167: 弥次郎 :2020/06/13(土) 15:39:33 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp

日本大陸SS 漆黒アメリカルート 「カリブ独立運動、そして再びの海賊黄金時代へ」





 西暦1871年、アメリカ合衆国で大陸横断鉄道の一部が完成し始めたころ、それはカリブ海の島々---ハイチ、キューバ、
あるいはプエルトリコなどで発生していた。即ち、スペインの植民地であった国々で一斉に独立運動が開始されたのである。
俄かに発生したとは思えないほど組織立った独立派の動きは圧倒的な速さと統制と武器を持っており、あっという間に制圧を完了してのけた。
当然スペインとしてはこれの鎮圧を目論んだが、そこで外交官を通じてアプローチをかけてきた日英そして米連を見て、全てを悟った。
 斯くして、大人の対応がなされた結果、カリブ海の島々は各々が国として独立、速やかに日英米連との協力関係や通商条約などを結び、そして彼らのお抱えの私掠船団などを受け入れ始めた。国内の鉄道インフラをようやっと構築して一息ついていた米合が気が付いた時には、カリブ海を中心とした海域は米連とその関係国のテリトリーと化しており、すでに手出しのしようがなかった。
 言うまでもないことだが、これらは米合の労働交易船を妨害せんとする米連の、そして米連を支援する日英の意思が働いていた。
現地の独立派への接触に始まり、武器の供与、軍事訓練、独立までのタイムラインの策定などなど、多くのことで手を回していた。
スペインは借金の話を持ち出されては文句も言えず、欧州各国にしてもガチで奴隷交易を続けている米合に関しては表立っては言わないが反発を抱いていた。
故にこそ、米合を除いた国々は暗黙の了解を以て動き、予定の行動を終えてしまったのである。

 さて、独立後のカリブ海は米連を主体とした国々の投資を受け、急速に経済と工業を発達させていくことになった。
私掠船団の寄港地あるいは拠点としてカリブ海の島々の価値は途轍もなく高い。ちょっと足を伸ばせばアフリカ-米合の交易ルートに割り込めるし、足を伸ばせば大西洋上にまで交易ルートを妨害しに行くことができるのである。そして少々後の時代になるが、米合の私掠船が横行するようになってからはそれらへの対処もしやすくなるという利点も存在していた。
 フットワークの軽い私掠船と練度と装備の優れた海軍。それらがまとめて集まるということは、必然的に需要が生まれ、経済が活性化する。
ただでさえ元々の住人達より多い人間が押し寄せてきたのだ、それに加えて軍事行動をとるということは、必要なものが山ほどあるということ。
これで景気が良くならない方がおかしい。宗主国ではなくなったスペインに関しても、お情けでこの経済にちょびっとかかわることを許されていた。

168: 弥次郎 :2020/06/13(土) 15:40:10 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp

 さて、斯くして私掠船の横行するまさに第二のカリブ海族時代が幕明けたわけであるが、これはひどく時代錯誤なものであったのは言うまでもない。
海賊を利用するという前例がが無かったわけではない。事実、南北戦争時に南部州は私掠船免状を発行しているのでそれの焼き直しのようなものだ。
だが、カリブの海賊時代全盛期が過ぎ去って久しいのに、またカリブ海で海賊が横行するというのは何とも奇妙なもの。
その実態も、事実上の列強同士による代理戦争、全面戦争には至らない紛争まがいの争い、あるいは……戦争の真似事。

 とはいえ、米合にとって人材供給の生命線を脅かされていることは事実であるし、嘗てほどではないにしろ「あがり」が減る事は問題だった。
 南北戦争時に南部州の私掠船を圧倒してたことから、当初こそ楽観視していた米合であったが、すぐにその認識は改められることになる。
米連とて南北戦争時の敗北については覚えていたし、同じようにやっても敗北を重ねるだけだと理解していた。
加えて、海軍国家である日本や英国の援助があり、嘗ての南部州とは状況や練度などが一変していたのであった。
また、その立地条件---カリブ海の島々を拠点として制海権を半ば握る米連が網を張って待ち受けることができるのに対し、そこを突っ切るか大きく迂回しなければならない米合とでは条件が違い過ぎた。
 だからこそ米合もまた私掠船を狩りだすために私掠船を認めることになり、やがてそれは人狩りも兼ねるようになり、そして見境の無い海賊行為によって欧州各国の船にさえちょっかいを書けるようになってしまうことになった。ただでさえヘイトを稼いでいる米合にとっては視線が厳しくなる一方ではあったが、元々奴隷交易の時点で今更であり、平然としたものであった。
むしろ、米合の無意識は歓迎していたのかもしれない。新たな紛争が起こることは消費活動であり経済活動、経済の循環を回すために必要な行為を行う場所が新たに増えたわけであるし、新しい「収穫先」となり得るとも判断できるわけであるから。

