44: yukikaze :2020/06/27(土) 13:28:22 HOST:p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
一応、豊臣
夢幻会の第二次欧州大戦の年表考えてみたので投下
あくまで暫定的な内容なので、修正等可です。
939年
9月1日:ドイツ、ポーランド侵攻
9月3日:英仏、ドイツに宣戦布告。第二次世界大戦勃発。
日本、
アメリカは中立宣言
11月30日:「ソ・フィン戦争」勃発。ソ連がフィンランドに侵攻
ロシア共和国、動員体制に移行。日米はフィンランドに武器の輸出認める。
1940年
3月12日:「ソ・フィン戦争」終了。史実よりはマシだが、憂鬱世界よりは厳しい講和条件。
4月8日:ドイツ、デンマーク、ノルウェー侵攻開始。
5月10日:ドイツ、フランス侵攻。アルデンヌ奇襲
5月21日:アラスの戦い。イギリス遠征軍大敗。
5月24日:「パリ動乱」フランス共産党によるパリでの蜂起。フランス政府機能消滅。
5月27日:英「ダイナモ作戦」発動。
5月29日:ドイツ軍ダンケルク突入。イギリス遠征軍残存部隊降伏。最終的に遠征軍の9割が死亡ないし降伏。
6月14日:パリのフランス共産党政府による一方的な休戦宣言。ドイツ共産党も受諾。英の対仏感情最悪に。
7月1日:ドイツ共産党政府によるイギリスへの降伏勧告。イギリス政府拒絶。
7月2日:メルセルケビール海戦。フランス地中海艦隊大打撃。フランスの対英感情悪化。
7月5日:フランス共産党政府、イギリスにメルセルケビール海戦の賠償を要求。イギリス政府、言下に拒絶。
7月7日:中華民国政府、上海でイギリスの植民地主義を批判するとともに、『世界は新体制で廻らないといけない』と、ソ独仏共産党政権にラブコールを送る。ソ独仏も同宣言に歓迎の意向を示す。
7月10日:ドイツ共産党政権、イギリスに対して無制限通商破壊作戦を宣言。フランス、英国に対して宣戦布告。
7月中旬:英仏海峡戦勃発。英国籍の輸送船に被害が激増。ドーバー海峡の航行禁止に。
7月14日:中華民国。「最後の関頭」演説。領土奪還を理由に、香港周辺に精鋭部隊の集結を急がせる。
7月16日:英国政府、日米に対して参戦を依頼。日米政権は消極的。
7月19日:スペイン人民政府。突如、ジブラルタルに侵攻。宣戦布告なしの奇襲攻撃。人民政府は、不法に占拠された自国領土の奪回と諸外国に説明。
7月24日:ジブラルタルに増援に向かっていた『アークロイヤル』、潜水艦の雷撃により撃沈。
7月30日:ジブラルタル陥落。イギリス地中海艦隊は、アレキサンドリアに撤退。イギリス海軍、西地中海の制海権喪失。
8月2日:中華民国、英国に対して香港返還及び法外な賠償金を要求し、断られた直後に国交断絶・宣戦布告。
8月9日:イギリス空軍、ブレストに最大規模の空襲。ブレスト軍港に大打撃を与えるも、爆撃機部隊も壊滅。
8月11日:サン・ナゼール軍港攻撃を企図した英国艦隊。ドイツ航空部隊に捕捉され『カレイジャス』撃沈。
8月15日:「アドラーアングリフ」ドーバー海峡での航空撃滅戦により、英独双方消耗戦に。英国最悪の時に。
8月17日:「リバティ号事件」イギリスから
アメリカに避難するため出航した、
アメリカ船籍の客船がドイツ空軍により撃沈。
アメリカ、日本の民間人の多数が溺死し、日米世論がドイツに硬化。
8月19日:ドイツ共産党政府、「リバティ号事件」に対し、危険な海域を進ませたイギリスの責任であるとして、自国の責任を否定。日米両政府、ドイツを批判。
8月21日:日米両政府、ドイツ共産党政府に対して「リバティ号事件」での責任を求める共同声明を発表。
