317: 加賀 :2020/02/26(水) 20:31:19 HOST:softbank126209005237.bbtec.net
「……やはり八百万の神々は衝号作戦を許してはくれないようだな」
1936年1月、1日には同盟通信社の開業。15日にはロンドン海軍軍縮会議から日本が脱退をする時期である。
その中で大日本帝国海軍の第20駆逐隊司令の橋本信太郎大佐は乗艦する駆逐艦『吹雪』の艦長室で溜め息を吐いた。橋本は先程までは戦後の世界を過ごしていた筈であった。しかし、気付けば1936年の日本に橋本信太郎に再び憑依していたのである。
「前回は39年で今回は36年か……3年の違いは何だろうか……」
橋本はそう思いつつも再び同志集めを始めるのであった。前回は五藤と松田が接触してきたが今回は橋本自らが接触をした。
五藤とは橋本が憑依して一週間以内に接触が成功したのである。二人は密かに料亭で会う事にした。
「そうか、やはり橋本君もまた来ていたか」
「えぇ。八百万の神々は許してはくれないようです」
「俺はむしろ神々は楽しんでいるように思えるよ」
橋本の言葉に五藤は肩を竦める。
「松田君は確かこの時期は支那方面艦隊の参謀だったな」
「えぇ。まぁ松田に関しては瑞雲の開発を出してきたら本人だと認識しましょう」
「松田だしな」
憐れとは思えない松田の処遇である。
「暫くは水面下で同志探しでしょうな」
「うむ。ロンドン軍縮脱退は決定だし覆せんしな」
「問題は二・二六事件ではないですか?」
「と言っても陸さんの同志は分からんぞ?」
「デスヨネー」
結果として二・二六事件は史実通りに発生、高橋是清等史実の面々が中堅・青年将校に率いられた歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、近衛歩兵第三連隊等々の下士官兵ら1483名は首相官邸、陸軍省等を占拠して昭和維新断行を図るも投降等の呼び掛けにより史実通りに終息しクーデターは未遂に終わるのであった。
だが橋本はこの時、ある人物の意外な行動に目を見張った。
「近藤少将は此方側かもしれません」
「前回の時は憑依していなかったぞ?」
「ですが二・二六事件が発生する前日、横鎮に陸戦隊を海軍省への派遣要請を出しているんです」
「何?」
「それに対応したのが近藤少将を酷評する井上少将でしてね……」
「あっ(察し)」
橋本の言葉に五藤は直ぐに察した。
「派遣要請を無視したと?」
「当初は無視したようですが忌み嫌う近藤少将からの連絡に井上少将は陸戦隊を史実より早い当日午前中までに海軍省に派遣したようです」
「成る程……。ならば一度近藤少将と接触してみようか」
「はい。ですが合言葉はどうしますか?」
「ふむ……ならカナリア諸島としよう。衝号作戦を我々を知っているなら直ぐに反応するだろう」
「成る程。やってみましょう」
橋本は直ぐに行動に移した。幸いにも第20駆逐隊は前年度に発生した第四艦隊事件の影響で改装中であり橋本は休暇と称して上京して近藤少将と水面下で接触したのである。
「ハハハ、カナリア諸島と言われたら衝号作戦だろうな」
「やはり近藤少将も……」
「うん。俺も気付いたら……というわけだよ。気付いたのは二・二六事件が発生する少し前だった」
二人は神楽坂の小さな料亭で飲んでいた。
「横鎮の井上に連絡したが来るかは微妙だったよ。史実より早くに来てくれたのは嬉しいが事件は史実通りになってしまったから何も出来なかった」
「ですが我々はこうして接触する事が出来ました」
「良しとするしかないかな……それで目標は敗戦の出来る限りの回避だね?」
「はい。嶋田さんがいないので今のところはどうしようもありませんが現時点でやれるところから行っていき敗戦の出来る限りの回避です」
「分かった、ならば私も協力しよう。幸い、私は軍令部第一部長の身だから何かしらの事は出来るだろう。そこは任せてくれ」
「分かりました」
これで橋本と五藤は近藤という強力なカードを保有する事に成功したのである。