 ともあれ、斯くして各国の思惑の元、1800年代に突入して特異な時代は始まった。
 特異的な偉人、あるいは英傑の誕生---ベルツ兄弟、“白帽”ことヴィクトル、女傑アレグザンドラ、血まみれスミスなど---が起こり、華やかなる海の時代の到来である。

169: 弥次郎 :2020/06/13(土) 15:41:08 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
〇ざっくりした海賊紹介


アーダム(アダム)・ベルツ
ベルンハルト・ベルツ
コルネリウス(コーネリアス)・ベルツ
概要:
 1800年代のカリブ海賊黄金時代において著名な海賊の3兄弟。
 発起人であり彼らの船団の長であるアダム、航海士を束ねるベルンハルト、会計や交渉事を担当するコルネリウスと役割分担がされていた。
 出自は不明で、北部州から脱走してきた赤の他人、南部州で奴隷とドイツ系移民の間に生まれた、はたまた、ドイツの由緒ある一族の母親が許されぬ恋をして妊娠し、それが露見するのを恐れてアメリカまで出奔して彼らを産んで育てた、ともされる。
また一説によれば米連が意図的に隠滅したともされるが、いずれにせよ、彼らが私掠船を持ち民兵として活動を開始するまでの経歴は不透明なままである。
 当初は民兵であったが、民兵らしからぬ高い練度と連携によって幾多の戦果を挙げており、米連の私掠船免許を得て公認の海賊となる。
 活躍については既に述べているので割愛させていただく。


ルイ=ヴィクトル・ロバン(ロビン)
概要:
 通称を白帽ロビン。フランス系アメリカ人。
 常に白い帽子をかぶっていたことに由来する渾名を持つ。自他ともに認める伊達男であり、教養があり、多趣味な人物であったとされる。
元は裕福な貿易商の生まれで、銀の匙を咥えて育ったようなお坊ちゃまだったらしい。らしいというのは、来歴が自称であるため不確かであるためである。
 紳士的ではあるがやはり海賊らしく、敵対者には容赦はしなかった。一方で女性遍歴はかなりのもので、副船長以下、彼の部下たちがこぞって航海日誌に書く程度にはとっかえひっかえしていたし、女性にモテていた。救った女性奴隷から求婚されたことも。
そんなわけでおおらかな人柄もあって何人もの女性と関係を持ち、正式に認知した子供だけでも12人、私生児を入れるともっといるらしい。
まめな性格で航海中であっても妻や子供たちを気に掛けており、間を取り持つ努力をしたことでハーレムは仲が良かったらしい。
 しかし、女性関係が広かったためか梅毒をもらい、海賊としての晩年は大人しく陸でパトロンや航海術を教える教師となった。
享年は62歳。


アレグザンドラ・スタンレイ
概要:
 女傑の名を恣にした女海賊。あるものはカリブの女帝とも称え、あるものはカリブの魔女とも揶揄した。
元から海賊というわけではなく、私掠船を持っていた元軍人の妻という立場であったのだが、色々あって船団の長となる。
女装した男性説が出るくらいには男勝りであり苛烈な性格で、怪力や決闘などにおいていくつもの逸話を持つ。
米連公認の私掠船団を率いていた期間は10年ほどであるが、その性格や逸話などで短い期間で名をはせた。
 しかしながら彼女もまた人間であり、病気が理由で海賊を引退、その後40半ばを前に燃え尽きるかのように死去する。


スティーブ・"ブラッディ”・スミス
概要:
 合衆国の免状を持った良くも悪くも有名な海賊。通称血まみれスミス。
 元々私設の人狩り部隊を抱えていた交易商で、それが発展して海賊へと転職した。
 船長という立場ではなく、接舷しての乗り込みを行う際の一兵士の立場であったが、その体が血まみれになるほど苛烈に戦ったという。
当然のことながら懸賞金がかけられ、最終的には米連海軍との交戦の最中に戦死する。

170: 弥次郎 :2020/06/13(土) 15:41:58 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
以上wiki転載はご自由に。
海賊たちの再びの黄金時代、どれほど続くのかはちょっと考察待ちですが、ロマンあふれる時代になりそうです。

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最終更新:2020年06月17日 13:24