522: ホワイトベアー :2020/02/03(月) 13:14:54 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 閑話 1950年代の欧州軍事情勢3

前回までに陸上、海上戦力についての説明が終わったので今閑話では航空戦力について解説したい。

欧州における航空戦力は基本的にハワイ条約機構がやや有利と言った状態であった。と言うのも、この頃のハワイ条約機構は不足する陸上戦力を航空支援によって補うと言う戦略をとっており、航空戦力の拡大に精力的に取り込んでいたのだ。

その為、日米は莫大な空軍力を保有し、有事の際には即座に動かせるように準備をしていた。しかし、いくら圧倒的な国力と他の追随を許さない高度な技術力を有する日米両国であっても、手間や経費などの問題から同盟国であるとはいえ国外に無尽蔵に部隊を駐留させることは難しかった。それゆえに積極的に同盟国に航空機を売り付け、同盟国空軍を強化し自らは同盟国の補助を担当すると言う方針を取っており、この方針による恩恵によってハワイ条約機構加盟国は安価で高性能な機体を配備することができたのだ。

ハワイ条約機構にて欧州方面における主力と定義されていたオーストリア帝国も当然ながらこの恩恵を受けることになる。

オーストリア帝国空軍は防空を担う防空航空軍団と対地攻撃、近接航空支援などの戦術目的の航空機(戦闘機・攻撃機など)を扱い、地上部隊への戦術支援を担当する戦術航空軍団、輸送機や空中給油機を運用し、兵站輸送などを担う輸送航空軍団の3つの軍団を柱としており、比較的大規模ではないもが強力な空軍に仕上がっていた。

この3つの軍団の中で最も規模が大きかったのは、4個空軍(8個航空団+6個高射砲兵連隊)から構成されており、主に要撃戦闘機や各地のレーダーサイト、早期警戒管制機、長距離・
中距離地対空ミサイルシステムを配備していた防空軍団であった。

これは当時のハワイ条約機構軍が航空支援は陸軍所属のヘリコプター部隊や日米駐留軍の攻撃機部隊に任せて現地空軍は航空優勢獲得し、それを維持する役割を担うという方針を採用していた事からも頷ける。極論を言ってしまえば、オーストリア帝国空軍の最優先任務とは有事の際にオーストリア領内およびアドレア海の航空優勢を維持し続ける事であり、航空支援は余計な仕事でしかなかったのだ。

その為、オーストリア空軍は必然的に戦闘機数が自国を遥かに上回る欧州連合諸国の空軍との衝突を前提とせざるをえず、1940年代までのオーストリア帝国空軍の保有航空機は要撃戦闘機などの対空戦闘を主眼においたものが重視されていた。反面、攻撃機や戦闘攻撃機などは保有数でも、空軍の航空機の保有割合でも他国よりかも遥かに少なく、日米が供与する航空機も《二八式要撃戦闘機(日製F-104)》や《F-27D(米製Mig-19PM)》、《四六式早期警戒管制機(日製E-3)》などあくまでも航空戦を優先した機体ばかりであった。

同様に防空ミサイルも1950年代は日本製の最新鋭防空ミサイルである《二九式長距離地対空ミサイル》などの長距離地対空ミサイルを主だって運用していた。

この方針は1950年代中半に入っても大まかには変わることはなかったが、それでも駐留部隊の負担を軽減させる事を望んでいた日米の圧力や欧州連合の地上戦力の拡大、オーストリア帝国の国力の拡大に伴って、オーストリア空軍は現状の航空戦力を維持しつつ、対地攻撃能力を増強する必要に迫られることになる。

当時の防空重視の姿勢をとっていたオーストリア空軍内でも一応、航空支援を担当する部隊としては2個航空団・三個飛行隊からなる戦術航空軍団が編成されていた。しかし、この軍団は悪までも植民地防衛の為の部隊でしかなく、配備している機体は1930年代中半に日本から購入した旧式の《二六式艦上攻撃機》であり、アフリカの反政府軍に対してなら十二分に活躍できるものの欧州連合との戦闘で運用するにはいささか荷が重かった。

