621: 加賀 :2020/05/03(日) 10:02:47 HOST:softbank126242174158.bbtec.net


 極東危機後、日露は歴史的な軍事同盟を一時的にであるが結ぶ事になった。その折、ロシア側からアメリカ及び全世界を揺さぶるネタを日本にそれも日露首脳宣言の会見時に一つ提供した。

「原子爆弾は朝鮮戦争の際にスターリンの命令によって札幌・函館・広島に投下された。しかし、日本の陸軍がクーデターを起こした際、米軍の強硬派が原子爆弾を搭載した爆撃機を東京に向かわせ日本軍機に撃墜され闇に葬られた事実は御存じだろうか?」

 会見、しかも全国生放送で発言した事で日本国内は元より米国でも荒れに荒れた。

「この話が事実だとすれば我々は約半世紀もの間、アメリカに騙されてきた事になる!」
「日本の政権はこの事実を知っていたのか? 尚且つ知っていたすれば何故これまでの間黙秘をしてきたのか?」
「京都の英雄、坂井三郎の他にも東京の英雄は存在した」

 マスコミ各社は挙って一面に取り上げた。折しも日米の関係は修復中であり事実を取り上げる事で関係を悪化させる懸念もあったが当時のプレジデント判断により米国でもそして日本でも公表される事になった。

「原子爆弾を搭載したB-29が東京へ向かい原子爆弾を投下しようとしたのも事実でありそれを日本軍機が撃墜したのも事実である」
「B-29を撃墜した戦闘機は川西航空機が試作していた十八試甲戦闘機『陣風』である。なお、『陣風』の製作には倉崎翁も関わっていました。また搭乗していたパイロットは本人希望のため頭文字のU、U氏とさせて頂く」
「この迎撃戦は若狭湾迎撃戦以上の軍機密であった事もご了承ください。また、陣風はこの戦果と引き替えに試作戦闘機で終わったという事を認識してください」


 斯くして生存する関係者語られる。試作戦闘機『陣風』は一機のB-29の撃墜と東京壊滅と引き替えに試作戦闘機で終わる事となった理由が……。

635: 加賀 :2020/05/03(日) 21:29:08 HOST:softbank126140198124.bbtec.net
 全てはこの男の一言から始まったに等しかった。

「『陣風』作ろうぜ」

 男の名は倉崎。日本航空業界に台風を巻き起こしている男である。事の始まりはクラサキノートを投下した1941年初頭であった。既に日米開戦は必須であったこの時期、倉崎は空技廠からほぼほぼクビの宣告を受けていた倉崎だが三菱の改良零戦支援を筆頭にあっちに行ったり此方に来たり(愛知の十三試艦爆支援・中島のキ84支援等々)していた。そんな折に川西からのアプローチを受けて川西航空に来ていた。
 その時、菊原静男(憑依者)らと紫電21型の設計をしていた時にふと倉崎はポツリと上記の事を呟いたのだ。

「……ですが陣風って試作機だった筈ですよ?」
「だからこそだ。三菱は零戦と雷電、烈風で手一杯だし中島はキ84に愛知はキ61だぞ? 手が空いてるのは川西と九州くらいじゃないか。それに海軍機となると新型が欲しい筈だからな。陣風は持ってこいじゃないか」
「確かに……となると九州さんが震電を開発が始まるまで合同ですると?」
「むしろ川西が主力になってやるべきだな。合同だと九州はやれるのか?という心配が海軍がするかもしれない」
「成る程……」

 斯くして川西と九州は密かに会合をして戦闘機開発に合意、九州側が人員を派遣して川西の負担を抑える事で紫電改の開発にも注げる事が出来たのである。そして昭和18年12月、紫電21型がソロモン方面で活躍を始める中で川西は完成した木型模型を空技廠と軍令部に売り込んだのである。

「倉崎が川西で何かをしていると思ったら……」

 ソロモン方面で負傷、療養後に軍令部次長になった三川中将は苦笑しつつも川西の木型模型は審査を通過、十八試甲戦闘機として川西に全力開発を要請したのであった。名前も『陣風』と制式に名付けられた。だが、川西も紫電改の艦載機化に追われたりと中々『陣風』の開発が進まなかった。特に発動機である誉42型の開発が中々進まなかったのだ。それでもなお、昭和20年3月には試作機が漸く完成したのである。

「こいつが陣風か……」
「浦木少尉、頼みます」
「任せてください。1日でも早くこいつを仕上げましょう」

 浦木珱少尉(うらきよう。双子の弟がおり陸軍の戦車隊に在籍)は憑依者であり戦闘はマリアナ沖からであった。

「あのマリアナ沖の生存者か」
「僕は運が良かっただけです……それにマリアナも結局は落とされてB-29が日本に跳梁し始めています。それを見過ごす事は出来ない」
「……そうだな」

 だが4月、海軍は沖縄へ乾坤一擲、その全てを注いで橋本中将の五艦隊を残して壊滅。文字通り沖縄を守るため、勇者の如く倒れたのである。そして5月15日に条件付き降伏のワシントン宣言に日本も承諾する。
 だがそれに待ったをかけたのが陸軍強硬派だった。

