99: 700くらい :2020/03/08(日) 19:50:02 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp

雛菊の華 開花編


ナスカ級の艦橋を破滅の光が照らしだす。
艦艇からは重厚に歩むように、MSからは軽妙に踊るように放たれる光。

宇宙空間では星が瞬かない。だからいつも満点の星空だ。
しかし今、コロニー出身者にとってはなじみ深いその景色を押しのけるように連合軍の艦隊が居並んでいた。

「ははは…ハはっハはハッはぁ!なんだ、一体どうしたんだこの数は…まるで2年前のようではないか!」

間違いなく自身を滅ぼすことになるだろうその場面で、それでもアラン・ガーランドは哄笑していた。
無論のこと、絶望に叩き込まれた狂気ゆえではない。その証拠に艦橋要員もみな一様に笑みを浮かべている。

いや、すでに誰もが狂っているのだろうか?あの戦争が始まった時から、あるいはそれよりずっと前から。

「はい、艦長。大洋連合軍だけではありません…今確認したところ大西洋連邦を筆頭に他の国々も確認できます」

「当然だ。奴らの面子を全力で貶めてやったのだからな。我々に注力せざるを得ないだろう」

重要なのはそれだけだ。愚昧なナチュラルが、押さえつけるべきコーディネーターを放り出して地球近傍まで戦力を回していること。
その、たった一つの事実が今は祖国よりも愛おしい。
こうして自制心を働かせていても口の端が吊り上がるのを抑えきれないほどに。

「圧制者というものは難儀な商売だなあ?占領地が反乱すると分かっていて、それでも挑発されれば叩き潰さざるを得んのだから」

「まったくです。こちらにナチュラルどもが目を向ければ向けるほど、祖国の独立運動が激しく燃え上がるというのに」

まあせいぜい野生同然の人間未満には苦労してもらうとしよう。
大義も知らない猿人が数を頼みに独立の戦士たちを押さえつけたところで、高潔なる義憤を失わせることなどできないのだ。

だがしかし、独立戦争に敗亡した祖国では、悲しいことに再度の蜂起がされていない。

まったくもって嘆かわしい話だ。ナチュラルの政府がいかに強権的に支配しているか、強烈な情報統制の中にあってもうかがい知れる。
愚かな連中はこちらの人間を買収した程度で誤魔化せると思っているのだろうが…あいにくコーディネーターはそこまで馬鹿ではない。

同胞だと思っていただけの元売国奴、そして現死者は連合軍に占領された祖国で善政が敷かれているなどと宣ったが。

「騙されるわけがないだろう…!?あれだけ独立への熱情に満ちていた祖国が、あっさりとナチュラルの軍門に下るはずがない!」

そしてあっさりと下ったわけではない以上、苛烈な抵抗運動があったはずだ。彼自身の常識的な考えに従えばそうなる。
いや、今現在もあるのだろう。それを弾圧しているのは…していたのは今目の前にいる連中なのだ。

100: 700くらい :2020/03/08(日) 19:50:46 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp

だからこそ、彼は嗤う。これほどまでに嗤ったのは2年前のあの日、ろくに戦うこともできず敗亡の報を聞いた時以来だった。

「ははハッ…ァはハはハははぁっ!ハハッ…!」

色とりどりのプラズマやメガ粒子が艦を掠め、あるいはどこかを吹き飛ばして爆発させても。
最期の最期まで、アラン・ガーランドは哄笑しつづけた。

艦橋が炎で包まれる中、スポットライトのように戦場の光を浴びながら。


   ──────────


時は少しばかり遡る。

急行する艦隊が準ホーマン遷移軌道で地球に落下しつつある頃、セルゲイ近傍での戦闘は佳境に入っていた。

一足早く地球低軌道に向かうセルゲイから見る地球は徐々に大きくなっていく。
月近傍の位置エネルギーが運動エネルギーに変換され、近づくにつれて急激に加速しているのだ。

(クソっ!こいつ、しぶとい!)