8月22日:ドイツ共産政府。「責任は全てイギリスにありドイツにはない」と、日米の声明を拒否。仏西中も賛同。
8月23日:日米両政府「枢軸国に大義なし」とし、ドイツ共産党政府に対し最後通告。ドイツ共産党政府黙殺。
8月24日:日米両政府、独に対して宣戦布告。また、ドイツに賛同していた仏西中にも宣戦布告。
45: yukikaze :2020/06/27(土) 13:29:33 HOST:p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
8月30日:フランス海軍によるアレキサンドリア港への破壊工作員侵入。アドミラル級戦艦『ロドネー』着底。
9月5日:中華民国、香港及び上海租界地において攻勢を開始。上海イギリス租界区全滅。「上海虐殺」
9月10日:香港に向けてフィリピン駐留の米師団及び日本から増援部隊が到着。戦線膠着。
10月13日:日本軍、香港近郊に上陸。香港を攻撃する中華民国軍を包囲。
10月18日:中華民国軍、日本本土爆撃を実施するも、レーダー網につかまり壊滅的打撃を受ける。
11月3日:香港に攻め込んでいた中華民国軍が降伏。
11月12日:アメリカ軍、海南島を制圧。華南への爆撃基地として整備を進める。
11月19日:
アメリカ、イギリスに対して援英派遣部隊を出撃。チャーチル『希望の松明』演説。
12月8日:日米両海軍「ガルバニック作戦」を開始。日米艦隊による、中国沿岸部への攻撃を始める。
中華民国は批判するも、「上海虐殺」が大きく、枢軸国以外からは「自業自得」と見離される。
正規空母『雲龍』『青龍』実戦に参加。
1941年
1月1日:超大型空母『翔鶴』『瑞鶴』が、横須賀と呉の海軍工廠で起工。
1月11日:日本、援英派遣部隊を出撃。
アメリカと違い扱いが悪かったこともあり、当初から隙間風が生じている。
2月14日:
アメリカ、「レンドリース法案」可決。
アメリカの戦時生産もある程度軌道に乗り始める。
2月下旬:「ガルパニック作戦」終了。中国沿岸部の都市壊滅。蒋介石の経済基盤大打撃。
3月3日:日米、中華民国に対して海南島及び台湾から戦略爆撃を開始。以後、終戦まで爆撃は続く。
4月5日:独仏両政府、アルジェリアに軍勢を派遣。イタリアに対して圧力を強め、エジプト侵攻を目論む。
4月8日:イタリア政府、改めて中立を宣言すると共に、連合国と枢軸国の橋渡しを務めることを発表。各国から失笑を受ける。
4月15日:「ボズワースショック」日本陸軍の37式中戦車が英米両軍に正式にお披露目。演習で圧倒的スコアを叩き出す。
4月22日:日米英軍事会議。欧州本土侵攻を求める
アメリカと、アフリカに第二戦線を求めるイギリスとの間で意見対立。
なお、イギリス側が日本に対して最低でも2個軍の派兵を要求したことに、日本側は中国戦線及びロシア共和国の状況を伝えることで、事実上拒絶している。
5月30日:ニューヨーク会談。日英米首脳(大野、チャーチル、ランドン)による戦略調整会議であったが、「大野ノート」によるレッドセルの存在が明らかになったことで、英米両国は大恥をさらすことになる。
6月3日:米内・キング会談。日本、技術供与の見返りに新鋭軽巡12隻と新鋭駆逐艦48隻のレンドリースを認められる。
6月5日:連合国軍総司令部発足。総司令長官はD・マッカーサー。英国は総司令官こそ譲るものの、第二戦線を認めることに成功。
6月15日:マッカーサー。「ウォッチタワー作戦」を提案。カサブランカを落とすことで、欧州の柔らかい横腹を突くことを目的としたもの。補給面の問題から調整は難航する。
6月22日:マッカーサー。「ウォッチタワー作戦」を保留。補給船団の問題を片付けられないことから。イギリスおよび亡命フランス政府の批判が起きる。
