839: 弥次郎 :2020/06/21(日) 16:05:01 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp

日本大陸SS 漆黒アメリカルート 「WW0の終幕、新時代へ」




 日露戦争の終結は日清以来ドタバタしていた極東情勢、特に清国周辺が落ち着いたということもあって、列強の清国切り取りの狼煙となった。
もはや死に体の清国にそれに抗う力は残っておらず、次々と租界や租借地が清国各地に誕生していき、最後のフロンティアは瞬く間に消失していった。
 清朝末期においては孫文や袁世凱など史実のネームドがそれなりに活動を行いはしたが、史実の様な影響を与えることもできず歴史に埋もれていく。
日本は別段中華の強大化など望んでおらず、むしろ列強によって分割されてしまえと煽っている節さえあったほどだった。
故に孫文はパトロンこそ日本で得られたがそれが離れていくのも早く、袁世凱も独裁を布いてでも改革を進めようとしたが頓挫。
柔軟に国家や国家を取り巻く態勢を改革した大日本帝国とは対称的にに、旧来の考えに固執したが故に代えられなかった清国は緩やかな死を迎えようとしていた。

 しかして、中華の人々の活動が緩やかに停止したかといえば、そうではなかった。
 列強による利権や土地の切り取りに参加できなかった米国---正確に言えば、利権や領土はもちろんであるが、それ以上に「人」を欲していた米合がいたのだ。
人口問題---それは、米合が多産政策の推進などもあって人があふれかえってストリートチルドレンなども平然といる中でもなお、慢性的に求めざるを得ない資源問題でもあった。つまるところ、戦争経済を回すための「労働力」「駒」が必要だったのである。
孤児院や浮浪児などを育成するのも進められているが、彼らが成長するのを悠長に待つよりも、成長した人間を連れてきた方がよほど手っ取り早い。
そんなわけで、米合は中華系移民、所謂華僑の移民を大々的に募った。その「移民」の将来は見て取れた各国であったが、流石の米合も列強の支配下にある租界などで人攫いなどはできないと踏み込むことはなかった。というか、踏み込むことを列強に禁じられたのだ。
 だから移民を列強各国の監視の下で募るしかなかった。まあ、清国の人々にとってみれば列強の事情や米合の事情など知らず、米合の甘言にホイホイとのせられて自ら地獄さえ生ぬるい世界への片道切符を使ってしまうのも仕方がないことではあった。
 また、米合が「移民」を形問わず求めていることは分裂状態にある清国にとってはある種都合がよかった。
米合との取引で同郷の人間を連れて行けば、米合製の武器や製品が手に入ると理解したためであった。
腐っても列強の一角である米合は清国に比べれば工業もあるし技術もある。さらにはその扱いについて心得のある人間もいる。
斯くして米合は経済を回すための策の一つとして「戦争の輸出」を開始した。

840: 弥次郎 :2020/06/21(日) 16:06:01 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp

 これを探知できない列強ではなかったが、地域ごとの分裂、とりわけ強力な統一政府が出来上がることを好まなかったため、紛争・戦争の輸出という米合の動きは半ば黙認されることになった。無論のこと租界や利権を握る地域への売り込みや流入などは許さなかった。
とはいえ、後の事態を考えると、米合の動きはより締め付けておくべきだったと思われるのだが。
しかしながらも、これら流された武器や軍事顧問による教練は中国各地の軍閥の活性化を誘発。中央政権というものは中華の土地からしばらく消えることになる。

 さて、そんな列強各国ではあったが、同時に深刻な問題が一つ転がっていた。進歩してしまった戦争技術である。
 機関銃やガトリングガンなどを用いた塹壕戦、膨大な戦力をぶつけ合う人海戦術、シベリア鉄道を焼いた飛行船、歩兵の用いる新技術を導入したライフル、沿海州の攻防で用いられた巨大な列車砲、そして歩兵や陣地を蹂躙した戦車や装甲車。
 海で言えば、扶桑型戦艦---J級ショックあるいはドレッドノートショックが各国の軍を揺らし、各国は慌てて建造計画の見直しを強いられた。
それは世界の二大海軍国家である大英帝国と、扶桑型戦艦を送り出した大日本帝国も含まれていた。ドレッドノートが英国の戦艦を悉く旧式化させたのと同様、大日本帝国もまた扶桑型の登場によって自国の戦艦の多くを旧式の艦艇、前弩級戦艦にカテゴライズせざるを得ない状況に追いやられたのだ。
まあ、自分たちの国で起こっていたことであるのである程度の覚悟はできていたといえば他国よりも幸運ではあった。
しかして、世界の海の力、シーパワーを半ば二分する日英両国にとって保有艦艇の刷新はその国力を以てしても一朝一夕にできるものではない。
いましばらく、各国の海の男たちの、そして後方の財布を握る者たちの戦いは続くことになりそうであった。