脳裏に叩きつけられる声。同時に放たれた幾筋もの閃光。
直前、イメージとなって予測されたそのビームを避けるように機体を滑らせる。

「はあっ、はあぁ…っ!」

何度目かになる交差、再度離れる十字目に追撃する余裕はない。
急激な加速度の変化は身体を蝕む。操縦桿を握る手が震え、視界が遠く滲む。

(光が!あぁ、熱いっ!かあさ)

(ナチュラルどもが!この世から消えてしまえ!)

だが声だけは聞こえてくる。怨嗟の声、恐怖の声。眼前の敵からは使命感と少しの戦意。
それらが頭に響くたびに苦しみが増してゆく。

だから、その攻撃は予測できていても反応できなかった。

コックピットを直撃するであろうメガ粒子の奔流をギリギリのところで回避する。
反射的に身体が動いたのは訓練の賜物か。

「…っ!」

片方のビームサーベルが爆散する。幸いにも損傷が本体に及ぶことはなかったが。
いや、それが本当に幸いだったのかどうか。あるいはここで死んでいた方がよかったのかもしれない。


101: 700くらい :2020/03/08(日) 19:51:27 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp

弾かれるように後退するMA。迫るドライセン。
死を覚悟するが、そんなものよりも残酷な未来が訪れるのをスノウは半ば確信していた。

「ぁ…っ…!アアァァッ!!寒い、痛いぃっ!」

強制的に意識が書き換えられる感覚。モニターに映ったMSが歪む。
いや、とっくにスノウは目でモニターを見ていない。耳で音を聞いていない。

真っ暗な視界に白いノイズが雪のように走る。その吹雪の中を…”リックドムが”駆け抜ける。
ジャイアントバズの咆哮。ヒートサーベルの剣戟はあくまで牽制だ。

(何っ!?こいつ、今の連撃を!)

あちこちで飛び回るのはハイザックだろうか?遠くから迫る敵意の群れもわかる。

「ぁぁ…ぁああぅ」

眼を血走らせ、うめき声をあげながら、しかし手指の操作だけは止まらない。
凍える宇宙の中で感じるのは雪のように堕ちてゆく喪失感だけ。

(…………!…………!)

四肢と機体の区別がつかなくなった時…誰かの声が聞こえた。

「ぁ…ぅぇ…て」

機械に心を覗かれる嫌悪感に呻きながら漏れたのは何だったのか。

スノウ自身それを自覚しないまま、意識はMAの生体部品へと成り下がった。


   ──────────


戦闘中のMSデッキを様々な工具、部品、それに作業員があちこちに行き交う。
紐やテープで壁面につなぎ留められた道具類が無重力の中でたなびいている。

「だからぁっ!そんなことできるわけないだろうが!」

忙しなさに染まるデッキに一角、そこで何者かがヘルメットを突き合わせて怒鳴り合っていた。
ガラスを通して響いているのはくぐもった怒り。

「そんなこと言ってる場合かよ!コロニーが攻撃を受けてるんだぞ!?動かせるのは俺しかいないんだ!」

「増援は来る!子供が戦場なんかに出るもんじゃないんだよ!」

「それまでに被害が出たらどうするんだ!あそこには何百万の人がいるのに!」

ウィル・スプリンガーの胸中を暗い予感が過ぎる。
船体から鈍い重低音が突き上げるたびに、それは焦燥となって身を焦がした。
先ほどから断続的に感じる強い思念もそれを後押ししているのだろう。

「…ッ!クソッ!こうなりゃ無理にでも…!」

「あっコラ!チィッ、誰かこいつを止めろ!」

102: 700くらい :2020/03/08(日) 19:51:58 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp

埒が明かないと焦るウィルが男の胸を蹴って加速。
そのままデッキの端に置かれていた白いMS…ブルームへと乗り込む。

すぐに動ける整備士が追いすがるが…その前に搭乗を許してしまった。

「機体チェック。メインカメラ、よし。駆動系、問題なし。左腕は…応急処置なのか」

仕方がない。この短期間で、切り飛ばされたマニピュレーターが修理されているだけで儲けものなのだから。

メインカメラに光を灯す。無機的な丸いモニターが各部に据え付けられたセンサーの画像を統合して周囲の景色を映し出した。
リニアシートに支えられたウィルにはまるで壁が透き通ったかのようにも見える。