7月4日:米陸軍航空隊による初の戦略爆撃。護衛抜きの実施であった為、大損害を受ける。
7月14日:日本陸海軍航空隊。武部理論に基づき、夜間でのインフラ攻撃を開始。損害は少ないものの短期的に効果は出ず。
7月22日:ドイツ海軍、スカパ・フローに奇襲攻撃。『グローリアス』撃沈。R級巡洋戦艦『ロイヤル・オーク』大破。
7月29日:イギリス政府。次期主力戦闘機として、越山重工の『飛燕』を採用することを正式決定。
また、海軍航空隊も『烈風』及び『流星』の導入を決定する。
8月4日:中華民国政府。首都を南京から武漢に疎開。
8月14日:ベルリン会談。独仏西中は、連合国に対して単独講和を行わないことを宣言。
9月12日:仏領インドシナ。ホー・チ・ミンの蜂起が始まる。フランス共産党政府、ホー・チ・ミンを批判し、コミンテルンからの除名を依頼。コミンテルンも了承。
9月18日:ド・ゴール。仏領インドシナ政府に対して「自由フランスに帰属すれば、日米の軍事援助により、蜂起は打倒できる」と秘密交渉。勝手に約束に使われた
アメリカ及び日本政府激怒。
9月22日:第2回日米英軍事会議。協議の内容は戦略爆撃についてであり、各国の主張は折り合わず。
46: yukikaze :2020/06/27(土) 13:31:15 HOST:p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
10月8日:「エクスポーター作戦」。イギリス中東駐留軍と自由フランス政府によるシリア・レバノンへの侵攻。
10月下旬までにシリア制圧。
11月12日:ソ連、独仏西に対しソ連製兵器のライセンス生産を秘密裏に承認。
11月30日:ド・ゴールによる自由フランスへの賛同を求めるベイルート宣言。ただし、フランス国内での影響力は限定的。
12月14日:枢軸諸国。統合軍備計画を承認。生産機種を絞る代わりに、生産性の向上を図る。
12月25日:
アメリカ、国内の中華系住民強制収容を完了。約50万人が収容される。
1942年
1月18日:日本海軍遣欧艦隊。トゥーロン強襲。フランス地中海艦隊全滅。トゥーロン港機能消滅。
2月25日:第3回日米英軍事会議。マッカーサーによる「ウォッチタワー作戦」再提案。英仏は賛成。日米は消極的だが押し切られる。
3月8日:「ボン岬沖海戦」北アフリカへの輸送船団護衛をする仏海軍残存部隊と日重巡部隊との交戦。日本海軍完全勝利。
4月23日:中華民国政府。首都を武漢から重慶に疎開。中国沿岸部の混乱が無視できないレベルになる。
6月1日:「ウォッチタワー作戦」発動。参加兵力は、アメリカ軍4個師団、イギリス軍2個師団、日本軍2個師団、フランス軍1個師団。
6月3日:パットン率いる西部方面隊はカサブランカの包囲に成功。同日、田中静壱中将率いる中部方面隊はパットンの後詰に展開。
アラン・カニンガム中将率いる東部方面隊はオランへの進撃を開始。
6月8日:カサブランカのフランス守備軍降伏。モロッコ王国の各地も順次降伏。
6月20日:「労働者の歓喜作戦」ドイツ=アフリカ軍団指揮官のヴァルター・モーデル中将による遅滞防御作戦発動。
英仏軍は、補給線の見通しの甘さにより大敗。
6月25日:マッカーサー、カニンガムの指揮権剥奪。連合軍アフリカ司令部を創設し、アイゼンハワー大将に権限を付与。
7月3日:ド・ゴール、カサブランカに赴き、モロッコが自由フランス政府に帰属したことを宣言。
マッカーサーとド・ゴールの関係は最悪に。
7月7日:スペイン領セウタ陥落。連合国マスメディア「地中海の門は開かれた」と、勝利宣言。
