198: トゥ!ヘァ! :2020/06/13(土) 18:49:32 HOST:FL1-118-109-165-4.kng.mesh.ad.jp
漆黒米世界 続海賊時代
カリブの海賊というのをご存じだろうか。映画や小説なんかで有名なあれである。
最も有名な時期としては17世紀ころだろうか。
だがそんな彼等も時代の波には乗れず衰退していった。19世紀初期には一時的に再興した時期もあったが、それが長く続くこともなく1800年代半ばまでにはほぼ完全に終焉を迎えていた。
しかし、1860~70年代。なんの因果か再び海賊たちが海で暴れ始めた。
だが彼らは今までのようなアウトローではなかった。アウトローの皮を被った傭兵、義賊、はたまた兵士か。
とにかく今までの海賊とは一線を画した存在であったのは確かだ。
人々は彼らのことを新世代と呼び、1860年代後半から1910年までの約半世紀を続海賊時代と呼ぶ。
〇続海賊時代
1860年代末頃からカリブ海や大西洋を中心に姿を現しだした海賊とは即ち米合衆国、米連合国どちらかの息がかかった私掠船のことである。
南北戦争の後にアフリカからの奴隷船の数を増やした合衆国に対し、米連はそれを邪魔せんと海賊に偽装した多数の私掠船を送り込んだ。
これが1860年代末から再び現れだした海賊の正体である。
中身は政府が雇った元軍人や有志の民兵などで構成されているが厳密に米連政府が運営しているというわけではなく、私掠船免状を政府から発行された集団が海賊を名乗っているだけである。
このため中には完全に民兵のみで構成された私営の集団も存在した。
またスポンサーは米連のみに留まらず合衆国の蛮行を重く見ている日本、英国なども支援を行っており、それらへ拠点となる領土を貸すためスペインやオランダも協力するなど多数の国がスポンサーとして軒を連ねた。
このため彼等米連傘下の海賊の多くはスペイン領キューバを中心としながら、各国のカリブ海領土に拠点を作り、そこから大西洋へと船を出していった。
主な仕事はアフリカから北米へ運ばれてくる奴隷船の拿捕と奴隷の解放。
拿捕した船は日本、英国、オランダ、スペインなどが仲介となり買い取り、それを提供した私掠船には仲介料と米連からの褒章が渡されると言うシステムである。
彼等はスポンサーとなる国々から払い下げられたクリッパー船を駆り、その恐ろしい速度でもって縦横無尽に大西洋を駆け巡った。
神出鬼没の海賊たちに米合衆国の奴隷船は翻弄されるのみであり、初期の置いては一度捕捉されれば、その多くは海賊たちの餌食となったのである。
解放した奴隷は一旦拠点へと連れ帰り、それから本人達の希望を聞きながら労働者として雇用したり、故郷に返したりしている。
この際の拉致された元奴隷たちの解放に関しては米連軍もしくはスペイン軍やイギリス軍などが海賊の拠点に踏み込んで捕まっていた人々を開放し、国の善意から雇用もしくは故郷への帰還を斡旋するという一連の流れがお決まりとなっていた。
この際に奴隷船を運用していた合衆国人も共に正規軍の手によって解放され、祖国へと送り返される。
無論海賊たちへのスポンサーは上記の国々なのだから、これはプロレスである。
このようにシステム化された海賊とは名ばかりの傭兵稼業であったが、世間一般からは悪の合衆国から無辜の奴隷を開放する義賊として米連のみならず欧州諸国や北米、日本などでも高い人気を誇った。
199: トゥ!ヘァ! :2020/06/13(土) 18:50:04 HOST:FL1-118-109-165-4.kng.mesh.ad.jp
〇推移
海賊にいいように被害を出されている合衆国であったが、無論黙っているわけではく、対海賊用に奴隷船に護衛艦を同道させたり、はたまた報復として米連へと私掠船を向かわせたりもした。
これが1870年代からの出来事である。
このため単なる奴隷船への襲撃から海賊と言う名の私掠船同士の小競り合いや米合衆国海軍との戦いへと発展していった。
合衆国の放った私掠船は米連の私掠船への攻撃の他に、海賊らしくオランダ、スペインと言った米連へ支援していると思わしき国々の船を次々と襲い始めた。
彼等は米連支援下の海賊と比べ残忍で容赦がなく、襲われた船の乗員の多くは生きて故郷に帰ることはなかった。
事態を重く見たスペインやオランダなどは自国の海軍を用いて大西洋を警備するようになり、これら合衆国系海賊との戦いが苛烈なものとなっていく。
自国の海軍だけでは埒が明かないと蘭や西なども自国で私掠船を出すこととなり、これを米合衆国への報復とした。
しかし不思議なことに英国の船は襲われる機会が少なかった。また襲われても比較的軽微で済むことが多かったのである。
これは流石の狂犬合衆国でも当時世界最強を怒る英国へ手を出すのは憚られたからだ。