「悪い。俺、行かないとだめなんだ。説教も処分も、後で受けるからさ」

身体全体を振って何かを訴える整備士たち。ゆっくりと右手を動かして彼らを除ける。

この機体…ブルームに乗って確信した。さっきまで曖昧な、漠然としていた直観が確信となってウィルに囁きかける。
機体に組み込まれたバッドシステムの補助だろうか?
先ほどまでよりもずっと強く感応波を感じる。まるで突き刺すように、叩きつけるように心が伝わった。

カタパルトに脚を乗せる。
もう一度メインカメラを向けると、観念したのか周りにたかっていた人々が離れていった。

『坊主…どうしても止められないんなら、これだけは言っておく』

「なんだ?」

『システムの補助があるからわかってはいるだろうが。脱出機構はL1とR1の同時押しだ』

自動で作動するが危ないと思ったらその前に脱出しろよ、と言い残して更に離れる。

ウィルはそれにどう返したものかわからず、ただ背中を見送った。

「…約束は、一度破っちまってるしな」

流れるように指を滑らせて発進準備。

「ウィル・スプリンガー!ブルームガンダム、出るぞ!」

直後、ウィルの主観は自身が背中から落ちつつあると訴えかけてきた。
無重力の中で加速度が現れたことで、その方向に重力が加わっているかのように錯覚したのだ。

上方…真っ暗な宇宙に星々が煌めく真空が迫りくる。
だがウィルには、まるでそれが降り注ぐ雪のように見えた。

(スノウ。待っててくれ…今、行くから)


   ──────────


コロニー外壁から徐々に離れつつある戦場。
銃火が交わり、時折爆発で彩られながらFLUUのMS達はかろうじて規律を保ったまま後退しつつある。

死の花を咲かせているのはもっぱらゲイツや旧式のジン。
連合のMSはほとんど傷つかず、損傷したとしても撃墜までは至らない。

半ば以上に一方的ながらも組織的な戦闘を続けていられるのはその中心で暴れまわる大型MA…スノウの存在が理由として大きい。
巨体にものを言わせた出力でドライセンと渡り合い、時に味方MSを援護しながら戦う。

103: 700くらい :2020/03/08(日) 19:52:30 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp

ただ、それでも限界はいずれ訪れる。兵器の性能に違いがありすぎるのだ。
MSの性能の違いが戦力の決定的差というわけではないが、だといっても限度はある。

『ガーランド少佐!もう…!』

『…チッ!ここまでか』

ただでさえ性能で劣っているのに、次々と撃破されることで数の差も広がってしまう。
無論、FLUUにとって望ましくない方向にだ。

埋めきれない戦力差が抑えきれない濁流となって押し寄せる。
じきにMSも母艦もそれに飲み込まれ、熱湯に入れた氷のように融けて消え去るだろう。

『どの道戦場での勝利は望めん。連合の主力が到着するまで粘りたかったが…!』

より多くの戦力を、より長く拘束するのが目標だった。
だが稼げる時間が短いのは承知の上でもある。限界が来た時に、どのような末路を選ぶのかも覚悟の上だ。

MS隊を纏うようにしていたナスカ級。ギリギリのところで踏みとどまっていた敗残兵たちの動きが変わる。

「アイザック大尉!俺だ!ウィルだ!」

『なっ!?ウィル、なぜここに』

白いMSが戦場に現れたのはその瞬間だった。動揺するドライセン…指揮が乱れる、ということにはならなかった。
しかし、それと最大加速で突っ込んでくるナスカ級駆逐艦に即座に対処できるかどうかは話が別だ。

『ああ畜生!言いたいことは山ほどあるが今は退避しろ!敵の最後の』

言い終わる前にビームが脇を掠める。それも大出力の、極太のプラズマの塊だ。
同時に一斉に突撃を開始するMS。その中で先陣を切るのは巨大MA…今、撃ってきたのは純白のスノウか。

