアメリカ3軍の中で最も発言権があった空軍閥の進言により、ユナイテッド・ステーツとアーサー・マッカーサーⅢがキャンセルされた。
ユナイテッド・ステーツとアーサー・マッカーサーⅢの名は20世紀末に就役したアーセナルシップの名に受け継がれている。
注4 初のアイルランド系メキシコ首相。

924: 透過の人 :2020/01/11(土) 01:05:00 HOST:softbank126077075064.bbtec.net
改訂終了です。アゲてしまって申し訳ありません。

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最終更新:2020年01月15日 10:29