112: 陣龍 :2020/08/06(木) 19:49:51 HOST:124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp
大日本帝国による加州領有よもやま話
『日本民族は全人類で最も強欲で残忍な罪深い民族である』
日本に対して敵対的な国家や民族は、日本に対して何かしらの批判や非難を言う際には異口同音にかつ決まり文句の様に上記の趣旨な言葉を使う事が多い。
流石にドストレートにぶちまける様なのは、半ば自業自得の内乱に加えてアメリカ合衆国による戦乱拡大工作でにっちもさっちも行かなくなっている中華系勢力が大半で、日本に敵意を持つアメリカ合衆国であったりその他勢力はある程度オブラートに包んではいるが。とは言えその言葉に全くの事実が無いとは言い切る事も難しい。
世界地図を見開いてみれば、日本民族の本土たる
日本大陸だけでも極めて広大な癖して、東南アジアやオセアニアの大半、そして北アメリカ大陸のおおよそ三分の一程度を、日本人の領土として組み込んでいるのである。
領域だけで見ればソヴィエト連邦やイギリス連邦の二国も相応に広大では有るのだが、前者は領土の大半が極寒かつインフラも中央アジア以東は実質シベリア鉄道一本鎗状態で極めて未熟、後者もインドや中東等の植民地や自国領域の多くが本国から離れた場所、より正確に言えばフランスのような敵性国家が近在に居るせいで仮に戦時となれば連絡が分断される恐れが、そうで無くともブリテン島を出航してから一々イベリア半島を回って地中海を抜けると言う遠回りを強いられる地理的な制約がある。その点、大日本帝国は事実上本国近在の仮想敵と言っても、海軍力が極めて脆弱な中華系と、大西洋から大航海して疲弊しつつ海軍を送るしかないアメリカ海軍程度しか存在しておらず、尚且つ東南アジアが本国から近い上に地理的障害も無いので、他列強と比べて遥かに海運がやり易い環境である。加州に関しても太平洋が日本の海となって長い事も有り、安定して海運を維持可能でも有った。
恨み節をぶつけたくなる気持ちも分からなくも無い、日本だけやっているゲームの設定が違う様なモノなのだから。
正し、日本に対してある種理不尽な感情をむき出しにしている中華系の言動は、その日本と長年友好的だった為に英蘭戦争での失墜から準列強級にまで復活を成し遂げたオランダ王国や、日本との同盟締結により『世界帝国』としての最大の補強材料を得る事が出来た大英帝国から言わせて見れば、『唯々努力し、歩む事を辞めなかったが為に、女神の祝福を得ただけの事を理解出来ない未開人』と笑わせる代物であったが。実際、何度も日本と殴り合いを展開して不?戴天の仇となっているアメリカ合衆国すら含めた国際社会が認めている日本領土(台湾島や一部諸島)を『歴史的に中華固有の領土』と、過去朝貢を行っていた歴史を根拠に臆面も無く言い放って、その国際連盟の会議に出席していた大使たちから失笑を買った事すらあった。
113: 陣龍 :2020/08/06(木) 19:51:40 HOST:124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp
さて、世界的にも極めて広大な領域を自勢力下に置いている大日本帝国だが、外野の欧米人のみならず時には日本人も『どうしてこの国はこんなに大きくなったのだろう?』
と言う疑問が出て来る。日本人が住む日本大陸が荒れ果てた不毛の大地であれば豊かな土地を求めて、と分かり安いのだが、生憎日本大陸は色彩溢れる四季と豊潤かつ相応に広大な大地に恵まれており、敢えて危険を冒して海外へ進出する動機が薄い様に見える。地震や台風等の天災の存在を上げた海外の識者や研究者も存在したが、日本人にとって見れば地震も台風も慣れ過ぎて『何時もの存在』と化しており、それに台風も見方を変えれば夏場に雨を齎す存在でもある。
その為天災の存在も海外進出の動機とするには的外れである。端的に答えを言ってしまえば、冒頭の『強欲な民族』と言う言葉が実際には中らずと雖も遠からずであった。
東南アジアは兎も角アメリカ大陸進出の経緯だけは、実態は強欲のイメージとはかけ離れた何とも物悲しさを感じさせる事情があったが。