ウィルは一瞬だけ回避機動で離れてしまったドライセンに意識を向け、無事を確認すると目の前の相手に集中した。

片方の…腕?らしき部位が破壊されている。数日前に追われた時には巨大なビームサーベルを生み出していた武装だ。
機体各部の純白は破片や掠り傷によって鈍色に濁り、歴戦の勇士かのような風格を漂わせる。

「スノウ。聞こえてるんだろ?俺だ、ウィルだよ」

電波だけでなく、呼びかける。感応波…スノウなら感じ取れるはずだ。
だが機体はどういうわけか沈黙を続ける。動きもしない。まるで抗うように。

その間にもナスカ級は全く速度を緩めることなくエンドラに向けて突撃する。
対処しようとするドライセンにジンやゲイツがまとわりつき、戦場は乱戦状態へと陥りつつあった。

(ウィル…ウィル・スプリンガー)

「そうだよっ。お前だってこんなことしたくないんだろう?争いなん」

て、好きじゃなかったはずだ。

そう言い終わる前に殺意の弾幕が押し寄せる。まるで拒絶するかのように、暴れまわるスノウ。

104: 700くらい :2020/03/08(日) 19:53:02 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp

直観に従って機体を滑らせなければ喰らっていただろう。
狙わずに撃っているとはいえ、当たれば死ぬ。

「話をぉっ!連れ去られたんだったら戻ればいいだろ!!」

ブルームがウィルの脳内に戦術提案…却下だ。
コックピットを狙えば殺してしまうかもしれない!

バズーカの爆風やバルカンで弾幕を張る。
牽制になればいいが…あくまで言葉で決着をつけたかった。

(遅い。ウィルは、遅すぎる)

Gでリニアシートが軋み、それでも追い付けずに加速する。
白い閃光となって駆け抜けるブルーム…だが冷静さを取り戻したのかスノウの射撃も精度が上がっている。

「ああっ!そんなのわかってるよ!でも、まだ間に合うだろ!?」

傍にいるなんて耳障りの良いことを言って、約束を守れずに故郷でのほほんとしていた自分。
その間、彼女はずっと苦しんでいた。助けを求めても、誰にも手を差し伸べられず。

宇宙港で別れの日に告げた言葉が脳裏によみがえる。
何が元気でね、だ。人類の革新が、ニュータイプが聞いて呆れる。

「強化人間一人救えずに…!何がぁっ!」

距離を取って動き回り、狙いを絞らせない。
だがくるくるとコマのように旋回するスノウは的確に、片腕を失いながらもビームやバルカンで追い詰める。

(今さらっ。混ざり者がプラントで、どれだけ苦しかったと!)

「だからだよ!今度は!」

ビームの軌跡が見える。だが、無差別にばら撒かれるバルカンはついに避けられなくなった。

衝撃とともに鈍く破壊音が球状の空間に反響する。
コックピットは守れたが…これで左腕は使えなくなった。

元から応急処置だ。ここまで動いてくれただけでも満足するべきか。

残った右腕でビームライフルを引っ掴み、ついでに弾の無くなったバズーカをスノウに向けて蹴っ飛ばす。
こともなげに避けられた…まあ、白い悪魔みたいにはいかないか。

相変わらずコックピットを狙え、と囁くブルームガンダム。それを無視してあくまで武装だけを狙う。
MAはMSより小回りが利かない。普通ならNTの射撃をそうそう避けられはしないが、彼女は強化人間だ。

先読みしていたかのような動きで、踊るように掠めさせる。
お返しされるのはまた大出力のビーム。

「助け…ぐうぅっ!」

今度は腰部。右足のバランサーが狂ったみたいだ。

これでAMBACは右腕と左足だけ。
たった一機のMA相手に随分とボロボロになっている。もう、手加減できる段階じゃない。

105: 700くらい :2020/03/08(日) 19:53:35 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp

(だから…!ウィルが憎、違うっ。わたしは、殺した…い?)

