557: 名無しさん :2020/10/04(日) 20:21:36 HOST:128.4.232.153.ap.dti.ne.jp
それでは投下させていただきます。なお、漆黒米世界共通設定との矛盾がありましたら申し訳ありません。





「この世のすべてに感謝を込めて」

1900年代前半、つい最近目覚めたばかりの夢幻会の一人の男が加州の地に降り立っていた。男は文部省職員であり、前世では文化人類学者だった。彼はその経験を活かし「加州在住ネイティブアメリカン」「アメリカ連合国民」「アメリカ合衆国民」の科学的分析の職務についていた。どれが最も重要視されていたかは言うまでもなく、またどれが彼のSAN値を削り取ったかも言う必要はないだろう。

今までは日本本土においての文献調査や聞き取りを行っており、今回が初のフィールドワークという事で男は非常に張り切っていた。その甲斐もありおよそ1年にわたる研究の末に、夢幻会上層部をも納得させるだけの報告が完成した。

実のところ、文化人類学という学問は米合を研究する過程で本来の時間よりも大幅に早い段階で自然発生していた。もともとは同じ人間、同じ人類であったはずの合衆国国民があのような状態に落ちてしまったのはなぜか、という疑問を解消するための学問が必要とされたからだ。しかしながら生まれたばかりの学問であり、研究手法も確立されていない。この男が研究に関わったことで学問の針は百年分進み、彼の昇進と正気度を削られ続ける仕事の継続が約束された。幸いなことに彼はまだそのことを知らない。

彼は吐き気を催す研究結果に畏怖しながらも、ようやく業務から解放されるという喜びの中にいた。週末には日本本土への帰還命令が出ていることもあり、世話になった人々を数人集めて呑むことにした。偶然にも全員が夢幻会所属であり、気兼ねなく話せるいい機会となった。そしてそのはずみから1年間にわたる加州生活の中で浮かび上がった疑問点を、何気ない興味から先輩の夢幻会員に尋ねた。

「なぜ『いただきます』がもう存在してて、しかも加州では忌み嫌われているんです?」

それを聞かれた先輩夢幻会員の顔は苦虫を噛み潰したようという言葉を体現するかのようだった。

558: 名無しさん :2020/10/04(日) 20:22:23 HOST:128.4.232.153.ap.dti.ne.jp
実は「いたただきます」という言葉の歴史ははっきりしていない。明治のころにはおそらく一般的な食膳の祈りの言葉としては存在していなかったとされている。これは近代教育を通じて日本人に浸透していったものだからだ。
これが広く人口に膾炙したのはおそらく1930年代以降であり、今のように誰しもが唱えるようになったのは戦後の可能性があるというのが最近の研究で明らかになっている。
つまり1900年、明治33年近辺に誰しもが「いただきます」と唱えるのはおかしい。
それではなぜいただきますという言葉が存在しているのだろうか。
それは戦国時代の夢幻会が関係している。
日本大陸という土地は複数の亜大陸諸島の集合であり、類を見ないほどに豊かな土地だ。戦国時代においてすら、他国が唖然とする量の人口を抱えることが可能であり、まさに神の悪戯によって生まれたような土地であることは論を持たない。
だが、その量はあくまで有限だ。人口にも限りがあり、国土を森林におおわれた日本大陸において森を切り開き田畑を作り出すためには多くの労力を必要とした。機械力が活用され始めた20世紀や緑の革命後のような文字通り無限の生産力は未だ備わっていなかった。
そして日本大陸を統一する為に東奔西走した当時の夢幻会は
「兵士の意識改革をしなければ戦争すらできない」
と結論付けた。もちろん彼らもロジスティクスの構築のために努力を重ねてきた。しかしながら欧州一国、あるいは欧州全土とも戦える量の兵を列島比で直線距離にして3倍強の距離を動かすともなればいかに彼らに未来が見えていても無理があった。時には大軍が物資不足で行動不能となり、戦争スケジュールを乱すこともあった。
そこで当時の夢幻会は兵士一人一人に物資を無駄にしない精神を植え付ける必要があった。その一環として食材に感謝をこめ、無駄にしないという精神の象徴である「いただきます」は発案・実施された。