欧州におけるドイツ三十年戦争張りにあちこちで戦乱が巻き起こって起きながら、各戦国大名が内政に励んだが為に『戦争しつつも同時並行で経済発展』と言う摩訶不思議現象が乱舞していた日本の戦国時代。その戦国の世を終らせた乱世の革命児足る織田信長は、日本大陸を統一後は度量衡の統一や普通教育、貨幣統一の徹底等々、今までの国内の様相を一変させる大規模政策を精力的に断行しながらも、その目はその昔宣教師が持ち込んだ地球儀を通して見た『世界』へと向けられていた。
その為内政が一定度安定したと見るや、北方の蝦夷地(北海道)や樺太、南方の台湾や東南アジア、オーストラリアへと進出する事を、信長らしくトップダウン的に決定した。
お陰でこの頃日本トップクラスに優秀な文官として頭角を現し出していた石田三成が卒倒する騒ぎが起きたりもしている。確かに内政に関して一定の目途が着いたのは確かだが、あくまで『一定の目途』に過ぎず、決して『楽』になったとは言えない仕事状況だったのだ。その為信長の海外進出事業に同行して国内での書類処理から国外逃亡した福島正則とは完全に犬猿の仲となっていた。因みにこの国外逃亡の一件をネタに、後世のとある戦国で無双するゲームでは外伝に石田三成が書類仕事から逃げて国外逃亡を図る福島正則を追撃してボコボコにしばき倒すシナリオが存在したりしている。
そんな日本国内のアレコレを他所に、海外進出を果たした織田家はそれなりに進出と地固めを進められていた。北方は現地アイヌ民族とはそれなりに融和を図る方向で進めた為に戦闘らしい戦闘は発生しなかったが、その代わりに南方方面では相応に戦闘が勃発している。だが、進出を図る織田軍には長年の日本大陸内での戦闘により鍛え上げられた精鋭の兵士と武将が綺羅星の如く存在しており、対する東南アジア側は根本的な兵力と装備の質と量の差が大きすぎて、時々奮戦して苦杯を嘗めさせられれば御の字と言う状態であった。
主力軍がたった一度の会戦で一方的に叩き潰され、問答無用に織田家に飲み込まれた小国も居た程である。その後は南方特有の病気(マラリア・赤痢等)に悩まされつつも、現地民を自勢力下に取りこみつつ根気よく日本人は根付いていく事となる。結局のところ、東南アジアは日本国内での無駄に血の気が多い侍や戦国気分が抜けそうも無い連中の棄民先扱いであった。
114: 陣龍 :2020/08/06(木) 19:54:38 HOST:124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp
南北でそれぞれ何かしらの障害に遭遇しつつも比較的順調に日本人が進出と開拓を進めて行く中、当時欧州でも群を抜いた経済力と海軍力を誇っていたオランダに大量の金と銀を叩き付けて買い取った大型外洋航行船舶技術を活用して建造した、織田家肝いりと言うしかない大規模船団が一路東へ向かって航行し、道中複数の船が損傷を受けたりする被害を被ったものの、航海中に発見したハワイ諸島を経由しつつアメリカ大陸の西海岸へ到達していた。
因みにこの大船団の指揮官は信長股肱の臣たる羽柴秀吉であったのだが、その命を受けた時には余りにも想像の埒外に有る危険極まりない任務で有った事も有り、秀吉と仲の悪かった柴田勝家が慰めに酒を送った程に同情されていた。因みに南方進出は柴田勝家が、北方進出は明智光秀が責任者となっている。
その為双方の性格の違いからか、北方では対話と融和を図りつつ浸透していく方針だったのに対し、南方では割と武断的判断を下す事が多かった。
そうして
