833: 名無しさん :2020/10/15(木) 15:43:45 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
アメリカ漆黒ルート 小ネタ「如何にして中米連邦共和国、コロンビア連邦、ガイアナ・スリナム連合は親日国へとなったか」
中米連邦共和国とコロンビア連邦、この三つの国の成り立ちを語るなら「人食い共に対抗するため」この一言に限る。時は続海賊時代、太平洋を跋扈するマンハンターやギャングの拠点としてブラジルにその手を伸ばしていた米合は、中間拠点としてニカラグアとコスタリカに手を伸ばすことにした。ニカラグアは1957年まで混乱をもたらしたウィリアム・ウォーカーが南部出身であったことや、当時米連が米合への対処で中米へのリソースが割けなかったことから、南部である米連への悪感情が蔓延していた点に着目し、コスタリカは民主的な社会を形成していた上、1870年頃からコーヒーやバナナのプランテーションが拡大していた点に着目した。今後の中米での活動や南米への補給線としてこの二国を重視した米合は、両国における鉄道を始めとするインフラの整備、産業、工業をもたらし、コスタリカに「血の果実」を売っていると揶揄され、精鋭のマンハンターを始めとする私兵を持つ中米の闇の支配者であるユナイテッド・フルーツの設立、パナマが日英の勢力圏にあるため、史実では頓挫したニカラグア運河の建設を1880年に開始し、「備品」の有効活用によって1890年に開通させることで中米での活動をスムーズにするだけでなく、限定的であるが太平洋への進路を獲得するに至った。
こうした事態に動いたのは日英ではなく以外にも中米の国々であった。上記の二国におけるマンハンターやギャングの被害が年々増加していることに加え、続海賊時代の最盛期であったことからある程度の自衛を余儀なくされたグアテマラを始めとする中米諸国は日英に中米連邦の再興を懇願し、日英もリソース不足に加え、これ以上中米に米合に付け入らせることは許容できないとして、1890年にグアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラスが纏まり中米連邦共和国が新たに建国された。本来なら史実の中央アメリカ大共和国と同じく1896年での建国が予定されていたが、同年1890年に米合のテコ入れによって漆黒化が進みペドロ二世がポルトガルに亡命する前に米合のギャングと繋がった地主を始めとした民衆に捕まり公開処刑されたことで、ブラジルを中心として、ベネズエラ、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイを加えたブラジル連邦共和国が建国されたことから「もはや一刻の猶予も無し」として本来の手続きの一切を省略して建国を宣言したと同時に日英米連との国交樹立を宣言した。
834: 名無しさん :2020/10/15(木) 15:45:56 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
一方で、太平洋側にあるとして日本からテコ入れを受けていたコロンビアは以前からリソース不足であった日英からグランコロンビアの再建を提言されていて、パナマ、ベネズエラ、ボリビア、エクアドル、ペルーと1870年頃から話し合いを繰り返していたが、米合資本によって国が潤っているベネズエラ、ボリビアが毎回のようにごね、ペルーが中立的であったことから話し合いというよりは単なる顔合わせになっていた。日英が恫喝しようにもそんな暇があれば毎日のように命を狙ってくるマンハンターや海賊から身を守ってくれというのが国民の声であり、資本を受けていても米合のような非人道的な政策はしていなかったので見逃すしかなかった。それがブラジル連邦共和国の建国によってベネズエラ、ボリビアが既に米合の勢力圏になっておりここまで十数年時間稼ぎをしていたことを悟ったコロンビア諸国は、翌年の1891年にコロンビアを中心とし、パナマ、エクアドル、ペルーが纏まったコロンビア連邦を建国し、同時に日英米連との国交樹立、中米連邦共和国との経済的及び軍事同盟を締結した。