その瞬間、目の前で座り込む少女の姿をはっきりと幻視した。
氷の結晶が降り積もる白と虚無の黒だけが全ての、モノクロの世界。

足元に繋げられているのは古めかしい鎖、ボロ切れを纏ってすすり泣いている。
それでも少女は、身を切る寒さよりも、自由を奪った鎖よりも、枯れてしまった一輪の花に涙を流している。

(雛菊…そうだ、あの花は雛菊だ)

なんで今まで忘れていたんだろう?あれほど大事だったのに、この景色の名を。

(雪景色?いや違う)

「雛菊なんだ!そうだろっ!?」

ガンダムが提案するのはこの期に及んでも敵機の撃墜。そこにパイロットの生存は含まれていない。

それじゃあ駄目なんだ。彼女だけは…!観念しろよ、ガンダム!

フットペダルを操作し、グリップを操作。真っ赤に警告するシステムを無視して、弾かれるように前へ。
ブルームガンダムが直線に駆ける。弾幕…最低限避けられれば!

(ウィル!殺す…!お前を、殺)

急に視界が開けた。彼女の声も聞こえない。ただMS…ガンダムの意思だけが伝わってきた。
まっすぐ、透明に何もかもが見渡せるように。

今ならはっきり見える。俺にできること、しなきゃいけないこと、やりたいことの全てが。
ビームサーベルは手放した…これは必要ないものだ。

道筋は三次元的な軌跡となって脳内に投影される。それに逆らうことなく機体を滑らせた。
一寸違わず。少しでも外れれば、その時点でおしまい。

ビームを潜る。メインカメラが灼けた。まだだ、モニターに頼らなくても見える。
バルカンを庇う。ついに右腕も潰れて壊れたが、構うものか。
ビームサーベル…どうしようもない。振り切られる前に、懐に飛び込む!

「デイジイイィィィッ!」

銀色に汚れたMAと白いMSが衝突する。
両者のコックピットを揺さぶる衝撃。

破壊された左腕。右脚は突撃時の加速に耐えられずもぎ取られている。コードやパイプの端が空しく宇宙空間にたなびく。
めちゃくちゃに撃ち抜かれた右腕も、もはや原型をとどめていない。

だがMAは追撃せず、かといってMSが再び動き出すこともなく…。

しばらく両者は慣性のままに漂い、乱戦の続く戦場からゆっくりと離れていった。


   ──────────


暗くもなく明るくもない。熱くもなく寒くもない。煩くもなく静かでもない。
何もない、虚無の空間。
ウィルが意識を取り戻した時、指先一本動かないのを自覚した。

(いや…取り戻してないんだ)

五感が消え失せ、身体がいうことを聞かない。心の鼓動だけが満ちている。
ドクン、ドクンと命の音が滲む。

「ムンゾと違ってプラントじゃ治療を超えた遺伝子の操作が一般的だった。目とか髪とか肌の色、頭の良さとか運動神経まで気軽に弄る技術」

だが、一般公開されたその技術は、数千万…いや数億の命を人為的な操作の末に産み出したその技術は、まだ欠陥の多い未完成の技術だった。
初期に富裕層がこぞって利用し、彼らの子や孫は優秀な遺伝子を携えて産まれてきた。

…出生率の低下という、種としての致命的な弱点と引き換えにして。

「コーディネイターの金持ちが子供を作れないなんてよくある話だった。亭主が不倫で隠し子を作ってしまうのも」

後者はナチュラルにもありふれている。前者も、プラントに比べれば少ないもののない話じゃない。
だからああいうことが起こるのは不思議じゃなかった。
ただ金持ちが死んで、その時発覚した唯一の子が隠し子だっただけのお話。

「…ただ、それだけの話。急死した金持ちの父がコーディネイターで。母はナチュラルの外国人だっただけ」

そして彼女は去った。開戦前のプラントに、コーディネイター至上主義が蔓延していた外国のコロニーに。
数年後、戦況の悪化から十代前半の少年少女までをもMSパイロットとして戦争に送り出すような国家に。