アジア人としては史上初にして前代未聞の太平洋横断による新大陸到達と言う偉業を成し遂げたのだが、その理由は後世反日系勢力から口汚く言われている様に『世界征服』等と言う世迷い事を目的としている訳が無く、実質面では『捕鯨拠点の大規模拡充』が最大の目的であった。当時の捕鯨は、単純なクジラ肉等が目的ではなく、鯨の持つ油、つまりは鯨油が照明等に広く活用されており、日本はその証明の為に使う鯨油の需要が異常なまでに急拡大していたので、それを何とかする為に太平洋を大航海する事になったのである。日本近海の鯨たちは、凄まじい勢いで漁獲されたために短期間で枯渇状態に陥っていたのだ。尚、その鯨油を大量に求めていたのは織田家の内政を管轄し、実務に当たっている武士たちであった。つまりはこの時期から夜中でも書類仕事をしなければ業務が停滞する状況であったと言う事で、後世残された庶民等の日記には不夜城の異名を賜った官僚武士たちの籠る城の様子が残されている。商売の為に日本を訪れたオランダやポルトガル等の欧州商人達もこの異様過ぎる光景を何度も見物しており、『欧州でもそうは無い絢爛豪華な城塞が毎日夜中まで煌々と灯りがともされ、その中で極東の騎士(侍)は毎日夜中まで死んだように仕事をしている』と本国に報告もされていた。その為ヨーロッパの御伽噺等に偶に出て来る使い手に忠実なアンデッドの源流は死んだように働く日本の官僚武士と言う珍説も有ったりする。
敬愛し大恩有る大殿(信長)の命とは言え、北方のアイヌを巧みな交渉で実質的に併呑していく明智光秀や南方で敵対する現地国家を薙ぎ倒す柴田勝家の様な派手さや華麗さとは程遠く、命がけの大航海で太平洋を押し渡って良く分からない現地を探索すると言う、任務の危険性とは反比例する様な一種『地味』な任務を任された船団の中には微妙に士気が盛り下がる事も有ったのだが、船団を率いる秀吉は持ち前の人たらしの才能を遺憾無く発揮して、悪天候や事故による損傷を覗き一隻も脱走や逃亡させる事無く新大陸へ到達する偉業を成し遂げたが、到着直後の探索で河川の中に大量の砂金を発見した事から、秀吉の名声は先の明智光秀や柴田勝家を遥かに上回る栄誉を獲得する幸運に恵まれた。
まるで吸い寄せられたかのような普通では有り得ない超短期間の探索による砂金の発見は、未知の新天地の発見で士気を盛り返していた船団が文字通り熱狂し、船団を率いる秀吉も同じく、いや部下たちのそれ以上に狂喜乱舞して居た。ただでさえ農民の出から一国の大名にまで引き立てた主君信長に対する忠義に厚い秀吉が、この後半ば信仰の域にまで達する程に狂信性を心の中に抱え込んだのはこの頃からとも言われている。幸いな事に、今までより更に主君を敬愛する以上に表立った言動は現れず、死後の日記等で発覚する程度に抑えられていたが。
そして原住民に友好的接触を果たしたものの、完全に無自覚に旧大陸が育んだ多数の伝染病をまき散らした末、大量の砂金を入手した羽柴秀吉率いる東征船団は、一部現地にて拠点作成を続ける部隊を残した上で本国へ凱旋帰国を果たした。北アメリカから持ち帰った大量の砂金、そして極めて広大かつ豊かな主無き大地の情報の威力は特大の爆弾となり、秀吉のライバルだった光秀や勝家もぐうの音も出ないどころか称賛するしかない程に、他の織田家臣団を圧倒する功績を叩き出した。そして大海原を超えた先に眠る黄金の存在は、光秀や勝家が道筋を着け始めていた日本人の進出の流れを完全に捻じ曲げ、その大半が北アメリカ方面に集中する原因となった。オーストラリアが日本とイギリスで分割されているのも、イギリスの巧みな外交交渉術の威力もさることながら、日本人によるオーストラリアへの入植者が中途半端な数しか進出しておらず、全土を日本の領有とするには根拠や既成事実が不足して居たのが大きかった。
115: 陣龍 :2020/08/06(木) 19:57:02 HOST:124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp
その後、始めは捕鯨の為の進出であったが砂金が確認されたと同時に日本人の欲望の標的となった為に、食い詰め者や山師、何らかの理由で日本に居られない人間のみならず、織田家主導の下計画的な移民計画が早期に立案、実行され、本来の目的であった捕鯨が完全に横に置いて行かれた状態で北アメリカへの植民が開始された。
その結果官僚武士たちの仕事が更に増加し、捕鯨による照明用の油の需要がまたもや増加し、自給し切れず日本と友好関係を結んでいたオランダからそれなりの高値で緊急輸入する羽目になる等の悲劇も発生したが、歴史的に見ればこの秀吉率いる東征船団が日本史のみならず世界史に与えた影響は計り知れない。仮にこの東征が失敗に終わり、日本が北アメリカへの進出を諦めていたとしたら、20世紀の混沌とした北アメリカ大陸の情勢は根底から違ったモノとなって居た事は間違い無いからだ。無論、そうなった世界線がバラ色の希望の世界であると言う保証は欠片も無いが。