7月17日:カサブランカに日米連合艦隊集結。枢軸国側、警戒を最大限に。
7月24日:「バトル・オブ・ジブラルタル」スペインに急遽集められた枢軸国空軍部隊と、モロッコに展開した
アメリカ陸軍航空隊の死闘開始。
7月31日:大西洋で任務中の『ヨークタウン』。Uボートの雷撃を受けて沈没。
8月4日:「シロッコ作戦」モロッコ陥落とド・ゴール発言に焦ったフランス共産党政府によるモロッコ奪還作戦。モーデルは大反対するも政治的な要因から、独仏連合軍でモロッコに攻めざるをえないことに。
8月15日:「グレネード作戦」独仏軍の攻勢に対して、自由ポーランド軍大将のマンシュタイン発案による迎撃作戦。
同作戦は、後に『マンシュタインのバックハンドブロウ』と呼ばれ、機動防御作戦のお手本とされる。
8月19日:独仏「シロッコ作戦」の中止を決定するも、侵攻戦力の6割を失い、アルジェ防衛に齟齬を来すことに。
9月1日:第4回日米英軍事会議。アルジェ奪還を演説するド・ゴールに、マッカーサーが「黙れ」発言。
両者ともに激昂し、あわや乱闘寸前にまでなる。アルジェ侵攻は保留に。
9月14日:日英外相会談。
アメリカと比べて日本の援助が少ないことを指摘したイーデン外相に対し、吉田茂が「それほどまでにご不満ならば、日本は撤兵させていただく。我らは
アメリカとの友誼により参戦はしたが、貴国とは一切の友誼はない。日露戦争の折に貴国が我が国に対していかなる仕打ちをしたか、忘れたとは言わさんぞ」と席を離脱。イギリス側の対応に不満を持っていたケネディ駐英大使が吉田の援護射撃をしたことで、チャーチルが公式の場で謝罪する羽目になる。
9月下旬:日米による大西洋上でのハンターキラー作戦が最高潮に。
10月5日:枢軸諸国。『欧州の壁』構想承認。対英上陸作戦案は完全に消滅する。
10月中旬:日本海軍の戦時急造空母である『瑞鳳』型航空母艦が次々と就役。(43年1月までに合計8隻就役。他改造艦3隻)
11月8日:第5回日米英軍事会議。欧州反攻作戦に向けての計画が開始される。
11月30日:共産ドイツ。ドイツ潜水艦隊の壊滅を受けて、潜水艦戦力の追加発注を中止。ドイツ海軍事実上の消滅。
12月12日:「ゴモラ作戦」アメリカ陸軍第20爆撃軍による四川大空襲。四川の堤防群に大打撃。
47: yukikaze :2020/06/27(土) 13:31:59 HOST:p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
1943年
2月4日:「カタパルト作戦」マッカーサーによるアルジェリア侵攻作戦。蚊帳の外に置かれたド・ゴールは激昂。
2月5日:「アルジェ湾沖海戦」
アメリカ機動艦隊、アルジェの制空権を奪取するも、発進準備中の隙を突かれ『エンタープライズ』級3番艦『ワスプ』喪失。4番艦『レンジャー』大破の大損害を受ける。
2月22日:「カセリーヌ峠の戦い」エジプトからチュニジアに侵攻したウィロビー・ノリー中将。モーテル大将の逆撃に会い大敗。
ドイツアフリカ軍団最後の煌めき。
3月6日:日本海軍。ジェット戦闘機「疾風改」及び『輝星」を部隊配備。
4月20日:日本海軍。遣欧艦隊第二陣として、瑞鳳型航空母艦8隻を
アメリカ西海岸まで順次出撃。
5月8日:アルジェリア総督府降伏。アフリカの共産フランス勢力消滅。イタリア政府、秘密裏に連合国と接触開始。
5月10日:「アルジェ宣言」首都アルジェに強引に押し寄せたド・ゴールが、アルジェリアが自由フランスに帰属したことを強引に宣言したものの、マッカーサーが「連合国の軍政」と、全面的に否定。米仏関係最悪に。
5月18日:アルジェリア総督ダルラン元帥、テロにより暗殺。ド・ゴール派の犯行というのが有力。
