870: クー&ミー :2020/06/21(日) 23:36:00 HOST:p6147005-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
日本大陸 北米進出世界(仮称)
夢幻衆の登場
5~7代将軍の治世より徐々に転生者が現れ始めて夢幻衆が形作られ始める。
一部は譜代・外様大名、その家臣と上級武士も居た事から藩政だけでなく幕政にも徐々に影響力を増やしていった。
その為、幕府財政は史実よりマシとなっている(日本大陸の豊富な資源にも助けられた)
転換期(第一次改革期)
徳川吉宗本人に
夢幻会メンバーが転生した事から本格的な夢幻衆ブーストとなる「享保の改革」を開始。
大陸化によって技術力が強化され、吉宗以前から夢幻衆によって技術研究が行われていた事から1730年代には蒸気機関を実用化する事に成功。
日本大陸のマンパワーと新たに生えてきた“天然物”の天才(奇才・変態)の力も加わって産業革命は順調に進んでいった。
これと並行して鎖国政策を一部転換、将軍家や一部大名(夢幻衆)に洋式帆船を建造させ日本大陸外の植民を進める。
南方進出は列強との衝突によるタイムロス回避で控えめにし、多くの人員を北方へと送っていった。
そして、カムチャッカ半島からアリューシャン列島を経由して北米へ到達、欧州がごたついている隙を突いて西海岸の開拓を進めていく。
成長期
9代家重、10代家治(史実より長命)の合計半世紀に亘る治世は、日本大陸の産業革命における成長期となっている。
この経済成長に並行して日本大陸の人口増加ペースも上がっており、北米への移民数も増加していく。
家治の治世では田沼意次+夢幻衆の手腕によって貿易による利益も上げており、戦国時代~江戸初期かけて流出した金銀を少しずつ回収していった。
871: クー&ミー :2020/06/21(日) 23:36:58 HOST:p6147005-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
第二次改革期
1795年、11代将軍となった家基(※)の治世は8代吉宗以来となる大改革の時代として知られている。
発端は、1800年に加州で発生したゴールドラッシュで江戸幕府が莫大な金を保有した事であった。
夢幻衆の進言を受けた家基は、別名で「通貨改革」とも言われた「文化の改革」を実施。
「文化の改革」の大まかな内容は4点に纏められる。
- 金座・銀座・銭座を統合して新たに「造幣所(数年後に造幣局へ改称)」を設立
- 新型の蒸気機械を用いて均質化した新貨幣の鋳造開始
- 通貨単位を「両」から「円」に変更
- 有力商人(転生者含む)と共に銀行の設立・整備、近代金融網の構築
事前対策した事で、新旧貨幣引き換えは史実より早く終える事に成功した。
均質化した新貨幣は貿易相手の諸外国にも喜ばれ、家基の実施した「文化の改革」は日本の経済的信頼度向上にも一役買っている。
こうして金融の近代化に邁進する江戸幕府は、オランダを始めとした諸外国と国交樹立(条約締結)をしながら1830年代を迎える事となる。
※
徳川家基(1762~1847)(将軍在位:1795~1835)
史実と違って早世せず1795年に将軍宣下を受ける。
「文化の改革」代表される成果から「経済将軍(公方)」「日本金融業の礎を築いた男」と国内外から称えられた。
後世、家基の墓所には彼の業績に肖ろうと多くの財界人が参詣している。
872: クー&ミー :2020/06/21(日) 23:38:03 HOST:p6147005-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
日本と
アメリカの出会い
1830年代半ば、夢幻衆はアメリカとの国交を結ぶ事を決定した。
これは、日本領加州の開拓が進んだ事と「文化の改革」による新通貨制度に庶民が慣れた事が挙げられる。
既に数ヶ国と国交を樹立していた江戸幕府は、国際的認知度も高まっている事を背景にオランダの仲立ちでアメリカへの使節団派遣を行うに至る。
1836年、幕府使節団は新型国産蒸気船(※1)と共にアメリカに到着。
喧々諤々の議論を重ねつつ(※2)翌1837年に各種条約を締結、これによって日米の国交が正式に樹立した。
無論、対等条約であるのは言うまでもない(これ以前の諸外国も同様)。
条約交渉の最中、江戸幕府は地図を用いて海外領土を含めた日本領の説明も行っている。
この説明が後に日米関係悪化とアメリカ南北分裂の端緒になろうとは夢幻衆も含めて誰も気付いていなかった。
※1
当時、世界から見ても最新の技術を使用している。
これは、アメリカに対して日本側の技術力が上である事をアピールする為であった。
※2
始めはアメリカがごねる場面が多くて交渉が難航していた。
しかし、翌年に史実同様1837年恐慌が発生して態度が一変、対日貿易開始による景気回復を目論んだ事から速攻で条約案にサインしている。
873: クー&ミー :2020/06/21(日) 23:42:34 HOST:p6147005-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
日本とアメリカの交流、そして対立へ
江戸幕府とアメリカが国交樹立後初期の交流は比較的順調に行われていた。
特にアメリカ南部との貿易が大きく、日本への綿花・農産物輸出は恐慌に見舞われた多くの農園主を破産の危機から救っている。
しかし、史実より早く恐慌が落ち着いてくると連邦政府内部に1つの疑念が生まれる。
幕府使節団が提供した地図には自国の隣に広大な日本領加州の存在が示されていた。
連邦政府は、ルイジアナ買収で手に入れた広大な領土を「加州から来た日本人が勝手に開拓して占領するのでは?(※)」と考えたのである。
この疑念は、日本人の探検家が蒸気船でミズーリ川を下ってミズーリ州に到達した事で確信へと変わり、連邦政府は1つの考えを抱く。
「国費を投じて西部開拓を進めよう。人手が足らないなら陸軍も動員しよう。それが、アメリカの領土を守る手段だ!」
こうして、日米対立の種は蒔かれたのである。
※
無論、将来の禍根を増やしたくない夢幻衆は日本領加州以東への進出は考えていない。
その一方で、加州に住む先住民や日本人が史実ワイオミング州やネブラスカ州に住む先住民に近代的開拓のノウハウや物資、武器の提供を行っていた。
夢幻衆としても悩み所であったが、米国による先住民虐殺に眉を顰めていた事や緩衝地帯を設けると云う意味でこの行為を黙認した。
875: クー&ミー :2020/06/21(日) 23:47:25 HOST:p6147005-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
投稿は以上です。
まとめwikiへの転載は自由です。
予定を変更して、日米対立の種が蒔かれる所まで投稿しました。
文章のストックはこれで尽きた()
時代のスピードを飛ばしつつ、アメリカを黒くしないといけない(汗)
そして、軍同士が殴り合う前に先住民と開拓民(米側)の戦いが始まる模様。
最終更新:2020年06月23日 10:41