その為、もし仮に日米の要求を完全に受け入れ、本格的な対地攻撃/近接航空支援能力を得るためには莫大な予算を投じて新規に攻撃機を取得する必要があったのだ。

幸いこの頃のオーストリア空軍が次期主力戦闘機として導入を進めていたカモミール/ボーイング製《F-11C/D スワロウ(米製Mig-29 9.13型)》要撃戦闘機は欧州連合諸国の戦闘機を圧倒する性能を誇り、さらに地対空ミサイルの高性能化も合わさって防空軍団の数をある程度縮小することは可能であった。しかし、想定される空域の航空優勢を維持し続けるには一定数以上の戦闘機が必要であり、この頃のオーストリア空軍に日米が配備しているような高コストな地上攻撃専用の攻撃機などと言う贅沢品を日米の要求するだけ揃える余裕は存在しなかった。

かといって、日米の要求を完全に突っぱねると言う選択肢もオーストリア帝国には存在せず、オーストラリア政府および空軍上層部はこの問題の対処法に頭を悩ませることになる。

523: ホワイトベアー :2020/02/03(月) 13:16:39 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
そんな状況であったことからオーストリア空軍は早々に攻撃機の運用を廃止して、一定の全天候対空/対地攻撃能力を有する多用途戦闘機を従来の攻撃機部隊分+防空軍団の縮小分と多く導入することで戦闘機の数を減らさずに対地攻撃能力を増強しろと言う日米の要求に答えようとしたのだ。

採用する多用途戦闘機は日米の主要な航空機メーカーはもちろん満州やイギリスなど少し意外なメーカーも売り込みを行い大規模なコンペ(※1)が行われた結果、三菱が開発した艦上汎用戦闘機である《五三式艦上戦闘機二型甲 雀蜂(日製F-18D)》が決定し、従来の2個航空団+防空軍団から戦術航空軍団に移設する2個航空団分の合わせて360機が調達されることになっる。

これに合わせて、それまでアフリカ植民地に展開していた戦術航空軍団を本土に戻すなどの大規模な部隊の移動を実施していくなどの防空軍団と戦術航空軍団の再編成を進めていった。

最後の輸送航空軍団であるが、この軍団は4個航空団7個飛行隊と比較的小規模な編成であったが、高い輸送力と運動性、短距離離着陸性能を誇る日本製のベストセラー戦術輸送機である《二四式戦術輸送機七型》と、その補助機としてアヴィアティックが開発した国産の《L-31中型戦術輸送機》を配備しており、決して侮れない輸送能力を有していた。また、輸送機の他に欧州ではじめて導入された空中給油機である《二四式空中給油機》を2個飛行隊保有しており、オーストリア空軍において全線部隊の滞空時間延長と、作戦機の効率的な運用を可能とするなど目覚ましい活躍はないがオーストリア空軍に決して欠かすことのできない部隊であった。

オーストリア帝国と同様にハワイ条約機構加盟国であったオスマン帝国も有力な空軍を有していたものの、黒海と言う防壁が存在していたことや隣接する仮想敵国がソ連のみであった事から高性能防空重視なオーストリア空軍とは違い、比較的旧式の機体を中心としていた。

戦闘機も新鋭機である《四二式要撃戦闘機 飛鷲(日製F-15C/D)》や満州連邦と共同で開発した《MOF-20 (※2)》などの新鋭機の配備も行われてはいたが、これらの機体は配備されたばかりと言う事もあって機数が少なく、《三〇式要擊戦闘機 彩電(日製F-4E)》や《三四式軽戦闘機二型乙 鍾馗(日製F-5E)》などの旧式機が数的主力を担っていた。また、対地攻撃機としては日本空軍の戦闘爆撃機である《二四式戦闘爆撃機(日製F-105) 》を運用しているなど、こちらも旧式機を中心とした機体を運用していた。

しかし、機数自体はそれまでの経済成長による成果とアラビア半島全域を領土にした結果もたらされた石油輸出による莫大な利益があったことから、旧式機だけでも《三〇式要擊戦闘機三型》を200機、《三四式軽戦闘機二型》300機、《二四式戦闘爆撃機土型》300機と合わせてじ800機近く配備しており、これに二式要撃戦闘機 飛鷲(日製F-15C/D)》100機、《F-MO-20 (※2)》200機合わせた1,100機の戦闘機を運用していた。これはオーストリア帝国空軍二倍近い戦力である。

