783: 弥次郎 :2020/08/15(土) 10:54:32 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
聖女たち(Les Saint)。
WW1の終結と、その後の動乱を経て、ばらばらに分裂したフランスにおいて各軍閥や勢力がこぞって持ち上げた象徴となる女性たちの事を一般にこう呼ぶ。
俗に言うフランス軍閥時代は、一方でカルト的な宗教や時代錯誤的な錬金術や魔術がフランス内で流行した時期でもあった。
既に政府や政治に期待することが出来ず、かと言って自分達に何かする力があるわけではない。そんな彼らが縋ったのが、この世の常識に抗う力、この世の法則を超えられる力、願いをかなえるための超常的な力だった。そこで目を付けられたのがそれらというわけだ。
キリスト教という宗教を土台としていたフランスが、比較的近代にはいってからそのような迷走を始めたのは少々腑に落ちない面もあるだろう。
だが、実際にそうであったらしいから困るのだ。らしい、と伝聞であるのは、この情報が混乱するフランス国内の情報を集めた人間が少ないためであり、また、推測や憶測なども混じっているためだ。少なくとも、まともにフランス国内を旅するなどという行為が危険なレベルに達していたのだ。
話を戻そう。そんな状況であるので、そういったものに縋る人間がフランスには多数いたのである。
フランス各地では自称魔術師や錬金術師が多数見受けられたり、あるいはカルト的な宗教が流行り、怪しげな儀式が行われたり、あるいはキリスト教の名のもとに異端審問や魔女狩り染みた行いが平然と横行するなどしていたくらいであった。
中にはギロチンが再び町中に平然と設置され、処刑が行われていたとする記録もある。
そしてそれは、軍閥にも共通する事項であった。軍閥は様々な人間が率いていた。軍閥というくらいであるので、高い階級の軍人か政治家が多かったのは確かだ。だが、彼らには求心力というものが無かった。それもそうだろう。
フランス政府および軍の戦前・戦中・戦後の失態は枚挙にいとまがなく、それは様々な形で市民の間に流布されていた。
これには日英米連独の宣伝工作の影響もあったのだが、ともかくフランス政府の戦争指揮能力には疑問がつけられてしまった。
また、戦中・戦後においてフランス中央政府が打ち出した政策により、地方と中央の関係はもはや修復不能なレベルにまで悪化してしまっており、中央政府の人間は相当恨まれており、そんな人間が地方で旗揚げしようとも反発を招いて失敗することが多かった。
そこで、おそらく彼らは別な象徴を欲したのだ。それまでの失点を覆い隠せるくらいの、民衆を引きつける象徴を。
そして目がつけられたのが、ジャンヌ・ダルクだったのではと推測されている。
ジャンヌ・ダルクについては説明不要であろう。
フランスのドン・レミ村に生まれた一少女に過ぎなかった彼女は神の声を聞き、王太子シャルルの元へ赴き、認められ、オルレアン包囲を突破し、シャルルを戴冠させ、百年戦争に楔を穿った聖女。しかして、後に疎まれ、異端審問にかけられ処刑される最期を迎えた。
その隆盛と没落と悲劇の末路は、まさにキリスト教的な欧州の普遍的価値観に響くものであった。まあ、実際に広まったのは、実際にはナポレオン1世の時代からであったとされる。ともあれ、この聖女についての知名度はフランスでは高かった。
784: 弥次郎 :2020/08/15(土) 10:55:04 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
それにあやかってか、あるいは「神の声」というキリスト教にとって無視しえない要素によってか、支持と正統性を得ようとしたわけである。
無論、ジャンヌ・ダルク本人はとうの昔に処刑されており、生き返る筈もない。だが、そこはそれ。復活しただとか、あるいは実は生きていただとか、錬金術や魔術で蘇らせただとか、いくらでもこじつけられたのである。
そういった少女たちは洗脳か、あるいは言い含められたか、あるいは自ら名乗り出たか、様々な形で軍閥の旗頭となった。
概して、冷静になればその手の言は薄っぺらな嘘だとわかるのであるが、そんな論理的な思考や冷静さなど当時のフランスにはない。
馬鹿らしい?荒唐無稽?実際にそうだったのだから困るのだ。集団的に冷静さや理論的な思考を失っていた状態だったのだろう。
勿論、彼女らが実際にやることといえば傀儡あるいは偶像として振る舞い以外の何物でもない。実権は彼女らではなく、彼女らを担ぎ上げている軍閥のトップたちであるし、彼女らは彼らに都合のよい言葉を吐くだけの機械と言い換えてもいいかもしれない。
そんな彼女らも、そして軍閥のトップも、そうそうに民衆を騙せていたわけではなく、偽物と断じられて処刑されたり、あるいは軍閥同士の争いであっけない最期を迎えたりとしていた。彼女らの目指したフランスの再統一など、当時の事情を勘案すれば、夢のまた夢のお話に過ぎず、高々一人の少女にそこまでの原動力があるかといえば、Noなのであった。
あるいは、彼女は救国の聖女たりえないと誰かに判断されてしまったが故に、なのかもしれない。
最後に、有名どころの聖女たちを紹介して終わりとしよう。
良くも悪くも有名なのはテイヤール率いるカルト教団が生み出した「ジャンヌ達」であろう。
科学的なアプローチ、即ち、薬物や劇薬、催眠や思い込みを重ね合わせて、群衆が求める偶像「ジャンヌ」を生み出そうとした集団。
膨大な数の聖女たちが生み出され、各地に輸出され、騒乱を招いた、とされているが詳しいところは定かではない。
結局は列強の思惑に反することから潰されてしまったとも、内乱で聖女たちが反乱を起こして壊滅したともされる。
他にも、名前を変え、多数の軍閥を渡り歩いた「アンジェリーヌ・デ・アーク」も有名だ。
小さな地方軍閥に担ぎ上げられた彼女は、軍閥の統廃合や衝突、時には消滅を乗り越え、地方の有力軍閥の偶像として君臨した。
立身出世したといえば聞こえは良く、周りの人間を使い捨てにして地位を得たといえば聞こえは悪い彼女は、しかし強烈なまでのカリスマを備えていたとされている。あるいは彼女もまた「神の声」を聞いたとさえ噂された。
しかして、彼女もまたそこで終わってしまう。一説には、改善しない状況にしびれを切らした過激派に拷問の末に殺されたとも、組織の乗り換えに失敗して裏切り者として処刑されたともされている。
聖女たち。それは時代が求めた悲劇か、それとも人が求めた結果の悲劇なのか。
真実は、動乱の分裂状態のフランスの歴史の中に消えてしまい、断片的な資料が散見されるのみである。
785: 弥次郎 :2020/08/15(土) 10:55:38 HOST:p2580066-ipngn200609tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp
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かくしてフランスにはぽこじゃか聖女モドキが生えることになりましたとさ。
やったねジャンヌ!妹が増えるよ!(白目
しかし漆黒アメリカ世界、めっちゃ濃いなぁ…
最終更新:2020年08月17日 09:40