「海軍は消滅したが我が陸軍は消滅していない!! 本土決戦にて米軍を叩きのめしてやるのが唯一無二の選択だ!!」

 後に『5・20事件』と言われるクーデターを決行、強硬派は近衛師団司令部を占拠するに至った。日本側は米国にクーデターの件を通告して手出し無用と促した。米国も当初は静観の動きだったがそれを良しとしない者達がいた。
 日本にも強硬派がいたように米国にも日本を無条件降伏へさせる強硬派が存在したのだ。

「日本は焦土化すべきである!! 奴らを立ち直れない程叩かねば米国の威信に関わる!!」

636: 加賀 :2020/05/03(日) 21:29:45 HOST:softbank126140198124.bbtec.net
 下手人はルメイだった。そしてB-29の拠点があるサイパン島にはスケジュールを早めて完成した原子爆弾ーーリトルボーイーーが存在していた。ルメイはこれを使う事にしたのである。

「原子爆弾を奴等とテンノーもろとも粉砕してやる」

 海軍がほぼほぼ壊滅した米軍の新たな主役は空軍であるとルメイはそう考えていた。実際にはまだ空軍はなかったがルメイは戦後を見据えた行動でもあったのだ。

「喜べ諸君。諸君は英雄になる時が来たのだ」

 ルメイはポール・ティベッツ大佐ら選抜パイロットらに対してそう訓示した。時は昭和20年5月28日0500、原子爆弾を搭載したB-29『エノラ・ゲイ』と通常爆撃の部隊80機はサイパン島を離陸したのである。
 B-29を探知したのは伊豆大島の対空電探だった。

「B-29だと!? 誤認じゃないのか!!」
「いえ、確かにB-29です!!」
「クソッタレ!! 奴等は初めから停戦する気はなかったか!! 直ちに全軍に通報!!」

 行き先は関東方面と分かっていたので厚木の302空や調布の244飛行戦隊の『烈風改二』、『雷電』や『飛燕』は直ちに離陸した。この時、浦木少尉の試作『陣風』も横須賀航空隊から離陸しようとしていた。

「無茶はするな浦木少尉!!」
「今無茶せずにいつ無茶するんですか!! 大丈夫、必ず帰って来ます!!」
「信じているさ!!」

 そして浦木少尉の試作『陣風』も離陸した。誉42型は快調だった。何せ中島や三菱が密かに隠し持っていた100オクタン価のガソリンを入れておりその本来の性能を遺憾なく発揮していたのだ。

「こいつは……」

 ニヤリと笑う浦木少尉。浦木機は高度を上げていたが高度4000付近で無線が入った。

『此方903空の瑞雲!! 低空飛行をするB-29を発見!! 場所はーーー』
「何、近いぞ」

 浦木少尉は上昇をやめて降下し現場海域に最大速度(680キロを記録)で向かい東京に向かうB-29を発見したのである。

「見つけたぞ!!」

 発見されたB-29は回避飛行と防御射撃に移行するが浦木少尉は臆する事なく搭載していたロケット弾をぶっぱなす。二発が右主翼付け根付近に命中するが完全破壊とは到らず、更に近づいて主翼に搭載していた20ミリ機銃四門が火を吹いた。20ミリ機銃弾は半壊していた右主翼付け根付近に命中しこれが致命傷となった。右主翼を折られたB-29はそのまま海面に叩きつけられるのであった。

「よし!! 『陣風』の初陣を飾れたぞ!!」

 浦木は歓声をあげ帰還するのである。なお、通常爆撃隊も迎撃隊によって壊滅状態になり完全失敗するのであった。
 その後、クーデターは戦艦『長門』の41サンチ砲が近衛師団司令部を粉砕し強硬派を吹き飛ばす事で幕を閉じるのであるが日本側は米国にB-29爆撃隊の件を抗議した。

「何!? どういう事だ!?」

 日本側の抗議に米国も驚愕して調査するとルメイの独断専行が発覚、更に原子爆弾を無断使用も発覚し米国もこの事態に何とか収める事に躍起となる。

「今回の件はルメイの独断専行によるものである」
「そのため浦木少尉の撃墜報告は無かったモノとする」

 もし原子爆弾が落とされていたら……日米は爆撃のみを公式とし原子爆弾搭載機は『始めから無かった』事にされたのである。
 そのため『陣風』の唯一の戦果も闇に葬りさられ『陣風』の開発計画は中止・公式の記録から抹殺された。
 こうして東京への原子爆弾投下はその後の日米関係を重んじる者達の手によってその存在を正史から消されたのである。
 あまりにも重くそして苦い結末、『陣風』の勝利と誰一人として言わず沈黙を通す事で東京湾迎撃戦と呼ばれた迎撃戦は終焉を迎え歴史の闇に消えたのであった。

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最終更新:2020年05月04日 14:27