そして、南米で最も過酷な戦いを強いられたとされるガイアナ・スリナム連合は血と戦いの歴史に塗れていた。本来、ベネズエラ、ボリビアが加入していたことを想定していたグランコロンビアにはガイアナ、スリナム(当時は蘭領ギアナ)、ギアナも宗主国の負担を考え利権の保持と引き換えに加入する予定であったが、ベネズエラの裏切りにより、敵に囲まれた三国は、ガイアナ・ギアナ連合として国そのものを要塞化し、国民の武器の常時所持を義務とするなど堅牢かつ徹底した防御態勢を築いており、仏領ギアナにいたフランス人は「この国国境には堅牢な線が引かれ神のご加護によって守られてる。これを破るには内部からの裏切りなどというありえないことしかありえない」と豪語していた(ちなみにこれを聞いていた日本の某秘密結社のメンバーはあまりに既視感のある光景に眩暈がしたという)その言葉の通り、堅牢な国境かつ国全体が要塞となっていたガイアナ・ギアナ連合は少ない犠牲を出しつつも国を守り通していた。
835: 名無しさん :2020/10/15(木) 15:48:07 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
事態が急変したのはWWIが終わりその後のフランス爆散から始まる。宙に浮いたフランスの利権を各国が取り合っていた際、仏領ギアナの利権をイギリスが取得しようとした時、現地では米合になびき侵入したフランス軍閥の工作員によって仏領ギアナ方面の要塞が内部から破られ、無法者という名目で現地のギャングとマンハンターが大量に流入したのである。実行犯はあくまで裏切ったフランス人と現地の無法者が結託したとされるが、イギリスは青筋を立てながらもにこやかに仏領ギアナの放棄を行い、後で確実に殺すという意味も含めベルギー領として妥協した。その後ガイアナ・ギアナ連合は仏領ギアナのラインに急ピッチで防壁を築き、米連の大規模PMC部隊の到着まで多大な犠牲を出しながらも抵抗を続け、ガイアナ・スリナム連合として再編し、ブラジル連邦共和国への憎悪を燃やしながら来るその時まで牙を研ぐことを選択した。
ここまでが、三国が形成した大まかな経緯であるが、蛇足として日本と関わった経緯としては人材不足が切っ掛けとされる。複数の国が集まったとは言っても、日英や米連、ドイツのように戦闘経験豊富な人材が不足していてすぐにでも人材が欲しかった彼らに、日本がPMCの派遣をすることが決定した。その人員として挙げられたのは、元反社会的勢力であった。と言うのも、かつて日本では米合製の銃火器を使った反社会勢力との銃撃戦が発生し、帝国軍が出動する事態となった。そのため、以後日本では反社会的勢力に対して慈悲を無くし、特殊部隊相当の帝国軍が出動することがデフォルトとなり悪質な反社会的勢力は容赦なく御用となっていった。その余波を受け、やることが無くなって困窮していった残りの比較的マシな反社会的勢力に日本政府は、大人しくお縄につくか、中南米の上記三か国でPMCとして活動するか二つに一つの最後通告を出し。米合の余波で困窮したという八つ当たりや、改めて米合の所業を知り自分が役に立てるならと義憤にかられる者が大多数だったことから、日本軍と加州のPMCの手ほどきを受けた後、中南米での活動をメインとしてそれぞれ新たな組としてのPMCを立ち上げ、ギャングやマンハンターと死闘を繰り広げると同時に、現地で家族としての証明として杯を交わす
などの彼らの文化が現地の影響を受けつつ定着していった。特に、ガイアナ・スリナム連合では彼らは熱烈な歓迎を受け、「リアル・サムライ」「ジャパニーズ・ヤクザ」として強く英雄視され日本ブームを巻き起こした。その後全ての戦いが終わった彼らは現地に日系人として帰化し、今でも自国をはるか彼方の海を渡り命懸けで守った英雄たちとして称えられ、中米連邦共和国、コロンビア連邦、ガイアナ・スリナム連合における親日を築いた偉人たちとしても日本で知られている。
836: 名無しさん :2020/10/15(木) 15:52:07 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
以上です。中米とグランコロンビア関しては言いだしっぺだったので日本版PMCということで龍が如く(中南米)のような小ネタとスレの情報を加えつつ、作成してみました。ブラジルに関しても度々口をはさんでましたのでとりあえず始めの型だけに手を出して後の中身はじっくり議論できるようにしました。
875: 名無しさん :2020/10/15(木) 20:24:08 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
アッ(滝汗)
すみません
833 の
「ニカラグアは1987年まで混乱をもたらしたウィリアム・ウォーカーが南部出身であったことや」
ここですが、1987年ではなく「1957年」でした。大変すみません。
最終更新:2020年10月16日 23:03