5月24日:アルジェでフランス共和国臨時政府設立。連合国も承認。政府首班はジロー大将。ド・ゴールは一時的に失脚するも、政治的暗躍から10月には共同代表、12月にはジローの後を継いで政府首班になる。
6月6日:アメリカ陸軍第20爆撃軍による飢餓作戦開始。農薬散布とナパーム弾の合わせ技で中華民国の農業生産量激減。
6月12日:共産ドイツ。欧州決戦戦車として、KV-85のライセンス生産車両『レーヴェ』を公開。
7月8日:「アトラス作戦」内乱の続くギリシャに対するテコ入れのための英国軍の占領。日米軍から「壮大なる兵力と燃料の無駄遣い」と酷評されることになる。
7月14日:「千夜一夜作戦」英米両軍によるハンブルクへの大規模空襲。ハンブルク消滅。
7月下旬:武部理論によるインフラ破壊により、独仏の兵器生産量、ピークの6割に減。ソ連からの供給依存増大。
8月1日:「決号作戦」日本陸軍3個師団による上海沿岸部の制圧。以後、爆撃拠点は台湾から上海に代わる。
8月12日:第6回日米英軍事会議。来るべき欧州上陸作戦への計画を本格化。
8月16日:ジュビリー作戦。ディエップへの上陸作戦であったが、作戦目的が不明瞭で失敗。情報漏洩にも拘らず、イギリス側の対応が消極的であったことで、日米の英に対する情報共有が低調に。
8月30日:米海軍、1個巡洋艦戦隊及び2個水雷戦隊を日本海軍遣欧艦隊の指揮下に入れることを発表。アーロン・S・メリル少将指揮。
9月12日:日本海軍4個空母機動戦隊がブレスト港を空爆。ブレスト港に大被害。以降半月かけて荒らしまわり『海賊艦隊』と呼ばれる。
10月11日:超大型空母『翔鶴』『瑞鶴』就役。
11月6日:第一次遣欧派遣艦隊予定通り帰国。
アメリカ西海岸から、1個巡洋艦戦隊及び2個水雷戦隊が日本に派遣される。
12月上旬:中華大陸。飢餓と寒波により各地で暴動が頻発。広西軍閥、単独で日米と停戦。
1944年
1月5日:共産ドイツ外相、ソ連に軍事介入を要請。ソ連、スミルノフ中将率いる一個軍団を義勇兵としてドイツ東部に派遣。
1月20日:マッカーサー連合国軍最高総司令官。欧州上陸作戦「オーバーロード」作戦原案を固める。
2月6日:「ヴェリダブル作戦」イギリス地中海艦隊、独断でジブラルタルを占領。キング連合国海軍総司令官激怒。
2月8日:キング連合国海軍総司令官。地中海方面海軍総司令官に日本海軍の古賀峯一大将を推薦。古賀は3日後に戦時特例で元帥昇格。
2月12日:マッカーサー連合国軍最高総司令官。地中海方面総司令官にアイゼンハワー大将を任命(同日元帥昇進)。地中海方面総司令官ウェーヴェル元帥更迭。
2月15日:マッカーサー元帥、アイゼンハワー元帥に、「オーバーロード」作戦の陽動作戦を地中海戦域で行うよう命令。
2月21日:日本陸軍、イギリスおよび中東にいた部隊をすべて地中海方面に集約。地中海方面軍を設立。方面軍司令官は山下奉文大将。機甲師団2.機械化歩兵師団4、自動車化歩兵師団3と、日本陸軍の主力と言っていい戦力であった。
48: yukikaze :2020/06/27(土) 13:33:12 HOST:p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
3月3日:アイゼンハワー元帥。「アイアン・フィスト」作戦をマッカーサー元帥に提出。マッカーサー了承。
3月13日:イタリア。連合国側で参戦することを正式に了承。大規模な軍事援助とともに英米両国の駐留の許可を行う。
3月20日:アメリカ海軍空母機動艦隊、フランス沿岸に対して空襲開始。また、アメリカ陸軍航空隊も沿岸部への爆撃強化