結果から言えばいただきます作戦は見事な成功を収めた。もともと未来において生み出されるものであり、日本の宗教である仏教神道とも相性が良かった。また、戦国時代が終わり海外に進出する際には「船上」という特殊な環境で一人でも多くの人間を生存させるために役に立った。当然、開拓初期の海外領土においても慢性的な物資不足は発生しており、「いただきます」の精神は役に立っていた。当時の夢幻会員は無邪気に結果を喜んでいた。雀の涙の効果しかないかもしれないが、それが数千万人分集まれば膨大な量になるのは当然の効果であり、彼らが喜んだことは当然だっただろう。

全てがねじ曲がったのは南北戦争だ。北米に存在する3国が本気でぶつかり合ったこの戦争では数が少ないながらも捕虜がとられることがあった。それは加州出身の兵士も例外ではなかった。そして彼らは食膳の祈り『いただきます』を米合の中で使用した。それは何気ない生活習慣だったのだろう。何が入っているかもわからない食事を前にして感謝などほとんどなかったに違いない。
だが、米合はそれを見逃さなかった。捕虜に対して何気ない態度で接触し、いただきますの裏に込められた概念を読み取った。当時生産されるようになった缶詰などをはじめとして通常では口にすることが憚られる製品が次々に生み出されていた米合ではそれらを人々に消費させる口実を探していた。
そして彼らはいただきますを「この世のものはすべて我らが主がもたらしたものであり、与えられたものはどのようなものでも感謝を込めて食べるべきである」という言葉に書き換えた。

559: 名無しさん :2020/10/04(日) 20:23:04 HOST:128.4.232.153.ap.dti.ne.jp
この言葉は南北戦争後、軍の教育を受けた者たちから徐々に広がっていき、上層部の思惑もあって驚異的な定着を見せた。そして米合下層民たちの認識は捻じ曲げられ、缶詰や薬なども感謝の気持ちをもって食するようになった。文明人であったはずの彼らは人為的に人の道から外されていった。
その情報はマンハント部隊によって連れ去られ救出された人々から米連や加州にもたらされ、大きな衝撃を与えた。

「私たちの言葉は本来あのような意味ではない」
「私たちは人食い蛮族の連中の手助けをするつもりはなかった」
「私たちは奴らとは違う」

そのような声が一気に噴きあがり、加州からいただきますという言葉は急速に消えていった。本土でも一時期消えかけたが未だに民間では残り続けている状況となっている。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

そこまでの話をして、先輩夢幻会員は一気に酒をあおる。まるで飲まなければやっていられないとでもいうように。
話を聞き終えた男は引きつっていた顔を強引に戻した後、今回の研究で分かったことですがと前置きを置いた後で

「研究対象としては興味深いですが、それ以上に奴らは滅ぼさねばならないと思います」
「お前もそう思うか」
「ええ、あれは人類文明への反逆です。あの合衆国があのような姿に堕ちてしまったことは信じられませんが」

そこにいた全員がそろってため息を吐く。まったく、先輩たちは厄介なものを俺たちに残してくれたもんだ。

しかし彼らの願いとは裏腹に米合との決着はまだまだつきそうにない。

560: 名無しさん :2020/10/04(日) 20:25:55 HOST:128.4.232.153.ap.dti.ne.jp
以上になります。
wiki等への転載はご自由に。
漆黒米世界を読んでいたら変な電波を受信して書き上げました。
こういった話を書く経験があまりありませんので、あまりまとまっていない話になっているかもしれません。
大変申し訳ありません。

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最終更新:2020年10月06日 09:55