輸送機や空中給油機も30年代に登場した日本製の《二四式戦術輸送機七型》やその改装機である《三二式空中給油機三型》などの一世代前の機体をメインとしていた。

しかし、これらの機体が旧式なのは優れた技術を有するハワイ条約機構加盟国の中での話であり、オスマン空軍の中でもっとも古い《二四式戦闘爆撃機土型》ですら欧州連合各国の主力戦闘機に匹敵する性能を持っておるなど、欧州連合空軍を仮想敵国とするのなら大した問題は存在しなかったのだ。また、オスマン空軍はオーストリアと同様に日本製の《四六式早期警戒管制機》を6機ほど運用しており、欧州連合空軍に対して情報の面では優位にたっており、さらに両国の空軍の他に日米両空軍(海軍航空総隊)も駐留しているなど、質の面では欧州連合を圧倒していた。

また、これらの空軍力はオスマン帝国国内の経済発展と石油輸出による莫大な利益による確固たる現金に支えられており、整備や修繕も十分に行えるなど決して張り子の虎ではなく、戦える戦力であった。

524: ホワイトベアー :2020/02/03(月) 13:17:15 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
このような強大な敵に相対していた欧州連合各国の空軍であるが、彼らの状況はお世辞にも良いといえるものではなかった。

1950年代中半の欧州連合加盟国間ではドイツ帝国が音頭をとり、国際開発と言う形式で加盟国各国のメーカーを協力させて日米の機体に対抗可能な新型戦闘機の開発が熱心に行っており、《Su/Bf-180要擊戦闘機(史実Su-15相当の双発超音速迎撃戦闘機)》や《Fw210前線戦闘機(マッハ2級のデルタ翼戦闘機)》、《Su-14戦闘攻撃機》、《J32多用途戦闘機》などと言った超音速機が次々と登場していた。

これらの機体は、いずれも欧州連合の主力戦闘機であった《Ta186》を圧倒する性能を持っており、数さえ揃えば日米の機体に対抗する事もできると欧州連合上層部はもちろん機体の試験に参加した各国のテストパイロット達が絶賛する名機達であった。しかし、これらの機体はようやく初期ロットの先行量産型が一部の実戦部隊に配備が開始され始めた段階であり、欧州連合の中心国であったドイツやソ連でも日米に対抗する為に十分な数が配備されていなかった。

当然ながら、独ソが十分な数を揃えきれていない機体をその他の国家が十分に運用できるだけ配備しているはずもなく、欧州連合加盟国の主力機体はいまだに亜音速機である《Ta186》であり続けていた。

無論、旧式機である《Ta186》も1950年代になると全天候型レーダーとそれと連動するFCSを備えたために飛び出して鼻のように見えるレドームを搭載し、さらにドイツがフランスやソ連と共同で開発した赤外線誘導方式のシュペーア(槍)Ⅰ短距離空対空ミサイルやセミアクティブ・レーダー・ホーミング(SARH)誘導方式のメテオール(流星)Ⅲ中距離空対空ミサイルなどの誘導兵器を運用できるようにするなど一定の改修が施されていた。しかし、これらの改修を持ってしても第1世代型ジェット戦闘機としての性能を越えることができておらず、主力戦闘機として最低でも第2世代ジェット戦闘機、最高で第4世代ジェット戦闘機を運用しているハワイ条約機構に対抗するには圧倒的に性能が不足していた。

爆撃機もメッサーシュミット製の無尾翼多目的爆撃機である《Me p 08》やジェットエンジンを採用した戦略爆撃機であるアラド製《Ar211》などの新鋭機を次々と登場させていた。

特に《Me P 08》は双子エンジンのDB600を四基搭載し、最大で10トンの爆弾を爆弾倉に搭載する事ができ、その状態で12,000kmと言う広大な航続距離を誇るドイツ空軍の新型戦略爆撃機であ、その性能の高さから実用化されたばかりであった核爆弾の搭載機としても期待されいるほどの機体であった。

《Ar211》も《Me p 08》には劣るものの6基のジェットエンジンを搭載し、最大で9トンの爆弾を爆弾倉に搭載でき、その状態で8,000km前半ほどの長い航続距離を誇るなど高い性能を誇る爆撃機の開発に成功していた。

しかし、これらの機体は1950年代には様々な要因から十分な数が配備できておらず、その為、ドイツ空軍の主力爆撃機は旧式機である《Me264》戦略爆撃機がいまだに数的主力を担っていると言う状況であり、日米の防空網を突破するには性能が不足していた。