3月26日:日本海軍遣欧艦隊主力、アレキサンドリアに入港。超大型空母2、正規空母2、軽空母8、戦艦9、装甲巡洋艦2、重巡6、軽巡22、駆逐艦112という、文字通りの大艦隊であった。
3月27日:イギリス地中海艦隊、本国に召還。あからさまな懲罰人事に、イギリスのキングに対する嫌悪感増大。
4月5日:日本海軍ジェット機部隊初実戦。偶然にもマルセイユ近郊で羽を休めていた第44戦闘団も戦闘に参加し壊滅。
同戦闘団は、エースクラスを集めたドイツ空軍の切り札であり、戦闘機もBf109G型であったが、機体性能差があり過ぎた。
5月3日:ベルリン会談。内陸部決戦を主張する現地司令部と、水際作戦を主張する陸軍司令部との意見衝突の解消のために行われたが玉虫色の決着で終了。なお、両者とも連合国の進軍先を『カレー』及び『マルセイユ』と予想。
6月3日:イタリア王国。枢軸国に対して国交断絶。48時間後に宣戦布告を宣言。
6月5日:「アイアン・フィスト作戦」日米仏軍、マルセイユへの上陸に成功。共産独仏軍の警戒最高潮に。
6月6日:「オーバーロード作戦」英米加仏軍。ノルマンディーへの上陸成功。共産独仏軍大混乱。
6月7日:「サジタリオ作戦」イタリア軍、亡命したフアン3世を旗印に、バルセロナに上陸。スペインの反政府組織一斉に蜂起。
日米英政府、イタリア政府の火事場泥棒に苦言を表明するも、ムッソリーニは「平和のための援助」を堂々と要求
6月13日:「カーンの戦い」
アメリカ第3軍指揮下の機甲部隊と、共産ドイツ新鋭装甲師団2個師団の激突。アメリカ軍勝利するも『レーヴェ』により、M4の損耗も大きく、報告を聞いたマッカーサーは、AGFのマクネアー中将の更迭と新型戦車のM26配備を強く主張。
6月15日:日本欧州方面総司令官 前田利為元帥。マッカーサーに対し、37式中戦車輸送分(100両)の提供を打診。マッカーサー日本の好意を謝するとともに、あくまで日本軍の作戦目的に使用するよう依頼。
6月25日:マルセイユ占領。また同日にはアメリカ軍によりトゥーロンも制圧される。
6月26日:アメリカ軍、シェルブール港占領するも、港湾施設は破壊される。
7月1日:日本陸軍、グルノーブルを占領。共産ドイツ軍、アルザスにいた戦力を抽出して対応。
7月18日:イタリア軍、テルエルでスペイン人民政府軍との決戦に勝利。人民政府、マドリードからセビリアに遷都。
7月21日:イタリア軍、マドリードに入城。スペインの王政復古を大々的に宣言。日米英渋々ながら承認。
7月25日:「コブラ作戦」連合国軍、ノルマンディ戦線突破に成功。
~31日
8月3日:「幻号作戦」日本陸軍、アルザス方面への進撃を窺うそぶりを見せ、共産ドイツ軍過剰に反応。フランスへの援軍中止。
8月12日:「ファレーズ包囲戦」アメリカ軍、共産仏独軍に対しての包囲殲滅戦に成功。フランスの戦いの事実上の終焉。
~21日
8月25日:パリ解放。ド・ゴールによる勝利の演説と翌日の凱旋パレード挙行の表明。マッカーサー激怒。
8月26日:「凱旋パレード事件」。パレード先頭を仏第二機甲師団とし、パレード終了後には第二機甲師団を連合軍の編制から外すという通告に、マッカーサーは「まだ戦争が終わっていないのに遊び惚ける馬鹿がいる」と、ド・ゴールを痛烈に批判。
パレードに日本軍に声がかからなかった(純粋な事務的ミス)のも問題視し、パレードを中止させる。
8月31日:ソ連指導部、共産ドイツ政府に勝利の可能性なしとして、ドイツ支配領域の制圧を決定。
9月1日:イタリア、スペインの完全制圧を宣言。ただし散発的なテロ活動に悩まされる。
9月11日:ディジョンにおいて、日本軍とアメリカ軍が握手。フランス国内における南北戦線統合。
9月19日:ブリュッセルを解放。ベルギー王室、国土復帰を宣言。