英国はこの状況を利用し、欧州発貨物の多くを自国国籍の船で北米やアフリカに運ぶことに成功。
一時的な船積みバブルが発生し、史実にはなかったプチ好景気を迎えることとなる。
とは言え周りの国々からは余り良い目で見られなかったが、そんなのは今更である。
最もそんなプチバブルで稼いだ金もボーア戦争への戦費に消えてしまう訳だが…
またフランスやベルギー、ポルトガル、ノルウェーと言った国々もドサクサ紛れに自国から私掠船を送り出しており、小遣い稼ぎと情報収集に努めた。
無論比較的被害の少なかった英国も同様のことを行っている。
同時にアフリカ沖からは純正の海賊が現れるようになった。彼らは奴隷狩りを行う欧州や北米の国へ抵抗するために武装した者達や単に食っていくために海賊へ身をやつした者達、金儲けをしたいがために一旗揚げた者や欧州企業に諭され、雇われ海賊稼業を行うようになった者など様々な人々がいた。
こうした1800年代後半の大西洋は何度目かの大海賊時代を迎えており、ドサクサ紛れに他国の私掠船が他所の国の積み荷を奪っても一体どこの国がやったことなのか詳しいことはわからなくなっていった。
そして米連の裏庭(名目上はまだスペイン領土やイギリス領土である)のカリブ海においても合衆国が放った私掠船と米連傘下の海賊の熾烈な争いが発生していた。
米連海軍や現地のスペイン、イギリス、オランダ軍なども巻き込みながら数多くの戦いや伝説を生み出しながらも20世紀に入るまで、この喧騒は続いていくこととなる。
200: トゥ!ヘァ! :2020/06/13(土) 18:50:38 HOST:FL1-118-109-165-4.kng.mesh.ad.jp
〇続海賊時代の終焉
栄枯必衰は必ず訪れるもの。再び世間をにぎわした続海賊時代にも終わりが近づいていた。
19世紀に入り、各国正規軍の有する船舶の高性能化が進み、既存のクリッパー船運用を中心とした海賊たちが返り討ちにある例が多くなっていった。
各国の輸送船舶も自国の海軍と船団を組み、海賊への警戒を強めていたのだ。
半世紀近い争乱は人々に安全な航行戦術と利益の上がる運用方法を編み出させるのに十分な時間であった。
このため単独もしくは少数で徒党を組んだだけの海賊、私掠船では各国の輸送船団を撃破することが難しくなり、次第に海賊の姿を大西洋から消えていくこととなる。
最も変わらずカリブ海においては米連と米合衆国が私掠船を用いた激闘が続いていたが。
そんな中で勃発する第一次世界大戦。各国が総力を出し合う中で民間船舶の多くも徴収され、それは今まで暴れていた私掠船団も同様であった。
そしてそれは未だ争いの尽きなかったカリブ海を巻き込んでいった。
徴収された私掠船やその人員のその多くは戦争の最中輸送任務や通商破壊任務へ運用され、ある程度戦果を挙げながらも消えていった。
そして大戦後にはそのほとんどは死ぬか引退するかで姿を消していたのである。
大戦終結後において一度の砲火が破滅的な参戦をもたらすことを理解した各国は本格的に私掠船による襲撃を停止した。
誰しも自分の知らないところでまたしても世界大戦の火種が起きることなど望んでいなかったためである。
こうして続海賊時代と呼ばれた喧騒はそれ以上の喧騒である世界大戦に巻き込まれる形で終わりと迎えたのだった。
201: トゥ!ヘァ! :2020/06/13(土) 18:52:31 HOST:FL1-118-109-165-4.kng.mesh.ad.jp
〇有名海賊&その他
続海賊時代を代表する海賊の一つ。通称ベルツ・トライスターズ。
詳しい身元は不明。
一説では元々は南北戦争で活躍した民兵だとも、北部から逃げてきた血の繋がらない三人組だとも言われている。
彼等は米連直下の国営私掠船団ではなく、私営の私掠船団である。
私営でありながらも高い統率と練度を誇り、正規軍顔負けの強さであったと伝えられる。
その後は数多くの伝説を残しながらも三兄弟全員が生き残り20世紀に入る前に海賊業を引退する。
彼等の活躍は後に様々な映画や小説、漫画となり数多くの少年たちの心を掴んだ。
米合衆国からは三兄弟別々に懸賞金が掛けられておりその合計額は日本円換算で計1億円であった。
(ここでの円は当時の物価の計算が面倒なので史実現代換算とする)
米連直下の国営私掠船団を率いた女性海賊。
南北戦争では女だてらに地元の人間を率いて地獄の戦争を戦い抜いた女傑である。
別名復讐の女神。
元々温和な農場主である父と母を持ち、そこで働く奴隷たちとも家族のような関係を築いていた彼女は南北戦争以前に北部の放った過激なマンイーター部隊の手により両親も家族のように接していた奴隷たちも全てを失った。
戦争中に自ら銃を手に取り戦ったのはその復讐である。