 ともあれ、日露戦争が終わった後、各国の観戦武官たちの分析や解析はこれまでの戦争の常識を一新してしまう戦争だったと結論していた。
故にこそ、これ以上悲惨な戦争は起こらないだろうと、半ば祈るかのように評された。これ以上の戦いは起こらないはずなのだと。
しかし、それはかつてカタパルトが「世界を滅ぼしかねない兵器」とされた時代を過去のものとしたのと同様、いずれは超えていく標準であった。
各国は日露戦争から新たな戦訓を学び、次なる戦いに備えて準備を進めていったのであった。

841: 弥次郎 :2020/06/21(日) 16:07:55 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp

 そう、世は帝国主義の最盛期。高々戦争一つが終わった程度で何一つ変わりはしない。
 確かに日露戦争は悲惨な戦いを繰り広げ、各国に驚愕を与えはしたが、それ以上ではない。
 戦争が進歩したならばそれに合わせて各国は軍を新たにしなくてはならない。ましてや、累乗的に進歩したが故に、それへの力の入れようはこれまでの比ではなかったことは確かであった。
 また、早くも世界は植民地の切り取りから発展したにらみ合いや植民地を拡張する中で生まれた妥協による同盟関係を結び始める。
それにより、列強の中で二つのグループが生まれつつあり、その対立構造は民族主義的なものも絡んで各地で火種となり、静かに延焼を開始する。
 1904年の英仏協商の締結、ついで1907年の英露協商、元々あった露仏同盟による列強三カ国の同盟関係+日英同盟による連携が成り立つ。
一方で、元々あったドイツ・イタリア・オスマンの三カ国の同盟関係はその三国協商+日の内のロシアとの間で汎スラヴ主義と汎ゲルマン主義において対立。
その舞台を関係する国々の拡張の最前線にして中間点、同時にナショナリズムや価値観のぶつかり合うバルカン半島へと移した。
ヨーロッパの火薬庫。そう例えるのにふさわしい、列強同士がにらみ合う危険な領域。
戦争に発展するか、それともしないのか。どちらかが、あるいは双方が妥協を選ぶのか。それは未知数。
戦争になるだろうと危惧するものもいれば、あれだけ悲惨な戦争の後なのだからと楽観するものもいる。

 そして、日本大陸の夢幻会の意見はほぼ全会一致で前者であった。間違いなくWW1は避け得ずに勃発すると。
 大日本帝国がその領域の安全保障を確実のものとするために、賠償金の他極東ロシアのカムチャツカまでも割譲させてロシアの太平洋進出を遮断したのは良い。
ロシアがこのまま存続するにせよソ連となるにせよ、南下政策を再び推し進められて迷惑をこうむるのは日本の側だ。
 しかして、それはひっくり返ればロシアの太平洋進出の目がほぼ0となったことに他ならない。そうなれば、反対側、丁度ホットになりつつあるバルカン半島など東欧方面への進出へ力を注ぐこととなり、そちらへ火種が増えることに他ならない。
ある意味で、大日本帝国は、そして夢幻会は、世界を巻き込んだ未曽有の大戦、WW1勃発の背中を押したとさえいえるかもしれないのだ。
自己の保身のために他者の平穏を差し出す、ある種究極のエゴイストなのかもしれない。とはいえ、他者を重んじすぎたところで何も得られないのも事実。
 結局は全ては結果と、その結果を後から観測するもの次第ということなのだろうか。
 果たして、待ち受ける過程と結果はどうなるのか。それは全て未知でしかなかった。

842: 弥次郎 :2020/06/21(日) 16:09:05 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
以上wiki転載はご自由に。
駆け足ながらWW1直前辺りまでの歴史を。

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最終更新:2020年06月23日 10:40