909: 弥次郎 :2020/05/29(金) 01:00:37 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
日本大陸SS 北米進出ルート(仮) プロローグ
西暦1840年代中頃、後にアメリカ合衆国と呼ばれる国は「明白なる天命(マニフェスト・デスティニー)」の元、西進を進めている真っ最中だった。
旧き大陸---即ち、欧州大陸を離れ、自らの意思でこの新大陸に移住した人々は、フロンティアと呼ばれる領域を開拓し、自らの土地とし、そこに住処を作り、そこで子を産み、育て、そして死んでいった。
進めば進むほど未開拓の土地は広がっており、拓けば拓くほど土地は得られ、自らの財は自らの努力に比例して増えていくという単純構造。
そんな分かりやすい構造に加え、カルヴィニズムという宗教的・精神的な後押しもあってひたすらに進んだ。
だが、それは彼らが多くを得た代わりに、アメリカ大陸に先住していた人々から多くを奪い取るものでもあった。
例えばだが、マンハッタン島。オランダ人と現地人の取引によって1625年に購入されたこの土地は、
アメリカの発展の象徴ともいえる。
だが、その際に支払われたのはたったの25ドル。無論、現代のように開発されて人が生活するような土地だったとは言い難かったかもしれないが、現在の視点から見れば、とてもではないが公正な取引だったと胸を張って言えるかどうか疑問が浮かんでしまうものだ。
同じようなケースは多数みられたが、あるいはそちらの方が平和だったかもしれない。場合によっては武力という直接手段によって住処を追い出され、あるいは虐殺され、遥か西方への逃避行を、強制移住を受け入れざるを得なかった。碌な交通手段もなければ、整備された道があるわけでもない。そもそも、そんな長距離移動をするだけの用意も早々にあるわけでもない。
涙の道。そう称されたのは、悲しみか、襲い来る苦難への感情か。
そして、追い出した側の人々、
アメリカの人々に良心的な呵責があったかどうかは定かではない。
カルヴィニズム的に言えば、彼らが土地を奪い取り、自らのものとしたことは予定調和であり、天命であった。
だが、そんなことなど知らぬ者たちや信じていない人々のことを、果たして彼らは考えることはしなかったのだろうか?
他方、インドへの道を求め、結果的に
アメリカにたどり着いたクリストファー・コロンブスとは反対側---太平洋側から新大陸にたどり着いた人々がいた。
彼らこそ、極東の大陸国家にして、帝(天皇)を中心とした政治体制をその大陸に敷き、広大な国内の開発に加えて、誰とは言わないがかねてからの思惑、即ち外界開拓と進出を開始していた日本という国家であり、日本人というカテゴリーの人々だった。
本来の歴史と照らし合わせれば、先進的な技術と明らかにその時代の人々では知る筈の無い知識を活用し、彼らもまた、この新大陸を開拓し始めていたのだ。現地に暮らす人々を追い立てるでもなく、騙すでもなく、ただ調和と共存を求め、互いの価値観を分かち合い、日本人は徐々に徐々にとその版図を広げていた。それは
アメリカの方式とは異なるものであり、極めて理知的に、そして、深く浸透していった。彼らとしては、新天地を求めてきたのであり、争い、戦うために来たわけでもない。
先人がいれば敬い、客人がいればもてなし、ルールの内側にあるならば同胞として認める仕組みを、そのまま使っただけのことである。
だが、ここまで言えば解ることであろう。この両者、
アメリカと日本の価値観は決して交わることはなく、出会えば戦いは避け得ず、また、戦いの後の和解も和平もないことを。
片や、神の天命、運命や義務に基づき、そして自らこそ文明を開くものと自負する
アメリカ。
片や、その
アメリカの強大化を先んじて潰し、将来、未来の安寧を獲得するために暗躍する人々がいる日本。
歴史が浅い新興国と神話と歴史がつながる古き国。その価値観は悲しいほどに隔てられ、分かり合うには双方の違いがありすぎた。
そして、運命の時---
アメリカの武装開拓団とも言うべき集団と、それを知らぬ日本の開拓集団のファーストコンタクト。
それは、不倶戴天の敵同士としての運命をたどることになる日本と
アメリカの関係を、極めて端的に示すものとなってしまったのであった。
910: 弥次郎 :2020/05/29(金) 01:01:29 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
以上、wiki転載はご自由に。
北米進出ルートのイントロを、以前即興で書いたものをベースに描いてみました。
続きはどなたかがご自由に書いちゃってください…私には無理です(白目
最終更新:2020年05月29日 13:33