9月28日:イギリス軍、アントワープを解放。ただし、北岸のドイツ軍を排除できず、港の使用は限定的。
10月1日:イギリス陸軍参謀本部。オランダ奪還作戦及びドイツ侵攻作戦の前段作戦として、「マーケット・ガーデン作戦」を提案するも、マッカーサーから非現実的として却下。
49: yukikaze :2020/06/27(土) 13:34:13 HOST:p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
10月15日:「クロマイト作戦」マッカーサー、オランダ沿岸部に上陸作戦を敢行することで、オランダ解放を達成することを提案。
上陸用機材と気象上の問題で早くても翌年になることが見込まれたことで、亡命オランダ政府が難色。
11月6日:「ヴァイタリティ作戦」イギリス軍、アントワープ北部を完全制圧。
11月7日:アメリカ大統領選挙で民主党のコーデル・ハル当選。
11月10日:「グレネード作戦」アメリカ陸軍第20爆撃軍。蒋介石の籠もる重慶に最大級の爆撃。地中貫通爆弾「ファットマン」(史実トールボーイ)を初めて実戦に使用。蒋介石を含む中華民国政府首脳部全滅。
11月13日:「激号作戦」日本陸海軍爆撃隊による西安大空襲。超重爆『富岳』実戦に参加。火災旋風が起きるよう計算された爆撃であり、西安に戦力を移動していた毛沢東率いる共産党首脳部は、蘭州に行っていた林彪を除いて全滅。
11月15日:新疆派軍閥、中華民国からの離脱を宣言し、ソ連の庇護下に入ることを懇請。
11月17日:馬家軍、自らの権益が脅かされることを恐れ、新疆派軍閥との抗争を開始する。
11月20日:成都に逃げていた孫科、蒋介石を始めとする上層部の全滅を認める。四川派、貴州派、湖南派と言った地方軍閥は次々と離反。中華民国政府崩壊。中華戦線は事実上消滅。
11月21日:ソ連政府「民族自決」を掲げて、新疆派軍閥への介入を決定。なお、ソ連は軍閥に任せるつもりはさらさらなく、新疆ウイグル自治区、青海、甘粛、寧夏回族自治区を領土とする「東トルキスタン共和国」建国を決定済。
12月16日:「バルジの戦い」共産ドイツ最後の賭けと言われる大規模攻勢。
12月19日:「バストーニュの戦い」栗林忠道中将率いる第23師団による防衛戦。
12月26日:バストーニュ解囲。解囲に参加した部隊が日系人部隊であったため、両国において美談となる。
1945年
1月16日:連合国によるバルジ包囲網完成。共産ドイツ司令部の硬直した指導により、バルジ内のドイツ軍の脱出は不能。
1月20日:共産ドイツ政府、オランダ、デンマークの残存部隊の撤収を命じるとともに、ソ連に大規模な援軍を懇請。
1月28日:イギリス軍、オランダへの進軍開始。
2月15日:アムステルダム解放。オランダ王室、国土復帰を宣言。
2月22日:連合国軍、ソ連とドイツの国境に、大規模な軍が展開していることを確認。ソ連政府に確認するもソ連政府は黙殺。
3月1日:イギリス軍、オランダを完全解放するも、ルール工業地帯にソ連軍が展開していることを受けて進撃停止。
3月3日:日米英政府、合同でソ連に対し、軍駐留の意図を説明するように要請。ソ連政府黙殺。
3月5日:共産ドイツ政府、改めて連合国との徹底抗戦を宣言。
3月7日:「バグラチオン作戦」発動。在ドイツソ連軍一斉に蜂起。ドイツ主要都市はソ連軍の制圧下に。
3月8日:ソ連国境から東欧諸国に対してソ連軍侵攻開始。同日、ドイツとオーストリアで共産政府樹立。
3月9日:イギリス軍とのトラブルで、ギリシャ方面軍に左遷されていたパットン大将、独断でブルガリアへの侵攻開始。
アイゼンハワーは激怒するが、マッカーサーが追認し、援軍を送るよう指示。