こうした状況はソ連やフランスでも同様で、各国共に超音速戦闘機の開発には成功しているものの、配備が始まったばかりで主力は従来の機体に頼らざるを得なかった。特にソ連軍は極東ロシア帝国と国境を接している背景から、基本的に最新鋭機は極東に優先的に配備され、欧州方面の機体は旧式機を中心とした部隊が集まっていた。

また、配備が開始された新鋭機群も要擊機については当時の欧州連合で流行っていたミサイル万能論に基づいたミサイルキャリアーが大半で、設計コンセプトから日米の機体と比べると劣っているなどの問題も多く抱えていた。

幸いにして軽戦闘機や戦闘攻撃機などの要擊機以外の機体ではミサイル万能論に対して懐疑的であった(実態は予算の問題でミサイル万能論に対応できなかった)フランスが、要擊機のコンペで負けたメッサーシュミットと共に主導して、中小国家でも運用できうる機体として開発された為に要擊機よりかは使い易い機体となっていたが、こうした機体はようやく試験飛行にこぎ着れた試験機であり、実戦配備はいまだにされていないため、当面の欧州連合加盟国の空軍は旧式の亜音速戦闘機と新型のミサイルキャリアーを主力とせざるを得なかった。

525: ホワイトベアー :2020/02/03(月) 13:18:17 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
戦闘機がこうした問題にぶち当たっていた一方で対地攻撃用の機体である攻撃機にも問題を抱えていた。それは陸軍への航空支援を適切に行える機体が存在しないと言うものである。

これは圧倒的な陸軍戦力がある以上、制空権さえ押さえてしまえば近接航空支援などなくてもハワイ条約機構軍の地上戦力などは撃破できると欧州連合が考えており、空軍は日米の近接航空支援や航空阻止攻撃、さらに核兵器を搭載した戦略爆撃機による爆撃などの阻止と核戦力による抑止に力を入れるべきという考えが欧州防衛機構の主流派となっていたことが大きく関係していた。

無論、欧州連合空軍も戦闘攻撃機や戦闘爆撃機などの対地攻撃能力を有する機体を一定数は保有していたが、これらの機体はどちらかと言うと航空阻止を目的とした機体であり、近接航空支援向きではなかった。

さらに当時の欧州連合の攻撃機はアフリカや東南アジアでの過激な独立運動に対する事を目的とした現代で言うところのCOIN機と同様のコンセプトで開発された軽攻撃機のみしか保有しておらず、これらの機体も欧州方面ではなくアフリカやアジアなどの植民地に配備されていた事から、欧州における空軍の航空支援の重要度は史実の規模の差こそあるがおおむね航空自衛隊レベルしか存在していなかった。

一方で地対空防空能力は前大戦でのトラウマから異常と言うほどに充実していた。

ドイツとソ連では前大戦での高高度戦略爆撃から、高射砲では低空を飛ぶ攻撃機ならともかく都市部などの重要拠点を攻撃する爆撃機に対して対抗できないと言う教訓をもとに、戦後すぐから新たな概念の地対空兵器の開発を行っていた。

この時開発された兵器は大抵がいわゆる珍兵器であったが、1920年代になると別軸で研究されていたロケット技術を転用した誘導兵器と言う概念が生まれ、1930年代にはジェット戦闘機の開発と平行して対空ミサイルの研究と開発にも多大なる予算が投じられていた。

その為、1948年には爆撃機迎撃用ミサイルとして史実のガイドライン相当の性能を有するS-48の初期型の実戦配備が開始され、1953年にはS-48の補完用の中高度迎撃ミサイルであるS-53が実戦配備されるなど航空機とは違いハワイ条約機構に対して驚異を感じさせる程度の性能を持ったミサイルの配備に成功していた。

これらのミサイルは有事の際には先制核攻撃を行うために近づいてきた日米の戦略爆撃機から重要拠点や主要都市を守る最後の盾として弾道ミサイルの搭乗後も重要視され、1950年代にはオーストリア帝国との国境線近くや、欧州連合が大西洋沿岸に築いた一大防空施設群こと大西洋の壁(※3)に、それぞれ最大で1,000発以上が即座に発射可能体制で待機していた。