その経験からか戦後は自ら進んで私掠船団の長となり、北部の運行する奴隷船を開放し続けた。
解放後故郷に帰ることを拒んだ、もしくは何らかの理由で帰れなくなった元奴隷たちを引き取り、彼らを中心とした農場をキューバで開設した。
1880年代半ばに私掠船稼業中に米合衆国海軍との戦いにおいて負傷。その傷が元で引退する。
引退後にはキューバに開設した農場経営に集中し、キューバを代表する大農場兼酒造所へと育て上げる。
引退後にも話題を事欠かさない人物であり、米連本土に用事で寄った際に偶々米合衆国の人狩りグループを見つけ出して一人で叩き潰す。
人に懐かなかった剣牙虎を一目見ただけで平服させる。問題を起こしならず者たちがその姿を見ただけで命乞いを始めるなど。
第一次世界大戦時においては偶々乗っていた船が敵国の仮想巡洋艦に襲われ取り乱す中で味方を叱咤激励し、これを撃退したとの話すらある。
現役時代の懸賞金は彼女一人で1億5000万円相当。南北戦争時代から彼女個人へ懸賞金が掛けられていた模様。
片腕をカギ爪状の義腕としている海賊。米連直下の国営私掠船団の一つを率いていた人物。
片腕は南北戦争の際に失った。
本人が特別強いというわけではなく、よく統率の取れた船団を率いており、多数の北部奴隷船や輸送船を襲い、これらの積み荷を奪い取った。
どれほど統率が取れていたというと彼が引退するまで、ただの一隻たりとも脱落者がいなかったほどである。
ペットにアメリカワニを飼っており溺愛している。このため彼の船団が掲げる海賊旗はワニをモチーフにしている。
80年代付近に引退。引退後は米連にてワニ専門の動物園を開き、ワニおじさんの名前で地元に親しまれた。
ピーターパンに出てくるキャプテンフックの元ネタになったと有名。
現役時代の懸賞金は3000万円相当。
202: トゥ!ヘァ! :2020/06/13(土) 18:53:07 HOST:FL1-118-109-165-4.kng.mesh.ad.jp
大西洋北部航路で名をはせた私営私掠船団の団長。イギリス人。
熊のような大柄な体躯と白い口髭からホワイトベアーの名が広がった。通称白熊親分として有名であった。
多くの合衆国船舶を襲い、積み荷を巻き上げた逸話が有名であるが、遭難者の救難や事故にあった客船の救助など弱き立場へは国籍関係なく手を差し伸べる海の漢。
1890年代において米合衆国海軍との戦いに敗れ戦死。
最後は部下の船を逃すために自らの船を殿にして果てたと言われている。
懸賞金は5000万円相当。
国籍不明のアジア人と思われる男性。
アフリカ沖を中心に活動しており、多数の黒人奴隷を開放しまわった人物。
どこからやってきたのか経歴が一切不明であり、活動期間も10年ほどと短い。
1870年代半ばにはその存在を確認されており1890年になる前には行方がわからなくなっていた。
彼が解放した奴隷は10年間余りで数万人に及ぶとされている。
経歴不明の他にも謎の多い人物であり、確かな見識に基づいた戦略眼と洗練された貴族を思わせる姿勢、そして何よりも優れたカリスマを持った人物。
彼の船には人種を問わず様々人間が乗っており、元黒人奴隷から元英国軍士官、更には北部で働いていた元奴隷商人までが付き従っていたことからも彼のカリスマ性が理解できる。
また彼が運用していた船舶は蒸気動力との混合型の最新鋭船舶だったことから、どこかの国の貴族か軍人だったのでは?との噂があったが、当時の国々ではどこのこのタイプの船は運用しておらず、船までもが謎に満ちた御仁であった。
懸賞金は8000万円相当。
北部が送り込んでいた私掠船団の一つ。
残忍で見境なしなのが特徴。
彼らが襲った船は一人たりとも生かされないことで有名であり、欧米では悪い子は黒狼海賊団が攫いに来るとまで言われた。
その余りの残虐性で主であるはずの米合衆国ですら持て余し気味であり(襲った船の人員を殺されては奴隷にできないため)、討伐するために集められた英蘭西仏の連合艦隊へわざと情報を流したほどである。
1880年代半ばにカナダ沖にて上記の英蘭西仏の連合艦隊の待ち伏せに合い、一人の残らず殺されたと言う。
しかし今でもカナダ沖のとある海域では彼らの旗を掲げた船が海をさまよっているとの噂がある。
英仏蘭西及び日本に米連まで懸賞金をかけたが、国によって値段はマチマチである。
最も高い懸賞金は米連のかけた1億円相当。この値段は彼らが暴れた被害額以上であり、当時どれほど人々に恐れられていたかが理解できる。
203: トゥ!ヘァ! :2020/06/13(土) 18:53:39 HOST:FL1-118-109-165-4.kng.mesh.ad.jp
投下終了
領土が残ったり残らなかったりするシュレディンガーのスペイン。
最終更新:2020年06月17日 13:27