240: 弥次郎 :2020/07/27(月) 22:10:38 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp

日本大陸SS 漆黒アメリカルート 「大戦前のから騒ぎ」Case.2 フランスの場合




 フランスという国家は、一言で言うならば張り子のトラを現実とした有様であったことをまず述べておこう。
 後世、「フランスは革命と英雄に酔い、現実に即応しなかった」と評されることになるのだが、なるほどそれはあっていた。
 ナポレオン3世の時代が終わりを告げてから、フランスは主体無き革命と動乱の時代を迎えていた。
 英雄がいたころはまだよかった。ナポレオンあるいはナポレオン3世というリーダーが率いることで、フランスは絶頂の時代を迎えていたのだから。
 しかし、それが故に権力の座というのは重くなりすぎた。そんな座の奪い合いは必然的に民主的なモノではなく、暴力を以て奪い合うものへ移行した。
パリ・コミューンなど最たる例であろう。あるいは、それを鎮圧せんとしたヴェルサイユ政府軍もまたそれと同じものだったか。
そこからは更なる政変を重ね、あるいは策謀の嵐が吹き荒れたが、ひとまずは形と放った。第三共和政の成立を以て。
その幾多の流血と争いを経て「共和政」というものがフランスへと定着したのだし、ナショナリズムや「人権」という概念の定着も起きた。
後の人類史や政治体制を研究すれば、このフランスにおいて発明・発見された概念は極めて重要な役目を果たしており、どれだけの影響を持っているかなど論じるまでもない。

 だが、そこから先は、余力を使い果たしてしまったフランスの迷走が再び始まることになった。
 そもそも、フランスはナポレオン3世が敗北した後から政争に加えて流血が続いていたので、控えめに言って失血死寸前だったのだ。
故にこそ、復讐将軍と呼ばれたプーランジェ将軍がアルザス・ロレーヌ地方の奪還を叫び、ビスマルクという強敵を失ってもなお動きが出来ず、さらにドイツが米合と接近して拡張政策に乗り出していったのを確認しながらも、具体的な対策に乗り出せないなど、弊害は各所に出ていた。
 これにはイギリスさえも苦言を呈し、米合への対抗の為という本音があったにせよ、フランスの有様に落胆を隠さなかった。
イギリスは確かに欧州大陸の国々が疲弊したり争うことは歓迎していた。だが、それはあくまでも自国に利する範囲での話。
例えばあっけなくフランスがドイツに負けて占拠されるような事態は国防上避けてほしいものであった。

 ということでイギリスは軽くドイツに対抗しての兵器の輸入を行う気はないかとオファーを掛けたのだが、これに素直に首を縦に振るフランスではなかった。
そも、ナポレオン三世の時代の終結とその後の内紛でフランス軍は本気で凋落していたのだ。それこそ、日露の戦訓があまり残らない程度には。
ゆえにこそ古いドクトリン---と呼べるかどうかも怪しい戦術に固執することになったフランスは、少数の兵器を輸入するにとどまり、活用できないままであった。
まあ、仮に軍がそれを実行しようとも、列強としての国威の維持で青息吐息のフランスがそれを認めるかと言えばNoであろう。
 ともあれ、対独復讐というのは結局のところ画餅の域を出ることはできなかったのである。

241: 弥次郎 :2020/07/27(月) 22:11:21 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp


 無論の事、フランスが一切何もしなかったというわけではない。絵に描いた餅に過ぎないとしても、それ相応には動いていた。
 例えば極東方面、日本との間で融和政策を打ち出し始めたロシア帝国がドイツを最大の仮想敵とすることから接近し、敵の敵は味方理論で仏露協商を締結。これは日露戦争で大きな打撃を陸海軍に受けていたロシアにとっても渡りに船であり、ドイツを東西から挟むことで戦力の分散を狙うことが出来るので歓迎していた。二方面作戦を強いられるドイツと、一方面に集中できるフランスとロシアを相手取るということは難しいものだ。ここに英国との同盟関係を加えた三か国による協商連合が成立したことで、フランスはますます自信を深めた。深めてしまった。戦争になっても安心なのだと。

 加えて、ドイツでビスマルクが引退してことでフランスを取り巻く外交情勢が変化したこともフランスの主観では優位性の強化につながった。
対仏包囲網ともいうべき外交の展開と、同時に強力な軍備による実行力。それは確実にドイツがフランスに対し優位を確保するのにちょうどよいもの
いざドイツが攻めてくれば三か国を相手にすることになるわけであるし、その戦争にしても短期間で終わるだろうと見込みがあり、さらには外交的に見ても味方は多い情勢だった。少なくとも戦前の想定では、フランスは優位を確信していた。
イギリスが悲観的に想定しているのに対し、フランスは楽観的に想定したということになる。

 だが結果的に言えば、少なくとも大戦が終わった後の視点から見れば、フランスは軍備・外交・内政のいずれの点においても、不手際の極みだったとしか言えなかった。ギリギリ列強としての矜持や面子を保つだけの活動を行う事はできていたが、逆に言えばそれ以上ではなく、変化していた情勢に対し、あまりにも受け身すぎて、努力が足りないものであった。
 その準備の不甲斐なさは同盟関係にあるイギリスやロシアの不信を少なからず招いた。それについて詳しいところはまた別な機会に述べるとしよう。

 ともあれ、フランスがWW1の後に凄惨な内戦に突入し、軍閥が乱立し、挙句に戦勝国にも拘らず列強によるパイの切り分けを受けたことに、戦前の時点ですでに何ら不思議の要素はなかったことは確かな事である。しかして、これはかつてのように愚かな君主が犯したミスが発端ではない。
決して摩訶不思議な事象ではなく、人の上位の存在が介入したわけでもなく、はたまた、どこかの国や組織の陰謀というわけでもない。
王政を覆し、民主制というものを始めた国であるフランスであるがゆえに、その民が決め、選んだことの結果なのだ。
全ては、フランスという国の民に端を発し、返ってきた。ただ、それだけのことなのである。

242: 弥次郎 :2020/07/27(月) 22:12:09 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
以上、wiki転載はご自由に。
WW1前の各国の情勢の観測、ようやく続きが出来ました。
フランスが議論の結果戦勝国なのに敗戦国よりひどい目に合うことがほぼ確定しましたが、歴史を調べてみるとむべなるかな、といったところです。
むろんフランスだけが悪かったというわけでもなく、フランスはむしろ努力をしていた方だというのですが、いかんせんそれは史実レベルでの話で、この世界は漆黒アメリカルートで、つまりはそういうことなんですよね。

次は英国か日本ですねぇ。
まあ、この二か国はがっちり同盟を組んでいますから、二か国まとめてとなる可能性が高いですね。
それが完了したら、WW1の観測に入ろうと思います。最も、これまでの議論を考えると欧州でのいつもの戦争だけで終わりそうな気もするんですが…

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最終更新:2020年08月07日 07:38