3月15日:アメリカ軍、ノルウェーとデンマークに対し、上陸作戦敢行。抵抗は全くなく一週間後に全土制圧。
3月16日:ルーマニア国王ミハイ1世、パットンに対して単身会談し降伏を宣言。パットンは快諾し、更に進撃。
3月22日:ベッサラビア、ブコヴィナを制圧したソ連軍とパットンの睨みあい。双方、戦闘を起こすには問題を生じており、状況は膠着状態に。
3月29日:ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキアで、共産政府樹立。
4月3日:ソ連軍、スロベキアとセルビアを制圧し、共産政府樹立。イタリア軍、フィウメ防衛を名目にクロアチアに進駐するとともに、秘密裏にソ連との間で手打ちを行う。(ボスニア・ヘルツェゴビナでのソ連への譲歩)
4月5日:ロンドン会議。連合国主要国による戦争の継続か否かを決める会議。戦争継続を訴えるイギリスやフランス、ポーランドであるが、日米への更なる負担を前提とするものであったため、日米両政府の反発を招く。
50: yukikaze :2020/06/27(土) 13:44:00 HOST:p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
4月9日:ハル大統領、マッカーサー元帥に戦争継続の是非について諮問。マッカーサーからは「日米だけでやりきるだけの覚悟があればやれる。英仏は当てにならない。なお、戦争終結までに後5年。被害は10万単位で考えるべき」と回答。
4月10日:ハル大統領、大野首相と会談。大野からもマッカーサーと同様の回答を貰うとともに「
アメリカの有権者は最後までやりきるだけの覚悟はありますか?」と問われ、ハルは沈黙。
4月12日:ソ連政府、連合国政府に対し、旧枢軸国との間の停戦の仲介を行うことを宣言。
イタリア政府、好意的な声明を出す。
4月14日:連合国、ソ連の宣言を受諾し、停戦に合意。チャーチル「ミュンヘンの二の舞」と、日米の判断を痛罵するも自身は政変によって下野する。
5月5日:ジュネーヴにおいて、連合国とソ連との間で停戦交渉開始。
5月7日:ソ連代表団、ルーマニアとブルガリアに対して、現政権の非を鳴らし、人民政府を設立するのが必要と提案。連合国側拒否。
5月10日:ソ連代表団、再度、ルーマニアとブルガリア問題で、連合国側の譲歩を提案。
5月12日:中央アジアにおけるソ連と連合国側との分割案妥結。モンゴル(内モンゴル含む)と東トルキスタンのソ連の優位性を認める代わりに、チベットのイギリスの優位性を認め、インドには手を出さないことを確約。
5月16日:ロスアラモスで原子爆弾の開発に成功。
5月17日:ソ連側代表、ルーマニアとブルガリア問題を一方的に打ち切る。またポーランド問題で、ポーランド自由軍と自由政府についても決して手は出さないし、亡命してもらっても自由という回答を出す。
5月21日:連合国と枢軸国との間で停戦条約発効。
51: yukikaze :2020/06/27(土) 13:46:38 HOST:p343111-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
とりあえず暫定的だけど年表作成。
まあ色々と付け加えたりできるだろうし、整合性会わなければ修正もすることになるかと。
こうしてみると、なんだかんだ言って、後半になるとイギリス陸軍も成果出したりはしているのとほんとイタリア政府は腹立つことしかしていないよなあと。
そりゃ統領が死んだときに、各国指導者層がシャンパン出して祝うわけですわ。
最終更新:2021年04月15日 11:21