そして少女が苦しんでいる間、故郷の男の子は戦争なんて知らず、かつて約束した女の子をよそに暢気していただけ。

いつの間にか二重になった鼓動音が互い違いに脈を打つ。
ウィルの耳には今も何も聞こえない。目にも何も映らない。

106: 700くらい :2020/03/08(日) 19:54:19 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp

だが心はそこにある。確かに感じ、触れ合える。

「来ないで。私の心に入り込まないでっ」

あかぎれした足が雪に埋まっている。寒さからか、飴細工のように儚い背筋が震えていた。
頭上には見渡す限りの星空。瞬きもせず輝く星々は美しいのに、誰にも触れさせない孤独な冷たさがある。

拒絶の言葉に構わず、ウィルは一歩一歩確かめるように歩み寄った。
積雪を踏みしめる軽い音が鳴るたびにスノウは肩を跳ねさせる。

「近づかないでっ。お前みたいな奴はっ、のうのうと平和を楽しんでたようなウィルは!」

「嫌いか?憎いか?俺のことが」

平和が憎いというなら仕方ない。世界と相いれないのなら、妥協できないなら行き着くところまで進まないといけないのだろう。
だがウィルはスノウがそうではないのだと思っていた。信じていた、と言い換えてもいい。
確たる根拠なんてない。

だが…。

「そんなに憎いんだったら俺の目を見て言ってくれ。そしたら帰るよ、このまま」

「………っ!!」

2歩か3歩か…それくらいの距離を開けてウィルは立ち止まる。
しゃがみこんで背を向けているスノウだが、動揺は伝わってきた。

答えを待つ間も雪は降り続ける。深々と冷たくなっていくウィルとスノウの精神世界。
しかし悲しそうに雫が落ちたスノウの足元だけは、少しだけ雪が融かされて雲のように消えていた。

「色々強化されたんだろ?耐Gでも俺より頑丈なんだったら、今からでも意識を取り戻せばいい。俺の身体をプラズマで焼き払えばいい」

「そんな、ことっ…!だって私、もう何人も殺して、戦友もっ、もう死んじゃって…!」

溢れだす言葉と共に涙が足元を濡らす。一面の銀色の中でスノウの足元だけが土を覗かせていた。

跳ねる肩は、震える背中は寒さからではない。悲しみをしゃくりあげて泣きはらすスノウ。
意識せずウィルの足は再び動き出す。
もう、スノウが拒絶することはなかった。

「本当は憎みたくないのに、殺したくないのに…っ!争いたくないのに争いたくなるのっ!」

「…俺にはどうしようもないかもしれない。スノウを救うことなんてできないかもしれないけど」

寄り添うことはできるはずだ。

そう言ってウィルはスノウと同じように傅いて背を撫でた。
絹糸のような髪を覆う薄い雪の層を払う。
かじかんだ指先で触れると、彼女の体温で暖められた。

「辛かっただろう?ごめんな、傍にいてやれなくて」

「う…ぅ。ぅぅううううっ!」

言葉にならない言葉でスノウは滝のように涙を流す。
大粒の雫が次々に地面に染みわたり、雪を押しのけていった。
怒り、悲しみ、安堵、後悔…様々な感情が灰色の凍った大地を温め、灰色の土を潤す。

107: 700くらい :2020/03/08(日) 19:54:50 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp

声を上げて泣き続けるスノウを、ウィルは振り向かせる。
抵抗はない。頭を胸に押し付けて抱き着くスノウの背に腕を回した。

「ウィル…ウィルっ。ごめんね、ごめんなさい…っ!」

「謝らなきゃいけないのは俺だ。本当に悪かったよ、今度はもう離さないから」

流す涙はもう地面に滴らずにウィルの胸に滲む。次から次へと溢れる雫が暖かさを伝えている。
俯いて顔を見せないスノウ。その頭をそっと抱えて、上を仰がせた。

暖かい透明な水が頬を伝っている。だがその表情に悲痛さはなく、一心にウィルだけを見つめていた。

「ウィル。私…何人も殺したの。記憶も失くしたし」

「戦争だったんだ、仕方ないさ。それに記憶だって…ほら」

振り返って示すと白み始めた夜明けの空と、光を受けて輝きだす花たち。
雪解け水を花びらに湛えて陽の光を反射しているその姿はまるで宝石のようだ。

ウィルはその中の一つ…足元に咲いていた一輪を摘んで差し出す。
あの日のように。

「失くしたんだったらまた作ればいい。うまくすれば取り戻せるかも」

「この、花は」

「雛菊だよ。あの日の景色、やっと思い出したんだ」

太陽の目を意味する言葉が語源の花は、今やっと昇った日に照らされて咲き誇っていた。
あたりは一面の花畑。黄色い花芯を白い花弁が取り巻く。

彼方へと視線を向ければ白と黄が混じってクリーム色の絨毯となっている。

「もう。…遅いよ、ウィル。私はずっと大事にしてたのに」

「ごめん。だから迎えに行くからさ。だから、スノウ…」

頬に涙の跡が残る顔で見上げ、雛菊のように微笑む。
重なっていた鼓動が遠ざかる。その笑顔も霞んでいく。

「うん。待ってるよ、ウィル」


   ──────────


橙とも赤とも取れない薄明かり。きぃんとした耳鳴りが煩い。
それが瞼の裏だと、聴覚が主に異常を訴えているのだと理解するのにどれだけかかったのだろう。

同時に脳裏を苛む頭痛をねじ伏せて目を薄く開けた。
…途端に後悔したが。

はっきりと意識を取り戻したら余計苦痛が増しただけだ。自覚できるくらいには回復した分、より悪質に。
全天周囲モニターの端々には真っ赤な警告が表示され、同時に鳴り響く騒音が機体のダメージを物語っている。
目覚めた瞬間、脳裏に叩きつけられる情報の津波。

ああ、わかってるよガンダム。言われなくても無茶をやったことくらい。

意識を向けるのも億劫なほどにウィルの脳内を埋め尽くすブルームガンダムの警告。
それらはすべて、敵パイロットを無傷で制圧するなんていう無茶苦茶な作戦を実行した代償だった。

「ったく、悪かったってば。機嫌損ねるなよ、ガンダム」

彼にしてみれば当然の怒りだろう。
せっかく勝率の高い戦術を提案したのにそれを却下された挙句、意味不明な目標のために無茶な戦術を提案させられたのだ。
それでパイロットどころか機体まで死にかけていれば文句の一つも付けたくなるというものだろう。

一つ一つ機能を切っていき、怒りに震える相棒を宥めたウィルはブルームのコックピットハッチを開放した。
機体から空気が抜けて音が遠くなる。身体を流されないようにしがみ付く。

その流れが収まった時、ぽっかりと口を開けた空洞からは漆黒の宇宙空間が広がっていた。
四角く切り取られた無限。その中にポツンと佇む、傷だらけのMAへと落ちる。

ゆっくりとスノウに近づく間、周囲を見渡す。既に戦闘は終わっているのか、無秩序な閃光は収まりつつあった。
この分だと自分もすぐに救助されるだろう。

ふと見上げると、頭上には大きな…曲線を認識できないほど大きな地球。
昼の面が彼方に消え去り、茜色の夕方を挟んで夜の面が顔を覗かせつつあった。

108: 700くらい :2020/03/08(日) 19:56:03 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp

「っと、ついたな。スノウ…いるか?開けてくれ。俺だ、ウィルだよ」

通信回線を開いて訴える。聞こえてくれていたらいいが、そもそも聞く必要もないかもしれない。

ここまで近づいた今ならわかる。
機体のサイコミュに補助されなくても、少しだけ綻んだ心がMAの中に蹲っているのが。

中で操作したのだろう、警告灯が光ってからハッチが開く。
…気流に流されたのか小さな身体がまっすぐ飛び込んできた。

「ウィル、っウィル!」

「ああ。ここにいるよ、大丈夫」

宇宙服越しではさっきの交感ほどには触れ合えない。
言葉でしか語り合えず、心は建前に装甲されている。

それでも、目の前にいるという事実は何物にも代えがたかった。

しっかりと互いに抱きしめてその存在を確認する。
ウィルは腕の中の熱に、スノウは身を包む暖かさに身をゆだねながら。
ヘルメットをくっつけて接触通信で語り合う。

「ありがとう。ウィル、私を止めてくれて」

「スノウ…あのシステムが戦わせてたんだな。助けてほしいって聞こえたから」

「うん。あれを受けたら戦ったり殺したりすること以外、考えられなくなるの」

NTや強化人間を精神操作するシステム。
人の意思を捻じ曲げているのなら、そんな機械は人を支配しているのと何も変わらない。

「でもウィルのおかげで助かった。あのシステムも逆に利用して無理やり止めるなんて…」

「無我夢中だったけどな。本当に、あの時は何をやってるのか自分でもわかってなかったんだ」

ウィルはただ、強く願っただけだった。彼女に戻ってきてほしいと。
もう一度チャンスがほしいのだと。

「ガンダムが答えてくれたんだ。散々無茶させたけどな」

手足を失って漂うMSの姿。それに申し訳ない気持ちがなくはない。
星々を背にして、闇を背負って見つめる白いMS。

109: 700くらい :2020/03/08(日) 19:56:38 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp

見上げているウィルに、何かを見下ろしているスノウが声をかけた。

「ねえウィル。見て…きれい」

胸の中から見上げていたスノウは、今は抱きしめているウィルの腕の隙間から顔を出して覗いている。

…巨大な、真っ暗でありながら眩く輝く地球を。

回転しているうちに足元に来た地球。自分の方が上下逆転したのだろう。
完全に宵闇に包まれた地球の向こうに太陽の光が沈み、幾億の人々が営む生命の光が眼下を照らし出す。

浮かぶ島嶼の灯は小さな花。大陸の巨大都市は大輪の花畑。
中心部のひと際輝く花芯に、衛星都市の花弁が寄り添う。

「ほらっ!ね、これお花畑みたい!」

「ぅわっ、ちょ!手を離したらまずいって!」

ウィルの腕から抜け出し、笑顔で地球を踏みしめるように動く少女。
バイザー越しでもわかる満面の喜び。
手を広げるスノウに、伸ばした手の指先だけをひっかけている少年は焦って引き戻そうとする。

真空の宇宙に、ゆっくりと雲のように流れるコロニーたち。
蝶々のように踊るのは連合の艦隊だろう。
足元には人の命が息づく地球と、光の花畑。

全てを背にして彼女は笑う。

「もう…っ危ないって言ってるだろ!」

「きゃっ!」

引っ掛かっていた指先を掴んで再び胸に抱き寄せる。
短く悲鳴をあげて、しかしすぐ顔を上げて嬉しそうに微笑んだ。

「焦った?ねえウィル、心配してくれた?」

「うぅ…いやそんな、心配とか…」

そもそも一般人の自分より軍人のスノウの方が宇宙遊泳は上手なのだろう。
しかしどうしても心配になってしまう。

ばつが悪そうに眼を背ける。いたずらっぽい笑みのまま胸に頭を預ける。
すぐ近くにいると、互いの心音が音となって伝わってきた。

「ねえ、ウィル」

「…なんだ?」

「私、自分の名前覚えてないの」

ほら私ジャンキーだから、と冗談めかして言った内容は笑えない。
笑えない自虐ネタなど周囲はどう反応していいのかわからない。

沈痛な顔を浮かべようとして、しかし見つめる視線に思い直した。
彼女はそんなものが欲しいわけではないのだろう。
もっと楽しいこと、喜ばしいものを求めている。

「教えてくれる?私の名前」

「…ああ。スノウ、いやお前の本名は」

花言葉は美と純潔、そして平和と希望。
太陽の目を意味する言葉を語源とし、雪が融け、暖かくなる春に咲くその花の名前は。
デイジー・フローレス
「雛菊の華」

110: 700くらい :2020/03/08(日) 19:57:27 HOST:125-11-141-238.rev.home.ne.jp
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最終更新:2020年03月15日 18:00