これはハワイ条約機構の戦略爆撃機部隊には大きな脅威であり、日本海軍がおこなった机上訓練では、有事の際に先制核攻撃を目的とした戦略爆撃機による核攻撃の成功率は例え爆撃機隊が欧州連合の迎撃戦闘機を突破できたとしても、わずか1%すら下回ると言う結果をだすほどであった。

これらの結果、日米は安価な戦略爆撃機による核攻撃ではなく高コストな大陸間弾道弾の整備を行う必要に迫られるなどハワイ条約機構に一定の負担を負わせる事に成功していた。

欧州連合のなかで中核であったドイツ帝国の空軍はハワイ条約機構加盟国の空軍とは違い複数の機能を兼ね備えた航空艦隊を最上位の戦略単位としており、その下に複数の航空軍団や航空師団、高射師団を配備する方式をとっていた。

1950年代には、第1から第6までの番号航空艦隊(Nummer Luftflotten)とドイツ本土の防空を専門とする帝国航空艦隊(Luftflotten Reich)の7つの航空艦隊が編成され、1,600機近いジェット戦闘機や200機近い攻撃機、100機ほどの爆撃機を主に運用していた。これらの航空艦隊は帝国航空艦隊を除いては一部もしくは全部隊が欧州連合加盟国本土もしくは植民地に派遣されていった。
ドイツが欧州を中心にしてであるが欧州連合加盟国に戦力を派遣している一方で、ソ連は国土防衛を目的として、迎撃戦闘機や地対空ミサイルを運用する防空軍と外地での活動や対地攻撃を主任務とする赤色空軍の2つに別れており、その戦力差は防空軍3に対して空軍が1と言う防空重視の姿勢をとっていた。これは極東方面で直接日米と対決していた為であり、ただでさえ少ない空軍も極東やトルコ方面に張り付けていた事から国外での展開は一部の輸送部隊など後方支援部隊だけにとどまることになる。

526: ホワイトベアー :2020/02/03(月) 13:18:53 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
フランスの状況はソ連とは真逆であった。独ソに次ぐ大国であったフランスは、西欧戦争で受けた被害がだいぶ軽く、さらに西欧戦争での敗戦国であった事から本来なら全大戦終結時のドイツのように軍備に一定の制限がつけられてもおかしくはなかったものの、戦後の日米との対立から早急に戦力を拡大したかったドイツの考えもあって、そのような軍備制限が施されずに数だけならドイツ空軍に匹敵するレベルの空軍を保有することができていた。

しかし、フランスは世界各地に植民地を直接有している関係上、これらの防衛や維持の為に常時一定以上の部隊を国外に派遣せねばならず、インドシナで独立を目的とした武装勢力・ベトナム独立同盟会との大規模な紛争・通称インドシナ戦争が勃発してからは本土防衛の為の最低限度の戦力を本土に残し、それ以外の戦力は国外基地に派遣してしまっていた。

そのため欧州に限定しての空軍戦力は北欧諸国やスペインなみにまで低下しており、こちらも有事の際にはドイツ空軍の支援が必要なレベルであった。

欧州連合最後にして最弱の列強であるイタリアであるが、イタリア空軍は数こそ他の列強に劣るものの、それでも陸軍とは違い高い士気有し優れた装備を有しており、ドイツの手が入る前から強力な防空空軍として編成されていた。

これは欧州連合加盟後の1950年代に入っても変わる事はなく、アエルマッキ社などがライセンス生産した新鋭機や質の高いパイロットを多数抱えており、史実2次防時達成時の航空自衛隊レベルの戦力を保有しており、決して侮ることのできないプレイヤーであった。

最後に三大陣営最後の一角であり、三大陣営唯一の同君連合であるイギリス連邦の欧州における空軍力を語ろう。

欧州方面における英連邦の最大の拠点は英連邦の中心かつ最前線であるイギリス本国であり、その事から欧州連合では配備されている戦力も極めて大きいと考えられていた。

しかし、当時のイギリス連邦はいざ欧州連合と全面的な戦争になればイギリス本国を守りきるのは不可能であり、一度完全に放棄した後に日米の支援を受けた状態で本国を解放すると言う戦略を練っており、イギリス連邦空軍主力はカナダに待機していた。