織田家による北アメリカ大陸の植民は、北方と南方進出を鈍化させた代償に相応の成功を収めた。日本大陸並に広大な領地が手に入ったと言う事で『州(くに)が加わる』から、そして少数ながら北アメリカの西海岸に進出していたイスパニア人が『カリフォルニア』なる街の名を付けていた事から『加州』と命名されたこの大地は、金脈を血眼になって探す山師たちとは別に新しく広大な農地を求めて来た農民たちによって急速な開拓が進められ、アパッチ族の様に敵対的や好戦的であれば容赦無く鎮圧するが、そうでなければ原住民とも平穏に交易を始めた為に、先の東征船団が齎した
パンデミックの初期が過ぎて一定の免疫を獲得出来ていた先住民と次第に交わって行き、自然と山脈以西に存在していた先住民は全て自勢力下に収めていた。砂金が無くなり金鉱開発も行われる中人口増加と農地開拓も止まる事無く進められ、自給のみならず輸出すら可能な程に農業が発展するのにも大して時間はかからず、日本本土でも国内開発で急拡大する人口が多数流れて来るだけに留まらず、加州自身でも自然増加による急速な人口拡大が加速していた。
加州は本国と比べて自然災害が少なく、害獣も灰色熊(グリズリー)程度なら熟練マタギや剣虎で簡単に処分出来た。加州は、日本人が実質初めて手に入れた『フロンティア』だった。
欧州の便利な文物を取り入れつつも根本の丁髷袴等の文化は捨てない、欧州人から見て奇妙な恰好や文化をした日本人が長年平和に開拓を楽しんでいたが、その平和は東方からの侵略者、つまりはイギリスから独立を果たし、『マニフェスト・ディスティニー』を掲げて先住民を平然と民族浄化し、その先住民の涙を踏み躙り開拓を続けるアメリカ合衆国によってとうとう破られる事となった。とは言っても、加州とアメリカ合衆国の国境線となっている北アメリカ大陸最大の山脈足るロッキー山脈と言う地理的障害が強力な自然の城塞となっていた為、『西部開拓』を旗印に無遠慮に侵入してくるアメリカ人の騎兵隊は幕府軍や加州の義勇兵によって簡単に『処分』された。そもそも遠路はるばる遠征してくる少数のアメリカ人に対して日本人は既に開発の進んでいる領土の近在で多数が迎撃する構図で有る為に、アメリカ人に勝ち目など存在する筈も無かったが、ワーストコンタクトとなった日本人とアメリカ人の衝突と言う名のアメリカ人殲滅戦で意固地になったのか、『西部開拓』の旗印を一切下ろす事も下ろす気も無く、延々と繰り返し少数のアメリカ人騎兵隊を加州に派遣しては日本人の反撃で全員すり潰すと言う、余りにも不合理にして不毛過ぎる戦闘を続けて行った。日本人はあくまで防衛戦に徹して居ただけであり、まともな外交交渉もせず向こうから突っかかって反撃で死んでいくのはアメリカに全ての責任が有るのだが、アメリカ人に言わせて見れば『アメリカ大陸に居る日本人の方が悪い』の一言に集約された。数十年後、アメリカ合衆国自身の政治と選択のせいで『アメリカ大陸に居る強欲で残忍な罪深いアメリカ合衆国人が悪い』と言う言葉が各地で飛び交う事に成ったのは、アメリカ合衆国が友好関係を作り上げて利用して居た中華系の日本に対する罵倒と合わさって考えると、最早皮肉としか言いようが無いだろう。
116: 陣龍 :2020/08/06(木) 20:01:48 HOST:124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp
投下完了
簡単にいえば『黄金伝説で強引に日本人を北アメリカ大陸に引き込んだ』と言うだけの話を膨らませただけの話です()
何か小論文と言うよりどっかの新聞の特集記事みたいな感じになりましたがまあええか(無責任)
これで漆黒
アメリカルートに置ける日本人のアメリカ進出理由の理由構築の土台かたたき台か踏み台になれば幸いです。
因みに
夢幻会は死ぬまでアグレッシブな主君の織田信長公と何時まで経っても変わらぬ官僚不足に徹頭徹尾振り回されてました
最終更新:2020年08月07日 12:03