そして近藤は行動を開始した。というのもこの時、軍令部内では電探の研究が提案されていたのだ。(提案自体は1936年)近藤は水面下で電探研究を根回しを行い11月には研究が開始されるのである。
同年12月、橋本は第20駆逐隊司令から第7駆逐隊司令へ転任する。また五藤も1日付で甲巡『愛宕』艦長に就任していた。そして近藤は軍令部内で新たな憑依者を発見したのである。
「新見少将もお仲間でしたか」
「ハハハ。私も1月に気付いたばかりでしてね、何も出来ずに二・二六事件をただ見ていただけですよ」
二人は前回、橋本と近藤が会談をした神楽坂の小さな料亭で飲んでいた。
「実は来年の1月8日、ジョージ六世の戴冠式に随行する事になっています」
「ほぅ」
「帰路はドイツ等を来訪して戻ってくる事になっています。……今のうちにドイツの企業とかに目をつけておこうと思います」
「無茶はしないでくれ」
「分かりました」
そして新見は史実通りに戴冠式へ随行するのであるが成果は芳しくなかったようである。その間、12月31日にはワシントン海軍軍縮条約が失効する事になった。
318: 加賀 :2020/02/26(水) 20:33:20 HOST:softbank126209005237.bbtec.net
1937年2月2日、『何もせんじゅうろう内閣』こと林内閣が組閣されるが同年5月31日は総辞職する羽目になる。
そして同年7月7日、その日は七夕だった。七夕という日に北京南西方向に存在する盧溝橋という橋の付近で一発の銃声が響いたのである。
「中国軍側からの発砲だと!?」
「兵士一人が行方不明です!!」(後に無事と判明)
「直ちに戦闘行動に移行し一文字山を占領せよ!! 夜明けと共に交渉に移れ!!」
支那駐屯軍は直ちに行動を開始した。所謂『盧溝橋事件』の始まりであった。その中で第二師団長の岡村寧次中将は通州防衛を強く主張した。
「通州には多くの邦人が生活をしており万が一、中国軍が通州を攻めれば尼港事件の再来になるやもしれません」
支那駐屯軍は第二師団を回すのはどうかと難色を示したが岡村の粘り強い説得により通州の邦人が退避するまで駐屯する事が決まったのである。
(よし、通州事件は防がれる可能性は出てきた)
憑依者である岡村中将は虐殺事件でも通州事件は何としても防ぐ方針だった。なお、この時通州は日本が政治的目的のため北支五省で行った華北分離工作の結果、冀東防共自治政府が置かれていた。
岡村は通州に精鋭歩兵第四連隊を急行、臨時駐屯とさせたのである。岡村の行動に梅津陸軍次官は難色を示したが結果としては通州の邦人を救う事に成功するのである。
そして日付が丁度代わり始めた7月29日0010頃、冀東防共自治政府保安隊が史実よりも二時間程早くに通州へ攻撃を開始したのである。
「我々の計画がバレたかもしれん。ならば予定より早くに攻撃する」
保安隊長の張慶余らはそう判断をしての攻撃だった。しかし、通州は歩兵第四連隊が到着したばかりで歩兵第四連隊は保安隊を迎え撃ったのである。
「撃て撃て!! 奴等を生かして帰すな!!」
歩兵第四連隊長の酒井直次大佐が叫ぶ。戦闘を開始して16分、保安隊は敗走を開始していた。向こうは精鋭、此方は素人に毛が生えた程度なのである。保安隊はあっという間に崩れたのである。
「よし、これで悲劇は防げれたな」
報告を受けた岡村は安堵の息を吐いたのである。なお、これが切っ掛けとなり陸軍内でも憑依者達が徐々に合流を行っていくのであった。
319: 加賀 :2020/02/26(水) 20:35:10 HOST:softbank126209005237.bbtec.net
というわけで以前にネタで考えていた橋本達の二回目の
戦後夢幻会√になります。
今回は1936年からのスタートという事で日米開戦までにどれだけの準備が出来て開戦後からどれだけの事がやれるかが焦点になると思います
最終更新:2020年02月29日 16:31