それでもイギリス本国には6個戦闘機航空団360機と3個攻撃機航空団(120機)、2個戦略爆撃機航空団(80機)からなる本国空軍が駐留しており、防空任務と戦略爆撃機部隊による核抑止を行っていた。また、数の少なさを補う為に常に最新鋭機が配備されており、1950年代にはイングリッシュ・エレクトリック社が開発したマッハ2級の超音速ジェット戦闘機である《ハンター(史実ライトニング相当)》が要擊機部隊全部隊に配備され、攻撃機部隊にはブラックバーン社製の《シミター(史実バッカニア相当)》が配備されるなど装備面では極めて優遇されていた。

これはカナダに展開しているイギリス空軍主力部隊ではマッハ1.1級のグロウスター社製《ホーネット(史実ジャベリン)》全天候戦闘機が主力戦闘機であり、主ホーカー社製の亜音速戦闘攻撃機である「ジャベリン(史実ハンター相当)」が主力攻撃機として運用されていた事からもイギリス本国駐留部隊の装備がイギリス空軍で最も優先されていた事を証明していた。

また、戦略爆撃機部隊にて運用されている機体も50年代には史実3Vボマー相当の新鋭機が駐留部隊全隊に配備されており、開発に成功したばかりの核爆弾を搭載でき、欧州連合加盟国の主要都市をその航続範囲に納めていると言う事実を欧州連合に対する有効な抑止力として機能させていた。

こうした最新鋭の装備で身を固めているイギリス空軍本国駐留部隊であるが、その実、政府高官にとってはイギリス本国に駐留する空軍は見せ金以上の何者でもなく、核兵器の開発に成功したと言うのも真っ赤な嘘(※4)であるなどその実態は張り子の虎でしかなかったものの、その嘘に両陣営は見事に騙される事になり、イギリス連邦の影響力拡大など、当初求められていた以上の効果をイギリス連邦にもたらしていく。

527: ホワイトベアー :2020/02/03(月) 13:19:41 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
(※1) コンペで各企業が売り込んだ機体
日本
三菱 五三式艦上戦闘機二型甲 雀蜂(F-18D)
倉崎 五六式戦闘攻撃機    猛鷲(F-15E)
川西 三七式戦闘爆撃機二型  深山(F-111C)
中島 四三式汎用戦闘機    隼(F-16C/D)

アメリカ
カモミール/ロッキード F-110B ライトニング
カモミール/ボーイング F-107B サンダーバード(Su-24 フェンサーB)
ダグラス       F-5C/D コルセアⅡ(Su-17M3/UM3)

満州連邦・オスマン帝国
オスマン航空産業/満州飛行機 F-AM-2 タイガーシャーク(F-20)

イギリス
ブラックバーン シミター

(※2)
オスマン帝国と満州連邦が三菱の協力を得て三四式軽戦闘機の後継機として共同で開発した機体。進歩した設計、電子化された搭載機器、強力な新型エンジンを採用し、さらには限定的ながらフライ・バイ・ワイヤも導入されている。

本機は取得および運用コストが比較的低いが、
高い汎用性と運動性と操縦性を誇り、短距離ミサイルの他に二六式中距離空対空ミサイル(スパロー)の運用が可能で高い空戦能力を獲得させつつ、通常爆弾やクラスター爆弾、ロケット弾ポッド、対艦ミサイルなどを搭載することができる。

しかし、不幸な事に完成前から日本が本機の上位互換とも言える四三式汎用戦闘機シリーズ(日本製F-16)を低コストで販売していた為に満州やオスマン帝国以外では採用される事がなかった。

ようするに日米世界におけるF-20の立場。

(※3)
大西洋の壁は欧州連合が大西洋方面からの戦略爆撃機の襲来に備えて、ヨーロッパ西部の海岸に構築された、広範囲な防空網の総称で、沿岸部に建設された多数のレーダーサイトと、その後方に建設された多数の空軍基地、都市部および重要拠点付近に作られた防空用のミサイル基地で構成されている。

(※4)
実際にはようやく起爆実験に成功した段階でしかない。しかし、イギリスは持ち前の防諜網と諜報網、そして謀略をもってあたかも核兵器の実用化に成功したかのように装い、抑止力とした。

528: ホワイトベアー :2020/02/03(月) 13:24:10 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
以上になります。wikiへの転載はOKです。

そして前上げた満州連邦空軍の編成とコンペ、本文にて、F-AM-1、MOF-1と複数の異なる型式番号で誇称している戦闘機ですが、これは修正ミスでして、正確にはF-MO-1が正しい型式番号です。

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最終更新:2021年09月27日 06:39